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    かけはし2018年9月17日号

北海道胆振東部地震について


北電の責任追及を!無条件で
全面的な被害補償を行え!


未確認の断層
がずれ動いた

 九月六日の未明に北海道胆振(いぶり)地方東部の厚真(あつま)町を震源とするマグニチュード六・七の断層地震が発生した。今回の地震で動いた断層は、これまでに確認されていた「石狩低地東縁断層帯」(主部が南北に六六キロ・南部が同五四キロの長さ)から東に一〇キロに位置する未確認の断層だった。調査によるとこの断層が地下三七キロで南北に約三〇キロにわたってずれ動いたとされている。
 震度七を記録した断層が走る厚真町ではいたる所で丘陵地が崩落し、大量の土砂と植林された松などが住宅を押しつぶして多数の犠牲者をだした。八日午後現在で死者三五人、心肺停止二人、安否不明三人(内、厚真町三六人)・けが六四八人となった。また震度五〜六を記録した札幌市では清田区で液状化現象による地面の陥没や浸水によって、多数の住宅が被害を受けた。
 また今回の地震では、北海道内の電力供給の半分ほどを担ってきた苫東厚真火力発電所(石炭)の三機すべてが、蒸気漏れやタービンからの出火などで同時停止した。その結果、電力需要に対して供給が一気に低下したために道内全面停電(ブラックアウト)となった。これはこうした事態を予測していたにもかかわらず、バックアップ態勢をとってこなかった北海道電力の大失態である。

陸地形成過程
を検証すれば


 以下、今回の地震に関して、多数の犠牲者をだした厚真町の丘陵地崩落問題と、北海道の電力問題について考えてみたい。
 大雑把に言うと、日本列島は数百万年前にユーラシア大陸から引きはがされた大地の移動によって西日本と北海道の石狩平野から東の部分の基が作られた。関東から北海道南部までは陸地はなく海であった。
 大地であった東部北海道は、千島・カムチャツカ海溝に沈み込む太平洋プレートの影響により、現在のカムチャツカ半島から千島列島、知床半島、阿寒、大雪山まで連なる造山運動が百数十万年前から活発になっていた。屈斜路・摩周のカルデラ噴火(地下にたまった巨大なマグマだまりに地表の岩盤が一気に崩落して引き起こされる「破局的噴火」)もこの時期に発生していて、その後、現在の富士山よりも高い山が形成されたと言われている。
 西部北海道の陸地化はそれから百万年以上かかることになる。日本海溝に沈み込む太平洋プレートの影響を受けて、現在の東北地方中心部を南北に連なる奥羽山脈と北関東の山々が形成されて、その造山活動の影響は利尻島まで及んだ。洞爺(とうや)湖を形成したカルデラ噴火は約一一・四万年前であり、支笏(しこつ)湖を形成したカルデラ噴火が約四・四万年前であるということを考えると、西部北海道は極めて新しい陸地だと言える。最後の最後まで海だった部分は、太平洋に位置する苫小牧から日本海の石狩湾までの、石狩平野だった。その後この部分も火山灰や河川からの堆積物などによって陸地化して行く。

災害・犠牲の
教訓化が必要


 今回の地震の震源地であり丘陵地帯の地盤崩落が頻発した厚真町の地盤は、その基礎となる部分は支笏カルデラ噴火によって堆積した厚さ約四mの軽石である。さらにその上には、支笏湖の北側に接する恵庭岳噴火によって堆積した軽石や、約九〇〇〇年前から噴火を繰り返してきた支笏湖の南側に位置する樽前山からの大量の軽石が堆積してきた。
 厚真町周辺が樽前山噴火によって最後にまとまった軽石を堆積させたのは、江戸時代の一六六七年の噴出量二・八立方キロの噴火と、一七三九年の噴出量四立方キロの噴火である(富士山の宝永噴火での噴出量は一・七立方キロ)。この二度の噴火によって堆積した軽石層の上にその後、表土が積もったのが厚真町周辺の不安定な表面土壌層を形成したと考えられる。
 厚真町は樽前山から東に四〇qほどに位置することを考えると、厚真町周辺に堆積した軽石は極めて小粒なものであったと考えられる。軽石は園芸用土として広く使われている栃木県産の鹿沼土が有名である。石粒には無数の気泡があり、軽くてさらさらしている。水はけは良いのだが粒同士の粘着性は弱く、極めて崩れやすい。
 今回の地盤崩落は樽前山が江戸時代の二度の噴火で堆積させた不安定な軽石層が、地震の大きな衝撃によって、それ以前に堆積して比較的固くなった地盤の上を滑り落ちたと考えてよいだろう。しかもその不安定な軽石層には、戦後植林されたと思われる大きく伸びた松の重さも加わり、より不安定になっていた。
 軽石層は決して珍しいものではない。全国の火山地域周辺に広く分布している。今回の災害と犠牲を最大限に教訓化する必要がある。

原発推進にと
どめを刺そう

 北海道電力は福島原発事故の後、一二年五月に定期点検のために停止した泊原発を再稼働することができなかった。それまでの北海道内の電力供給は、泊原発(最大出力二〇七万kw)と苫東厚真火力発電(同一六五万kw)の二カ所を中心にして行われてきた。しかし泊原発の停止以降は、定期点検もままならない状態で苫東厚真火力発電所に頼り切った状態が続いてきたのであった。フル稼働で相当の負荷がかけられていた発電所は断層地震の直撃を受けて、稼働していた三機すべてが蒸気漏れやタービンからの出火などによって停止したのであった。
地震発生当時の電力需要は三一〇万kwで、苫東厚真発電所が急停止したために電力供給が半減した。そのために供給電力の周波数がダウンし、稼働していた他の三カ所(伊達石油火力発電所―最大出力二機で七〇万kw―知内石油火力発電所―同二機で七〇万kw―奈井江石炭火力発電所―同二機で三五万kw)の火力発電所も自動停止したのであった。こうして前代未聞の全道二九五万戸の全面停電(ブラックアウト)が発生したのである。
泊原発も外部電源を喪失し、七日間稼働できる非常用のディーゼル発電機六台で燃料プール内の核燃料を冷却した。そして一〇時間後に外部電源が復旧した。北海道電力は他社を含む道内八カ所の火力発電所と八〇カ所の水力発電所を稼働し、本州から最大で六〇万kwの電力供給によって、八日までに道内の九九%で停電が解消したと発表した。しかし確保した電力は予想される最大需要量を下回っていて、苫東厚真発電所が再稼働するまで節電が続く。
停電直後に釈明した北海道電力の社長は「(今回のケースは)訓練のシナリオに入っていた」ことを明らかにしたが、同時にそのための対策が取られてこなかったことも明らかになった。北電は来年二月に小樽市に建設中の石狩湾新港液化天然ガス(LNG)火力発電所(最大出力一七〇万kw)の一号機の営業運転を予定していた。これが完成すると泊原発は完全に無用の長物となる。電力大量消費社会の変革と、持続可能なエネルギーへの転換をめざしながら、原発政策にとどめを刺さなければならない。地震大国の原発はあまりにも危険である。このままでは「第二の福島事故」は必至である。「原発はいらない」の声を強めよう。
また今回のブラックアウトの全責任は北海道電力にあることは明らかだ。北電はそれによってもたらされたインフラ関連の損害、農業・漁業の損害、製造業・商業の損害、医療関連・社会サービスの損害、そして教育を含めた市民社会が被った全損害を無条件に補償しなければならない。(苫小牧市出身 K・Y)

9.3

辺野古実が月例防衛省行動

首都圏の反基地闘争から
抗議のアピールが続く

 九月三日午後六時半から、辺野古への基地建設を許さない実行委員会が定例の申し入れ行動を行った。
  「八月三一日に、沖縄県が辺野古埋め立て工事の承認撤回を決めた。工事は完全にストップしている。辺野古の工事をやめろ。玉城デニーさんの勝利につなげよう」と司会者が行動の趣旨を述べて集会が始まった。
 横田へのオスプレイ配備に反対する行動について、古荘さんが発言した。
 「八月二二日に、一〇月一日に海兵隊使用のオスプレイCV22の横田基地配備を発表した。すでにその前から三回横田に来ていてずっと居座り続けている。夜間飛行や離着陸訓練など全部やっている。七月二日に防衛省に問いただしたところ、他国の軍隊のことなのでコメントできないという回答だった。すでに、横田への正式配備が完了し、三沢基地へ飛んでいる。MV22が普天間基地に、CV22が嘉手納基地に配備され、横田と密接に連携している。これに断固抗議し、九月二二日集会、三〇日に抗議デモを行う」。
 練馬から池田五律さんが「防衛省は五兆三〇〇〇億円を概算要求している。軍拡予算に抗議して九月一八日に、防衛省に抗議・申し入れ行動を行う。一〇月に行われる観閲式に反対する」と訴えた。郵政ネットの仲間は「労働組合としての取り組みが弱い。全国港湾のように辺野古埋め立てのための土砂を運ばない運動が重要だ」と話した。防衛省への申し入れを沖縄文化講座と南部の会が行った。

安次富浩さんが
電話でアピール
沖縄から安次富浩さん(ヘリ基地反対協)が電話でアピールした。
「沖縄県は八月三一日、埋め立て承認撤回の手続きに入り正式に工事が中止された。オール沖縄の総行動が八〇〇人で辺野古ゲート前で行われ、玉城デニーさんも参加した。九月三〇日に知事選投票日。それに合わせて多くの沖縄の自治体で選挙がある。翁長知事の遺志を継ぐことができるか問われている。玉城さんに翁長知事の遺志を継いでもらいたい。知事選の勝利は工事を止める大きなバネになる」。
「命の炎を消しても安倍政権と対峙してきた。すさまじい政治魂を受け継ぐ玉城さんの圧勝を勝ち取ろう。右翼の日本会議のメンバーでもある佐喜真自公推薦候補は辺野古基地問題を語らない。相手候補の弱点をついて闘う。台風21号が上陸し、大きな被害を及ぼした。しかし、政府の被災者への支援は弱い。米国から飛行機を買っても国民の生活を考えていない。沖縄は立ち上がっている。安倍政権をこれ以上続けさせるわけにはいかない。安倍政権を打倒しよう」。
埋めるな連首都圏連絡会がこの間の行動を報告し、埼玉の若者が自作の歌を防衛省にぶつけた。辺野古実が今後の行動(一〇月一日定例防衛省行動)を提起し、防衛省に向けて辺野古基地建設を止めろとシュプレヒコールした。    (M)

コラム

Xデーがやって来る

 日本専売公社の民営化によって一九八五年に設立されたJT(日本たばこ産業)の調べによると、二〇一七年の喫煙率は男性が二八・二%で女性が九・〇%だ。喫煙しているのは成人全体の一八・六%で、これに未成年者の人口も含めると日本人全体の喫煙率は約一五%という数字になる。
 四〇年前の一九七八年では、男性の約七五%が女性の約一六%が喫煙していたが、この年から「嫌煙権」と呼ばれる市民の活動が本格化する。確かに当時はいまでは考えられないほどの「喫煙天国」だった。地下鉄を含む駅のホームでは、柱に取り付けられた大きな吸ガラ入れからモクモクと煙が上がり、それに水を掛けるのも駅員の仕事のひとつだった。線路はポイ捨てされたタバコが散乱していた。新幹線も長距離列車も全車両で喫煙可能だったし、四人掛けボックスのある国鉄の通勤列車も列車が郊外に出れば喫煙できた。長距離バスもタクシーも飛行機も船でも当たり前のようにタバコが吸えたのである。
 そんな時代だったから、学校内でも公共施設でも病院の待合室でも民間の事務所内、ホテル、飲食店などほとんどどこでも喫煙が可能な社会だった。歩きたばこもポイ捨ても当たり前で、信号待ちする人も平然とタバコをふかしていた。携帯灰皿など存在しなかったのだ。そしてタバコは安かった。一〇〇円あれば一箱買えた時代だった。
 日本で最初の「嫌煙権訴訟」は、鉄道列車客室の半分を禁煙にするよう求めた一九八〇年の訴訟だった。しかし「受動喫煙による被害は受忍限度の範囲内だ」として、訴えは却下された。今となっては信じられないほどの「喫煙天国」社会だったということが良くわかる。ただしJTは受動喫煙による健康被害について「科学的に説得力のある結論は示されていない」という立場を崩していないから、これもまた驚きである。
 東京の地下鉄が全面禁煙になるのは八七年からで、そのころから徐々に分煙と禁煙が拡大していくのである。喫煙率の低下は健康志向の高まりもあるだろうが、たばこ代の値上げも大きな要因になっている。一〇〇円だったものが現在では四四〇円で、近々また値上げされる。一六年度の国のタバコ税収は二兆一二〇〇億円で、一九七八年度の一兆一六〇〇億円を大幅に上回っている。ニコチン成分が含まれる水蒸気を吸い込む「加熱式たばこ」をやる人は、経済的にまだ余裕のある人たちだ。ちなみに加熱式たばこの世界シェアの九〇%ほどが日本だ。
 二〇二〇年四月から国の「改正健康増進法」と東京都の「受動喫煙防止条例」が施行される。現在でも相当に「社会の片隅」に追い詰められている喫煙者にとっては、最後の一撃に近い。一歩でも家を出ると屋外では「喫煙場所」、飲食店を含む屋内では「喫煙専用室」以外で喫煙することができなくなるのである。しかも喫煙者には最大三〇万円、施設管理者には最大五〇万円の罰金付きなのだ。
 Xデーがやって来る前に、つべこべ言わずに本気で禁煙を実現しなければならないのだろう。(星)


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