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    かけはし2018年9月17日号

沖縄県知事に玉城デニーさんを


当面する沖縄情勢と展望

沖縄の自己決定権を守り基地の
ない未来へともに踏みだそう!

沖縄 N・J

知事選挙は絶対に負けられない!

  翁長知事の死去に伴う県知事選挙が九月三〇日投開票で実施される。翁長知事の志を継ぐ統一候補は、沖縄3区選出の衆院議員で自由党幹事長の玉城デニーさんに決まった。翁長知事を支えてきた県内の政党、労組、経済団体、県議会会派などの全面的な支持・支援と共に、末期的症状を呈する安倍政治に反対する全国の六野党(立憲民主、国民民主、共産、社民、無所属の会、自由)の支持・支援を取り付けて、玉城デニーさんは八月二九日正式に立候補を表明した。
 選挙運動母体のひやみかちうまんちゅの会の会長には金秀グループの呉屋守将会長が就任した。ひやみかちうまんちゅの会は、四年前の知事選挙で仲井真前知事に一〇万票の大差で翁長知事を誕生させる原動力となった保守・革新の垣根を越えた選挙運動母体だ。
 県知事選挙にのぞむ玉城デニーさんの公約は「翁長知事のあらゆる遺志を引き継いでいく」ことに基本がある。翁長知事は七月二七日の埋め立て承認撤回表明の記者会見で「沖縄はアジアの架け橋として飛び立とうとするまでになった。その時代に“振興策をもらって基地を受け入れる”ということが続いていいのか」と全身全霊の力をふりしぼって述べた。この言葉は県民の思いだ。翁長知事の最後の訴えにいかに多くの県民が共感し突き動かされたかは、直後の8・11県民大会に辺野古ブルーの衣服に黒のリボンや腕章をした七万人の荘厳ともいえる大集会に明確に示された。
 沖縄が進むべき道は「万国津梁の鐘」に示されるアジア諸国との平和交流と共存だ。沖縄に軍事基地はいらない。米軍が銃剣とブルドーザーで住民を追い出し基地を造ってきた戦後七三年間の歴史の上に、県が自ら進んで基地建設を容認し埋め立てを承認するなどということは決してあってはならない。日本政府は飛び立とうとする沖縄の足首をつかんで軍事基地の桎梏に閉じ込めるのはやめよ! このような翁長知事の魂の叫びを受け止め実現するのは残された県民の役割だ。
 相手候補は佐喜真前宜野湾市長。九月三日の政策発表の会見で、翁長県政に対し「県と政府がつねに争っているイメージがある。協調するところは協調する」「過重な基地負担を全国に発信したことは大きいが、一括交付金は大きく減額された」「最も重要なことは普天間飛行場の一日も早い返還」などと述べた。彼は自分の言っていることを正確に理解していないようだ。政府と県が争うのは政府が沖縄県の民意を尊重しないからだ。翁長知事が命を削って奮闘したのは何のためか。「協調する」とは政府の言うままになることだ。一括交付金の権限は政府にあるから、その減額は政府の責任であることは明白であって、翁長県政を批判する口実にしてはいけない。普天間飛行場の一日も早い返還のためには、県と日本政府が声をそろえて米国に対し普天間の閉鎖を求める以外ない。辺野古新基地建設に協力することは米海兵隊を半永久的に固定化する道である。それだけでなく、海を埋め立ててかけがえのない自然を破壊することに対しても県民の多数は反対している。だから佐喜真候補は県民の反発を恐れて辺野古の是非を言わない。直面する最大の県政の課題である辺野古新基地建設に対する態度を明らかにせずして県知事選挙に出る資格はない。ごまかしと目くらましの選挙はもうやめよう。
 佐喜真候補を担いでいるのが自民、公明、維新の三党と安倍官邸だ。二階や菅はすでに沖縄に来て経済界や企業に対する「ニンジン作戦」と称されるあからさまな工作を進めた。三党の国会議員や運動員たちもあの手この手の票集めに奔走している。彼らは必死だ。翁長県政をつぶし、安倍官邸に従順な沖縄県知事を生み出そうと必死の思いで立ち向かってきている。
 負けられない。絶対に負けられない。命を削って最後まで国家権力の重圧に抗して沖縄の自尊心を守り、新しい基地は造らせないという公約を守り抜くために奮闘した翁長知事の遺志を受けつごう。九月三〇日の県知事選挙は沖縄の基地のない未来を切り拓く決戦だ。全県、全国のすべての皆さん、玉城デニーさんが翁長知事を受けつぐ知事になるために総力を尽くそう!

沖縄は日本国家のアキレス腱


 日本の江戸幕府は一六〇八年朝鮮王朝光海君と和平を結んだ。朝鮮に対し甚大な被害を与えた豊臣秀吉の朝鮮侵略・明との敵対から、江戸幕府は友好へと舵を切った。そして翌一六〇九年、江戸幕府の支持を背景に薩摩藩は軍兵三〇〇〇、軍船一〇〇、鉄砲七三四を動員して琉球を攻撃した。北方侵略の挫折→南方侵略という図式だ。日本はそののち、一八七九年の明治政府による琉球併合と沖縄県設置を通じて、沖縄に対する支配と収奪を続けてきた。琉球・沖縄は常に、経済的収奪と海外拡張の拠点、あるいは軍事的要塞として日本によって利用される道具だった。琉球・沖縄の自然資産や県民の財産、人的資産は日本国家の目的のために無慈悲に使いつくされた。薩摩の支配から四〇〇年余、明治政府の併合から一四〇年、沖縄戦から七三年を経て、沖縄は現在米軍と米国に従属した日本政府の軍事基地の島としての姿をあらわにしている。止むことのない米軍の事件事故、犯罪、環境汚染、騒音は米軍優先の日米地位協定の下で構造的に県民の生活と命を脅かし続けている。
 悲しくもあり怒りがふつふつとわき上がるような沖縄の厳然たる現実は他方で、県民のあきらめることを知らない抵抗を生み出した。明治の天皇制日本国家の成立以来、日本国内で、辺野古新基地反対闘争のような大規模に長期に続く大衆運動の存在はまれだ。かつて秩父事件と呼ばれた革命的な農民抗争があった。力強い在日朝鮮人の運動や炭労、国鉄、教組など労働組合運動も一時期盛り上がった。地域では、水俣など公害問題、あるいは三里塚をはじめ空港や基地に対する周辺住民の運動も広く展開された。しかし、その規模とエネルギーの大きさという点で、沖縄反基地闘争は特別だ。
 何故か。沖縄の闘いはどうして収束・終焉しないのか。それは闘いが沖縄の存在自体に起因するからに他ならない。だから終わらない。米軍の直接支配下の諸々の反軍政闘争、本土復帰闘争、復帰後も節目ふしめに開催される大規模な県民大会。知事選、衆参議選を含め日本政府の支配力が一番弱いところ。政府に対する住民の反発がもっとも強いところ。一言でいって、沖縄は日本国家のアキレス腱なのだ。沖縄が日本国家の動きを止め立ち往生させる決定的な契機になるだろう。
 近代日本は明治以降、中央集権国家として成立発展した。中央集権のほころびは直ちに国家の弱体化につながる。われわれは、太平洋戦争や原発で間違った政策も修正できず、突っ走りとことんダメになって破滅する日本国家を見てきたし、現に今も目にしている。破滅的な中央集権国家・日本に反旗を翻し国の在り方を変える闘いを先導しているのが沖縄なのである。

承認撤回により埋め立て工事中止


 沖縄県の富川盛武副知事と謝花喜一郎副知事は八月三一日、県庁で記者会見を開き、埋め立て承認を撤回したと発表した。記者会見に先立ち、渡嘉敷基地対策統括監、松島土木整備統括監が嘉手納町の沖縄防衛局を訪れ、承認取消通知書を手渡した。これによって、政府防衛局が辺野古の埋め立てを行うことが不可能になった。冒頭発言で、謝花副知事は「今回の承認取り消しは、辺野古に新基地は造らせないという翁長知事の強く熱い思いをしっかりと受け止めた上で、埋め立て承認の取り消し処分の権限を有する者として、公有水面埋立法に基づき適正に判断した」と述べた。
 謝花副知事はまた、沖縄防衛局に対する聴聞、主宰者である県総務部が作成した聴聞調書と報告書に触れながら、「本件埋め立て承認は、留意事項に基づく事前協議をせずに工事を開始したという違反行為があり、行政指導を重ねても是正しないこと、軟弱地盤、活断層、高さ制限および返還条件などの問題が承認後に判明したこと、承認後に策定したサンゴやジュゴンなどの環境保全対策に問題があり、環境保全上の支障が生じることは明らかと認められた。県としては違法な状態を放置できないという法律による行政の観点から、承認取り消しが相当であると判断し、本日付で沖縄防衛局に対し公有水面埋立承認取消通知書を出した」と説明した。
 記者との一問一答で、謝花副知事は「法的な観点から慎重に議論を重ね、専門家の意見も相当数聞き、本日の結論に至った。今回の承認取り消しは適法になされたと考えている。国からどのような対抗措置がなされるかは分からない。だが、承認取り消しの理由や政府の埋め立て工事の進め方に関する不誠実さ、また環境保全の配慮のなさ、辺野古新基地建設は基地負担の軽減にならないこと、そして沖縄に過重な基地負担を押し付けている理不尽さ、そういった県の主張を裁判所に対してしっかり訴えて、県の考えが認められるよう全力を尽くしたい」と語った。富川副知事も「これは行政上の手続きであり、あくまで客観的なデータをもとに判断している」と承認撤回の正当性を強調した。
 こうして地方自治体の行政権限を行使する沖縄県と中央政府との全面対決が再び始まった。県の承認撤回に対し、日本政府は諸官庁や裁判所を動員して承認撤回の執行停止をはかるとともに、承認撤回の取り消しを求める訴訟を起こすだろう。その時期は? 知事選前に動けば、知事選は必然的に辺野古を真正面から問う選挙になる。辺野古争点隠しに注力している安倍官邸としてはそうしたくない。動きは知事選後に出ることになろう。埋め立て工事再開もまた知事選後のタイミングで図られることになろう。それに対して、県の行政と現場の運動が連携して、工事を再開するな! 辺野古を断念せよ! と対決していく闘いが展開される。

知事選は沖縄の闘いの岐路になる

 公有水面埋め立てに関する許認可権などいくつかの地方行政権限を正当に行使し、翁長県政と稲嶺市政は、政府防衛局の埋め立て工事に異議を申し立て、大幅な遅延を余儀なくさせてきた。残念ながら今年初めの市長選挙の敗北で名護市の行政は国側に移ることになったが、知事選挙で翁長知事を受けつぐ玉城デニー県政ができれば、県の行政権限を行使した抵抗が継続し、さらに遅延が生じる。何より、県ぐるみの辺野古NO! の大きなアピールになり、辺野古断念への第一歩になる。安倍官邸はそうさせないために、一方で辺野古の争点隠しに注力するとともに、他方で、数百億円の損害賠償と一日二〇〇〇万円の遅延損害金を持ち出し、沖縄県の幹部をはじめ県民に対し暴力団まがいの脅迫をしているのだ。
知事選の結果が大きな岐路になる。
考えられる仮説@知事選に玉城デニーさんが勝利し、行政も含めた県民ぐるみの抵抗が頑強に続く場合、日本政府は辺野古強行策を法的・物理的にエスカレートしない限り新基地建設のめどが立たなくなる。土砂投入をめぐる沖縄県と政府の対立激化の中で、辺野古断念か否かが焦点化する。
共同通信社が八月二五、六日に実施した全国電話世論調査によると、普天間飛行場の辺野古移設の政府方針を「支持しない」が四四・三%、「支持する」が四〇・三%だった。小差ではあるが政府に対する不支持が多い。沖縄県の行政も含めた県民ぐるみの抵抗が持続し強化されれば、この支持不支持の差はもっと劇的に開いていくに違いない。
逆の場合の仮説A知事選に敗北し、県行政が中央に奪われ、大衆運動としての抵抗が継続する場合、日本政府は土砂投入によって基地建設に拍車をかけるが、それでも直面する難問にいずれ工事は破綻。辺野古の闘いは逆風の中を進むことを余儀なくされるが、先送りされた形ではあってもいずれ辺野古の可否が大きくクローズアップされてくる。
仮説B参院選やアジア情勢の変化をうけて日本の政治が転換し、辺野古中止にいたる。朝鮮半島情勢は日本にはね返る。九月中旬の三度目の南北首脳会談を経て、朝鮮半島の南と北の国(韓国、朝鮮国)は非武装地帯の軍事哨所の相互撤収など、朝鮮戦争の年内の終戦宣言に向けた取り組みを先導している。終戦宣言から平和協定・講和への動きは安倍の軍事拡張政策に対するブレーキの役割を果たし、辺野古断念への追い風になる筈だ。

3年前の承認取り消しめぐる攻防


とはいえ、当面待ち受けるのは妥協の余地が一切ない政府防衛局との熾烈な攻防である。県の承認撤回を受けて、沖縄防衛局は九月四日、辺野古の海に張り巡らしていたオイルフェンスを撤去し、護岸に有刺鉄線を取り付ける工事をした。本部塩川港では台船から採石場に土砂を戻す作業をするという。裁判を念頭に置いたポーズだろう。今後、安倍官邸が県の承認撤回に対しどのような対抗措置をとってくるか。三年前の承認取り消しに際しての彼らの対応が参考になる。振り返ってみよう。
二〇一五年一〇月一三日、埋立承認に瑕疵ありと、翁長知事が埋立承認取り消し。埋め立て承認取消し直後の一〇月一六〜一八日に行われた地元メデイアの緊急世論調査によると、「取り消し支持」が七九・三%、「支持しない」が一六・一%、「どちらでもない」が四・五%を示した。
沖縄防衛局は即座に国土交通相に取り消し無効の審査請求と取り消しの効力を止める執行停止を申し立て。国交相は執行停止を決定。同じ穴の二匹のムジナ、あるいは右手と左手のマジックのようなもので、到底まともな行政ではない。さらに、国交相が福岡高裁那覇支部に、埋め立て承認取り消しの取り消しを求め代執行訴訟を提訴。その後三つの裁判が並立する事態になった。

 A、代執行裁判

 日本政府が沖縄県の権限を奪おうとした「代執行訴訟」は、一二月二日第一回の口頭弁論が開かれた。

 B、抗告訴訟

 日本政府は、個人や民間に対する不利益な行政処分からの救済を目的とした行政不服審査制度を悪用し、沖縄防衛局の訴えを国交相が認めるとともに、知事の埋め立て承認取消しの効力を無効にする執行停止を行った。沖縄県は、国交相の執行停止の取り消しを求める「抗告訴訟」を那覇地裁に提訴し、同時に執行停止決定の執行停止を求める申立をした。

 C、係争委決定不服訴訟

 国地方係争処理委員会は、沖縄県が申し立てた国交相の執行停止の違法性に関する審査に対し「審査対象に該当せず」として却下した。それに対し、「実質的な審査を一切行うことなく却下した。国地方係争処理委員会の存在意義を自ら否定しかねずまことに遺憾」(翁長知事)と述べた沖縄県は、福岡高裁那覇支部に係争委決定不服訴訟を提訴した。
事態は代執行裁判の和解と裁判の一本化へ進んだ。
二〇一六・三・四の和解条項の骨子は、@国は翁長知事の承認取り消しの取消を求めた代執行訴訟を取り下げ、県は国の違法な関与の取消を求めた係争委不服訴訟を取り下げる、A国は、翁長知事の埋め立て承認取消に対する審査請求と執行停止申し立てを取り下げ、埋め立て工事をただちに中止する、B国と県は地方自治法に定められた本来の手続きにそってすすめる、というものだ。
七月二二日、政府は翁長知事を相手どり違法確認訴訟を提訴。福岡高裁那覇支部は八月に二回の口頭弁論を行っただけで審理を終え、九月一六日、「沖縄県が国交相の是正の指示に対し埋め立て承認取り消し処分を取り消さないのは違法であることを確認する」(判決主文)との判決をだした。
口頭弁論を開かず早期判決を急いだ最高裁は一二月二〇日、沖縄県の上告を棄却した。判決は、形式論理に貫かれたひどいものだ。要旨を紹介しよう。@公有水面埋立法の「国土利用上適正且合理的ナルコト」という「第1号要件に適合するとした前知事の判断に違法等があるとはいえない」、A公有水面埋立法の「環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」との「第2号要件に適合するとした前知事の判断に違法等があるとはいえない」、B翁長知事による埋め立て承認取り消しは、「埋立承認に違法等がないにもかかわらず、これが違法であるとして取消したもの」で、「違法である」、C沖縄県は国交相の是正の指示に従い「埋立承認取り消しを取り消す義務を負う」から埋立承認取り消しを取り消さないことは「不作為の違法」に当たる、というものだ。
翁長知事は判決後の記者会見で、「法の番人として少なくとも充実した審理を経た上で判断をしていただけるものと期待していた」が「深く失望し憂慮している」と述べた上で、「行政が司法の最終判断を尊重することは当然」と語り、一二月二六日、埋め立て承認の取り消し処分を自ら取り消した。
その後、翁長知事は首相官邸で菅官房長官と面談し、前知事が埋め立て承認時に留意事項として付した工事再開前の事前協議を求めたが、政府・沖縄防衛局は県との協議を拒否して工事を再開した。

安倍官邸に勝ち抜く闘争陣形を!

 沖縄県は埋め立て承認取り消しをめぐる裁判の場で敗北したが、その後も不法な工事の差し止めを求める行政指導を繰り返し行った。しかし、政府防衛局はまったく聞く耳を持たず、岩礁破砕許可の期限切れも無視し護岸工事を強行してきた。
二〇一七年一月から今年八月までに護岸造成工事は、辺野古崎に面した工事区間A―1のK4―N3―N5で囲まれた海域と工事区間AのK1―K2―K3で囲まれた海域の基礎工部分が出来上がった。しかし、完成時の高さと比べれば五m以上も低く、このまま土砂が投入される段階ではない。
資材搬入の実績を見てみると、大中小の石材が陸上海上合わせて約五万八〇〇〇台分、生コン車が八〇〇〇台近くに及ぶ。埋め立てに予定される砕石・土砂の総計三五〇万台分に比べると、埋め立て工事の進展度はまだ一部でしかない。中国には「愚公山を移す」という諺がある。どんなに手間と時間がかかっても海に投入された大中小の石をすべて取り除けばいいのだ。この作業の責任はもちろん、沖縄の民意を無視し、翁長知事の承認取り消しをはじめ沖縄県の工事中止の行政指導を顧みず護岸工事を強行した日本政府にある。作業人員と費用は日本政府がすべて負担しなければならない。
これからの半年が闘いの最大の山場になる。統一地方選挙、承認撤回をめぐる攻防、九月三〇日の知事選・宜野湾市長選、辺野古埋め立てに関する県民投票を審議する九月ないし一〇月県議会、豊見城市長選及び那覇市長選、土砂搬出搬入をめぐる辺野古および本部塩川港の現場の攻防、承認撤回に関する裁判闘争、来年春先にかけて実施されることが予想される県民投票。これら全体の動きの中で辺野古をめぐる彼我の力関係がどう転換するか。
何よりも、沖縄側の結束の度合いと闘いの規模とエネルギー、そして法的・物理的に工事を止める力がどれほどあるか、ということだ。さらに、日本本土や世界的な連帯の広がりが一つに結びついて、安倍官邸を中心とし国内のゼネコンや軍需産業と米軍の支持を得た辺野古推進の勢力に対決する強力な闘争陣形をつくり出すことが課題である。 九月七日、言語学者のノーム・チョムスキーさん、映画監督のオリバー・ストーンさん、ピュリツァー賞を受賞したジョン・ダワーさんら世界的な著名人一三三人が、沖縄県の埋め立て承認撤回を支持し、辺野古新基地建設の白紙撤回と沖縄の非軍事化を訴える声明を発表した。国内でも、宮本憲一大阪市立大名誉教授、作家の赤川次郎さん、澤地久枝さん、金石範さん、写真家の大石芳野さんら七二人が呼びかけ人となった「土砂投入反対・辺野古白紙撤回の共同声明」の賛同者が拡大している。連帯の輪をもっともっと広げよう!
政府の反動化に伴い諸官庁・裁判所も足並みをそろえて反動化しゴマカシや欺瞞が横行する政治が常態化するのは歴史の法則かもしれないが、闘う者の知恵と勇気と連帯で安倍政権に対決し勝利しよう!

沖縄はどこへ向かうのか

 @復帰45年県民意識調査

 『琉球新報』が昨年五月に実施した復帰四五年県民世論調査によると、「本土復帰をどう思うか」との問いに、「とても良かった」「どちらかといえば良かった」合わせて七五・五%、「とても悪かった」「どちらかといえば悪かった」合わせて四・一%だった。
「普天間飛行場の代替施設として辺野古の新基地建設をどう思うか」との問いに対して、「普天間撤去」「県外移設」「国外移設」合わせて七四・一%、「辺野古に新基地建設すべき」が一八%。また、就任後二年半を経てあくまで辺野古NO!を貫く翁長知事に対しては、「支持」が六六・七%、「支持しない」が一九・三%だった。
県民は本土復帰の肯定の上で基地に反対している。この点が重要だ。本土復帰は長年の苦しい闘いの蓄積の上に沖縄の分離支配・米軍政支配を掘り崩し自民党の「いもはだし」論を打ち破って勝ち取った闘いの成果だ。県民意識はいわば「本土復帰、基地撤去」と言っていい。

 A琉球の自己決定権BOOKLET

 琉球の自己決定権の会が琉球の自己決定権BOOKLET@として、今年七月『沖縄のことは沖縄人が決める!「日米の植民地主義に沖縄人はどう立ち向かうのか」』との冊子を発行した。そこに二つの講演記録が収録されている。ひとつは高良沙哉講演。「沖縄が一自治体である限り、日本の安全保障政策を担っており、地位が固定化。沖縄にとって、日本の民主主義というのは米軍基地押しつけの根拠になっている」と主張。もう一つは伊佐眞一講演。復帰とは何であったのか、との問いに、「琉球の亡国と第一次沖縄県をつくり出した日本に自ら積極的に‘従属’して行くことに他ならない」と主張する。
また、理念と基本政策として、「独立も辞さずの気構え」「非武装中立」「市町村議会・県議会で自己決定権確立の決議」をあげる。会則では、会員の資格は琉球弧にルーツを持つ者とされている。具体的な政策課題としては、「米、仏、蘭との修好条約原本の早期返還」「旧京大による琉球人遺骨持ち出しに対し、遺骨返還に向け取り組む」をあげている。
独立・自治の問題は、二一世紀最初の独立国となった東ティモールがまさにそうであったように、当該住民の大多数に依拠してこそ成就される。大多数の意識から外れた論議は理念上のアンチテーゼでしかない。

 B翁長知事の考えは道州制

 当時の石破自民党幹事長を前にして沖縄選出の自民党議員が、叱られた子犬よろしく、うなだれて壇上の椅子に座った姿が今なお鮮明な、辺野古新基地をめぐる自民党沖縄の転向のあと、二〇一三年一二月八日の琉球新報に当時の翁長那覇市長のインタビューが掲載されている。「独立論をどう思うか」との問いに対し、翁長知事は「私たちは沖縄に誇りを持っているからこそ今回のことにもマグマが噴き出しているが、独立よりもやはり道州制を沖縄でまずつくるというのはどうか。日本国の一員としてもっと日本に資するところはある。本土の側に包容力と愛情があればそのように生かしていけるが、今は沖縄を要塞としか考えていない」と述べた。
日本の政治社会体制の中で、沖縄の自治と民主主義を最大限押し広げていく可能性を追求するというのが翁長知事の政治スタイルだと言っていい。翁長知事は根本において日本の憲法と民主主義を信じようとしたのだろう。沖縄を支配し続けようとする日本政府と国民多数の無関心の厚い壁に直面しながらも、翁長知事は大胆にかつ根気強く闘いぬきたおれた。翁長知事が生前努力した基地の負担軽減や日米地位協定の改定問題は、今年七月の全国知事会での「米軍基地負担に関する提言」となって結実した。問題はこれからだ。

 C新城俊昭沖大客員教授の提言

 今から七〜八年ほど前、韓国の以友高校生の東アジア研修旅行一行が沖縄を訪問した時、新城俊昭沖縄大学客員教授の講義を二時間余り受けた。はじめの一時間は講義、あとの一時間は質疑という形の授業形式だったが、その席で新城教授は沖縄の将来像について熱心に語った。新城教授は黒板に円を二つ描き、一つに「沖縄」もう一つに「日本本土」と書き入れた。そのうえで二つの円を取り囲む大きな円を描き「新しい日本」と書いたのである。
新城教授は学生たちの質問の数々に答えて、説明した。記憶に残っている限りでまとめると、沖縄は日本であって日本ではない。沖縄は日本の一部だが日本中央政府に従属する一地方ではない。また、中国―香港のような中央によって統制される一国二制度ではない。沖縄と沖縄を除く日本本土とは対等の存在である。沖縄とその他の日本本土との二つの対等の構成国による日本国連邦というのが、沖縄と日本の将来のあるべき姿で、これが沖縄のアイデンティティだ。
韓国の学生たちは納得したかのようにうなずいていたが、本質を突いた新鮮な提言だと思った。日本本土政府と共に「新日本」を構成する沖縄の政府を仮に「沖縄自治政府」と呼ぼう。沖縄自治政府はもはや一地方自治体の沖縄県ではない。県知事は自治政府首相、県議会は自治議会となって、日本本土の政治的束縛から離れる。沖縄自治政府は日本本土から支配され置き去りにされてきた負の歴史の清算に取り組むだろう。つい最近もポーランドのドイツに対する賠償が改めて提起されたように、日本の謝罪と賠償と歴史教育の諸問題がさまざまに浮上するに違いない。国家の犯罪に時効はない。
スペインのカタルーニャ地方が数世紀にわたって闘い続けているように、自治や独立のための闘いは長い時間と紆余曲折を経る。しかし夢物語ではない。

 D沖縄の自己決定権と安全保障

 辺野古・普天間をめぐる日本政府との対立や県民投票の運動を通じて「沖縄のことは沖縄が決める」というスローガンに代表される沖縄の自己決定権の思想が根を下ろしてきた。翁長知事もことあるごとに、沖縄の自己決定権が日米両政府によってないがしろにされていると訴えてきた。日米両政府が沖縄の民意を踏みにじるとますます自己決定権の主張は強まる。
沖縄の自己決定権は中央政府により制限されない。九月五日の知事選挙公開討論会で、佐喜真候補は「安全保障は国が決めることで地方自治体は外交権限がない」と述べ、日本政府の辺野古新基地建設を容認した。これは権力を持っている者の論理、中央政府による沖縄支配の論理だ。安全保障や外交こそ県民の命に直結する重大問題であり、なおさら県民が自己決定権を行使すべき対象だ。

 E沖縄―日本―朝鮮―台湾―中国―アジア

 沖縄戦後米軍に占領された沖縄は、朝鮮戦争が休戦した一九五〇年代後半、核を有する軍事要塞として本格的に拡張・固定化された。伊江島、小禄、伊佐浜での銃剣とブルドーザーによる強制収用や辺野古のキャンプ・シュワブもこの時期だ。沖縄は普天間飛行場など三カ所が現在も朝鮮国連軍の基地とされている。現在の沖縄駐留米軍の兵力は、軍人・軍属・家族合わせて五万人以上、基地面積は羽田空港の約一二倍、最近台風で水没した関西空港の約一七倍、那覇空港の約五七倍の広さを有する。米軍は沖縄の発展を阻む元凶だ。
朝鮮半島の情勢は、年内の終戦宣言から平和協定・講和へ向けた動きにいっそう拍車がかかるだろう。そうすると、沖縄の米軍はどうなるか。ペリー元国防長官は「北朝鮮に対する迅速な対応を主な機能とした米海兵隊は、北朝鮮からの脅威がなくなれば、その役割は見直される。日本にとどまることの是非さえ問題になる」と述べている。海兵隊は沖縄から撤退せよ! という県民の要求は東アジア情勢に基礎を置く合理的な主張となって力を得る。
平和、人権を共通の価値観とする国境を越えたアジアの諸国民の連帯の中で、万国津梁にふさわしい沖縄の未来が展望される。

 


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