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    かけはし2018年9月10日号

グローバル企業との国境超える闘いへの挑戦


労働運動

アマゾンに立ち向かう欧州労働者

大衆的ストライキの実現に向け
協調はどう進められ、次は何か

レベッカ・バーンズ

 

 アマゾンは全世界で急速に事業を成長させ、一般紙では流通業に大変革を起こすとも予想されている。しかし一方で、その労働条件の劣悪さでも悪名高い。アマゾンの事業モデルは労働者に対する強搾取で成り立っているのであり、その黙認は許されない。このアマゾンに対し欧州では国境を越えた労働者の反撃が始まっている。今後予想される日本における闘いを考える上でも注目すべき動きだ。(「かけはし」編集部)

ドイツでの三日間ストライキ


 アマゾンのCEO、ジェフ・ベゾスのネットの価値が先週一五〇〇億ドルを超え、近代史上彼をもっとも裕福な者にする中、欧州中の数千人に上る労働者がストライキに立ち上がった。
 いくつかの職場で三日間続いた作業停止は、現在までアマゾンと対決する最大の労働者の行動となった。そして、米国のメディアで幅広く報じられた最初のものになった。
 しかし、スペイン、ドイツ、ポーランドにおけるストライキと抗議行動は、欧州のアマゾンに対決して高まりつつある一連の行動の中では最新のものにすぎなかった。この欧州では、通常の労組と戦闘的労働者組織双方に所属する労働者たちが、このインターネット界の怪物と対決する国を横断する運動を打ち固めつつあるのだ。
 米国に次いでアマゾンの二番目に大きな市場であるドイツでは、二〇一三年、この企業の出荷センターの労働者がこれまでで初めてのストライキに打って出た。「はじめは、それは純粋に賃金を、生計費をまかなうことができることをめぐるものだった」「今それは、敬意をめぐるもの、そして要求が聞き届けられることをめぐるものになっている」、ドイツサービス関連労組、ヴェルディの連邦書記長であり、スポークスパーソンであるレナ・ヴィットマンはこう語る。
 最初のストライキの後アマゾンは、ドイツの労働者に定期的な賃上げを行い始めた。それはまた、いくつかの倉庫の換気や照明で改良も行った。また、仕事上の必要から来る肉体的なまた心理的な負荷に関する労働者の不平に答えて、会社が提供するフルーツバスケットを伴った「フルーツデー」も加えた。
 しかしアマゾンは、これらの最低限のささやかな変更ですら、労働協約を通して成文化することを拒絶してきた。労組は、ドイツにおけるこの企業の六つの操業センターで、アマゾンがドイツで雇用するおよそ一万六〇〇〇人のうち、約二四〇〇人が先週の三日間ストライキに参加した、と見積もっている。組合の活動家たちは、もっと多くの労働者を職場組織に迎え入れようと、昨年アマゾンがドイツに開設した新しい操業センターとの接触をつくり出そうと、そして最終的に労組との集団労働契約を勝ち取ろうと、力を絞り続けるだろう。
 「われわれは今前途に控える長期の闘争について語り合っている。つまり、それがクリスマスまでに解決することはないだろうと。そしてわれわれのメンバーはこのことを極めてよく自覚している」「しかし人々は次々とこの運動に加わりつつある」、ヴィットマンはこう語っている。
 アマゾンのスポークスパーソンはこれらのストライキに答えるある声明で、「アマゾンは公正で責任ある雇用主であり、われわれはそのような者として対話をもっぱらとしている。そしてそれはわれわれの文化では不可分の部分だ。われわれは、われわれの従業員すべてとの公正な協力を確保することに務めている。そこには前向きな労働条件、食事提供、また包括的な環境が含まれている」と語った。

ポーランドに見る劣悪労働条件


 アマゾンは二〇一四年、ポーランドにいくつかの倉庫開設を始めた。そこでは賃金がより低く、労働法もより緩やかなのだ。二〇一八年に出た本、『難所:物流労働者、世界的な供給チェーンをかき乱す』中の一章は、ポーランドにおける倉庫の労働条件を以下のように描いている。
―ほとんどの従業員は、立ち作業か歩きながら(何人かは一シフトの間に数マイル)の作業を強いられ、多くの仕事には、重い商品や箱の持ち上げ、あるいは重い荷車押しなど、高度に反復的な動きが含まれている。アマゾンは二四時間の倉庫操業を欲している。したがってポーランドの労働者は、一週間あたり一〇時間労働のシフトを四回行わなければならず、この一〇時間労働には、三〇分の無給休憩は含まれていない。このシフトのスケジュールは、毎月変わる。そのようなシフトシステムとシフトローテーションは労働者の睡眠リズムをかき乱し、深刻な健康問題に行き着く。加えてそれは、私的な生活の組み立てを困難にする―

 アマゾン・ポーランドは二〇一七年春、病欠率を引き下げようと、労働者が病休時に家にいるかどうかを確認する仕事を一つの企業に請け負わせた。病休を理由に解雇された労働者は「われわれはアマゾンで毎日、安全について、健康について聞かされている。しかし現実は違う。アマゾンでレースを続けることができるのは全員ではない。人々は機械のように扱われている。しかし機械ですら壊れるが、その時は黙って停止する。しかしわれわれは止まることを許されていないのだ」と書いた。

スト破りになることを拒否して

 その上でアマゾンの東欧拡張は、ドイツの労働者が取り組み始めていたストライキの効力を切り縮める怖れをもたらした。こうして二〇一五年、「下部活動家ドイツ・ポーランド」が、その後アマゾン労働者の国境を越えた一連の会合になったものの、最初の会合を開催した。ポーランドの労働者はそれまでに、急進的な労組、「労働者イニシアチブ」の内部に組織化されていた。
このグループの一メンバーであるマグダ・マリノウスカが語るところでは、二〇〇四年の「労働者イニシアチブ」の誕生は、「ポーランドの公式労組運動の危機――その官僚制、消極性、そして反労働者政府との結びつき――に対する対応」だった。その時から「労働者イニシアチブ」は、物流産業、医療、教育、文化といった部門で組織化を行ってきた。
ポーランドの法律はストライキ行為に対し、制限的な禁止――ストライキ投票には全労働力の半分以上が参加しなければならない――を押しつけている。しかしポーランドのアマゾン労働者は、ドイツで進行中だったストライキに同調する一連の作業速度引き下げをやり切った。
「健康と安全の諸法律やわれわれの権利が無視される中で、われわれはスト破り(そうはなりたくなかった)として使われた。その結果としてアマゾンが、他の操業センターでのストライキを無視できるようにするためだ」、マリノウスカはこう語る。「労働者イニシアチブ」はその「安全包装」諸行動を通して、事実上の順法ストライキとなるものをやり切り、従業員たちに、アマゾンの作業速度引き上げを原因とする負傷の危険を彼らに思い起こさせるリーフレットを配布した。
マリノウスカは「われわれは、何よりも健康と安全の諸規制にかなう安全を機能させるために、そして雇用主の圧力の下に『運送記録をごまかす』ことを行わないよう、従業員全員の注意を引き寄せたい。彼らがどう献身しようがそこからどのような報酬を得ることもないからだ」と語る。そして彼女は、倉庫がポーランドに開設されてから、運送目標は何度も引き上げられてきた、と付け加えている。

スペイン、英国の労働者も決起

 様々な国のアマゾン労働者間の協調――国境を越えた下部労働者の諸会合、さらに労働者連合のUNI(ユニ・グローバルユニオン、旧称、ユニオン・ネットワーク・インターナショナル)を通して起きている――は、欧州の他のところにおけるストライキ行動を引き上げる上で重要な役割を果たしてきた。二〇一七年一一月にイタリアのアマゾン労働者が初めてストライキを打った時、その行動にはヴェルディのメンバーが二日間の作業停止で加わった。アマゾンは直後に、イタリアの諸労組とこれまでで初めての労働協約に署名した。そしてその協約は、諸保護策の新たな計画化と終夜シフトに対する賃上げを導入した。
スペインのアマゾン労働者からは、欧州規模のストライキに向けた呼びかけが発せられた。そして彼らは三月、マドリードにあるこの国の物流センターで初めてストライキを行った。全国レベルにおけるアマゾン労働者の多数派組合であるスペインの労組連合、労働者委員会(CCOO)は、二〇〇〇人の労働者の九八%が参加との報告を加えて、このストライキが「完全な成功」を見たと言明した(注)。
その報告の筆者は「アマゾンは欧州における物流ネットワークをわれわれ各々のストライキに効果的に対抗するために使おうとしている」「マドリードのわれわれは、われわれが一体として闘う場合にのみわれわれはわれわれの要求への認知を得るだろう、と確信している。同様に、労働者は、欧州レベルでの共同行動に基づく場合にのみ、未だ労組の代表権がない各々の場に、組織を得るだろう」と書いた。
スペイン、ドイツ、ポーランドにおけるストライキや作業速度引き下げに加えて、英国のアマゾン労働者もこの週末、「われわれは人間だ、ロボットではない」と書かれたプラカードを掲げて、労組運動の誕生を祝うフェスティバルで行進した。GMB(英国内四番目の規模をもつ労組連合、全国都市一般労組)の調査によれば、英国のアマゾン労働者の八七%が背中や首に問題を抱えていると評価されている。
GMB役員のミック・リックスは「アマゾンはグローバル企業でありグローバルに策を凝らしている」「われわれも同じことをやらなければならない」とスペイン紙のエル・パイスに語った。(二〇一八年七月二八日)

▼筆者は賞も得ている調査報道ジャーナリストであり、その成果はバフラー、シカゴ・リーダー、インターセプト、その他の出版物に掲載されてきた。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年八月号)
(注)しかしながら、このストライキは、いくつかの報復と臨時労働者の解雇をも導いた。そして五月、マドリードの労働者の一グループが「アマゾン・エン・ルーチャ」の名の下で欧州ストライキを呼びかけた。

ブラジル   

第35回国際青年キャンプ声明

支配者たちは過ちを犯した

マリエレはここにいる!

 社会主義者の国際青年キャンプを終える時点で、ブラジルの女性市議のフランコ・マリエレと彼女の運転手であったアンデルソン・ゴメスの殺害から一三〇日以上がすぎた。七月二七日、彼女は三九歳を迎えていたはずだった。マリエレは、黒人女性、フェミニスト、ファベーラ(スラム地域)出身者、LGBT、シングルマザー、社会主義者、人権活動家として、われわれの中で最良の部分を代表していた。
 マリエレは、警察の暴虐、レイシズム、性差別、さらにLGBT排撃と声を大に対決していた人物だった。二〇一六年、彼女は、五番目に多くの票を集めた候補者になり、社会主義と自由党(PSOL)の一員としてリオデジャネイロ市議会議員に選出された。
 正統性のないミシェル・テメル大統領が二〇一八年二月一六日に指令した、リオデジャネイロ州の治安に対する軍の介入という背景の中で、激化していたあらゆる人権侵害と闘う上で、マリエレは欠くことのできない存在だった。彼女の処刑に先立つ二週間前、マリエレは、先の介入の結果を調査する委員会の報告者に選出されていた。
 マリエレは、麻薬取引に対する抑圧政策としてブラジル国家が引き受けた残忍な戦争に反対する闘いを行いつつ、リオデジャネイロ市議会の人権委員会代表として、ファベーラでの制度的な暴力の犠牲者に直接的援助を与え、殺害された警官の家族を助けた。
 彼女の殺害には明確な政治的性格があり、それは、ブラジルの民主主義に対する深刻な攻撃だ。マリエレの処刑は、社会運動指導者に対する数を増す殺害、そしてこの国への軍の介入を求める軍の諸部分によるおおっぴらな表明と並んで、われわれの国でわれわれが過ごしている経済的、政治的、さらに社会的な深い危機に対し、一つの反動的な対案を押し出そうとするたくらみの一部だ。
 しかしながら彼女の肉体の抹殺をもって、彼女の声を黙らせ、彼女の闘いを消し去ろうと試みた者たちは過ちを犯した。彼女の暗殺は、ブラジルで、また世界のさまざまなところで、勢いを増す民衆的な決起の高まりを巻き起こした。彼らは諸々の理念を埋葬しようとしたが、しかし彼らは諸々の種を植えたのだ。
 われわれは何百万人にもなってマリエレの抵抗から受け継いだものを増殖中だ。われわれは、われわれの憤りを反映する第四インターナショナル各国支部の連帯が極めて重要であり、それがわれわれの同志が代表した諸理念を生き長らえさせる、と強調する。
 マリエレはここにいる!
二〇一八年七月二八日。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年八月号)


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