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    かけはし2018年7月16日号

議論を権力分立で終らせるな


司法、積弊の実体が白日の下に

イム・ヨンヒョン(機関紙編集長)

 日本では、一歩も踏み込めないでいる内閣と行政そして司法の癒着の姿がパククネの断罪の中進められた調査委員会の調査結果として明らかになった。しかし、この結果をどのようにただすかということで、民主主義の仕組み自身が問われている。社会変革労働者党「変革政治」より(「かけはし」編集部)。

 「司法行政権の乱用疑惑関連特別調査団」(以下「調査団」)が昨年5月25日と6月5日、2回にわたって裁判所行政処の内部文書を公開し、一線の判事たちをチェックして主要な裁判に介入した痕跡が確認された。
 裁判事務を助ける行政機構の裁判所行政処が梁承泰(ヤン・スンテ)大法院長時代の本来業務とは無関係な政治的行為を大統領府と通じて憚ることなく犯していたことだ。
 李在鎔(イ・ジェヨン)と朴槿恵(パク・クネ)が経営権継承とミール・Kスポーツ財団出捐問題を、ひそかに取引した2015年7月頃には裁判所行政処も梁承泰元最高裁判所長の宿願事業(上告裁判所の設置)の解決に向けて忙しく動き回っていた。
 2015年8月梁承泰と朴槿恵の単独面談に先立って、当時イムジョンホン裁判所行政処次長の指示で政権オーダーメード型の判決を広報する文書を作成したという事実が明るみに出たのだが、「懸案関連の話資料」(2015年7月27日)、「上告裁判所、立法推進のためのBH(大統領府)説得案」(7月28日)、「政府運営に対する司法部の協力事例」(7月31日)文書などは、このとき作成された。
 文書は、朴槿恵政権の4大改革課題のうち、特に労働、教育関連の判決を通じて「大統領の国政運営を支えるため、最大限努力してきた」と記載している。
 代表的な協力事例で2014年6月コルテクと、同年11月に双竜自動車の整理解雇が適法との判決、2015年2月KTXの乗務員の黙示的労働契約関係を否定した判決、2015年3月、全教組の法外労組通知の処分の効力執行停止の棄却の判決などが言及された。
 この国政壟断の事態となんら変わらない積弊勢力の民主主義蹂躙が司法部の中でも組織的に行われたものだ。

しっぽ切りに乗り出した司法部

 調査団は調査結果を発表し、「406冊の裁判所行政処の内部文書を検討した結果、司法行政を批判した裁判官たちの性向・動向、財産関係などを把握したファイルの存在は確認された」と述べながらも、「組織的、体系的に人事上の不利益を賦課したことを認められる資料は発見できなかった」と一蹴した。
徹底した真相究明と責任者処罰要求について、調査団が事実上拒否の意思を表明したわけだ。これは次の事実を通じても十分推し量ることができる。まず、調査団が確保した406冊に達する膨大なファイルのうち、外部公開されたファイルはわずか98冊に過ぎないという点だ。
初の司法壟断事態について国民の知る権利を保障するという世論が沸き立つ中でも、調査団は「合理的な基準によって一定の範囲内で公開することが関連法令の趣旨に合致」とし、非公開の事由をごまかした。事件の実体的真実を隠蔽しようとするのではないかという疑念を拭えない。
第二に、司法行政権の乱用疑惑を一部認めながらもこれを調査団が「個人的な逸脱」と規定しているという点だ。たとえば、実際に実行された事例は指で数える程度だが、文書が与える衝撃が大きい。
審議官らが梁承泰院長が最高裁判事に推薦する可能性が非常に高いイムジョンホン裁判所行政処次長が好む文書スタイルに合わせようと努力したことと無縁ではない、という調査報告書の結論は(裁判所)行政処高官の長期間勤務による弊害から派生した問題に収束するやり方だ。
これも梁承泰最高裁の指示または介入の可能性を故意的に排除してしっぽを切ることを試みたものと考えるしかない。このように司法部の不十分で、不透明な「セルフ」調査報告書を見ても、このような形では、徹底した真相調査や責任者処罰に近づくことができないことが明白だ。

国民主権の保障こそ核心問題


事態を縮小・隠蔽することで、司法、積弊の一掃をなだめようとする司法部内部の集団的抵抗はここで止まらなかった。6月5日、ソウル高裁部長判事たちの会議、続いた6日、全国裁判長たちの会議など各高位裁判官の会が司法壟断事態に関する対策会議を開き、続々と立場を出しているためだ。
かれらは、一様に「検察捜査が司法部独立を侵害することがありうるので刑事措置は適切ではない」と口をそろえている。
裁判の独立、裁判官の独立を自らが毀損した司法部が今になって司法部の独立性侵害を心配しているのだから、それこそあ然とするしかない。
一方、一線の判事たちの集まりである「全国裁判官会議」は6月11日10時間にわたる激論の末に司法壟断について検察の捜査を含めた刑事措置を要求することで意見をまとめた。高位裁判官たちと一線の判事たちの間に立場が食い違っているが、両者は、すべての「司法部独立」を各自の論拠として掲げている。理由の如何を問わず、憲法上の権力分立の原則を擁護しているのだ。
果たして、権力分立は、憲法第1条に出てくる「大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民から出ている」という言葉をしっかり具現化できる民主主義の根幹に照らして正しいだろうか?
各界各層でも司法改革を唱えているが、これらの大多数が、権力分立が民主主義を支える核心要素と見なしている。ブルジョア民主主義で権力分立は「3権分立」で表象されることが、立法・司法・行政部に国家権力を分散することが相互牽制と均衡を通じて国民主権を保障できる道だというのだ。
もし、3権分立が民主主義を民主主義らしくする要素なら、そうして3権分立が完璧に作動する社会なら「国政壟断」のような事態もすぐに姿を隠すことができるというのか、残念ながらこれは事実ではない。
真の民主主義の完成は国家機構の組職方式や政府形態によって決定されるのではなく、それの民主的統制のいかんにかかっているためだ。4年ないし5年ごとに一度ずつ行う選挙ではせいぜい立法部の代表者たち、行政府の首班に権力を委任することが出来るだけで、少数の資本家やエリートが専有する構造そのものを覆すことはできない。
さらに、司法部はこのような取るに足りない委任手続きを備えていないまま積弊勢力が権力を独占している。このような状況で3権分立を完全に実現しても「彼らだけの連合」が終わるはずがない。

全公職に対し民主的統制を

 結局、カギは、形だけの3権分立を越えて、立法・司法・行政3部をはじめすべての公職に対する民主的統制を実現することである。権力機構に対する民主的統制とは何を意味するのか。
すべての公職に対する自由な参加及び選挙権を保障して、選出された公職者は労働者の平均賃金水準を受け、任期のうち、いつでも召喚されなければならない。
一切の特権を廃止するという意味でこのような民主的統制は、文在寅(ムン・ジェイン)政府が言う弊害の清算のような改革論議とは全く次元が違う。
主権者である労働者・民衆の直接政治を可能にすること、言い換えれば、プロレタリア民主主義(労働者民主主義)を大幅に強化するのが民主的統制の実質的な内容でなければならない。
国家権力の集中と濫用が完全に消えたブルジョア民主主義体制さえ国家基幹産業、財閥所有の企業、金融資本などの主要生産手段の社会化・すべての非正規職の撤廃・完全な政治的自由と結社権などをもたらすことができないことは明白だ。
労働者・民衆が直接国家の主要政策を決定して自ら執行していくとき、多数の利害を代弁するこのような要求は初めて実現可能なのだ。変革党の綱領ではこれを「労働者・権力」の問題に定式化している。
「歴史上、パリコミューン、ソビエト、コルドン(産業調整委員会)のような労働者と民衆の権力は労働者階級と民衆が闘争の前進の中で創出した闘争組織であり、民主主義組織であり、自治権力機関だった」。
「一方、4・19、5・18、6月抗争や7・8・9大闘争、そして96・97労働者ゼネストのような韓国の労働者、民衆闘争の歴史でわかるように、韓国でも旧体制を崩して労働者・権力を樹立する過程は労働者ゼネストや全国民衆的な抗争の結合で行われるのだ」。

声明

双龍自動車労働者30人目の犠牲

文大統領はいつ約束を守るのか

全国民主労働組合総連盟

 パククネ政権当時の最高裁長官が、労働争議の判決を政府、資本の政策に合うよう操作し、政府からの見返りを得ていたことが明らかになってきた。2009年、双龍自動車の整理解雇に対してもこの操作が行われた。しかしまだ具体的な解決が示されないなか解雇され、争議の賠償請求を負う生活苦を抱え生きてきた労働者がまた自殺を選んだ。2009年争議開始以降、30人目の犠牲者だ。(「かけはし」編集部) 

 

6月27日2009年双龍(サンヨン)自動車からリストラされた労働者が再び命を絶った。むしろ悪夢であることを願ったが、国家暴力と資本の無慈悲な整理解雇が強要した不可逆的な死が生々しい現実だということに絶望して憤怒する。
 故人を含めた解雇労働者を相次いで死に追いやった国家と資本の暴力を再び告発する。第1は殺人的な国家暴力だ。故人は2009年、双龍自動車工場の屋上に投入された警察特攻隊から殺人的な集団暴力を受け拘束までされた。死の恐怖に陥れた集団暴力トラウマで自決を試みたこともあったともいう。しかし、国はいまだに被害労働者にどんな謝罪も支援もしていない。むしろ解雇労働者らにとって耐えられない損害賠償請求をしている。
 第2は、朴槿恵政権に双龍車の整理解雇の判決を捧げた梁承泰(ヤン・スンテ)最高裁判所の司法弄断だ。高等裁判所が明らかな法理で、双龍車の整理解雇が明白な不当解雇であることを判決したにもかかわらず梁承泰最高裁は政治論理でこの判決を覆した。
 最高裁の判決に一縷の生の希望を持っていた解雇労働者を死の崖っぷちに追い込んでしまった。今、双龍車の整理解雇の判決が梁承泰最高裁の裁判取引の代表的事例として明らかになっているにも関わらず、これに対する実体的真実究明や被害者の原状回復措置は依然としてなしのつぶてだ。
 最後に双龍車資本のふてぶてしい復職約束の労使合意の不履行だ。不当なリストラを行っても、相次ぐ不憫な死を目撃しながらも、ひたすら資本の損益を計算しながら計算機だけを叩いた資本の悪辣さに鳥肌がたつ。その時間が10年になっている。
 故人が奥さんに送った最後のメールが「これまでばかな夫に会って苦労ばかりさせて最後にもかかわらず、借金だけを残して行くね。生きていくのが大変だがどうか幸せにな」だったという。
 双龍車は遺書になった故人の最後の心境が残っている解雇労働者120人余りの現実であることを直視しなければならないだろう。
 文在寅(ムン・ジェイン)大統領も、双龍車解雇労働者の30番目の死に明確な政治的責任がある。文在寅大統領は2013年、双龍自動車の正門前鉄塔高空の座り込み現場に上がり、当時、ハン・サンギュン前双龍車支部長に会って「双龍車の整理解雇問題解決に向けて、双龍車の国政調査が必ず行われるように最善をつくす」と約束したものの、国政調査は行われなかった。
 2015年、双龍車内の煙突で高所ろう城に突入したキム・ジョンウク、李昌根(イ・チャングン)を応援し、「今日も、双龍車解雇労働者たちが鉄塔の上にある」「必ず『勝てる政党』を作ってこの方々が再び鉄塔の上に上がらなくても生きられる世の中をつくる」と約束した。そして3年の時間が経過している。
 当時、文在寅国会議員は、今思い通りに大統領となった。文在寅大統領は、毎日生と死の境界を行き来しながら耐えたが、再び生かすことができない双龍車解雇労働者の死の前に何をするか答えなければならない。
 この死を招いた双龍車の整理解雇に対する殺人鎮圧と司法弄断といった総体的な国家暴力に対しては必ず責任を問わなければならない。再びこの死を度外視するなら、文在寅大統領は「人が先だ」ではなく、「権力と資本が先だ」と言う大統領だ。
 「会社が復職期限だけでも教えてくれたら、文在寅政府が2009年国家暴力問題を少しでももっと早く調査して解決したなら、金組合員は命を絶っていなかったのだ」。再び喪主になった双龍車支部長の言葉に心がずたずたになる。
 故人のご冥福をお祈りいたします

2018年6月27日

 


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