もどる

    かけはし2018年7月2日号

左翼の不在こそが問題の所在を隠している


イタリア

新たな中道―右翼誕生

右翼対左翼の対抗関係不可避に

サルヴァトーレ・カンナヴォ



イタリアで新たに成立したコンテ政権は、その内相に就任したマッテオ・サルヴィニ(右翼の同名党首)が、地中海で救助された移民を乗せた船の入港を拒否したことで、早々と物議を巻き起こした。このある種異様な連立政権は、現代のブルジョア支配が陥っている袋小路状況を映し出すものと言えるが、それだけにその行末には意識的な注視が必要だと思われる。その観点から二人の現地同志による、政権とそこに対する闘いのあり方に関する論考を紹介する。なおフランコによる論考はコンテ政権確定に先立って書かれている。(「かけはし」編集部)

これまでとは異種の連立政権


 コンテ政権は、新たなイタリア中道―右翼の最初の政権だ。正確さを期するために、その中道―右翼は、ハイフン付きで――別個の政治潮流を結集している――定義されなければならない。
 右翼は、マッテオ・サルヴィニによって、さらに部分的にギオルギア・メローニと彼女の「イタリアの母」党の棄権によって、鮮明に代表され、また誇らしげに浮かび上がらされている。ちなみに後者は、民族連合形成への転換以前のジアンフランコ・フィニのMIS(イタリア社会運動)であったものにもっとも固く結びつき、その直系的な、親に取り残された組織だ。
 中道――それは、明確でも宣言されてもいないが、しかし「右でも左でもない」との包括的な定式の背後に隠されているがゆえに、特殊だ――は、ディマイオの5SM(五つ星運動)によって代表されている。
 われわれはすでに5SMを一つの党――オットー・キルキハイマーにより定義された「一切合切を入れる」党――と定義するにいたっている。政権への到達後では、それをある種の運動あるいはウェブ上にある何らかの種類の星雲と定義することは、完全に取り下げられるべきだろう。
 5SMは、全面的な、社会的諸階級を横断した影響力に挑んでいる政党だ。それは特に、危機によって厳しい打撃を受けている中産階級、より貧しくなり、今日社会的憤激を最高度に表しているその部分を引きつけている。しかしそれはまた、勤労民衆の一定部分、特に公的部門にいる層にも訴えを届かせている。
 そうした人口統計的表現は、かつてのDC(キリスト教民主党)を特性づけた社会的基盤とそう変わるものではない。そしてこの党は、現代の「黄色いクジラ」として(注一)、これまでディマイオの構想がしばしば比べられる対象となってきた。それは、憤りと変革への切望によって特徴づけられている。しかしこれは、共和国の最長の危機がそれを示してきたのだが、ある種の制度的な反映、権力への欲求、さらに内部論争の尊大な管理と混ぜ合わされている。
 5SMは、そのマニフェストから主要な位置を占める鍵となる方策、市民所得案を政権綱領に押し込んだ。ディマイオがこの変革を適用することになる象徴の長官職を引き受けたのは、まったく偶然ではない。この政策は5SMの商標であり、彼はこのメダルを胸に着けることができ、次の選挙ではそれをひけらかすだろう。もちろん前提となっていることは、この所得が実際に導入されるのは、それがEUの財政上の非難と両立可能であると確定された後のこと、ということだ。そしてそのことを、セルジオ・マッタレッラ大統領は政権チームに強要することに成功したのだ。

連帯軸に右翼との対決が不可欠

 中道としての5SMは、サルヴィニ率いる右翼と向き合っている。同盟は、外国人排斥、民族主義の、さらに何らかのしかし同時に新自由主義の社会改革を支持している右翼政党だ(それゆえ後者はまさしくデマゴギーだ)。それは、マリーヌ・ルペンやスティーヴ・バノンといった者たちと不安をかき立てる関係を結んでいる。
それゆえそれはもはや、同じくレイシストであるがそれに関しもっと穏健だったウムベルト・ボッシが率いた北部同盟と似た右翼ではない。ただしこの北部同盟の性格は部分的に、当時の経済情勢が先の方向に有利だったことが理由だった。ボッシの北部同盟もまたDCの伝統のいくつかを継承していた。しかし今日、サルヴィニの同盟は、レイシズムに関し首尾一貫し、たちが悪く、全面的だ。
これが彼に支持を勝ち取らせた。これに対しわれわれが対抗可能なのは唯一、一つとしての人類間の連帯という中心的価値を求めるキャンペーンによってであり、そしてあらゆる民衆が文明的な方法で共に暮らせることを保証することによってだ。われわれは、圧倒的な市場と資本の権力に対決して実体的な社会的諸権利を拡張する必要がある。サルヴィニの諸政策は、歴史がとうにわれわれに教えてきたように、内戦と際限のない紛争を生み出そうとしている。さらにまたその例示をわれわれは今日、世界のあらゆるところで見ている。そこでは世界的な諸対立――そして移民はわれわれすべてが巻き込まれている一つの対立だ――が、あらゆる数のスケープゴート――黒人、アラブ人、ロマ、時としてユダヤ人――を敵視して手っ取り早くこね上げられた、わが民族第一というけたたましい対応を通して、管理されている。すなわちそれは、基本的にあらゆる者の諸権利を制限する政策だ。

新たな中道も底辺を代表しない


新たな中道―右翼は、それがシルヴィオ・ベルルスコーニによって作り上げられた中道右翼とは異なっているがゆえに、ハイフンで結ばれている。5SMと同盟の間には一定の違いがなお残っている。左翼のある人びとが、新たなファシズムの前進に関し声を張り上げて抗議し、どうしてもあらゆる違いを無視したいと思う際に何を考えようと、それはそうなのだ。
一方には、外国人排斥の政治舞台では最古の部類に入る党がある。それは、ベルルスコーニ帝国と展望のない国民主権に対するチアリーダー(世界的競争を前にイタリアは本当に独力で成功できるのだろうか?)との多くのつながりで腐敗している。
他方には、環境への懸念を取り上げるにいたり、大体は正直であり、多くの市民がもつ正真正銘の要求と結びついてきた新たな党がある。しかしその党は同時に、古い既得権エリートとの間には相当のつながりをもち、その内部組織は民主的に管理されていない。後者の点では、議員団内部にはディマイオに対する批判が存在してきた。しかしながら、政権内の5SMに焦点が集まる大量の期待があるのだ。
こうしてわれわれの前には、政権内でテストにかけられる新たな特殊な中道、および懸念を呼び起こす右翼がある。この新中道―右翼は、この国の政府となるや否や、サルヴィニにとってはまさに愛おしいことに、「底辺」と「上層」間の、民衆と既得権エリート間の対抗を一掃する。なぜならば、世界の再重要一〇ヵ国中の一国の政府が底辺の人びとを代表することは確実にないからだ。

左翼の根本的再建が最切迫課題

 したがって、底辺の者たちと頂点の者たちというこうした枠組みがいかなる分析においてももはや役に立たないとすれば、政治は今後、右翼対左翼というもっと普通の対抗的位置関係をあらためて押しつけることになるだろう。この対立関係が今日時代遅れに見えているという事実の理由は、それが克服されたということではなく、単純に、その一方の側――左翼――が存在していないことに原因があるのだ。
左翼が今日存在していない理由は、指導部集団が「悪い」あるいは彼らが間違った路線にしたがっている、さらにあるいは分裂し論争を止めなければならない、というようなことではなく、左翼の抽象的な観念があらためて現実の中で具体化されなければならない、というところにある。
左翼は、その指導者、その中心的な諸理念、社会に対するいわば戦略、さらに政治的諸戦術を見つけ出さなければならないのだ。諸々の失策、裏切り、さらに本物の愚行のつまった三〇年かそれ以上がわれわれを廃墟の中に取り残し、現在の情勢をつくり出した。
しかしながら、伝統的には左翼の側にあった世界を確保することになった新たな中道―右翼に対する対処は、古い図式、条件付きの反射対応、あるいは気のきいた寸評(本当に何らかの効果があるものではなく、このことは誰かがレンツイに言ってやるべきだろう)(注二)の利用で適切に行えるものではない。上記の点は、ファット・クオティディアノ紙で他日スサンナ・カムッソ(最大労組連合、CGIL指導者)により正しく表明された。
われわれは知性、真剣な分析、そして信頼できる行動を必要としている。「彼らはファシスト」と叫ぶことで警報を響かせることは――移民労働者に関し今後懸念をかき立てる政策が諸々出てくるとしても――まったく役に立たない。民主主義の価値を抽象的に語るだけでは十分ではないのだ。
世界的な資本主義の危機――われわれが生きている局面がこれ――はわれわれの政治システムにおける完全な変革を求めている。これは、裕福である者と貧しい者の間の抜本的な財の移転、直接民主主義をも含んだ民主主義における新たな経験、そしてレイシズムとは異なる連帯の新しく根源的な形態を意味する。
いっそう悪い間違いは、共和主義戦線を求めるカルロ・カレンダ(前政権の閣僚)の道理に反した提案だ。戦線との語がそのすべてを語っている。ベルルスコーニの中道右翼に反対するという戦線主義が左翼を葬ったのだ。それが新たな中道―右翼に対しどのように機能し得るのかを想像すべきだ。(イタリアの日刊紙「ファット・クオトティディアノ」二〇一八年六月一日より。英訳はインターナショナルビューポイント)

▼筆者は、「ファット・クオトティディアノ」のジャーナリスト。共産主義再建党の下院議員として戦争予算に反対投票、その後シニストラ・クリティカ(批判的左翼)の指導的人物だった。第四インターナショナルイタリア支部とコミュニア・ネットワークのメンバー。
(注一)DCは「白いクジラ」として知られていた。
(注二)レンツイは前PD(民主党)指導者、新政権形成に先立つ長引いた政治的いがみ合いについて、「今や問題は彼らにかかっている、それは全員のためのポップコーンだ」とのコメントを行っていた。  

イタリア

危機の進行

政府危機から制度の危機へ

フランコ・トゥリグリアット

 五つ星運動(5SM)と同盟間の合意に基づき解決されようとしているように見えたイタリアの政府危機は、それに代わって、制度的な危機へと転化され深められることになった。共和国大統領、マッタレッラは、サヴォナのEUとユーロに関する批判的な立場を理由に、彼を経済相に指名するという提案を拒絶し、首相に指名されたコンテにその職務を辞退するよう圧力をかけた。
 五月二八日、大統領は、公的支出の削減を支持していることが知られている、経済と金融のエリート出身の人物であるコッタレッリに、先の職務を彼に任せるべく懇願した。しかしこれは、民主的で制度的なレベルにおける極めて重大な干渉になるのだ。

反動的構想に
基づく連立へ


同盟と5SMは、不明確な取引を基礎に統治にあたる準備を続けていた。この取引の哲学は、古典的な新自由主義路線からの何らかの変異体を基礎においていた。そして、結果として欧州資本主義の枠組みの諸限界内部にとどまるよう、調整された新保護主義と新保守主義の諸要素を頼りとするものだった。
この綱領の社会的構成要素は、年金と失業者に対する諸手当に関し、判然としていなかった。他方、同盟の治安に関わる内容が、司法に関わる諸課題および移民の排除と抑圧では、加えて上層階級の利益になる均一税率導入では、優位を占めた。その上に、以前の諸政権によって講じられた方策すべてが、イタリアの雇用主には巨大な贈り物になっていた。そしてそれらは、そこら中に広がる不安定性と労働者の諸権利の弱体化に導いたのだ。
住民の大きな部分が期待した変革についての大言壮語的諸言明の範囲を超えたこの「契約」は、その原理的な反動性と右翼的本性を、また労働者運動を攻撃しようとする意図を、隠しようもなく明確にしている。

新自由主義勢力
の一貫した圧力


しかしながら、政権が形成される可能性が生まれる以前から、報道界と諸機構の声を潜めた回廊内で、ブルジョアジーの一部にはすでに強力な反対が生まれていた。この反対は、欧州新自由主義戦線の圧力を反映していた。この戦線は、フランスのマクロンが提供した事例――イタリアの支配階級がもっとも真価を認めた参照事例――を基礎に、できることならば民主党(PD)の危機への政治的応答を築き上げたい、と思っているのだ。
民主的国家の防衛を求める、そして前述した新参者を役立たずと非難するいつもの叫びの背後には、金融市場とEU経済諸機構の懸念が隠されている。それは、イタリアはどんな形でも支配的な新自由主義の諸政策からそれてはならず、またEU内にはどんな付加的な統制も導入されてはならない、という関心事に関わっている。

真の反対勢力
構築が最優先

 政治情勢と制度の状況は混沌としている。われわれは、同盟と5SMが求めているような、早々の選挙を前にしようとしているのだろうか? あるいは、推定されるようなあやしげな「大統領の政府」がこれからつくられるのだろうか? とすればどんな多数派に基づいて?
今日イタリアの左翼と社会運動が前にしようとしている挑戦課題は、一つの反対勢力を築き上げることだ。それは、一方で、PDとフォルッツァ・イタリアが支持するイタリアと欧州のブルジョアジーの新自由主義緊縮政策に反対し、他方で、同盟と5SMの統治およびそれらの反動的諸方策に反対して闘わなければならない。この反対勢力は、鮮明な社会的優先策を基礎に据えなければならない。すなわちその基礎は、職場における諸闘争、および民衆が表す必要に一致した二、三のスローガンに基ずくそれらの統一に対する支持、賃金引き下げのない労働時間短縮、失業者と不安定労働者に対する社会的賃金の確立、経済に対する公的介入、移民を含んだ全被搾取層の統一だ。

▼筆者は元上院議員で、イタリアにおける二つの第四インターナショナル組織の一つであるシニストラ・アンティカピタリスタ(反資本主義左翼)の指導部メンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年六月号) 

 


もどる

Back