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    かけはし2018年6月25日号

中国の台頭、現実基礎に分析を


中国国家の性格について

北京の言い分の無批判的受容は有害無益

區 龍宇


 ディク・盧教授は、三月二日に「明報」紙に掲載された彼の論文(注一)の中で、昨年九月に開催された「一帯一路(OBOR)とBRICSに関する民衆フォーラム」にふれている。私はこのフォーラム主催者の一人として、彼の見解に応えるべきだろうと考える。

資本主義国家か
否かまず論点


 盧教授は、中国は新帝国主義国家ではないと論じている。しかしながら、これを議論する前にわれわれはまず、中国が資本主義国家か否かを議論しなければならないだろう。帝国主義は資本主義の特定の形態であり、それゆえ、資本主義国家のみが帝国主義になり得るのだ。
 中国共産党は、中国の国家は資本主義ではない、その性格は、「中国的特質を備えた社会主義」の国家、と主張している。この主張が真実だとするならば、その時「中国は帝国主義か否か」という問題にはまったく妥当性がなく、それを議論する意味はまったくなくなる。言葉を換えれば、中国は帝国主義か否かを議論するためには、われわれは中国が資本主義国家であるということを確認しなければならない。
 「中国は資本主義国家か否か」の問題は、盧教授にとってはアキレスのかかとだ。彼は、中国が資本主義国家だということに疑念をもっている。とはいえ彼は、中国は世界の資本主義に統合されることになったと確信している。それでも、この統合が必然的に中国国家の資本主義的性格を確定的に示すわけではない、と主張する。
 彼は別のエッセイで、中国は「世界の資本主義の系統的な蓄積の論理に直面する中で、迎合的にふるまうと同時に抵抗の姿勢をも示している」、このような形で中国は資本主義国家ではない、と主張する(注二)。彼はまた、反対の見解をもつ人々は西欧中心主義の左翼であると不平を述べ、デイヴィッド・ハーヴェイとアレックス・カリニコスを例に挙げるだけだ。
 何よりもまず、「中国は資本主義国家」ということを確信している者は、「西欧中心主義の左翼」だけではなく、生粋の中国人の仲間もいる。毛沢東主席もまたその中に含まれるかもしれない。
 毛主席の基準に従えば、今日の中国は確実に資本主義だ。一九六二年八月の北載河会議において毛は、農村で「生産を家族に請け負わせた」(家族責任システム)として劉少奇を批判した。このシステムは農民を「個人で働く」ようはげまし、そしてそれは「不可避的に二年も経たないうちに分極化に導く」だろう、と彼は力説した。
 次いで彼は直截に、修正主義と資本主義的復古について語ったのだ(注三)。「家族に生産を請け負わせること」がすでに資本主義復古の始まりであったとすれば、国民経済の主な構成要素が利益のために生産され続けている今日の中国は、それでもなぜ非資本主義なのだろうか?

資本主義の論理
への抵抗とは?


 「家族に生産を請け負わせること」を資本主義復古の始まりと定義することは大きな間違いだったが、おそらく盧教授は、毛に「西欧中心主義者」とのラベルを貼ることはないと思われる。もちろん毛はずっと前に死亡し、われわれは、今日の中国に関し毛がどう考えるかを知ることができない。
 幸いなことだが、毛沢東思想の継承者である中国人毛沢東主義者は今も中国に存在している。たとえば二〇〇八年、「中国共産党毛沢東主義者による中国人民への声明」との標題をもつ一文書が、インターネットで広められた。それが主張していることは、「過去三〇年にわたる大きな復古は、中国共産党指導部を牛耳る修正主義者支配閥によって実行され続けているいわゆる『改革開放』が、資本主義復古の論争の余地ないコース、ということを示してきた」というものだ(注四)。
 「中国は資本主義国家」に反駁する盧教授の唯一の主張は、「世界の資本主義を前に、中国は迎合的であると同時に抵抗もしている」だ。しかしながら、中国の抵抗とは何だろうか? そして中国は何に抵抗しているのだろうか? 中国は反資本主義に基づいて(毛期におけるように)資本主義に抵抗しているのだろうか? あるいは中国は、悪にもう一つの悪を使って――外国の資本主義と闘うために中国の資本主義を使って――抵抗しているのだろうか?
 第一の種類の抵抗は成功を見たのか否か? もしそれが成功であったのならば、毛沢東主義者と他の左翼が今日の中国にさまざまな資本主義の欠陥――極度の格差、私有化、また政府公人の資本家への転進――を今なお指摘する理由は何だろうか? 盧教授は、彼の論文中では説明を与えていない。それ以上に彼には、「室内にいる象」――すさまじい社会的格差――すらも見えなかった。
 資本主義についての毛派理論は、少しばかり俗っぽく見える。だから、トム・ボットモアが編集した「マルクス主義事典」の中にある資本主義の定義を点検してみよう。そこには次のようにある。
(1)自分自身の使用というよりも売るための無数の生産者による生産。
(2)労働力市場の出現。
(3)普遍的とは言えないとしても、圧倒的な貨幣の使用による交換の仲介。そしてそれがまた、銀行と金融仲介者にある種体系的な役割をも与えている。
(4)資本家あるいはその者の経営を担う代理人が生産(労働)過程を支配する。
(5)貨幣と信用の普遍的使用が、蓄積に資金を供給するための他人資源の利用を促進する。
(6)諸資本間の競争。
 われわれがこれら六つの基準を使って中国を分析するならば、中国が資本主義の論理に上首尾に抵抗してきた、と言うことは難しい。抵抗はあるがしかし、「反資本主義的抵抗」はない。中国の抵抗は、実際は、台頭中の資本主義大国としての自身と、欧州、米国、日本の古い大国ブロック間で、世界市場のより大きな分け前を求める闘争だ。

「帝国主義」論に
誤った問いかけ


 盧教授は彼の論文の中で、中国は帝国主義ではないことを証明しようと、多くのことにふれている。彼は二つの議論を押し出している。第一は、中国の対外投資は発展途上国を搾取せず、その産業を抑圧するものでもなかった、という主張。第二は、中国の安い労働力が他国の労働者の交渉力を引き下げることもなかった、という主張だ。
 そうであっても、帝国主義についての古典的理論はどれ一つとして、それがジョン・ホブソンのようなリベラルによって発展させられてきたものであれ、あるいはヒルファーディング、レーニン、ブハーリンのような左翼が展開したものであれ、上の二つの条件を帝国主義のもっとも重要な基準と考えてはいない。
 これらの理論によれば、帝国主義を定義する鍵となる条件は次のようになる。
(1)国民経済主要部門の独占の程度。
(2)産業資本と金融資本の統合。
(3)大規模な資本輸出。
(4)植民地主義。
 これらの条件が、先進の帝国主義大国とドイツ、日本といった新たな大国間での、覇権をめぐる戦闘に導き、二度の世界大戦という結果をもたらした。
 植民地のほとんどは第二次世界大戦後、公式には独立国となった。とはいえ、左翼研究者の新世代、たとえばエルネスト・マンデルは、これらの諸国は依然として、欧州、米国、また日本の政治力と経済力により間接的に支配されている、と強調した。
 経済的植民地主義の継続的存在にもかかわらず、多くの発展途上国は、ある程度の産業化に多かれ少なかれ達した。帝国主義の諸理論は、後進国は産業化を達成できない、と示しているわけではない。つまり盧教授は、間違った問いをたてているのだ。
 植民地主義は別として、他の三つの条件は今日の中国に完全に当てはまる。そして当今の帝国主義大国は後進諸国に対し直接支配から間接支配へと変わってきた以上、植民地主義はもはや、帝国主義にとっての必要条件ではない。

非帝国主義大国
は非抑圧国に?


 そうであっても、中国は帝国主義か否か、は中心的な問題ではない。十分に大きな資本主義大国は、たとえ帝国主義ではないとしても、それでも「亜帝国主義」あるいは「覇権追求国」になり得、弱い国々をいじめることができるのだ。ラテンアメリカのブラジル、アフリカの南ア、南アジアのインド、これらはすべてそうした事例だ。
 中国は超大国だ。それは歴史上、長期にわたるスーパー帝国だった。現代の中国は国家資本主義を実行してきた。そしてそれはむしろより略奪的だ。それが抑制されないならば、中国は今帝国主義でないとしても、将来覇権追求国になるだろう。
 中国の台頭と「一帯一路」は大きな話題になっている。そしてそれは、あらゆる種類の背景をもつ人々によって議論されるに違いない。しかしながら北京政府は、その声が支配的であることを求め、国際的な市民社会と国内市民社会からの声を聞き取ることを拒絶している。盧教授は、他の声を聞くよう北京政府を説き伏せなかった。
 その代わりに彼は、「民衆フォーラム」のまれな声を非難した。パトリック・ボンド教授(南アフリカから参加し、また当フォーラムの基調発言者)は「中国叩きで有名だ」と彼が信じている、というただ一つの理由からだ。しかしディク・盧はどんなものであれ何の証拠も示していない。その上パトリック・ボンドはこのフォーラムでの唯一の声でもなかった。たとえばスリランカから参加した発言者は、中国の投資は否定的と肯定的と双方の影響をもたらした、と論じた。
 私は結論的に、北京を誤解させないように、彼の論評ではもっと公平になるよう盧教授に願いたいと思う。

▼筆者は香港の指導的なグローバル・ジャスティス運動活動家。現在、「中国労働者ネット」の編集者でもある。
(注一)ディク・盧「『新帝国主義中国』論、どうぞ吟味を」、「明報」二〇一八年三月二日。
(注二)ディク・盧「中国の前に『新帝国主義』」。
(注三)「毛沢東思想万歳」、一九六九年。
(注四)「中国毛沢東主義共産党告全国人民書」。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年五月号) 


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