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    かけはし2018年5月28日号

「希望の春」を取り戻すために


アジア連帯講座:公開講座

G・アシュカル『アラブ革命の展望を考える』から


 四月二〇日、アジア連帯講座は、文京区民センターで「アラブ革命の展望を考える 『アラブの春』の後の中東はどこへ? ジルベール・アシュカルの提起を受けて」をテーマに公開講座を行った。
 二〇一一年にチュニジアからはじまり、エジプト、リビア、そしてアラブ全域に一気に広がった「アラブの春」の運動は、イスラム主義勢力ではなく、青年、学生、女性、労働者が中心的な担い手であり、自由と民主主義と社会的要求をかかげ、独裁体制による警察・軍隊を使った残虐な弾圧にもけっして屈することなく闘い抜いた。だが、この民衆反乱は、そのまま発展することなく、「イスラム国」の台頭、シリア内戦の激化に見られるように、中東全体が再びアラブの春以前の状態に舞い戻ってしまったかのようである。一体、「アラブの春」はどうなってしまったのか、どこへ行ってしまったのだろうか? 民衆の運動の後退は長期にわたって続くのだろうか?  ジルベール・アシュカル(レバノン出身のアラブ中東問題および軍事問題の専門家)は、多くの人々が抱くこの疑問に対して、「アラブ革命の展望を考える」(柘植書房新社)で提起している。アシュカルは言う。「『アラブの春』は挫折し、今日、『アラブの冬』を迎えることとなってしまった。だが、アラブ全域の革命過程は長期にわたる過程なのであり、現在が揺り戻しの局面に入っているからといって、けっして悲観的になる必要はないとしている。。長期的展望に立って、革命派の極を強化していく必要がある」と強調する。
 講座は、本書の共訳者の一人、湯川順夫さんが解説(別掲)の提起を行った。
 国富建治さん(新時代社)は、「『アラブの春』年表」に基づいて、@二〇一一年一月一四日のエジプトで民衆の広場占拠から独裁者ムバラクが大統領辞任(二月一一日)Aリビアへの闘いの波及とシリアへの波及(しかし家産国家の付属物としての軍の役割)についてBリビア―NATOに支持されたリビア国民評議会が首都トリポリ制圧(八月)からリビアの独裁者カダフィ殺害(一〇月)について検証した。
 さらにエジプトにしぼり、@議会選挙(一一月〜一二月)でムスリム同胞団が第一党になり、二〇一二年七月のエジプト大統領選挙でムスリム同胞団のモルシの当選についてA一二月の新憲法を問う国民投票―ムスリム同胞団と軍ならびに大衆との離反の深まり局面B七月、軍のクーデターによってムスリム同胞団=モルシ体制が転覆され、軍主導のシシ大統領政権が成立する。軍政権=シシ体制の下での新自由主義的開発政策を強行していくプロセスなどを明らかにした。(Y)

政治過程の分析を深める必要性

闘いは何とぶつかったのか

湯川順夫さんの講演 @

イスラム主義
の問題点とは

 ロシア十月革命は、民族自決権を掲げ、全ロシア・ムスリム大会の決議(一九一七年五月二二日)、「女性問題についての大会決議」(五月二三日)、東方諸民族大会(一九二〇年九月)などにみられるように、ロシア・ツァー体制と結びついた土着支配体制の専制と搾取からの社会解放の展望を新たに提起し、旧ロシア連邦地域だけでなく、アラブ・中東世界地域全体の人々にも大きな影響を与えた。その後のスターリニズム体制下で希望は幻滅へと向かうが、その影響は残り続ける。
第二次大戦後、ナセルやバース党に代表されるアラブ民族主義の運動が、アラブ地域全体で支配的となったが、この運動も、ロシア革命のこの影響=マルクス主義の勢力に対抗するために、当初、急進的路線を取らざるをえなかった。その後も、世俗派の政権であろうと、イスラム主義にもとづく政権であろうと、アラブ・中東地域の既存の政権は、イスラム原理主義をマルクス主義の勢力に対する防波堤として支援し続けることとなった。特に、一九八〇年代以降、特にアラブ民族主義に対抗するためにサウジ王国などによるイスラム主義勢力への支援がより活発に展開されていく。一九七三年一〇月の第四次中東戦争とその後の『石油戦略』、多額のオイルマネーがイスラム主義勢力支援によりいっそう注がれるのである。
このプロセスを私市正年は、『原理主義の終焉か ポスト・イスラム主義論』(山川出版社)で次のように要約している。
「産油国にはアラブ諸国から敬虔な青年たちが教師や宗教指導者として集まり、多額の賃金を獲得した。都市には失業者や貧困者のスラム街が形成されていたが、国家の福祉政策は遅れ、そこに支援の手を差し伸べたのがモスク建設や慈善活動やイスラーム教育などにかかわったイスラム主義者であった。彼らの活動資金は石油の富からもたらされていたのである。こうして都市スラムの住民たちがイスラーム主義者の連帯のネットワークに包み込まれていった」。
「爆発的な人口の増加により、都市には人口が集中したが、国家はこれに対し大学の定員をふやすことで対応した。しかしそのため教室にはいりきれない学生
や、本も買えず授業や試験対策も十分できない学生が急増した。イスラム主義者たちは、こうした学生たちのためにモスクで補習授業をしたり、安い値段で教材を複製コピーしたり、さらには特別のスクールバスを用意して女子学生が安心して登校できるようにもした。これらの活動にも石油の富が使われた。まさしく『石油』イスラムの誕生である」。
「体制を攻撃したマルクス主義者たちが深刻化する社会矛盾や経済危機に有効な手段を講じられないでいるあいだに、イスラム主義者の勢力が伸長し、一九七〇年代半ばになると、大学や職場でイスラム主義者と世俗的なマルクス主義者とのあいだで主導権争いが激化し、時には暴力的な衝突に発展することもあった」。
「一九八〇年代にはいると、イスラム主義運動はムスリム諸国全体に広がった。国家中枢における腐敗や汚職の実態が表にでるようになると、ナショナリストの政治指導者はますます専制的になった。またマルクス主義の権威はまったく力を失い、かわってイスラーム主義が政治権力を主張するようになった。イスラミストが説くく公正な社会の実現は、宗教的な言説で語られ、具体像が提示されなかったが、腐敗、経済政策の失敗、専制主義、自由の抑圧を痛罵するメッセージ性は未来の理想社会として多くのムスリムを魅了した」。
その後、一九七九年のイラン革命を契機にしながら八〇年代「イスラム主義の勝利」が広がり、支配層にとって「半体制」としての「ムスリム同胞団」の存在意義が示されていくのであった。

三つどもえの
構造読み解く


このよう認識を参考にしながらアシュカルはアラブ世界、中東世界を観る視点を次のように提起している。
@歴史的に見れば、イスラム主義が一貫して強固に支配続ける「不変の」世界とはみない。歴史上、常にイスラム主義が前面に出続けて来たわけではない。内部が均質的な社会ではない。
A世界資本主義体制の中に組み込まれた従属的「周辺」として帝国主義支配下におかれてきたが、パレスチナ解放闘争を軸にしたアラブ民衆の反帝国主義的結集という共通基盤がある。この反帝国主義的基盤に加えて、家産的資本主義下の国家機関、軍隊、経済への一族支配に対する民衆の闘いが存在し、青年、学生、女性、労働者の闘いが持続している。
アシュカルは、本書(序章「革命のサイクルと季節」/終章:「アラブの冬」と希望を中心に)でこの構造を「一つの革命、二つの反革命」と規定し、「アラブ/中東世界における三つの勢力のトライアングル」(@イスラム主義勢力A世俗派既存政権B革命派=青年、学生、女性、労働者)を次のように分析している。
「それは、直接的でない場合でも潜在的に三つ巴の闘争を生み出した。これは、歴史上の大部分の革命的激動におけるような革命と反革命という二項対立ではなくて、一方におけるひとつの革命的極ともう一方における二つの相互に対立し合う反革命陣営との間の三つ巴の対立なのである。後者は、地域の旧体制とそれに対する反動的な対立勢力であって、この二つはともに『アラブの春』という解放を目指す願望に同じく敵対している」。
「この複雑性を知っていたなら誰であれ、アラブの反乱が短期で平和的なものになるかもしれないなどという幻想をけっして抱かなかったであろう。この地域では、革命的極を組織的に体現するほど十分に強力で、アラブ諸都市の広場で表明された『人民の意思』に沿った社会・政治的変革を政治的に指導する能力をもつ組織的に十分な勢力が存在していない。そうした中では、二つの反革命的陣営の間の二項対立的な衝突が、革命的極を背後に追いやることによって、支配的になってしまった。このようにして作り出された情勢は、危険な可能性をはらんでいた」。
「『地域の政治的軌跡において、過去数十年間の反動的展開を消し去り、十分に民主主義的な基礎の上に進歩的な社会プログラムを復活させることができるような根本的な変革が起こらないならば、地域全体が野蛮に陥るという危険がある』……はたせるかな、実際には、地域の政治的軌跡の根本的で持続的な転換は起こらなかった。そうした転換は、組織的で断固とした進歩的大衆の指導部が登場した結果としてはじめて生まれ得たからである。そうした中で、『アラブの春』の陶酔感は間もなく、『アラブの冬』とほとんど断定的に呼ばれるようなものの暗黒に飲み込まれてしまった」。     (つづく)

5.19

国会前行動に2500人

安倍内閣は総辞職を

共同の闘いをさらに強めよう

 五月一九日午後一時、衆院第二議員会館前をメインにして「安倍9条改憲NO! 森友・加計疑惑徹底追及、安倍内閣は総辞職を! 国会議員会館前行動」が行われた。主催は安倍9条改憲NO!市民アクション実行委と、戦争させない・9条壊すな総がかり行動実行委。土曜日の国会前行動に二五〇〇人が集まった。
 最初に司会の仲間が、事もあろうに「セクハラ罪という犯罪はない」という「答弁書」を「閣議決定」(五月一八日)するような内閣の恥知らずな居直りを強く糾弾した。
 国会議員からは社会民主党の福島みずほ参院議員、立憲民主党の高木錬太郎衆院議員、日本共産党の山添拓参院議員が次々に発言。「森友・加計問題でみられるような腐った政治から民主主義は作れない。膿を出しきるには安倍さんが辞めるしかない」(福島議員)、「短時間で強行採決が相次いでいる。しかしわれわれは微力ではあっても無力ではない」(高木議員)、「『働き方改革』法案にまつわるデータ異常は全体の二割に達する。まさに嘘つき・隠蔽内閣だ」(山添議員)などの鋭い指摘に、参加者から共感の声が上がった。

労働法制改悪
強行を許すな
安保法制違憲訴訟の会の杉浦ひとみ弁護士のあいさつに続き、五月二六日に行われる「美ら海壊すな、土砂で埋めるな国会包囲行動」実行委の野平晋作さん、労働弁護団の棗一郎さんが発言した。
野平さんは「辺野古新基地建設予定地は地盤軟弱で、活断層が走っている。そのことは昨年の段階で沖縄防衛局も、その疑いありと認めている。私たちがあきらめないかぎり基地建設を止めることができる」と訴えた。労働弁護団の棗一郎さんは「来週にも高度プロフェッショナル制度を含む労働法制改悪の強行採決の可能性がある。ホワイトカラー・エグゼンプション制度の本質は、定額で死ぬまで働け、ということだ。絶対に通すな」と訴えた。
最後に、総がかり行動の高田健さんが五月二六日の「美ら海壊すな国会包囲行動」、六月五日の「オスプレイ配備反対集会・デモ」(日比谷野音)、六月一〇日の国会正門前大集会への結集を呼びかけ、安倍政権打倒めざして闘おうと呼びかけた。       (K)



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