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    かけはし2018年5月14日号

浮き彫りにされた女性差別


福田前財務次官のセクハラ犯罪許すな

官僚・メディアの抑圧構造に怒り

平等・人権を確立するために

「女性活躍」という欺瞞

 財務省の福田淳一前次官によるセクハラ事件は、安倍政権のグローバル派兵国家建設の一環である「成長戦略」にもとづく「女性の活躍推進」(女性活躍推進法)と称するセクハラ「改善」がポーズでしかないこと、それと連動してテレビ朝日のセクハラ事件もみ消しプロセスに見られる男主義権力の貫徹と女性差別主義を温存し続けている報道会社組織の人権侵害構造を明らかにした。
 福田セクハラ事件とは、こうだ。約一年半前からテレビ朝日の記者(女性)が福田への取材中、セクハラの被害を受けていた。記者は、自己防衛と福田のセクハラを証明するために録音した。セクハラ被害を上司に相談し、抗議も含めて福田の腐敗・堕落を報道することを提案する。だが、上司は、「報道は難しい」からとして却下する。記者は、福田のセクハラを許さず、社会的に警鐘乱打していくために音声データを『週刊新潮』に提供した。四月一二日、福田による記者に対するセクハラ発言を『週刊新潮』が報じ、音声データを公開する。この音声データによって福田セクハラ犯罪は証明されている。
 しかし福田は、「セクハラに該当する発言をした認識はない」と否定。麻生太郎財務相は、当初、口頭注意で逃げ切ろうとしたが、社会的批判の高まりによって財務省顧問弁護士を押し立て「被害者は名乗り出ろ」と呼びかける。記者の告発圧殺をねらった恫喝の強行だ。財務省の矢野康治官房長にいたっては、衆院財務金融委員会で「(被害者が)名前を伏せて名乗り出るのがそんなに苦痛なのか」などとなんらためらいもなく発言する始末だ(四・一九)。

財務省による圧殺


 こんな財務省の手法に対して女性の人権のための司法闘争などを展開してきた角田由紀子弁護士ら九人が「財務省は、セクハラ告発の女性に名乗り出ることを求める調査方法を撤回してください!」ネット署名を呼びかけた(四・一七)。呼びかけは、「(被害の)記者は、財務省と報道機関、報道機関とそれに雇用されている記者、という二重の権力関係のなかにあります。このため、実名での告発は、記者生命と引き換えになりかねない」、「当初は事実確認すらも行わないとしていたこと自体、財務省のハラスメント隠蔽体質を示しており、女性の尊厳を軽視していると言わざるを得ません」と批判。署名は、二日だけで三万五〇〇筆も集まった。
 財務省は、福田の部下による調査書を形だけで作らせ、加害者である福田の手前勝手なストーリーにもとずいてセクハラ犯罪を否定し(四月一六日)、辞任しない意向だとする調査結果を発表した。
 さらに社会的批判が拡大するや安倍政権は打撃を早期に収拾するために福田の切り捨てへと踏み出す。一八日になると福田は辞任を表明したが、「財務事務次官としての職責を果たすことが困難な状況」というのが理由であり、記者に対する謝罪、セクハラ発言も認めないまま逃げ切った。財務省は、やむをえず福田のセクハラを認め減給二〇%、六カ月の処分相当と決定し、退職金約五三〇〇万円から差し引くことで決着をつけようとした。
 福田に対して懲戒処分ではなく甘い処分で事態を幕引きにしていこうと必死だ。あいかわらず麻生財務相は、「(福田が記者に)はめられて訴えられているのではないかという意見もある」などと福田を防衛する側からの不満を繰り返した。野党からの辞任要求に対しても否定し続けている。

明らかになる共犯関係

 財務省は福田のセクハラの否定から一転、セクハラを事実認定したが、この事件を解明し、今後のために教訓化していく姿勢にはほど遠い内容であった。そもそも福田の部下による調査自体だけでも、真面目に調査し、セクハラを一掃していく姿勢は最初からなかった。しかも福田のセクハラ行為を被害者防衛を優先とするのではなく、調査依頼を加害者側の立場を防衛する財務省顧問弁護士に依頼するという誤った判断だ。
福田は、森友学園や加計学園問題におけるメディアの取材競争を見据え、その権力ポジションから記者に対するセクハラ発言を繰り返したのである。だから福田は、最後まで自らのセクハラ発言の犯罪性を自覚することもなく、「言葉遊びをすることはある」と居直り、セクハラをユーモアコードにすり替えてまで反論するのであった。
厚労省セクハラ指針、人事院セクハラ規則にもとづく研修などがどんなレベルで行われてきたのかの総括や福田をはじめ財務省のセクハラ発言・行為の再点検が求められることは言うまでもない。セクハラが権力関係の存在によって繰り返される性格を持っていることさえも理解していなかったことは財務省の一連の対応を見れば明らかだ。いったいどんな根拠で財務省は「人事院のセクシュアルハラスメントに関する資料の内容に沿って、そのマニュアル通りにきちっとした対応をしている」と言えるのか。
財務省の官僚は、福田のセクハラ行為を常習性があり再犯を繰り返してきたことを黙認してきた。だからこそ福田が次官へと上り詰めていく過程において、財務省官僚機構がいかにセクハラを温存し、助長してきたのか、その構造を支えてきた共犯システムにまで踏み込んで切開しきることまで問われているのだ。
テレビ朝日は、森友学園や加計学園問題の取材のために記者を福田担当にしてスクープを引きだそうとした。取材対象である福田は次官という優位にある強者ポジションを自認し、権力を行使してきた。すでにメディア業界において多くの女性記者が取材先の男性からセクハラ被害を受けており、その人権侵害を容認する取材手法をメディア管理職は選択し続けてきた。女性の人権よりも取材先の「ご機嫌をとる」ことが優先されてしまうのだ。テレビ朝日の上司の記者への取材命令は、この手法の延長にあった。

「もみ消し」に動いたTV朝日


「Business Insider Japan」は、「緊急アンケート!メディアで働く女性たちへ。 『なぜ私たちはセクハラに遭ったことを言い出せなかったのか』というアンケートを行い」(四月一七日〜一八日)、多数が「取材先や取引先からセクハラを受けたことがある」と回答し、六割超は「その被害をどこかに相談したり告発したりしていない」ことがわかった。また、同僚の男性記者も「笑って見ていた」、「セクハラなんか気にするな」という共犯関係を繰り返してきた。つまり、女性記者は、日常的なセクハラ被害を受け、人権侵害構造が再生産され、その中で記者業務を続けているのだ。まさに男主義権力と女性差別主義の温存・助長の継承という「悪しき」伝統下で被害を受けてきた。
要するに上司は、福田のセクハラを告発するという記者の要求に対して取材先の「ご機嫌」を損ねることを恐れ、記者の二次被害を理由にしながら実質的な「もみ消し」へと加担したのである。
福田セクハラ事件が明らかになった圧力からテレビ朝日は、記者のセクハラ被害を明らかにするが(四月一九日)、「社員が取材活動で得た情報を第三者に渡したことは報道機関として不適切な行為で、遺憾」と表明する。このような態度に対して視聴者などから「(記者の行為は)当然の行動だ。福田のセクハラに対して共に抗議しないテレビ朝日が問題だ」「もみ消しを認めるのか」などと抗議が殺到する。動揺したテレビ朝日の角南源五社長は、社員が次官との会話の録音を外部に提供したことを「公益目的からセクハラ被害を訴えたもので、理解できる」と弁解するが、従来通り「遺憾」だとする立場を維持した。
角南は、記者の告発を会社として「もみ消し」を行ったことを否定するが、問題の所在を「情報共有がスムーズにできなかった体制となっている」ことを上げた。ならば角南ら幹部連中が福田セクハラ事件を共有していたならば抗議・謝罪要求を財務省および福田にしていたのかという記者会見の中での質問に対して「分かりません」と答えるだけだ。しかも記者とその上司に対する処分をするのかと問われたらさらなる批判を恐れた角南は「調査中」などとあいまいな回答しかできなかった。角南の結果現象的な後知恵による自己保身的な弁明は露骨な居直りだ。

われわれ自身の問題から


以上のように「男女雇用機会均等法」(一九八五年成立、九七年改正)以降、事業主にセクハラ防止の配慮義務が進められ、同時に厚労省セクハラ指針、人事院セクハラ規則でも明記してきたが、財務省、テレビ朝日にとっては建前上の対策でしかなかったことを露呈した。
福田セクハラ事件を現在的に考えれば世界的な♯Me Too運動の広がりにいかに合流していくのかということだろう。民衆運動内部における課題としても問われている。
主体的に引きつければ、JRCL組織内女性差別問題の克服の取り組みにまで検証し、掘り下げていくことだ(「週刊かけはし」HP『わたしたちの主張』の諸文書参照)。同時に第四インターナショナル第一五回世界大会(二〇〇三年二月)の「レズビアン/ゲイ解放闘争について」(大会報告集/つげ書房新社)で提起している「家父長的、ヘテロセクシュアル(異性愛中心主義)的社会」とそのイデオロギーの批判が必要であることも確認しておきたい。  (遠山裕樹)

 


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