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    かけはし2018年4月30日号

国は激しい大荒れの一時期に突入した


英国

移行期にある政治

緊縮、ブレグジットに対するコービンの挑戦と左翼の役割

フィル・ハース


 昨年の総選挙が英国政治を一挙に不透明化している。ブレグジット(EU離脱)の着地点は見えず、いくつもの難問を前に労働党も保守党も厳しい党内対立に揺れている。メイ首相が主導するロシアとの関係やシリアをめぐる強硬路線も、この状況と無関係ではない可能性がある。しかしその状況は紛れもなく、長い間に蓄積されてきた社会的危機とそれを進めてきた主流の政治に対する民衆の拒絶感の産物でもあり、当然ながら、民衆自身も政治主体としてはっきり姿を現している。二〇一五年党首選から昨年の総選挙を経たコービン現象自体が、その明確な現れだった。以下は、この大荒れに向かう英国政治に作用している力学を分析している。米帝国主義を支える最強かつもっとも親密な支柱である英国の行方は世界にも大きな影響を与える可能性が高く、その比重は小さくない。その観点から紹介する。(「かけはし」編集部)

人々を今なお苦しめる氷河期

 英国は、一〇年間の中でもっとも厳しい冬の只中で、自身が今なお新自由主義の氷の指で掴まれていることに気付かされている。医療サービス(NHS、税金を財源に国民に普遍的に無料の医療を提供する制度)、および地方政府双方とも、危機から危機へとよろめいている。テレサ・メイの保守党政権による残酷な支出切り詰めが、十分なサービス――主に高齢者、障がい者、また病に冒された人びとが利用したサービス――提供を不可能にしているからだ。緊縮と公務部門労働者への厳しい賃金抑制の八年が、経済成長を急落へと押しやり、税収を急速に低落させ、その結果保守党の削減ナイフにさらなる研ぎをかけた。
新自由主義のデフレがもつ否定的効果は、超巨大建設コングロマリットであるカリリオンに判明した近頃の破綻に見ることができる。これは政府との契約をたんまり与えられていた企業だった。
たとえばアラン・デ―ヴィスは次のように指摘している。つまり「カリリオン問題は、私企業の貪欲さが公的部門の緊縮と共に進むシステムではすべてが過ちになることをはっきり照らし出している。労働者が何千人と解雇され、下請け業者が追い詰められている中で、ハゲタカファンドはすでに、どの資産をはぎ取ることができ、どの契約を底値で拾い上げることができるかを知ろうと努めている」と(注一)。

政治には一層の緊張と不確実性


こうした異様な年代記は、二〇一七年六月の総選挙結果があってはじめてあり得るものになっている。メイは、有利な世論調査を支えに、明確な労働党の敗北と議会における保守党の多数が相当に強まるとの期待の下に、総選挙に打って出た。保守党の指導者たちは私的な会話で、今後四〇年間は権力に留まると話していた。
実際には世論調査が間違っていた。つまりこの選挙は、特に若者たちと学生の投票を基礎に、労働党に向けた実質九・六%の票の移行を明らかにしたのだ。この若者たちは、これまででもっとも左の指導者、ジェレミー・コービンの下に結集した。保守党は最大政党としてとどまったものの、心許なく確実性のない下院多数確保のために、北アイルランドの民主統一党――強硬右翼の体制支持派――の票に頼らざるを得なくなった。この結果は同時に、議席をわずか一二に減らした自由民主党にとっても、また唯一の議席を失ったUKIP――極右の英国独立党――にとっても相当な打撃だった。
この選挙結果は、保守党内のメイの権威、および党内の反抗的な民族主義的右翼を統制する彼女の能力を弱めた。この右翼は、「ハードブレグジット」――英国は、事業規制と他の二七EUメンバー国との結びつきを最大限切断してEUから出るべきとの――を要求している。これらの「ブレグジッター」を閣内で代表しているのは、元ロンドン市長のボリス・ジョンソン(現外相)や元教育相のミカエル・ゴヴといった人たちだ。閣外でブレグジッターを率いるのは特に下院議員のヤコブ・リーだが、この者の古くさい人物像とウルトラカトリックの観点が導いたものは、彼に対する「一八世紀の下院議員」というあだ名だった。
選挙結果が再形成した内部紛争は保守党のものだけではなかった。右派労働党議員(元首相のトニー・ブレアにちなんで「ブレアライト」と呼ばれる)の相当数は、コービンは選挙で崩壊を味わうだろう、その結果彼より右に位置する誰かで置き換えられる、との期待をほとんど隠さなかった。アベラヴォン選挙区の労働党議員であり元の党指導者、ネイル・キノックの息子であるステファン・キノックを選挙運動期間追いかけたBBCのTVドキュメンタリーは、コービンの成功というニュースが流れた時、彼と彼の家族が隠しようもなくショックを受けていたことをあらわにした(注二)。
これらのぶつかり合う流れの意味を理解するためには、われわれは次の三つの関連する問題に解答しなければならない。
a)労働党指導部への突然のまた予想外のコービンの駆け上がりを説明するものは何か?
b)二〇一六年の国民投票で、英国民はEU離脱になぜ票を入れたのか?
c)EUをめぐる対立がなぜ今も保守党を分裂させているのか?

オー・ジェレミー・コービン


二〇一七年六月二四日、選挙が終わって丁度二週間後、コービンは、国際的にも名を知られたグラストンベリー・ミュージック・フェスティバルの主舞台に登場し、そこにいた何万人もの若者たちから熱に浮かされたような歓迎を受けた。「オー・ジェレミー・コービン!」の歌声を含んだこの歓迎は、選挙キャンペーン中この国中でコービンが行った地方巡回集会のいわば反復――「古い装いの」政治集会に対する報復を付随させた応答――だった。
調査が示すところでは、二五歳以下の年齢層では三分の二が労働党に投票した。これを受けて、親資本主義の見解をもつ気象予報誌である「エコノミスト」誌は、「コービン政府よりもっと悪いものがある」、そしてそうした政府は「後退ではあろうが惨害ではない」――コービンは統制を受け、彼の行動を穏健化する可能性もある、という条件の下に――と書いた。
選挙結果は、労働党が何らかの注目に値する結果を達成した、ということを示した。そしてそこには大きな数の学生がいる。たとえば、二つの大学があり、四万人以上の学生がいるカンタベリー選挙区では、現職の保守党下院議員、そしてブレグジッターかつ元国防相のサー・ジュリアン・ブラジールが、以前確保していた九〇〇〇票の差をひっくり返されるのを見るはめになった。彼はそれを「ソーシャルメディアに乗った学生運動」に帰した。この選挙区では、選挙前に新たに八〇〇〇人の有権者が登録された。そして実際に、左翼のコービニスタ(コービン支持派:訳者)のモメンタムは、みごとなソーシャルメディアキャンペーンを展開した。
事実として若者たちが、相対的な選挙の成功だけではなく、党の指導部をコービンに渡した。彼は二〇一五年に党指導者になった。それは党が、オンラインでの特別党員権と新党員への指導部投票権を提供する、と決定した時だった。労働党の党員数は、ブレアの下での一二万から現在の六〇万以上――西欧では最大の政党――へと跳ね上がった。

若者の前には尋常ではない苦境


若者内部のこのはっきりした急進化をどのように説明できるだろうか? 一方では、環境、レイシズム、人権といった課題に関する、過去二〇年を通じた全般的な急進化が起きていた。これは、二〇一五年選挙以前の、党員数が約四万から約五万に伸びた、緑の党の成長に表現された。コービンの到来は、はるかに大きく、またより主流的な急進化で緑の党を置き換えることになった。
しかしもう一つの鍵となる要素は、英国の多くの「ミレニアル」世代(二〇〇〇年代に成人あるいは社会人になる世代:訳者)が自らをそこに見出している悲惨な経済状況だ。ガーディアン紙は、「リゾリューション・ファウンデーション」による報告を引用し、次のように書いた。すなわち「この報告は、……発展を遂げた世界の中の――ノルディック(北欧)諸国は別として――あらゆる若者たちに対し、陰鬱な絵を描いている。それは、彼らに先行する世代と比べて、ミレニアル世代の場合、所得がどれほど落ち込み、職がどれほど不足し、また住宅所有がどれほどがた落ちを続けているかをくっきりと照らし出している」と。
しかしそれはまた、多くの尺度――失業は別として――から見て、英国のミレニアル世代が他の諸国の同世代以上の重要な低落に苦しんできたことをも暴き出している。
若者が直面する状況は、全体として労働者に新自由主義が与えた打撃の部分集合だ。社会的住宅の欠落と不条理なほど費用がかかる住宅市場のゆえに、多くの若者は、彼らの収入の五〇%を住宅に払っている――私有賃貸住宅の天にも昇る家賃のためか、法外な住宅ローンのためかどちらかで――ことを見出している。職への対価は貧弱であり、しかもしばしば、労働時間の保証も賃金レベルの保証もない〔まま拘束される〕「ゼロ時間契約」が基礎になっている。
事業の私有化のために、ガスや水道や電力の料金も高い。世界でも最も高い交通料金、高価なレストランやパブや他の娯楽の場といういくつかの要素も加味して、それらはたった一つのことに帰着している。つまり、債務の大変なレベルであり、若者はあらゆる支払いにクレジットカード――持続不可能な債務の山――を頼りにしているのだ。多くの若者がうんざりしていることを不思議に思う人は誰もいない。

労働党右派が執拗な抵抗を継続


人は、党員数のこの巨大な上げ潮に労働党の古参の人物たちは有頂天になった、と考えたのかもしれないが、労働党下院議員の多数と何百人という労働党地方議会のメンバーの場合、これは事実でなかった。ブレアライトの右派は疑いなく、彼らの政治生命を難しくしつつある何十万人というコービニスタが離党するのを見る方が幸せだろう。一定数の戦線で、党を貫く対立が起きることになった。
組織的には、全国執行委員会(NEC)の支配を維持するために、右派は無駄な抵抗戦に挑んできた。そしてその闘いに彼らは今のところ敗北している。一月には、NECの三つの欠員は、コービンを支持する左翼グループであるモメンタム支持者ですべてが勝ち取られた。勝者の中には、モメンタムの書記かつ七〇年代と八〇年代の「ベニイト」運動(注三)の古参、ジョン・ランスマンがいた。
左翼は、有名なスタンドアップコメディアンであり、最高に票を得たブレアライト候補者、エディー・イザードの三万八〇〇〇票に対して、六万二〇〇〇票から六万八〇〇〇票の間でこれらの席を勝ち取った。イザードはどの分派もグループも代表しないと主張したが、彼の宣伝物は、ブレアライトのグループである「労働党ファースト」によって印刷された。

反コービンキャンペーンも次々


労働党右派は全国統制委員会の支配を失い、ブレアライト寄りの書記長、イアン・マクニコルの辞任によりもう一つの敗北を喫した。
しかし労働党右派は、地方レベルで、特に左翼の者が地方議会候補者として選出されることを阻止しようと挑みつつ、しかし特にすべての下院議員の再選を、すなわちもっと左翼的な候補者で置き換えられることを、阻止しようと努めつつ、頑強にがんばり続けている。
事実としては、コービニスタはこうした戦闘にほとんど気が向いていないように見える。新たに加入した党員の多くは、苦みのこもる地方の党内戦闘には慣れていず、またそこに巻き込まれることに尻込みしている。差し引きして残る結果は、労働党がたとえ次の選挙に勝ちを収めたとしても、急進的方策の支持に労働党下院議員の多数を動員することは極めて困難かもしれない、ということだ。
いくつかの地区――たとえばロンドンのハリンゲイとウォルサムストウ――では今、「再開発」計画をめぐって鋭い戦闘が起きている。これらでは、右派の労働党市議会が、社会的住宅を解体し、それをショッピングモールと高価な住宅計画で置き換える計画を無理強いしようと策動中だ。ここでの住宅開発方式では、その僅かな部分だけが何らかの意味で「手頃」になるとされている。左翼は、これらの計画は事実上「社会的根絶」の一形態であり、そこでは貧しい者が追い出される――その街からは確実に、そしておそらくロンドンの外へ――と告発している。コービンは、この社会的根絶に反対して、労組活動家やコミュニティ活動家と並んで闘いを挑んでいる地方の労働党員を支援してきた。

 労働党右派は全国的に、実際はコービンとその支持者に狙いを定めた一連のキャンペーンを仕掛けている最中だ。その第一として彼らは、ブレアと彼の元報道官のアリステア・キャンベルが直接行っているキャンペーンの中で、英国の欧州単一市場と関税同盟への残留支持を明確にすることに躊躇しすぎていると、議員団指導者のジョン・マクドネルと合わせてコービンを責めている。しかしながらコービンは二月二六日、この点で労働党の立場を変え、彼らは今や関税同盟に残留するために闘うことになるだろう、と語った。それは、この問題でブレアライトの先手を打って彼らをやり込める動きだ。これは潜在的な可能性として、親EUの保守党が労働党、自由民主党、さらにスコットランド国民党とブロックをつくるならば、政府が下院で敗北を喫する結果になり得るものだ。
第二に、そして恥ずべきことに、労働党右派はコービニスタたちを「反ユダヤ主義」だとして責め続けている。このキャンペーンは、ただ一つの具体的事実に基づいている。つまり、コービンのチームがパレスチナ人の民族的権利を擁護している、ということだ。これだけで反ユダヤ主義と見なされている。そしてそれは、右翼紙で際限なく繰り返されている中傷であり、中道的自由主義メディアの左翼内の何人かによって十分な資格証明と思われている。この何人かの例としては、ガーディアン紙やもっとも急進的なTVニュース番組、チャンネル4の何人かのジャーナリストをあげることができる。
これら両者の報道機関の中心的な人びとは、コービンに対し本能的な敵意をもっている。イスラエル政府それ自身には、この論争から利益を受けるすべての理由がある。彼らがもっとも見たくないものはコービン政権であり、それは、国際的連携に関する彼らの体系を崩壊させることになるだろう。
ブレアライトはまた、コービンの労働組合に関する中心的な連携相手、UNITE(英国最大の労組、製造業が主な組織対象:訳者)書記長のレン・マクルスキーを掘り崩そうと挑み続けている。彼の選出には不正があった、と主張することによってだ。政府の資格審査官がマクルスキーを解任することになれば、労働党NECの左派にとっては大きな打撃になると思われる。
最後として、右派は、コービニスタたちを標的にしたもう一つのキャンペーン、ジェンダーに基づくそれを行っている。中でも右派下院議員のジェス・フィリップスとハリエット・ハーマンは、次の党指導者は「女性でなければならない」と力説し続けている。この基礎になっているものは、左派には信頼に足る女性の候補者がいない、したがってコービンが辞任する(彼は六九歳であり、次の党首選が行われる時にはおそらく七〇歳になっているだろう)時にはマクドネルを提案したいと思っている、との想定だ。

保守党内も矛盾した亀裂に苦悩


労働党の党内闘争は、保守党内の鋭い諸々の緊張、またUKIPの破局的な危機に平行している。左翼の立場に立つ多くの人々はそれをこの方向から見ることはなかったが(注四)、EU離脱という二〇一六年の票決は、ある種の政治的惨害だった。国民投票は、UKIPの助けを受けて、保守党の強行右翼により利用された。党支配のために、また反移民、反福祉国家という彼ら自身の設定課題を強いるためだ。特にブレグジッターは、EU人権裁判所にしたがう義務から英国を抜け出させたがっている。また、EUが強調する労働者の権利と環境に関わる権利を、一緒くたに燃やしてしまいたいと思っているのだ。
これらの点は、国民投票キャンペーンの中では、スコットランド首相でありスコットランド国民党指導者であるニコラ・スタージョンによってもっとも正確に示された。彼女はこの国民投票を、保守党内右翼が「しかけたクーデター」と表現した。
反欧州主義は変わることなく、保守党内右翼の名刺、それが保持する極度の民族主義のバッジとなってきた。それがはらむ問題は、英国資本家階級諸派ほとんどの客観的利害にそれが対応していない、ということだ。つまり、ロンドンのシティを本拠とする金融資本、そして大企業製造業者の両者とも、欧州単一市場と関税同盟を利用する可能性を確保したがっているのだ。
日本の自動車企業のような英国に投資している外国資本も、英国での彼らの事業展開が残りの欧州にも直接入り込むことができることを求めている。これらの客観的な資本の利害の結果として、保守党下院議員の大多数はEU離脱に反対した。しかし彼らの基盤はそうではなかった。つまりEU残留に票を投じたのは、保守党支持者の三八%でしかなかったのだ。
国民投票キャンペーンの中では、保守党指導者の多数は、労働党、自由民主党、スコットランド国民党そして緑の党――加えて北アイルランドのシンフェイン――と共に、EU残留を支持した。それではブレグジッターはどのようにして五二%対四八%(約一七〇〇万票対一六〇〇万票)で勝ったのだろうか?
ブレグジットの主張は、影響力のある右翼紙で毎日のように心に刻み付けられた。そしてその核心は反移民のレイシズムだった。「支配を取り戻せ」がブレグジッターのスローガンだったのであり、これが主に意味していたのは、移民を外部にとどめるために「われわれの」国境に対して「支配を取り戻せ」ということだった。
同時にこの投票は、特に北部と中央部の貧しい労働者階級の町々で、労働者階級の相当数による主流政治に対する拒絶を表した。逆説的だが、これらの支持者の多くは、医療や地方政府に対する適切な資金供与に関し、ガス、電力、鉄道といった事業の再国有化に関し、労働党に同意するだろう。しかし彼らは、移民については今後も労働党に同意しないだろう。レイシズムと外国人嫌悪は、英国労働者階級のより遅れた部分が抱えるアキレスのかかとなのだ。
労働党右派は、新たな国民投票を求める要求を押し出し続けている。そして、英国の単一市場と関税同盟内部への残留を支持するもっとはるかに鮮明な立場を取るよう、コービンに求め続けている。コービンはこの後者の点では立場を移したが、新国民投票を求める要求を前に進めることはないだろう。それは、労働党を民主的投票を無視するとして責め立てることに道を開くと思われるのだ。

UKIPの周辺化と崩壊的状況

 UKIP(英国独立党)は、この国民投票結果から破局的苦しみを味わうことになった。国民投票に先立つ二〇一五年の選挙で、UKIPは三八〇万票、全体の一二・九%を獲得した。二〇一七年には、これが五五万票、わずか二・一%の得票率に後退した。
英国をEUから離脱させるとの単一課題に基づいて設立された政党は、当然ながら、その目標が達成されたように見える中で打撃を受けた。それ以上に、UKIPの右翼政治が、国民投票後保守党で優勢となった。政権党がその政治を採用しようとしている時、UKIPにとっての利点は何かあるのだろうか? UKIPは、マーガレット・サッチャーが一九七九年に首相に選出された時にファシストの国民戦線がこうむったと同じ、周辺化という運命に苦しむことになったのだ。
二〇一六年の国民投票後、UKIP指導者でもっとも知名度が高かった人物であるナイジェル・ファラージは、メディアの中で活動し、ドナルド・トランプやルパート・マードック(多くの右翼メディアを傘下に所有するメディア事業家:訳者)の同類と親密になるために党を出た。ファラージは、「低級な人びと」と定期的に交わる必要がもうなくなるだろうとの喜びを表した。UKIPの活動家の基盤を構成するプチブルジョアジーの反動派に対する、ひりひりするような手切れだ。
ファラージの離党後、UKIPには三人の指導者が生まれた。そしてその最後のヘンリー・ボルトンは、容姿を売りにするモデルの彼の新しいガールフレンドが、黒人に言及して「汚い」と語り、ヘンリー王子の混血の婚約者であるメーガン・マークルは英国の王族を「汚す」だろうと語る、問題のツイートを投稿したことが発覚した後に、離党に追いやられた。

排外主義が保守党政治の重荷に

 EUが、移行期およびブレグジット後の新しいEUとの有利な関係の見返りに大きな譲歩を求めて、メイに圧力を強めている中で、保守党内の対立は強まりつつある。同時に、議会のブレグジッターと中心的な右翼日刊紙――テレグラフ、サン、そしてデイリーメール――に代表される保守党の容赦のない右派は、コービンと彼のチームに対する中傷の弾幕を維持している。極めて不面目な終わり方をした最新のものは、保守党の副党首、ベン・ブラッドリーによる、一九七〇年代と一九八〇年代に、コービンがチェコの情報機関に英国の秘密を売ったとの告発だった。この非常識な嘘の一片――あたかもコービンが実際に国家の機密に関知していたかのような――は結局、ブラッドリーが、この話全部はでっち上げであると認め、名誉毀損で弁済されなければならないものになった。
国民投票の余波には、移民労働者に対する攻撃におけるひとつの残忍な踏み出しがあった。英内務省は、何十年も英国に暮らしてきた人々も含む、「不法」移民に対する追放キャンペーンを促進するために反移民感情を利用した。実際、一九五〇年代に子どもとしてカリブ海地域から英国に来た人びとは、国を出るよう告げられたのだ。
この結果は、移民労働者に依存している部門――たとえば、医療サービス、高齢者のためのケアホーム、農業――が職員不足のまま活動を続けている、ということだ。国民投票後、そうでなければ英国で働くために来ていたはずの四万人にものぼる欧州の看護師は、帰国したか、来ないと決めたかのどちらかだ、と見られている。
主流政治に対する幻滅が、まさに労働者階級を貫いて、特に英国は急速にますます不平等になろうとしているとの理解を通じて広がっている。ロンドン西部の高層建物、グレンフェルタワーの火災という二〇一七年七月の惨事は、そこでは七〇人以上が死亡したのだが、貧しい者に対する裕福なエリートによる軽蔑的扱いの象徴と広く理解された。グレンフェルタワーは、多くの低賃金の移民労働者が住んでいた社会的住宅のセンターだった。そしてその管理は保守党の当該自治体議会により、繰り返された警告にもかかわらず、基本的な安全への懸念を無視した、半私有の管理会社に分割された。
何人かの左翼の人びとによる神話にもかかわらず、労働者階級の幻滅は、ブレグジット票の中核ではなかった。労働党支持者の約六五%はEU残留に票を投じた。ブレグジット票の中核は、高齢の有権者、および諸々の州と富裕な郊外の中産階級の有権者だった。それは、保守党に対する中核的支持と平行している。四五歳以下の大多数はEU離脱に反対の票を投じた。二五歳以下では、それは七〇%近くだった。EU離脱反対の多数は、多民族のロンドンでは圧倒的だった。
保守党の財務相、フィリップ・ハモンドは、EUメンバーから外れることによる突然の傾きを経験しないための、英国経済にとっての必要をはっきりと理解し、「ソフトな」ブレグジット版を一つ提起してきた。彼はそれを、「多くが現在の状況と似たもの」になるだろう、と語った。これはブレグジッター右翼からの猛烈な反応を駆り立て、メイからの圧力の下にハモンドの退却に導いた。
メイと彼女のブレグジット相、デイヴィット・デイヴィスにとっての中心問題は次のことだ。つまり彼らが最低限ほしいものは英国が単一市場への完全な権利を確保することになる移行期だが、しかしこれに対しEUが求めている対価が、EU労働者の英国への自由入国であり、ブレグジット後にこれらの労働者が英国にとどまる権利である、ということだ。しかしこれこそが保守党右翼には大嫌いなものであり、彼らにとっては、移民を止めることが何よりも国民投票の鍵となる課題だったのだ。

妄想とアイルランドが追い打ち


保守党内の対立はまた、EUから出ることは英国にとって経済的に「利点」となるという、ブレグジッターが大いに吹聴したことが完全に妄想的、という明白な事実によっても油を注がれている。英国は残りの世界とすぐさま超有利な貿易取引を結ぶことになる、そしてそれは現在のEUとの取引よりも英国の貿易にとってもっと良いものになる、との考えは空想的な考えでしかない。
おそらくテレサ・メイにとってもっとも扱いにくいポストブレグジットの矛盾は、北アイルランドとアイルランド共和国間の国境だ。そこには二〇年間、貿易と旅行に関する限り事実上国境はまったくなかった。アイルランド島にいる者は誰もが、強硬な体制支持者であってさえ、警察が監視する国境と税関がしかるべく配置されることなど見たくないと思っている。そしてそうなることは、北と南双方の経済に損害を与え、おそらく国境に反対する共和派のキャンペーンを生き返らせるだろう。
しかし、アイルランド共和国がEU内にとどまる――もちろんそれはそうなるだろう――一方で、北アイルランドもその一部である連合王国がEUの外にあるとした場合、確固とした国境はどのようにすれば回避できるのだろうか? もし国境がまったくなければ、商品、サービス、また人はEUから北アイルランドに来ることができ、そしていったんそこに来れば、彼らが英国の残りに入るのを止めるのは極めて困難になるだろう。特に、北アイルランドと英国のその他との間に「境界」を築き上げようとの何らかの試みがある場合、民主統一党は政府に対する支持をすべて取りやめることになるからだ。

防衛的闘争の中でのコービン

 保守党の緊縮はただ一つの理由だけで支配力を保っている。つまり、サッチャーの反組合諸法(連帯ストライキの禁止やストライキを困難にするさまざまな制約の規定など:訳者)が、そしてそれはその後の労働党諸政権が廃止を拒否してきたものなのだが、公共部門の賃金凍結と公共サービス削減に対決する有効なストライキ行動を妨げている、という理由だ。
もちろんそれは、職場闘争の全面的な不在を意味しているわけではない。この六ヵ月には、鉄道労働者が何日も「車掌を列車にとどめる」行動を開始するのが見られた。ブリティッシュエアの客室乗務員は、賃金をめぐって反復ストライキを決行した。製造業部門では、BMWの労働者が年金防衛の要求でストライキを続け、年始めには富士通の労働者が、大量人員合理化計画に抗議してストライキに決起した。現在では、年金をめぐる大学の教員による大規模な全国ストライキがある。南東部の学校教員は、教育の削減に反対するストライキに立ち上がってきた。そして、戦闘的だったとしてももっと小規模なストライキは、これまで数多くあった。
しかしこうしたことも、ストライキ日数が歴史的に低い水準にある、という事実は隠すことができない。NHS、学校、自治体のサービス削減に反対する無数の地方的キャンペーン同様、先のようなストライキのほとんどは、防衛的な闘争なのだ。
この情勢の中で、コービン率いる左翼労働党政権の可能性に、計り知れない希望がかけられてきた。ブレグジッター保守党がUKIPを周辺化してしまったとまさに同じく、コービニスタたちは当座、労働党の外側にとどまっている左翼を周辺化した。とはいえもちろんその左翼は、労組内で、また公共部門の削減に反対する闘いで活力を保持している。英国政治は、激しい大荒れの時期に入り込んだ。そしてこの何十年でははじめて、急進左翼が全国政治のレベルで鍵を握るプレーヤーの位置にある。

▼筆者はマルクスサイト(www.marxsite.com)の編集者であると共に、第四インターナショナル英国支部のソーシャリスト・レジスタンスのメンバー。
(注一)ソーシャルレジスタンスホームページ。
(注二)キノックは元デンマーク首相のヘレ・ソーニング―シュミットと結婚しているが、BBC2のドキュメンタリー「労働党、すべてのことが変わった夏」の中では、彼女が、コービンの成功の後ではメディアに話さないよう強く忠告しているのを見ることができる。
(注三)一九七〇年代、八〇年代、そして九〇年代に労働党左派の中心的指導者だったトニー・ベンにちなむ。
(注四)たとえば、社会主義労働者党、社会党、そして共産党―モーニングスター。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年三月号)   



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