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    かけはし2018年2月26日号

強権的新自由主義貫徹への民衆的逆襲へ


フランス

マクロンの六カ月経て

決定的に求められる統一の鍵は
「彼らの世界」と対決する政治性

クリスティーヌ・プパン



 フランスでは、実体は支配的エリートの利害の体現者でありながら、「右でも左でもない」と標榜して、この国の伝統的な主流政党を押しのけ登場したマクロン大統領の下で、新自由主義政策の徹底した貫徹が強権手段で進められている。マクロン自身の支持率は低いが、労働運動を含めた伝統的な闘争の武器が大きく弱められている中で、労働者民衆はその再建から出発せざるを得ない状況に置かれ、強力な反撃ができずにいる。以下は、その情勢全体の見取り図とそこでの課題を論じている。(「かけはし」編集部)


 二〇一七年春の一連の選挙は、フランス政治システムが抱える諸々の危機を暴き出し、それらを加速した。予想されたことは何ごとも起きなかった。共和国大統領へのマクロン選出は、その後に続いた国民議会圧倒的多数派としての共和国前進(LReM)議員の選出と共に、政治光景における想定外の転換を刻み付けた。輪番的政権交代の論理が、共和党(LR)が代表する古典的右翼に、社会党(PS)を押しのける圧倒的勝利を与えると思われていた。後者は、共和国大統領、国民議会と上院の多数派、ほとんどすべての地域圏とほとんどの大都市、および首都圏での多数派として、あらゆるレベルで五年間権力を保持していたのだ。PSは確かに一掃されたが、LRもそうなった。

政治的光景は大きな転換遂げた


 欧州内のあらゆる支配的諸政党は、資本主義のグローバリゼーションと新自由主義的改悪が強いた変革によって引き裂かれてきた。その一連としてフランスは、この危機をヘゲモニーの危機として、彼らの政策に民衆の同意を取り付けることに対する支配的諸政党と支配的諸階級のまさに高まる不能性として、経験することになった。
 この脈絡の中でマクロンは、自身を五年間のPS政権が残した収支決算から解き放ち、無党派候補者になるという考えで勝負をかけた。とはいえ彼は、エローとヴァルス(オランド大統領の下で引き継がれた二人の首相)の政府の遺産を体現した唯一の候補者だった。何しろ彼は、二〇一二年から大統領府官房長官代理だったのであり、そこで彼は、CICE(交換条件や規制もないまま、企業に年二〇〇億ユーロの減税を与えた)とEUの財政責任協定を後押しし、次いで、社会の多方面で不人気だった二つの法を導入した経済相となったのだ。ちなみにそれらの法とは、一つは彼の名前が冠せられたもの、もう一つは、当時の労働相の名前にちなんだ、いわゆるエル・コムリ法だ。
 彼は、世論調査とメディアの勝者として集会すべてで会場を満たしつつ、PSと右翼双方の諸部分から支持を結集した。彼の選挙キャンペーンは、メディアを通じたコミュニケーションと市場調査というビジネススタイルの手法、並びに議会選挙に向けては、「ヘッドハンティング」コンサルタント業のような党・企業的候補者選抜方式をもって、効率的に展開された。
 マクロンとLReMは、支配階級の代表性に関わる危機に対し一つの出口を差し出し、少なくともこの段階では、PSと右翼の遺産を拾い上げ、これまでの政権が始めた仕事を続けるための一つの政治的ツールとなっている。しかしそれらの政権の残忍さこそが間違いなく、党員と党機構の腐食へと導いたのだ。部隊と党をもたない想定外の候補者であったエマニュエル・マクロンが勝利の日を迎え、生み出されたばかりの彼の組織が自らを押しつけることになった。
 しかしながら彼の正統性は弱く、第二回ではマリーヌ・ルペンを相手に四三%に上がったとはいえ、大統領選第一回投票では、登録有権者の一八%の支持しか獲得できなかった。

前任者たちと同じ原理の道進む


 基本的に彼の政策は、右翼のニコラ・サルコジ、あるいはPSのフランソワ・オランドという彼の前任者たちのそれと原理的に異なるものではない。そこには、第二次世界大戦直後の力関係が強いた社会的譲歩で残っているものを終わりにするという野心において、目立った連続性がある。しかし彼は形態の点で、急ぎ、むしろ大急ぎで進むことを選択している。そのことで、以前の政権が十分遠くまで進むことができなかったところを引き継ぎ、資本家がフランスの「後進性」と考えているものを矯正し、「変化への抵抗」を打ち破るためだ。
 マクロンはそれを二〇一七年八月、極めてはっきりと明らかにした。いわく「フランス人は改革に憎悪を抱いている」と、そして軽蔑を示す手振りで大いに中断されながらも、「したがってわれわれが進もうとしている地点を彼らに説明し、彼らに深い変革を提案する必要がある」と付け加えた。
 その実行のために彼は、第五共和制の反民主的なツールを利用しようとしている。彼は八月はじめから、九月一日に彼が署名した雇用法に関する指令に対し、議会の同意を得た。そしてこの法は、一一月二八日、議会で批准された。

労働分野の規制解体が第一優先


 第一優先は、雇用主組織であるMEDEF(フランス経団連)の要求にこれまで以上に適合する、「XXL」の名をもつ新雇用法を使った雇用基準の破壊だ。被雇用者の不安定性を高めることがその中心にあり、そのための道具が、被雇用者間により大きな競争をつくり出すことだ。
 高まる不安定性にはいくつかの形態がある。その第一は、恐れなく労働者を解雇できる雇用主の権利だ。政府と雇用主が「法的安全性の欠如」の終わりと呼ぶものは、専横の、こうして違法解雇の犠牲者となっている被雇用者に代わって、雇用契約の尊重に関し裁決する法廷が与える損害に関係している。雇用法は、ごろつき経営者が違法解雇のコストを予算計上することを可能とするような、これらの損害に対する一つの基準を定めているのだ。その一方で、被雇用者が先の法廷に訴え出ることができる期限では、抜本的な短縮が行われることになった。
 そして以前の雇用法もすでに、被雇用者からの苦情訴え件数を相当に引き下げていた。さらにCDD(有期契約)の契約条件も、これ以後は企業レベルで劣悪化される可能性が生まれている。もっと悪いことに、期限に定めのない契約(CDI)も、いつどのような理由で契約が終わりにされるかを被雇用者が分からないように変えられた。これは今、雇用主の専権的な自由になっている。
 もっと容易な解雇の条件では、労働協約に対する変更もある。それは、「自発的」退職を得ることにより、また交渉対象の範囲に対する限定を通して、雇用主が人員整理計画に対する「制限」から自由になることに余地を与えるものだ。その境界線は現在、経済的理由によるレイオフを正当化する企業の経済的「苦境」を判定する上で、国際的企業グループの場合を含めて、一国的になっている。
 「基準の階層性」の逆転には、階層性が一九四五年以後に作り上げられたという事情ゆえに、雇用基準破壊という目標が託されている。この階層性にしたがえば、あらゆる支部協定や労働協約も、雇用基準と異なることができるのは、被雇用者の状況を改善するものである場合だけだ。たとえば一つの労働協約は、より多くの有給休暇や、全国最賃であるSMICよりも高い賃率の最賃を確定できる。また企業レベルの協定も、支部協定を上回る場合だけ可能になる。
 今回の新たな雇用法は、支部協定を上回る企業レベルの協定に与えられた優位性、また法を上回る支部協定に与えられたそれ、を逆転する中で、この階層性(すでにさまざまな反改良により、たとえば労働時間に関し掘り崩されている)を壊している。力関係がより不利な企業レベルの「交渉」は雇用主に、競合相手を前に企業を救う、こうして職を救うという名目で、賃金や手当の引き下げ、労働時間の引き上げ、労働条件の劣悪化を強いる余地を与えるのだ。そして競合相手は今度は競争力を目的に、同じ攻撃を仕掛けることになるだろう。
 それは、被雇用者の保護と諸権利の破壊に向けた恐るべき仕掛けだ。低賃金と貧弱な労働条件が、資本間競争に本質的な変数になっている。
 最後にこの法は、現存の制度であるIRP(職員代表諸機構)を抑圧する。それらは、DP(職員代表)、CE(企業委員会)、CHSCT(健康、安全、労働条件委員会)であり、この法はそれらを全企業で、単一の機関、CSE(経済社会委員会)で置き換えている(この単一の機関は小企業ではすでに存在している)。
 前述の諸機関各々にはその特性があり、そこに選出されたメンバーは訓練とノウハウを得ている。つまり、社会的活動や文化的活動の手配、経済情報の理解、日々の要求の伝達、あるいは健康や安全の分野における規制の適用に対する監視、といったことだ。単一機関が意味することは多機能的代表であり、それは彼らの同僚からもっと距離が離れ、専門職化されるということを意味するのだ。
 何よりもCSEは、CHSCTの死を意味する。そしてこの機関はこれまで、被雇用者の健康と安全を非妥協的に守ることを学んできた労組活動家の支配下で、相対的に効力のあるツールとなっていたのだ。
 ここに見てきた諸方策は被雇用者すべてを弱体化し、危険にさらす。しかしそれらが何よりもまず標的にしているのは、小企業の被雇用者であり、労組の存在感がより弱い部門、そして労働力が圧倒的に女性で占められている部門の被雇用者だ。

社会政策でも圧縮と劣化広がる

 マクロンは自らを「右翼と左翼の」大統領として押し出したが、「右翼と右翼の」大統領にほかならない。おずおずとするところなく「金持ちのための」大統領である彼は、ショック政策を実行している。彼は、最貧困層や学生に与えられていたAPL(個人住宅補助)を引き下げ、疑いなく不安定で低賃金、しかしなくてはならないないものだった何万という助成付きの職を押しつぶし、同時に、最富裕層の利益に合わせてISF(富裕税)をなくした。
一一月の同じ週、まず月曜日に議員たちは、公務員への「待機日」(最初の病欠日を無給にする)を復活させ、次いで水曜日にはマクロンが、一つの学生選抜構想を閣議に提出した。それは、より貧しい境遇出身の学校生徒を高等教育への進学から排除する効果をもつことになるものだ。
CSG(一般社会拠出)の一・七%引き上げは、(月額一二〇〇ユーロを超える)年金生活者にとってはある種丸損となる。公務員が向き合うことになるのは、この増額に対する僅かな埋め合わせであり、それは五年の賃金凍結を経てもなおいかなる賃上げにも結びつけられていない。それは私有部門の被雇用者に対しては、失業と疾病の社会保障拠出の引き下げによって、部分的に「埋め合わされる」だろう。
左翼政権がつくり出したCSGは、社会的保護の国家的引き継ぎに向けたトロイの木馬になっている。社会保障拠出は事実上、社会的保護(疾病、年金、その他)に資金を融通するために貯められた、賃金の社会化された部分だ。雇用主の目的は、社会保障の国家による引き継ぎによる、社会保障拠出の全面的な圧縮だ。それは事実上、最貧困層に対する最低限の保護を確保するだけになり、その他は私的保険に任されるだろう。
砲列の次にくるものが失業手当だ。拠出を基礎とした失業保険は、CSGから資金を受ける一つの方式に道を譲るだろう。マクロンはこの新しい失業手当方式を、市場における公平性と流動性がより高まることに備えた、「普遍的権利」と表現する。
そのモデルは、退職者への拡張(企業で五年の年功を積んだ後での五年間ごとに)、および自営の者(芸術家、トレーダー、自由主義的専門職、農民、その他)への拡張というおおっぴらな気前の良さの下で、最大多数の者に対しては最低限の均等率、払う能力のある者に対しては私的保険、というものだ。これは具体的には、より短い労働期間に対してはむしろ低額となり、失業とではなく失業者それ自身と闘うようさらに仕向けるものとなるだろう。まさにこれは、貧困をひどくし、最貧困層に汚名を着せる構想だ!

正体いつわる「みどり派」気取り


COP21の中で気候変動との闘いの擁護者を気取ったオランド同様、マクロンもエコロジーを自慢できる一論点にした。気候変動否定論者のトランプ選出は、「わが地球を再び偉大に」に対する機会を彼に差し出した。スター的テレビ人であると共に市場エコロジーの化身であるニコラ・ユロの環境相指名は、ある種の戦利品となった。
「気候ファースト法」として広められた、いわゆる「炭化水素採掘禁止」に関する法は、それらの「漸進的な終焉」を想定したものにすぎず、採掘権の更新不承認も非従来型炭化水素(シェールガスやシェールオイルなど:訳者)の即時禁止も規定していない。フランスでの炭化水素採掘は、「経済的な均衡条件の獲得をめざして」、二〇四〇年の先まで可能なままとどまるだろう。
二〇二五年までに原発電源比率を五〇%までに、というみみっちい引き下げがエネルギー移行法の中で二〇一五年に規定されたが、ユロは目標期日の延期を公表した。こうしてEDF(フランス電力)は使い古した発電所の操業を継続できる。その上彼は彼の後退をあつかましくも、気候の防衛と石炭への回帰に扉を開かないという彼の切望によって正当化する。
そして冷笑的にも政府は、太平洋諸島での気候変動の作用と闘う諸計画(ソーラーパネル、洪水対策シェルター、その他)に資金を提供することに向けられた二二〇〇万ユーロの配分を、次期の財政法で押しつぶそうと企てた。この「等価グリーン投資」を復活させるためには、議会での票決が必要になった。
二〇一七年一二月一二日(パリ協定一周年)、マクロンは、「一つの地球サミット」を組織したが、それは、神聖不可侵の私的イニシアチブの点で名誉ある場を与えられたHSBC(HSBCホールディングス、英国に本店を置く世界最大規模のメガバンク:訳者)やAXA(アクサ、フランスの保険金融グループ:訳者)の類を引き連れた、資金の話題は多くあるもののほとんど気候はない、気候・財政サミットだった。大げさな諸声明と小さな諸々の決定(たとえば除草剤)があったが、それもマクロン―ユロ二人組の深く生産力主義的かつ破壊的な政策を終わりにできるものではない。それらの政策には、諸々の高速道路計画や他の大規模な破壊的計画の遂行(ノートルダム・デランデにおける空港計画に関する決定をわれわれがまだ知らされていないこの時点で)、産業的農業に対する支援などがある(つい先頃、上記空港計画は最終的に撤回された:訳者)。

永続的「非常事態」による統治

 フランスは、テロリストの攻撃への対応として、非常事態が発動された欧州では唯一の国だ。それは、そうした攻撃には効果がないとしても、二二ヵ月で六回も更新されてきた。諸々のデモに対し数百件もの禁令が発行された。この警察の暴力と一体的に、差別と人種的情報収集が積み重なってきた。
マクロン政府は、非常事態を終わりにするという口実の下に、「国内安全保障の強化、およびテロリズムとの戦い」という文書を大急ぎで通過させた。それは、非常事態を特性づけた、基本的諸権利と本質をなす諸自由をそこなう主な条項を一般法の中に持ち込むものだ。これは、一五年で一二回目の治安法だ。それは行政機関と警察に、いかなる司法的統制からも離れて、自宅軟禁や特定の場への「登場禁止」、捜索と押収、身分証明統制の拡張、広大な「保護域」を超えた荷物・車両検査、そこで広められると思われる「理念と理論」を唯一の根拠とした礼拝場所の閉鎖、といったことの強要に権限を与えている。そして警察はこれまで裁判官の統制から逃れるこことができ、嫌疑が証拠に取って代わっている。

国家的レイシズムが戦略の軸に


マクロンが昨年七月、その年暮れまでに「森や街頭にいる人がもはやいない」ようにすると誓った時、明らかに理解されたことは次のことだった。つまり、彼の政府は、はっきりと移民締め付けに向かい、彼らが到着を試みると思われるあらゆる場所を系統的に解体し、彼らの支援者を追跡しその行為を犯罪にするだろう、ということだ。内務相は二〇一八年に向けて、「国外追放権の保証と統制された移民のための」一つの法案を準備中だ。その目的は、九月はじめの知事たちに向けた演説の中で、マクロンから明らかにされた。その演説は、「出身国に戻す措置を改善することを可能にする」方策を約束していた。それは疑いなく、今後共維持されることになる約束だ!
しかし制度的レイシズムは、移民に対するスキャンダラスな扱いをはるかに超えて延びている。先頃の一つのエピソードがそれをはっきり示している。国民教育相のジャン・ミシェル・ブランケールは、極右が始めたキャンペーンを取り上げて、ツイッターでまた国民議会を前にして、学校における反レイシズムに関する組合の訓練課程を理由に、SUD教育全国連合93労組を公然と攻撃した。そこに突き動かしたものは、レイシズム的抑圧の仕組みを解体するために、二つのワークショップが分離されていた(九つから)ことだった。その上この閣僚は、「国家レイシズム」という言葉を使ったことを理由にこの組合を名誉毀損で訴える、と脅した。あたかも彼の介入自体がそれを示すものではないかのように、だ! 全体としてのレイシズム、特にイスラム嫌悪が、非常事態を正統なものにしようとする戦略において、決定的な場を占めている。

フランスに見る世界的反動攻勢


極右の本物の印である国民性の喪失に関するオランドの主張、ヴァルスによる反ロマの諸言明、極右市長が仕掛けたイスラム嫌悪のブルキニ(イスラム教徒の女性用としてデザインされた水着)反対キャンペーンに対する彼の支持、さらに警察の暴力は、民主主義の領域においては少なくとも、右翼とPSの間には一定の違いが残っている、と考えていた多くの人に衝撃を与えた。今やマクロンの下に結集しているヴァルスは、全体としてはほとんど隠しようもないイスラム嫌悪の仮面にすぎない戦闘的世俗主義を基礎として、逆行的立場を取ることを専門職にするまでになった。もっと世界的には、はびこる空気に対決して闘ってきた独立的ウエブサイトのメディアパートとその代表、エディ・プレネルに敵対するそれのようなキャンペーンがある。
右翼の側ではフランソワ・フィヨンが、ゲイ結婚反対の部分、サーンス・コマン(「常識」、前記の反動的なデモを諸々組織してきた)の部分、カトリック右翼、伝統主義者、イスラム排斥かつレイシストの部分といった、右翼支持者のもっとも反動的な部分を動員することにより、LR予備選を勝ち上がった。この分派の力と代わりになる回答が何もないことが彼に、彼が「職ねつ造」スキャンダルに巻き込まれた後であっても、候補者としてとどまる余地を与えた。スキャンダルをはねのけた大統領選における二〇%という彼の得票率は、この超反動的極が保持している重みを示している。この分派は選挙の敗北後も、ローレン・ヴァキエの下で、党の中で残っているものを掌握している。

極右伸長の根拠はなお無傷


大統領選第一回投票でルペンが受け取った二一・三%という得票率は確かに予想より低かった。しかしそれは七六〇万票であり、極右は、第一回投票では史上最良の結果を得たのだ。第二回投票でも、彼らは一〇六〇万票以上獲得した。議会選結果は相対的な後退と見ることができるが、八人のFN議員が誕生した。そしてその中の四人は、フランス北部の鉱山地帯選出であり、彼らはそこに、実体的に根を張った活動と選挙上の領地を築き上げた。
FNはこの一連の選挙をもって、再びより多くの根を下ろし、その活動を特異には見えないものにすることに成功した。大統領選第二回投票へのその登場も、相当な規模をもつデモに導くことにはならなかった。この普通化は、政治的議論におけるある種世界的な移行、かつては極右と結びついていたが今ではほとんどすべての政治的議論に表れている言葉と手法による一種の伝染、に帰すことができる。
FNは今も、その歴史、参照点、また指導部の構成といった点で、ファシストのままだ。しかしその支持者は混合体であり、新自由主義的グローバリゼーションに打ちのめされた民衆諸階級の一部から、対立する階級的利害を抱えるブルジョアジーの一部まで広がっている。諸々の選挙の結果は、もっとも反動的な右翼との連携を主張する者と、民衆諸階級を標的にしつつ「左でも右でもない」ユーロ離脱路線を支持する者の間の、内部論争をよみがえらせている。その議論は、過去に例があるように(自由市場に対するレーガンばりのはやし立てから、欺瞞的反新自由主義のレトリックへの)、EUに関する場合の限り、実体のある変曲点を示す可能性がある。
その台頭を支える底に潜む根拠――新自由主義諸政策の破壊的作用、および労働者運動、その集団的な組織的ツール、参照点、文化の後退――が今なお存在している以上、それが表す危険性を過小評価すること以上に危険なことはないと思われる。マクロンがしたがっている諸政策は、かつての政権が追い求めたそれを急進化し、系統的なものにしているに過ぎないのだ。したがってそれは、不安定性、被雇用者間競争、個人主義化を高めるだけだろう。
マクロン政府の最初の六ヵ月は、搾取され抑圧される者に重い結末を残す、改悪政策の適用を特徴としてきた。それは反社会的、反エコロジー、反民主主義の退行だ。その多面的で由々しい危険をはらむ退行に決起が対抗できていたならば、この新自由主義の津波は一つの民衆的反乱に導いたと思われる。われわれはまだそこにはいず、必要なものからははるかに遠いところにいる。

民衆諸層の統一が今こそ決定的

 抵抗はあるが、しかしXXL雇用法に関する指令は議会の承認を受けた。逆説的なことに、これらの手法は大いに不人気であり、マクロン自身の支持率は急速に降下した。しかしこの間反撃は相対的に弱いものだった。
労働組合の反応は、以前の雇用法に関する二〇一六年のそれよりも弱かった。その一指導者が直接雇用省官房の一員になっている「労働者の力」(FO、主要労組連合の一つ:訳者)の脱落は、FSU(教員部門の多数派組合)参加の大きな落ち込みと共に、闘いの主体をCGT(労働総同盟)とソリデール(SUD、連帯統一民主労働組合)二つにまで切り縮めた。
夏前のはじめから労組諸組織は対応が遅く、諮問というある種のまがいものに戦場を明け渡し、その動きを何ら制約しなかった。諸労組は、ほとんど草案にもなっていなかった諸々の文書その他を別々に受け取っていたのだ。しかしながら夏季休暇前に、九月一二日の一日ストとデモが公表され、労組の活動部隊にその準備に時間をさくことを可能にした。
この行動は、特に小規模企業の場合を含んだ私有部門の十分な決起により、紛れもなく成功だった。しかし公共部門の大部隊が不在だったことがデモの規模を引き下げた。急遽決起の新しい日取りが九月二一日と定められた。しかしそこに期待された拡大は起きず、逆に参加人数は町ごとに、半分から三分の二まで減少した。
六万人の参加者があった、ジャン・リュク・メランションの不屈のフランス(FI)が呼びかけた全国デモは、引き潮になるとの予想をはね返す成功だった。一〇月一〇日の労組横断アピールに反応したのは、この日並外れて大衆的な規模で決起した公共部門の労働者だけだった。他方、拡大を訴えた僅かな部分(私有部門の諸連合と支部労組)は、その動きを職種横断的な一日行動にすることができなかった。最後の行動日だった一一月一六日は予想通り後退となった。
明らかに示されていることは、実のある集中力を欠いた連続的な行動日という以外の動員計画がまったくない、ということだ。政治勢力と労組の統一がこの間不在を続けてきた。われわれはこの間、決起の有益性、また勝利獲得の可能性を人びとに納得させることができずにきた。そして雇用法や年金に関するこれまでの敗北が、重くのしかかっている。
新自由主義の反革命は、大量失業、大きな生産単位の断片化、企業内における集団的労働の破壊、不安定性を内包する臨時労働とあらゆる形態、また外注化に映し出されている。こうしたすべての要素は、労働者階級をもっと異質化し、断片化し、そこにはその中心性を通じそれを軸として他をひとかたまりにできるものとしての、いかなる要素も欠けている。
したがって統一の問題は、何をさておいても、地位、雇用条件、あるいは雇用経験不在や年齢、また出自やジェンダーによる抑圧その他によって分断された部分の統一という問題だ。そしてこの統一は、政府、その指令、および「彼らの世界」(二〇一六年の反雇用法運動によって、「ノートルダム・デランデの空港とその世界に反対する」闘争から取られた表現)と対決する政治性においてのみ可能となる。
部分的勝利ですらが、マクロンの綱領の適用を彼に止めさせるような一つの政治的危機をつくり出す能力にかかっているのだ。そしてそのような政治的危機は、いくつかの要素が収斂する結果としてのみ可能になる。そこには明らかに諸々のストライキ、ここまでのところ事実上不在の強力な若者の運動、民主的大望の爆発、またあらゆる形態の自己組織化や議論と政治をあらためて取り入れること、が含まれる。
この数カ月、いくつかのしばしば困難で長期の闘争が、清掃や商業や私立医療施設といった、もっとも不安定かつ女性が多用される部門内部にある一つの真実を指し示している。多くの活動家グループ(市民団体、学童の両親、教員その他)は、移民の引き受け役やその法的防衛の役を保証してきた。一二月一五日のメントンにおけるデモは、この闘争に全国的な可視性を与えることに向けた第一歩だ。数十の共同運動体が、ノートルダム・デランデ空港計画反対闘争の象徴化の先で、核廃棄物の閉じ込め、高速道路、またショッピングセンターといった破壊的な諸計画に反対して決起中だ。

潜在的強さ殺すFIの重大欠陥

 伝統的な社会民主主義の左翼に関しては、事実上ブノア・アモン(昨年の大統領選に対するPS候補者:訳者)の運動しかない。PCF(フランス共産党)は、その国民議会議員グループを救い出すことに成功したとはいえ、その引き続く選挙での後退をもって危機の中にとどまり、FIによる吸収とその独自性のセクト主義的再突き出しの間で政治的にジグザグしている。
大統領選第一回投票でジャン・リュク・メランションが達成した高い得票率(一九%以上)は、緊縮反対、大規模な生産力主義的諸計画反対、非常事態と移民に対する締め付け反対の、いわば階級的投票の結果だった。しかし選挙での成功は一つのことであり、解放を求めるオルタナティブの構築はまた別のことだ。
FIの最初の内部会議は昨年一一月二五―二六日に開催された。それは、全国キャンペーンが優先すべきものを選ぶ六万九〇〇〇のオンライン投票をもって、またそこで上位に現れた反貧困の闘い、耐久寿命が終わりに近づいた原発の閉鎖、そして脱税やごまかし納税反対という両者をもって、この運動がもつ潜在的な強さを示している。
しかしこれは、FIの大きな矛盾の一つだ。つまり、この運動の「原則」が「集団的かつ透明な」を断言しているのに、事実上オンライン意見聴取が、その主要な路線とキャンペーンを決定するあらゆる討論に関し採用されているからだ。それによってわれわれに与えられるのは、議論の交換、共同の信念、集団的練り上げに代えて、指導部の提案に対する承認(あるいは否認)なのだ。
「行動グループ」(キャンペーン支援グループに置き換わる)の組織化は、それらからあらゆる権力を奪う諸規則によって、約束された自律性とは大きく異なる。参加人数は一五人を超えてはならず、他方、「グループやグループの集会はいかなるものも永続性をもつ中間的な構造となってはならない」のだ。またそれらには財政的自律性もまったくない。それは、「市民の革命」とはかけ離れた、垂直的で階層的な実体だ。
これは、魔法の療法と見られているケインジアン的通貨再膨張策から国際問題やEUにいたる、鍵を握る課題に関する根本的な論争を不可能にする。不快を催させるレイシズム的キャンペーンにさらされたFIの議員、ダニエレ・オボノに関する連帯の欠如は、討論が封じられているこれらの底深い裂け目の表示だ。
そしてそうであっても、レイシズムとイスラム嫌悪と対決する闘争、同権に関する非妥協性、国際主義、フランス帝国主義反対の闘争、そして植民地の自己決定権は、左翼のオルタナティブ再構築にとって付録ではなく、その不可欠の要素なのだ。
最後の点として、消え去ることが宿命づけられている他の形態に取って代わる運動としてのFIという考え方そのものが、それは彼らの指導者に従って具体化された「民衆」理念によって鼓舞されているのだが、統一を求める取り組み方の不在を正当化している。これは、マクロンの「社会的クーデター」に反対する九月二三日のデモで示された事例だった。FIの意図的に孤立し独自性を基礎に置いた取り組みは、うまいアイデアを台無しにした。社会運動は全体として力の誇示に成功することを必要としていた。マクロンと彼の政策に対決する全国デモというアイデアは、それがもし基層レベルで、決意をもって、統一を基盤に準備されていたとしたら、闘争と組織化と連帯という集団的ツールの再構築に向かう出発点として、いいアイデアだったのだ。

再獲得されるべきヘゲモニー

 マクロンは、社会に関する世界的構想、いわば「純粋資本主義」のそれを実行中だ。われわれは、諸々の敗北からなるひどいサイクルを断ち切るために、現場と全国における社会的抵抗と民主主義の抵抗の共同戦線を築き、統一的で連合した決起のツールを再建し、「安心できる生活」の社会を基礎に置く抜本的なオルタナティブである、連合的で統一的な構想を生き返らせる必要がある。そしてその構想では、基礎的な社会的必要を無料で満たすこと、労働時間削減、労働の内容、組織、また目的に対する統制、実体のある民主主義と同権と一体的に、賃金は生活に結びつけられるのだ。
この解放の構想は、諸々の決起や経験や、互いを対比でき豊かにし合うことができる部分的なオルタナティブと、無関係に書き上げられてはならない。それは、行動のこれらの違いを認識し尊重することに関わっている。それだけではなく、グローバルな資本主義に対する全体的な批判にそれらがどれだけ不可欠かを理解することにも関わっている。この資本主義は、賃金労働の搾取に切り縮めることができるものではなく、自然の搾取と破壊を、また抑圧と差別のあらゆる形態を、その利潤のために再組織し強化しているのだ。支配的影響力を発揮できるエコ社会主義の構想とは、個人の熱望から始まる平等を求める希求の再活性化によって、権力と対決する戦略と暮らしそれ自身の組織化の間を接合することによって、幸福を基礎に置く共同の世界を再獲得することだ。

▼筆者は、化学部門の労組活動家であると共に、フランス反資本主義新党(NPA)の全国スポークスパーソン。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一月号)      




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