もどる

    かけはし2018年2月12日号

被害と分断にどう立ち向かうか


読書案内

『しあわせになるための「福島差別」論』

容易に越えられぬ「溝」に直面して

原発事故がもたらした差別・分断


 『しあわせになるための「福島差別」論』(以下『「福島差別」論』/かもがわ出版/二三〇〇円+税)が発行された。奥付には一月とあるが、昨年末には書店で入手できたようだ。出版社HPの「営業だより」をざっと引用〜要約したのでまずは参考にしてほしい。
――福島第一原発事故から七年が経ち、多くの調査や検証がなされ、汚染の状況や被曝の実態は、かなりの部分が明らかになった。にもかかわらず、研究者同士の異なる見解の溝はなかなか埋まらず、被災者間の分断はさらに深く複雑になり、福島県民へのいわれのない差別もなくならない。『「福島差別」論』は、原発事故がもたらした差別と分断をどう乗り越えていくか、について書かれた本。「それぞれの判断と選択をお互いに尊重すること」「科学的な議論の土俵を共有すること」この二点が問題をとくカギになると本書は説く。しかしそれが簡単ではないことが、この本を読むとよくわかる――

「反原発リベラル陣営」から

 著者は一四名。表紙のイラストを描いた松本春野は自身のブログで「主な編集を担ってくださったのは福島大学名誉教授の清水修二先生です」と記す。企画段階からのメンバーは清水・松本のほか、池田香代子・開沼博・児玉一八・野口邦和の六名。安斎育郎・一ノ瀬正樹・大森真・越智小枝・小波秀雄・早野龍五・番場さち子・前田正治の八名には「執筆をお願いした」と清水はまえがき≠フ付記に書く。また付記には「内容については執筆者が責任を負い」、「原子力発電所の是非について〜中略〜前提に」しておらず、「はっきり見解を表明している記述があるとしても、それは全体を代表するものではありません」とことわりも忘れない。
本紙第二五〇一号の「福島からの報告―7年目を迎える原発事故被害者」で世田さんが「目を逸らす動き」のなかで指摘した「高校生に放射線影響の低さを発表させたり、原発構内に入らせ事故は収束し廃炉工程が安全に前進しているかのような印象を与えようとしてきた学者」は、執筆者の早野龍五東大名誉教授のこと。書名自体が「これからは楽しくかかわる方法を探求すべき時期」との悪罵≠ニも取れなくはない。早野の行動や発言を知るには糸井重里との共著『知ろうとすること。』(二〇一四年/新潮文庫)、ニュースサイト「SYNODOS―シノドス―」の記事が詳しい。評者(斉藤)は早野の行動による研究成果は「事実である」として受け入れる立場である。
再び「営業だより」を引用する。
――第一章では被害の全体像と現状についてまとめ、第二章では福島県民に向けられている差別や偏見をどう乗り越えるかについて実体験を交えて論考する。第三章は放射線被ばくの現状や帰還基準・除染目標の数字などを専門家が科学的に分析した論稿。第四章は放射線被爆による健康被害、とりわけ小児甲状腺がんの問題について詳しく解説。第五章では、事故現場の現状と廃炉についての見通しと課題について論じる――
一月二八日に開催された出版記念シンポジウム@東京では菊池誠大阪大学大学院理学研究科教授がコメンテーターを務めた。菊池はパワーポイントで第一章と第二章を「差別事例のまとめ(松本)は有用」としながら、「これは反原発左翼の自己批判のための本だろうか?(池田・松本・児玉)」と問題と論ずる。
第一章で清水は次のように書く。
――被災地福島に対する差別的な発言はSNSなどを通じて匿名でなされることが多いので、その政治性な性格を軽々しく云々することは控えるべきでしょうが、それらが「反原発リベラル陣営」から発せられる傾向のあることは否定できない〜中略〜正義感やヒューマニズムから発せられる善意の声であると少なくとも当の本人は確信しているに違いありません――
第二章で松本は「不安・恐怖が生む差別と排除」の項で事例を取り上げる。二〇一一年九月と一〇月に大阪で行われた宗教者による過激な表現で反原発を訴えた「葬列予報デモ」=A一五年一〇月の「生活の場」国道六号線、清掃活動に誹謗中傷千件=A一六年初夏のグリーンコープ連合のお中元カタログからの東北応援フェアからの(福島)除外≠ネどだ。「不安は、大きく煽られると、取り返しのつかないほど増殖する場合がある」「今、ネトウヨは、外国人を排除しています」と警鐘をならす。
著者複数で共通するのが「被爆二世」への遺伝的影響の否定だ。松本は次のように書く。
――「ピカは伝染る」と囁かれ、戦後も結婚差別に苦しんだ広島や長崎の人々の悪夢が再び、震災直後の福島にも起こりました。「宇宙人のような子どもが生まれ」と婚約者の家族から恐れられ、ある女性の結婚は破談となりました――
本は違うが、今中哲二は『サイレント ウォー―見えない放射能とたたかう』(二〇一二年/講談社)で次のように書く。
――私としては、研究者として、事実一般をはっきりいえること∞よくわからないこと∞そんなことはなさそうだ≠ニいう三つに整理しながら考えるようにしています。広島・長崎原爆による被爆二世への遺伝的影響については、放射線影響研究所の調査結果に基づいて、「あったとしても容易に大きくはなかった」とはっきりいえる≠ニ思っています――

共産党支持層の「幅」


菊池はパワーポイントに「福島県外在住反原発左翼向けの本で済ますには第三章以降がもったいない」と記している。日本共産党支持層間の立ち位置の違いも垣間見える本だ。
児玉・清水・野口の三名は、『放射線被曝の理科・社会―四年目の「福島の真実」』(以下『理科・社会』/二〇一四年十二月/かもがわ出版/二三〇〇円+税)の著者だ。『理科・社会』のオビに「『美味しんぼ』騒動で明るみに出た放射線被曝の影響に関する世論の分裂。この問題での対立が、原発をなくしたいという国民の合意をも分裂させる現状に危機感を抱いた科学者が、自然科学と社会科学の両面からこの問題を解明する」と科学≠強調した本だ。著者略歴には三名とも日本科学者会議原子力問題研究委員会に属し、野口は委員長とある。いっぽう、『「福島差別」論』の著者略歴には日本科学者会議とは書かれていない。
日本共産党の影響下にある日本科学者会議の記載がなくなった理由はなにか。日本共産党支持者の間で、また日本科学者会議が組織としても低線量被曝の影響についての評価が定まらないことが理由のひとつとみる。
日本科学者会議は会員がおこなった研究成果などを電子の形態で発表する場として二〇一二年六月に「JSA eマガジン」を開始、その第一号が沢田昭二名古屋大学名誉教授の『放射線による内部被曝』だ。沢田は『封印された「放射能」の恐怖』(クリス・バズビー著/講談社/二〇一二年七月)に「友・クリス・バズビーの闘い」と題した解説≠寄せ、「二〇一一年の会津若松での講演会でも、彼が私を共同講演者に指名してくれた」と述懐している。バズビーはECRR(欧州放射線リスク委員会)科学委員長、ECRR欧州議会内の欧州緑の党のイニシアティブで組織され、「新しい合理的な放射線リスクのモデルを開発するという難しい課題にとりくんでいる」と『二〇〇三年勧告』日本語版へのメッセージを送っている(美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会HPより)。
バズビーを招聘したのはふくしま集団疎開裁判の会(現・脱被ばく実現ネット)。池田は『「福島差別」論』に「首都圏反原発連合(反原連)は、さまざまなグループの集まりですが、遅くとも二〇一三年の四月の始めには、福島の子供は法的強制措置をとって集団疎開させるべき、と主張する団体とは袂を分かっている」「反原連周辺の人々の被曝観にはかなりの幅がありますが、それでもここまでの極論は避けたのです」「どんなに極端な脱被曝論も受け入れる、ということではありませんでした」と官邸前金曜行動を述懐する。

原発のない福島を!県民集会へ


ここでお詫びである。第四章、五章にはたどりつけなかった。児玉による甲状腺がんについての三つの項は福島県の甲状腺検査評価部会の最新のテーマとリンクしており、近日中に別稿を立てたい。五章は開沼の評価の価値は感じない文章だったとだけ述べておく。また、清水の「反原発リベラル陣営」という概念と差別論の関係を深めたいとも思う 
清水は二〇一二年から続く「原発のない福島を!県民大集会」の一一名の呼びかけ人のひとりで、集会アピール作成の中心的な人格であろう。本紙で世田は「内堀県政のもとでの復興イベントの一部に変質させようとする動きすら現われてきた」と報告している。三月一七日に予定されている今年の集会は、はじめて旧避難区域内の天神岬スポーツ公園(楢葉町)で開催される。会場選定の是非が取りざたされていたとも聞く。会場へのアクセスの課題もあるが、被ばく≠めぐる意見の幅もあるだろう。
挫折しかけている読書案内ではあるが、「二〇一八原発のない福島を!県民大集会」への参加をよびかけを今回のまとめとしたい。 (斉藤浩二)



もどる

Back