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    かけはし2018年2月12日号

選挙の敗北をのりこえ辺野古新
基地阻止の闘いを前進させよう



沖縄報告:2月4日

2・4名護市長選・市議補選

沖縄 K・S

 二月四日投開票の名護市長選・市議補選は敗北した。 過去四年間の有権者は四・七二%、二二〇〇人増えた中で、稲嶺候補の得票数は三〇〇〇近く減り、相手候補は五〇〇〇近く増えた。市長選挙を前にしたタイムス、新報、共同通信の名護市民世論調査で「普天間の辺野古移設反対」と「どちらかといえば反対」が合わせて六六%、「翁長知事支持」が六五%を占めたのとは逆の結果だ。辺野古反対・翁長支持のかなりの部分が自公維の候補に流れたことになる。NHKによると「どちらかと言えば反対」の層の約六〇%が渡具知候補に投票したという。埋め立て工事の進行が「どうせ反対しても工事が止まらないのなら経済振興を」という方向への圧力となったのだ。
 安倍官邸は国策に果敢に立ちはだかる稲嶺名護市政をつぶすために周到な準備をし万全の選挙態勢をつくり上げた。前回自主投票の「辺野古基地反対」の沖縄公明党に対し、辺野古については賛否を明らかにせず「海兵隊の県外移転」を確認することで取り込み、公明党・創価学会の行動力を最大限に引き出した。自公に維新を加え自公維の体制をつくり、閣僚、国会議員、秘書団を総動員して企業・団体を締め付けるとともに、小泉、三原、小渕などタレント議員を投入して浮動票集めに奔走した。激しい攻防の中、事前投票は空前の四四・四%に達した。
 渡具知陣営は「辺野古のへの字も言わない」作戦を徹底して辺野古を争点とすることを避け、公開討論会への出席を拒み続けた。政策は道路建設の促進や劇場の建設、ごみ袋の簡素化などという身近なことばかり。そして「稲嶺市政の二期八年で名護市が停滞している」「基地問題に関わりすぎ」「市の借金を増やした」などの印象操作やデマ宣伝を行ない、「政府と対立するだけではいけない」と国の予算で名護市の雇用・経済の発展が図られるかの期待を振りまいた。彼らの目的はただ一つ。稲嶺市長を批判し名護市民の目と耳と頭を曇らせて票を集めることだった。メディアも「基地か経済か」という安易で誤った争点設定で選挙民を混乱させた。こうしてかなりの部分が相手陣営に投票した。
 その結果、基地に依存しないまちづくりに奮闘し「今度の選挙に勝てば相手は三度目のダウンでノックアウトだ。辺野古に終止符を打つ」と頑張ってきた現市長を落選させてしまったのである。名護市民は稲嶺市政を守り抜くことができなかった。中学校までの医療費無料化、全教室クーラー設置をはじめ「再編交付金」に頼らない福祉予算の大幅増額など、過去二期八年の実績で示された稲嶺進現市長の平和行政の手腕を失うことになったのは名護市民だけでなく県民にとっての損失だ。
 二〇年前、「新基地反対」との名護市民投票の結果に反して基地受け入れを表明して辞任した比嘉鉄也元市長は、今回自公維候補が当選したことを喜んで「国防には県ましてや市が何かができるわけがない」と述べたという。まさしくこのような国家に絶対服従の奴隷根性が戦後沖縄を軍事基地の島として縛り続けている要因だ。翁長知事や稲嶺市長が地方自治体の行政権限を最大限駆使し県民の命と暮らし、地方自治と民主主義をまもるために必死に努力してきたことが分からないのだろうか。名護市民は遠からず、日本政府の言いなりになるだけの新市長の姿に幻滅することになるに違いない。
 安倍は早速辺野古推進を言明したが、新市長が誕生したからといって基地建設が順調に進むわけではない。名護市民だけでなく、県民の辺野古NO! の民意は継続している。名護市議会は依然辺野古反対が多数を占めているし、翁長県政もまた辺野古反対の立場を変えていない。何より、現場での屈しない闘いがある。選挙の敗北をのりこえ、辺野古新基地阻止の闘いを前進させよう!

有権者数  48,781 (46,582)
投票率   76.92%(76.71%)
投票総数  37,524 (35,733)
稲嶺進   16,931 (19,839)
渡具知武豊 20,389 (15,684)

カッコ内は前回2014年市長選。相手候補は末松文信(自民)。今回は自公維。

2.3

市長選勝利、新基地阻止

ゲート前市民集会
に500人が結集


 二月の第一土曜日県民行動となった二・三辺野古ゲート前集会は県内外から五〇〇人が結集し、名護市長選・市議補選勝利、辺野古新基地建設阻止に向けた決意と団結を固めた。この日の進行担当は統一連の中村司代表。奥間政則さんが大浦湾の活断層と基地建設の危険について、北上田毅さんが埋め立て工事の現状と名護市長の権限について詳しく報告した。
 平和市民連絡会の高里鈴代さんはオール沖縄会議がタイムス、新報に一面広告を出したことを報告し、「日本政府はまくら言葉のように沖縄の負担軽減を宣伝するが実は全くの逆。辺野古の新基地建設、高江、伊江島、宜野座やうるまの訓練など内実は負担の強化だ。やんばるの森ではオスプレイの訓練が始まってからノグチゲラの死骸が五羽発見された。日本政府は宮古、石垣、与那国で自衛隊基地を造り軍備拡大を進めている。京都の京丹後では米軍の]バンドレーダー基地が新たにつくられた。韓国でも米国でも日米の共同訓練が進んでいる。STOPをかけなければいけない」と述べた。
 午前一一時には、テント前の国道に市長候補・稲嶺進さんと市議候補・安次富浩さんの宣伝カーが到着し二人並んでアピールを行なった。稲嶺市長は「いよいよ明日は答えを出す日だ。小学校六年生の女の子から手紙をもらった。基地のある名護市はイヤ。オスプレイの飛ばない普通の暮らしがしたい。戦争はイヤ。家族みんなで応援していると書いてあった。子供たちも心配している。子供たちの安心の未来を造るのは大人の責任だ。基地建設を止めるために明日の選挙に勝たなければならない」と訴えた。
 まよなかしんやさんも元気な姿を見せ声を限りに「いのちの海に基地はいらない」と歌った。丁度この日がしんやさんの誕生日。みんなでハッピーバースデイを歌うと、しんやさんは「ありがとう」と答えた。

2.3

ススム・アシトミ必勝集会

3000人の大結集

交差点埋めつくし必勝誓う

 投開票を翌日に控えた二月三日夕、名護市大北の「洋服の青山」前交差点で稲嶺市長、安次富市議の必勝をめざす大集会が開かれ、三〇〇〇人が交差点を埋め尽くした。
翁長知事は「沖縄に対する日本の政治は変わっていない。数年前沖縄を訪れた参院特別委の自民党議員は、本土が嫌だと言っているんだから基地は沖縄に置くべきだ、不毛な議論は止めよう、と言った。今朝の新聞で安倍首相は、本土の理解が得られないから基地は県内移設になり沖縄の負担軽減の成果が上がらないと述べた。今も同じだ。相手候補の政策は道路がどうのなど三〜四年の話ばかりで、五年、二〇年、五〇年先の沖縄については何もない。これが向こう側のやり方。辺野古に新基地が造られオスプレイが飛び交う沖縄に未来はない」と訴えた。

2.1

沖縄県議会が満場一致で決議

民間地上空の飛行中止!

普天間の即時運用停止!


沖縄県議会は二月一日、相次ぐ米軍機の危険な事故と日米両政府の無責任な対応に抗議し、米海兵隊普天間飛行場の即時運用停止を求める意見書・抗議決議を満場一致で採択した。あて先は意見書が日本政府関係、抗議決議が米軍関係となっている。
「たび重なる米軍ヘリコプターの不時着事故と普天間第二小学校の上空飛行に関する抗議決議・意見書」は、「沖縄は米軍の植民地にあらず、沖縄県の要請や県議会の決議を真摯に受けとめ遵守するべきである」として、
1 保育園・学校・病院・住宅などの民間地上空での普天間飛行場所属の米軍機の飛行・訓練を直ちに中止すること。
2 政府が約束した二〇一九年二月末日を待たず、直ちに普天間飛行場の運用を停止し、普天間第二小学校の運動場が使用できるようにすること。
3 日米地位協定を抜本的に改定すること。特に、「日米地位協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律」を廃止し、日本の航空法を遵守すること。
4 在沖米海兵隊を沖縄から早期に国外・県外に移転すること。
を要求した。

基地のない未来を
沖縄の声全国へ
これは県民の総意だ。翁長知事は「県も同じ気持ちだ。一丸となってやれる状況が生まれてきた」と、県議会決議を歓迎した。琉球併合から「皇民化教育」に洗脳され沖縄戦の「六〇万県民の総決起。軍官民共生共死の一体化」に身を捧げた県民はもういない。命どぅ宝。県民は自分自身と子や孫の命をまもるために闘うのだ。
二〇一七年の沖縄の観光客は九三九万六二〇〇人。ハワイの九三八万二九八六人を上回った。うち、外国人観光客は二五四 万二二〇〇 人。台湾、韓国、香港、中国が四分の三を占める。独自の歴史・文化、亜熱帯の海と森を生かして沖縄がアジアの架け橋として発展するうえで、米軍基地は足かせだ。基地のない未来に向かおうと努力する沖縄の声を国民の間に広く届けよう。

1.31

辺野古ゲート前の攻防

1分1秒でも搬入を遅ら
せるための身を挺した抵抗


一月三一日水曜日の辺野古ゲート前行動は、朝昼午後計三回の資材搬入の強行と県警の強制排除に抵抗する闘いとなった。この日の担当は平和市民連絡会の女性陣。午前は高里鈴代さん、午後は宮城恵美子さんがマイクをとった。
第一回目の資材搬入・強制排除は九時前から行われた。機動隊が座り込みの一人ひとりをゴボー抜きし歩道上のオリに囲い込んだ後、大中小の砕石、砂を積んだダンプ、ユンボを積んだトラック、生コン車など工事車両を入れて出すまで一時間余り。その間ゲート前は、「子供たちの未来のために基地を造るな」「県警は不法工事に加担するな」など、座り込み参加者によるマイクとプラカード、声による強い抗議がうず巻いた。
進行の宮城さんは、砂川事件での伊達判決とアメリカの圧力を受けた最高裁田中裁判長の強権的な訴訟指揮を明らかにして、以来続く米軍について司法判断をしない日本の裁判所の現状を強く批判した。刑特法違反で逮捕起訴された被告たちに無罪という東京地裁の伊達裁判長の判決(一九五九・三・三〇)は高裁への控訴をパスして最高裁への上告で覆され、東京地裁に差し戻された砂川裁判は、伊達裁判長とは別の裁判官の下で、罰金二〇〇〇円の有罪判決を宣告した。伊達判決の翌朝八時にマッカ―サー駐日大使が閣議前に日本の外相と会談し具体的な指示を与えたことが明らかとなっている。詳しくは『検証・法治国家崩壊―砂川裁判と日米密約交渉』(創元社、二〇一四年)などを参照。
水木のゲート前行動には、集中行動が始まって以来、負傷者が出たり体調不良に陥るのに備えて、全国各地から常に二人の救護班が待機する。この日は、富山と静岡から、共に沖縄は初めてという二人の看護師がついた。二人は、一分一秒でも資材搬入を遅らせるために身を挺して最大限の抵抗を試みる非暴力のゲート前阻止行動を心配そうに見守った。二人はゲート前で感じる日本という国の違和感に言葉をなくして立ち尽くしていた。
座り込み参加者は二回目の資材搬入のあと、テントに移動して集会を続けた。テントでは、横浜と長野から参加したという三人の女性により温かいぜんざいがふるまわれた。そのあと、名護市長選挙の応援に行くメンバーが抜けてゲート前は人数が減ったが、午後三回目の資材搬入・強制排除に対し、闘い抜いた。


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