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    かけはし2018年1月29日号

あいつぐ米軍機事故に連日の闘い


沖縄報告 1月20日

普天間基地閉鎖・辺野古に基地を作るな

沖縄 K・S


1.19

沖縄県議会が全会一致で決議

民間地上空の飛行中止!普天間の
5年以内の運用停止!海兵隊撤退!

 昨年一二月の普天間基地所属の米軍機からの部品や窓枠の落下に続き、今年に入って伊計島の海岸や読谷村への米軍ヘリの不時着など、米海兵隊の事故が相次いだことは全国のメディアでも取り上げられた。ところが米軍は沖縄での訓練を自粛するだとか縮小するだとかという考えは全くない。小学校や保育園の保護者をはじめ各方面からの上空飛行停止の求めにもかかわらず、米軍機の事故を想定した避難訓練当日の一月一八日午後、海兵隊ヘリ三機が普天間第二小学校上空を飛行した。教員はもちろん、沖縄防衛局の監視員とカメラも飛行の事実を確認した。しかし、海兵隊は「飛んでいない」と否定している。鉄面皮とはこのことだ。
 翁長知事は記者会見で「最大限可能な限り飛行しないとした約束が破られたことは極めて遺憾。極東の安全を守る前に国民の安全を守り切れない」「米軍は良き隣人ではない」と強く批判した。沖縄県議会は全会一致で、@普天間所属米軍機の民間地上空での飛行中止、A普天間飛行場の来年二月までの運用停止、B海兵隊の国外・県外移転、C日米地位協定の改定などを求める意見書と抗議決議を採択した。
 戦後七三年にわたって沖縄を支配し県民の命と生活を蹂躙してきた米軍に対し、いい加減にしないか!という県民の怒りが、各地の現場と県、県議会の行政レベルを貫いて結集している。海兵隊航空機は学校・公共施設・民間地上空の飛行を中止せよ!普天間基地を閉鎖し、辺野古新基地建設を中止して、海兵隊は沖縄から撤退せよ!

1.17

辺野古ゲート前水曜行動

3度の資材搬入に
身を挺して抵抗


 一月一七日水曜行動、ゲート前はいつもより多くの人々で埋まった。北上田さんは「一昨年一一月六日、高江での警察の警備をめぐって三宅弁護士が一人で国家賠償訴訟を起こした裁判が勝訴した。昨日の那覇地裁における判決は画期的だ。損害賠償額は三〇万円。警察の不法な警備を止めさせる圧力になる」と話している最中に、工事車両がゲート前に着きはじめるとともに警察機動隊は基地内から工事用ゲートを通って座り込み現場に現われた。
 早朝にしては座り込みの人数が多い。前日から参加の九州各県の平和運動センター・フォーラム等の団体や神奈川県の島ぐるみとつながる会を含め一〇〇人以上が、「違法工事を止めよ」「警察は違法工事の手助けをするな」と大声で抗議するとともにゴボー抜きに激しく抵抗する。機動隊は排除した座り込み参加者を道路と歩道の間に高さをあげた檻のような柵に閉じ込めていく。高里鈴代さんによる抗議のマイクは「オリによる拘束は違法だ。撤去しなさい」と叫び続ける。
 砕石を積んだダンプ、ユニックを装備したトラック、生コン車など計一〇三台が進入し出てきてゲート前の規制が解除されるまで約一時間半近く、ゲート前の「非暴力だが徹底して抵抗する」攻防が闘い抜かれた。そのあと、テントに移動し集会を続けた。
 島ぐるみ南風原に続いて発言した島ぐるみ本部は「今朝本部港の塩川地区で監視行動をしたあと山城砕石へ行き約二〇人で辺野古へ向かうダンプの運転手に対する説得活動を行なった。本部からはいろいろなダンプが出るが、辺野古行きのトラックだけを止める。Vサインを送る運転手もいる。九時前機動隊が来て排除されるまで、ダンプを止めた。港も採石場も人が多ければ止められる」と訴えた。
 九州各県の平和運動センター・フォーラムは、今回七回目となる辺野古現地行動の参加者二一人がそろって前に立ち沖縄と共に闘う決意を語った。「昨日から四回ゴボー抜きをされ、負傷者が二人出た。ひるまず闘う」「昨日肩をひねられた。人間として扱われていないと感じた。青年部として若者の参加を増やしたい」。沖縄平和運動センターの大城悟事務局長は、基地、原発など連帯した取り組みを強めることをアピールした。
 北部地区の労働者は「今日五人で参加した。ゴボー抜きの機動隊に、高江の警備に対する昨日の違法判決を見ただろう?と言うと、相手もひるむ。闘いはこれからだ」と述べた。宜野湾市で子供の居場所づくりに取り組んでいる赤嶺さんは「月曜の普天間基地のゲート前でゴスペルを歌う会に参加した。緑ヶ丘保育園の園長が飛行禁止を求める署名が五万五〇〇〇筆集まったと報告した。子供がしゃべるなと言われているのはおかしい」と訴えた。
 名古屋から参加の若い女性は「沖縄のことは名古屋ではなかなか実感がわかない。それで一年前から沖縄の新聞を購読し始めた。今日初めてゴボー抜きに会った。立ち上がるにも立ち上がれず、涙が出た。名古屋で何ができるか、考え中だ」と語った。その他、大阪や神奈川などから連帯のあいさつがあった。
 高江住民の会の伊佐育子さんは「昨年の国際婦人デーの取り組みでグァム、フィリピンとの交流が始まった。グァムに造られようとする実弾演習場は、地元の人々が聖なる森と呼ぶところで、地元の女性団体が反対している。一九日からグァムの女性三人が来沖し那覇と名桜大で交流勉強会を持つ」と述べた。そのあと二回目の資材搬入の動きが始まった。座り込み参加者は朝からさらに増え、警察機動隊による排除に毅然と抵抗し抜いた。
 他方、海上では、曇り、二mの波に小雨までぱらつく中、本部港からの石材運搬に抗議するカヌーチームの行動が行われた。辺野古の松田ぬ浜から大浦湾に向かうのはカヌーでは長島の間、通称「長々」と言う小さな海峡を通過しなければならない。カヌーが到達した時はすでに海保の高速ボートが待機していた。この場所は公海上の海峡だ。しかし海保は封鎖して通そうとはしない。その間に、砕石運搬船は一〇トンダンプ一七〇台分の砕石を大浦湾のK9護岸に運んだ。

1.20

辺野古ゲート前土曜行動

午前、午後2度の資材搬入に抗議

全国からの参加者含め200人

 一月二〇日土曜日。九時前から県警による座り込み強制排除と砕石ダンプ等八七台の搬入が行われたが、再度ゲート前に集まりブロック・足場板を置いて集会を再開した。
進行は平和市民連絡会の伊波義安さん。伊波さんは「連日採石場で説得活動を続けている。知事はまだ四%しか工事は進んでいないといったが、護岸がいくつか造られたため、ジュゴンやウミガメが来なくなり、潮流変化で大きな影響がある。アジサシも激減した。軽く見てはいけないが、あきらめてもいけない。現場が闘い続けるから翁長知事も稲嶺名護市長も頑張れる。先日車の下に潜り込んで捕まったVFPの人は、日本の警察は銃を持っていないから安全だと言った。全力でやり抜こう」と檄を飛ばした。
恨の碑やチビチリガマの像の彫刻家・金城実さんは「沖縄の文化は抵抗の文化だ。一言いいたい。そこに見えるオリはサルを入れるようなものだ。人間にはプライドがある。警察は公務員として給料や日当が出る。われわれは何も出ない。交通費も弁当も自分持ち。百田のような愚かな人は中国から金が出ている、などとふざけたことを言っている。ゴミみたいに扱われるのは人間の尊厳からして許せない。世界中に報道されることに警察は恥と思わないのか。警察は格式を持て。安倍は二言目には私に責任がある、というようなことを言うが、一度たりとも責任を取るのを見たことがない。責任を取ることについての日本の文化は腹切りと指詰めだ。責任を取らない、口先だけの政治家。ゲート前に座っているのが人間的だ」と一気にまくしたてた。
そのあと、テントに移動して集会を続けた。沖韓民衆連帯の高橋さんはヘリ基地反対協が受賞する一月二二日の池学淳正義平和賞授賞式への参加を呼び掛けた。長野県のメンバーは信州沖縄ネットワークの結成について報告した。金城実さんはハーモニカを演奏し喝さいを浴びた。そして、「闘いの歴史は長い。負けることは誇りになる。自分は誇り高き非国民、誇り高き琉球土人と考えている。われわれは今子孫のために歴史的な闘いをしている」と述べた。
この日は県内だけでなく、大分、北海道、大阪、千葉、埼玉などからの参加者を合わせ二〇〇人近い人々が集まった。北海道のメンバーは「一〇年ほど前、小林多喜二の『蟹工船』がブームになり文庫で六〇万部売れた。韓国はじめ各国で翻訳された。つまり、現在も同じ問題があるということだ。多喜二が殺された理由は、単に過酷な労働の実態を小説に書くだけでなく、反戦・反軍の活動をしたためだ。当時カムチャツカでは経済権益をめぐり国境線でロシアとの争いがあった。日本の船が国境侵犯をしたとき守るのが日本軍だった」と述べた。
いつもだと二回目の資材搬入は一一時半から一二時にかけて行われるが、参加者が多いためか、この日はなく三時前、二回目の資材搬入で七七台が進入した。

1.13

沖縄戦・精神保健研究会

『戦争とこころ』出版記念講演会

深刻な戦争のトラウマ


一月一三日午後、浦添看護学校で沖縄戦・精神保健研究会主催の『戦争とこころ』出版記念講演会が開かれ、一〇〇人以上が参加した。はじめに精神科医の蟻塚亮二さん(福島県相馬市・メンタルクリニックなごみ所長)が「戦争体験とPTSD」と題してパワーポイントを使って次のように講演した。
過酷な体験に基づく「言語化されない記憶」が勝手に頭に侵入し、「怒る、不機嫌、話したくない」等々の症状が起こる。別の言葉でいえば、過去が「トラウマ記憶」としてフラッシュバックし現在の生活に入り込んでくる。過酷な戦場体験をしたアメリカのベトナム帰還兵の場合にも、戦闘体験の直後から発症し継続する場合だけでなく、晩年になって発症する退役軍人たちもいる。PTSD発症の時期にはいくつかのパターンがある。PTSD症状の例としては、ホロコースト生存者の場合、入眠困難・中途覚醒、トラウマ記憶の反復的かつ苦痛な夢、類似した事件に対する著しい心理的苦痛、反復的・侵入的なトラウマ記憶の想起、過度の警戒心、怒りの爆発等が挙げられた。沖縄戦によるPTSDの発症時期も、二〇代、三〇代、五〇代、六〇〜七〇代の晩年と様々だ。沖縄戦体験は、家族・親戚・同郷の近い関係、近い距離、近い風景で起こったため、PTSDも近くに存在し、発症のリスクも高い。住んでいるところで親しい人々と共に過酷な戦争の暴力に投げ込まれ生き残ったけれど心に傷を負った住民のPTSDは兵士のPTSDとは違う。トラウマによって、自分と未来に対する悲観、あきらめ、自罰の傾向と自己無価値観など、自己に対する「否定的認知」が顕著になることも多い。トラウマは世代を超えて続く。
戦争のトラウマが沖縄社会にいかに深刻な影響を及ぼしているかがよく分かった。そのあと、白梅学徒隊として戦争を体験した中山きくさんが一時間半にわたり、自身の戦争体験を詳しく話した。中山さんは「子供のころの時代、社会の性格は戦争一路。近所のお兄さんお姉さん、四〇代五〇代の男性が次々戦場に行った」と話し始め、子供のころから県立第二高等女学校四年生で野戦病院に勤務する軍属として動員され九死に一生を得て生き延びた戦争体験を語ったあと、「現在の沖縄基地はあまりに異常。基地と戦争のない沖縄をのぞむ」と締めくくった。
閉会のあいさつは沖縄戦・精神保健研究会の當山冨士子会長が行ない、講演会参加のお礼と受付での本の販売について述べた。共に二〇一七年九月発行の『戦争とこころ』(沖縄タイムス)と『沖縄に見る性暴力と軍事主義』(御茶の水書房)が受付で販売され、多くの人が買い求めた。

速報

南城市長選挙
に勝利した!

 一月二一日投開票の南城市長選挙に、オール沖縄の瑞慶覧長敏さんが当選した。自民、公明、維新の推薦を受けた現市長は落選。安倍官邸に結びつき翁長県政の足を引っ張ることに注力してきた市長グループの一角を崩すことに成功した。



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