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    かけはし2018.年1月1日号

党の統制力強化はグローバル資本主義国家化
に潜む真実の姿の矛盾発現を抑え込めるか



中国共産党第19回全国代表大会

社会主義現代化国家建設の大合唱は
労働者と農民の未来を約束したのか

早野 一

 二〇一七年一〇月一八日から二四日の日程で中国共産党第一九回全国代表大会が開催された。
 大会会場となった人民大会堂には「初心を忘れず、使命をしっかりと心に刻み、中国の特色ある社会主義の偉大な旗幟を高らかに掲げ、小康社会の全面的実現に決定的に勝利し、新時代の中国の特色ある社会主義の偉大な勝利をかちとり、中華民族の偉大な復興という中国の夢のためにたゆまず奮闘せよ!」「偉大、光栄、正確な中国共産党万歳!」という巨大な横断幕が掲げられた。
 全国代表大会は五年に一度開催され、今回も抗日戦争が主題の国歌である人民義勇軍行進曲の斉唱で始まり、インターナショナルの斉唱で終わった。前回の二〇一二年の第一八回大会からスタートした習近平体制は、より一層のグローバル資本主義への合流を通じて、国内の経済システムの資本主義的改革のさらなる進展と、それにともなう社会的摩擦への対応力強化のための党内外に対する厳しい引き締めを進めてきた。今回の大会は、そのような政策を継承し、さらなる社会的激突に備えるための態勢固めを意識したものといえるだろう。

不安定内包した権力移譲安定化


 一九回大会の閉幕後に開かれた一九期中央委員会第一回全体会議で総書記として習近平が選出された。あわせて習ら七人の政治局常務委員とそれを含む二五人の政治局員が選出された。政治局常務委員七人のうち、前一八期から引き続き残留したのは習近平と李克強の二人で、他の五人は引退して政治局員から新しいメンバーを選出した。新たに交代した五人の指導者の誰が次期トップになるのかということが不明な人選ということもあり、習近平が五年後も指導者にとどまるための布石であるなどとささやかれている。具体的には、五年後の党大会で党最高指導部における不文律の引退年齢の六七歳を何歳も下回るのは中央規律委員会のトップに就任した趙楽際(60歳)だけだが、仮に趙が次期総書記に就任したとしても、一〇年後の二〇二七年からの二期目には七〇歳に達しているという計算になる。つまり次期トップの候補者はあらかじめ決めずに、習のフリーハンドの余地を残している、という見立てだ。
 だが一九九二年の江沢民体制、二〇〇二年の胡錦濤体制というように一〇年毎の最高指導者の継承は、ブルジョアメディアで言われているような「院政」「影響力の行使」「権力闘争」という面よりは、前指導部の最高指導者が後継者の後見人となることで党内闘争を抑えてきた、という面がより注目されるべきだろう。つまり江沢民体制の確立にとっては不屈のケ小平が必要であったし(いっさい公式の肩書のない「最高指導者」として最期まで江沢民路線を支えた)、胡錦濤にとっては剛腕の江沢民が後見人として必要であった(江沢民が共産党の権力支配の要である軍事委員会のトップの地位に最後までしがみついたのは権力欲ではなく、実権を握る軍事委員会トップに居続けることで胡錦濤を支えた)。
 もちろん習近平もそのような後見体制が必要だが、その後見体制はよりシステム的になってきたというのが私の見方である。胡錦濤は五年前にすべての最高ポストを習近平に引き継いだ。そして今回の大会では議長団として習近平らトップ七人とともに、江沢民、胡錦濤、李鵬、朱鎔基、温家宝ら旧最高指導部が大会のひな壇にならぶことで、反腐敗の取り締まりによってそこにならべなかった若干の旧指導部メンバーの存在がかえって浮き彫りとなる。
 反腐敗による党内引き締めというシステムとそれを支持する旧指導部の存在、そしてスケープゴートにされた何人かの最高指導部メンバーの影なる存在が、指導部の引き継ぎと安定化にとっての一つのシステムとなっている。そう考えると五年後の指導体制の引き継ぎの際には、二期一〇年という慣例にとらわれない形(たとえば一期五年)での権力移譲の余地を残した、と考えるのが妥当ではないか。だがそれは大いなる不安定と隣り合わせの権力移譲の安定化とも言える。

現代の路線闘争が意味するもの

 「中央八項目規定(党員活動の規範化:引用者)を制定し、形式主義、官僚主義、享楽主義、ぜいたくな風潮を厳重に取り締まり、特権に断固反対する。反腐敗に聖域はなく、全体をカバーし、ゼロ・トレランス(例外なく取り締まる)、確固不動で虎を打ち、蠅を叩き、狐を狩る(大中小すべての腐敗官僚を取り締まる)」(習報告)。
前回の大会の直後から「蠅も虎も叩く」と称して、大小さまざまな党官僚が処分されてきた。これは習近平によるライバル叩きだといわれており、そのような一面ももちろんあるだろうが、それはスターリニスト的一党独裁下における路線闘争の一環であるともいえる。
中国共産党内の支配的徒党は資本主義復活の路線をすでに三〇年以上も歩んできたが、当然それにたいする反発や反動が社会だけでなく、党内にも存在する。また資本主義化によってさまざまな利益構造が複雑に党内外に浸透し、それらが何らかの社会的契機(たとえば世界恐慌)あるいは制度的契機(たとえば新指導部の選出)の際に党を引き裂く路線闘争にもなりかねない。
権力獲得のまえから民主的な党内論争(闘争)を葬り去っていた共産党の矛盾は、その時代ごとに様々に形をかえて表面化してきた。毛沢東の時代においては反右派闘争や文化大革命がその表れであり、現在の習体制においては「蠅も虎も叩く」という全党あげての腐敗取り締まりがそうである。二〇一七年一〇月末までに、中央の関連規定に違反する処分人数は一四万五〇五九人にのぼる。だがこれは八九〇〇万党員のごく一部である。
もちろんここで処分された党官僚は、現在の指導部がまい進するグローバル資本主義政策に反対して、一国社会主義や一国資本主義などをめざしていたわけではない。その意味では全党挙げての反腐敗運動が複数の異なる路線をめぐる闘争ではない。むしろほとんどの官僚のあいだにおいては、一党独裁の維持とグローバルな資本主義的発展という路線に違いはない。事実、薄煕来(政治局、汚職・犯罪関与、無期懲役)以降も、周永康(政治局常務委員、親族含め一五〇億ドルもの資産保有、無期懲役)、徐才厚(党中央軍事委員会副主席、汚職、無期懲役)や令計画(全国政治協商会議副主席、収賄・捜査妨害、無期懲役)など、摘発された党のトップ官僚らの罪状は、カネと権力にまみれた底なし腐敗であり、かつての劉少奇らに対する「資本主義の道を歩む実権派」というような路線やイデオロギーの対立ではない。
しかしこれらのカネと権力にまみれた腐敗は党全体を覆っている病である。それが実際に摘発されるのは、中央権力に逆らうとどうなるかという見せしめのためであり、党中央の路線に逆らうことを許さないという逆説的な意味での「路線闘争」である。だがそれが民衆をまきこんだ路線闘争(文化大革命!)となることを一番恐れているのもまた党全体の意志なのである。

中国共産党の党内民主主義観

 今回の大会報告のなかでは随所に反腐敗が語られているが、なぜ党中枢にまでそのような「腐敗分子」が紛れ込むようになったのだろうか。一般的な理解では、一党独裁の党と資本主義国家システムとの一体化こそが根源にあるというものだろう。しかし中国の特色ある共産党の理解においては、そうではなく、それは投票によって党指導部を選ぶという仕組みに問題があったと考えられている。
われわれの理解では様々な傾向を持つ党内フラクションの問題を解決するには、徹底した民主的討論と多数決と行動の一致を原則としながらも少数派の権利をみとめるという民主集中制こそが必要だと考えるのだが、この中国の特色ある共産党の理解は、大いに異なっている。それは大会で選ばれる中央委員の選出方法を自画自賛的に報じた二〇一七年一〇月二六日の新華社配信の記事から読み取ることができる。
今回の大会には二二八〇人の代表(代議員)と招聘代議員七四人の計二三五四人が代議員として参加し(実際には二三三八人が参加)、これら代議員の投票によって二〇四人の中央委員と一七二人の中央委員候補(中央委員に欠員補充要員)を選挙で選出することが最大の任務である。そして大会で選ばれた中央委員によって、二五人の政治局員を選出する。人民日報の記事は次のように指導部選出リストの作成を紹介している。
「二〇一七年の年頭から、習近平総書記は、いかにして新たな中央指導部の人選を醸成選出(つまり根回し:引用者)するのかという問題について、中央政治局常務委員会の同志の意見を真剣に聴取した。メンバー全員が……談話調査研究方式を採用することに賛成した。つまり、新しい中央政治局、常務委員、書記局が組成する人選リスト、中央軍事委員会が組成する人選リストおよび統一計画が必要な国務院(政府)指導者の人選リスト、全国人民代表大会、全国政治協商会議議員における党内人選リストなどは、一定の範囲内において推薦意見と提案を対面で聴取するということである」。
そして四月末に政治局常務委員会の会議で採択された「一九期中央指導機関の候補者の醸成業務の対話調査研究の手配に関する草案」に沿って五月下旬に全国の地方指導者が北京・中南海に呼び出され、次期指導部の候補者についての面談アンケート調査が行われた。この調査に呼び出された幹部の一人は「次期指導部に推薦する人数に制限はなく、思ったことを自由に言えた」「一地方幹部が中央指導部の選出過程において意見を表明でき、推薦ができることは、党中央がわれわれを高く評価していることの表れであり、わが党の民主的作風と寛容をあますところなく表現しており、全党の知恵を集中するというわが党の優良な伝統を体現していると言えます」と語っている。そして記事では次のように分析している。
「党と国家のハイレベル指導者の選出について、わが党は優良な伝統があり、積極的探究を不断に行い、経験も教訓もある。党の一七回大会、一八回大会では会議による推薦方式を探究した。しかし得票数を過度に強調したことで一部の弊害ももたらした。ある同志は会議推薦の過程であまり深く考えもせず投票したことで、いい加減な投票、民意からかけ離れるなどの結果をもたらし、なかにはコネや情実による投票がみられた。党中央はこれまでに、周永康、孫政才、令計画らが会議推薦を利用して票の取りまとめや買収など非組織的活動を摘発している」。
「問題を誘導することを堅持し、党中央は新たな指導機関の候補者リストの作成方法について新たな方法を創出・改良し、民主的方向性を堅持することを強調し、民衆の質を高め、一九期の中央委員・委員候補の候補者を深く考察し、厳しくチェックするという原則のうえで、対話調査研究、意見聴取、反復醸成、会議での決定などの手順をつうじて党中央指導部の候補者リストを徐々に醸成することを決定したのである」。
「二〇一七年四月下旬から六月にかけて、習近平総書記は特別に時間をとって、現行の党と国家の指導的同志、中央軍事委員、党内の老同志ら五七人と対話を重ね、十分に意見を聴取した」「党中央指導部は国家級の同志、軍区の主要な党同志および二五八人の一八期中央委員の意見を聴取した」。
「多くの同志によると、党と国家のハイレベル人事問題について、今回のような大規模な意見聴取が行われたことは、新たな情勢下における党内民主主義を十分に発揮する有意義な方法であり、党と国家の指導部の選出メカニズムの改善と完璧化の成功的実践であり、新しい人事の方向性を提唱したのである」。
こうして九月末に中央政治局常務委員会でつくられ中央政治局で採択した中央委員らの候補者リストから大会の代議員が選んだ中央委員が、大会最終翌日の一〇月二五日に開かれた一九期中央委員会第一回全体会議で二五人の政治局員を「民主的に」選出した。それは五年にわたる党内引き締めと一年近くにおよぶ「対話と意見聴取による反復醸成」を通じて(つまりは「忖度」によって)作成されたリストから指導部メンバーを選ばされるということである。
つまり、われわれが一般的に考えるような党内民主集中制を原則とした民主的投票では腐敗分子が中央指導部に入りこんでしまうので、それを避けるために「偉大、光栄、正確な中国共産党」の党中央の最高指導部(この五年来、反腐敗の大ナタを振るってきた)がつくった候補者リストによって選出することが「党内民主主義を十分に発揮する有意義な方法」なのである。だが言うまでもなく、このような「党内民主主義」によって選出された最高指導部こそ、「形式主義、官僚主義、享楽主義、ぜいたくな風潮」の根源である。

新しい時代の特色ある資本主義

 習近平の大会報告の随所に登場した「新しい時代の中国の特色ある社会主義」は、そのまま党規約にも書き加えられた。この「新しい時代の中国の特色ある社会主義」という時代認識は、それがどれだけ美辞麗句をうたっていようとも、グローバル資本主義において低下し続ける利潤率という資本主義固有の困難状況の中国共産党的表現である「新常態」の時代を乗り越えるための、過剰債務と超搾取と資本輸出という資本主義発展のいわば王道(あるいはいばらの道)をすすむことを強制する。
改正された党規約は「マルクス・レーニン主義」「毛沢東思想」「ケ小平理論」「“三つの代表”重要思想」(江沢民)「科学発展観」(胡錦濤)につづけて「習近平の新しい時代の中国の特色ある社会主義」が盛り込まれた。「マルクス・レーニン主義」と名付けられたスターリニズムの二段階革命論と一国社会主義(民族社会主義)は、世界革命と永続革命の暴力的否定をつうじて毛沢東思想という中国の特色ある正統な継承者を見出し、一国社会主義の当然の帰結としての資本主義的反革命を実現したのである。「習近平の新しい時代の中国の特色ある社会主義」は、八九年民主化運動の際に萌芽的にあらわれた資本主義復活にたいする労働者民衆の抵抗を徹底的に押しつぶしたことで流された労働者と学生の血と涙、そしてそれ以降一層激しくなる過酷な超搾取によって流された農民工の血と汗を肥やしとして、その頭からつま先まで血と汚物にまみれて誕生した「新しい時代の中国の特色ある資本主義」のことである。
「社会主義」に何かしらの「特色」をつけることで、その反動性を糊塗するような手法を認めることができないのと同じように、「資本主義」に何かしらの「特色」をつけることで、他の資本主義諸国の発展と異なる分析をすることも原則的には認めることはできない。それは中国共産党自身がもっともよく理解していることでもある。
二〇一六年末に開かれた中央経済工作会議で議論された二〇一七年の経済政策は「サプライサイドの構造改革の深化」であった。これは〇八年のリーマンショック後の対策として四兆元(約五七兆円)もの経済対策の後始末と考えられる。リーマンショックを契機とした世界恐慌にたいして、中国は他の資本主義諸国と同じように財政出動で危機を先送りした。恐慌という資本主義システムの巨大な粉砕機は、労働者や農民の生活とともに遅れた企業や生産・金融システムを踏みつぶして、次の好況に向けたサイクルを準備する。しかし国家による債務繰り延べの手法を通じた危機の先送りと周縁部への押し付け(ギリシャ債務危機!)によって、恐慌の震源地である資本主義の中心国は二〇世紀初頭の金融恐慌のような破綻的状況を回避することができた。それはまたG20に見られるように主要な資本主義諸国同士の「自由貿易体制の擁護」や「あらゆる保護主義に反対する」といった運命共同体的関係の存在によって保障されてもいる。
中国共産党は、リーマンショック以降、それまで以上にこの「自由貿易体制の擁護」を主張し、G20やダボス会議など、国際資本主義のサロン会合の場で「あらゆる保護主義に反対する」ことを高らかに宣言してきた。それはトランプ政権誕生後の「アメリカ・ファースト」に象徴される、黄昏にむかう帝国主義の後退によって、よりいっそう際立っている。そしてリーマンから一〇年後の現在、危機回避のためにとられた金融緩和がもたらした過剰資本の対外輸出の必要に迫られた中国資本主義システムにとって、自由貿易体制は何としても防衛しなければならないのであり、あらゆる保護主義に反対しなければならないのである。一帯一路やアジアインフラ投資銀行の設立などは、そのような必要性から考える必要がある。サプライサイドの構造改革の深化について言えば、まず何よりも不動産バブルへの対応、そして過剰生産能力と債務の削減があげられる。

党が一切を指導する、こそ特色

 先ほど資本主義に「特色」はないと書いたが、もし仮に「中国の特色」を認めるとするのであれば、それは他でもない「党」によるより積極的な介入が挙げられるだろう。それは今回の党大会以前から社会全体に対して強められていた「党が一切を指導する」という思想に現れている。大会報告でも「新しい時代の中国の特色ある社会主義思想と基本方針」のなかで「一切の業務に対して党の指導を堅持すること。党政軍民学、東西南北中、党は一切を指導する」と述べられているように、これこそ「新しい時代の中国の特色ある社会主義」の中心的思想である。
「新しい時代」という認識への転換がもたらした労働者民衆に対する影響は、二〇一五年から顕著となった。二〇一五年七月六日から七日にかけて、党トップ七人が臨席して「党中央の群団工作会議」が開かれ、「大衆組織に対する活動の改革に関する党中央の意見」が公表された。それは総工会や婦人連合会など、中国共産党が指導する大衆組織において、よりよく大衆の意見をくみ取るべく党の政治性をより強化すべし、といった内容であるが、それはまた全国的な政治的引き締めの号令でもあった。その翌々日には人権弁護士ら三〇〇人がいっせいに検挙される「七〇九大弾圧」事件がおこり、一二月には総工会の方針でもあった労働契約及び労働協約の集団的締結をラディカルに実践していた広東省の労働NGOへの大弾圧がおこなわれた。広東省総工会は二〇一五年一一月一二日付けの通達文書のなかで、「重大な労使紛争事件を予防警戒し緊急処置に対応できるメカニズムを完備させ、突発性な労働者の集団的事件を適切に処理し…労働者の集団的事件の減少に向けて努力すること。関連部門と連携して西側敵対勢力によるわが労働問題に対する浸透と破壊を厳格に防止し、断固として抑え込み、『独立組合』『第二組合』の出現を絶対に許してはならない」と指示している。それから一カ月もたたずに広東省の労働NGOや独立系活動家らが弾圧を受けた。
胡錦濤時代の「調和ある社会主義社会」というスローガンは、習近平の「新しい時代の社会主義」に刷新された。もちろん「調和ある」時代においても、労働者や農民にとってはまったく調和のない、非和解的な社会であったのだが、習近平体制のこの五年は、より厳しい、いわば疾風怒濤の新しい時代を迎えたといえる。

社会主義現代化社会への行程表

 今回の大会報告では、「中華民族の偉大な復興」に向けて、建党一〇〇年(二〇二一年)と建国一〇〇年(二〇四九年)にむけたロードマップの概観が示された。
「改革開放の後、われわれの党はわが国の社会主義現代化の建設に対して戦略的な方針を示し、“三段階”の戦略目標を提起した。人民の基本的な生活問題(衣食住)を解決し、人民の生活が総体において小康レベルに達するという二つの目標は前倒しで実現した。この基礎の上に、わが党は、建党一〇〇年には経済をさらに発展させ、民主をさらに健全化し、科学と教育をさらに加速させ、文化をさらに繁栄させ、社会をさらに調和的にして、人民の生活をさらに充実させるという小康社会を建設し、その後の三〇年はさらに奮闘して、新中国建国一〇〇年のときには、現代化を基本的に実現し、わが国において社会主義現代化国家を建設する。現在から二〇二〇年までは、全面的な小康社会の建設の決定的勝利の時期となる」(習報告)。
「小康社会」とは、衣食住の基本的問題だけでなく、文化や教育、社会保障などにおいてゆとりのある社会を指す。習近平体制において目指すべきは「五位一体の全面的な小康社会」と言われるようになり、それは「経済、政治、文化、社会、環境」における全面的なゆとりある社会である。習近平体制発足直前の二〇一二年から二〇一五年までの四年間で約六五〇〇万人の農村貧困人口(年収約四万円以下)を削減したが、一五年時点でもいまだ約七〇〇〇万人ほどの貧困人口が存在している。それを毎年一〇〇〇万人ずつ減らしていき、二〇二〇年には労働能力を喪失した二〇〇〇万人ほどを残して、貧困人口を解決するというのが「全面的な小康社会」の近未来像である。
習近平の大会報告では、全面的な小康社会をへて実現される社会主義現代化社会へのロードマップが示された。
「国際的および国内的な情勢とわが国の発展条件を総合的に分析し、二〇二〇年から二一世紀中葉までを二つの段階にわけて対応する。第一段階は二〇二〇年から二〇三五年までで、全面的な小康社会の実現を基礎に、一五年の奮闘を重ねて、社会主義現代化を基本的に実現する。その時にはわが国の経済的実力、科学技術の実力は大幅に向上しており、イノベーション型国家の前列に躍り出ているであろう。人民が平等に参与し発展する権利は十分に保障されているであろう……」。
「第二段階は二〇三五年から本世紀中葉までで、現代化の基本的実現を基礎に、一五年の奮闘を重ねて、わが国で富強・民主・文明・調和の美しい社会主義現代化強国を建設する。その時には、わが国の物質文明、政治文明、精神文明、社会文明、環境文明は全面的に向上し……中華民族はいま以上に世界の民族の林に意気軒昂としてそびえ立つだろう」(習報告)。

党による労働者、農民への内戦

 簡単に言えば、二〇二〇年までに二段階革命論としての第一段階(資本主義的改革)を完了させ、その後の三〇年を社会主義改革の段階としてとらえ、二〇四九年の建国一〇〇年ごろには社会主義現代化を完成させるというロードマップである。
「社会主義市場経済体制の完成を加速させる。経済体制改革は所有権制度と生産要素市場(資本、土地、労働力、金融など:引用者)の配置の完成を重点とし、所有権には期待効果、生産要素の自由流動、臨機応変な価格反映、公平で秩序ある競争、企業の優勝劣敗を実現する」としている。これらの改革はいうまでもなく資本主義改革のひとつである。
また「農村の現代化を実現する」として、「農村の基本的経営制度を強化完全化し、農村土地制度改革を深化させ、請負農地の“三権”分立制度を完成させる」とされた。これは前年からの「サプライサイド構造改革」のなかで「農業のサプライサイド改革」として提起されていたもので、農地の所有権、請負権、経営権を分離させて経営権の譲渡を可能にし、従来の「農家」「農民」ではなく「農業経営者」を育成するとともに、農民工の最後の「社会保障」であった土地と家を「囲い込む」政策としても進められている。都市部に居住の根を持った農民工は、都市部における社会保障制度への加入の条件として、経営権を放棄することが求められるなど、農民工と農村をつないできたシステムが大きく転換しつつある。
グローバル資本主義の国際的展開の一方で、広大な中国農村で「中国の特色ある資本主義的農地改革」が進んでいる。党は土地の公有制は維持すると宣言しているが、それは請負権や経営権などの譲渡制度が整備されていく中で、すでに農民にとっての保障ではなく、資本主義的土地改革の下地となっている。
「それでも都市の労働者となって、全面的な小康社会や社会主義の現代化をつうじて、今以上に世界の民族の林に意気軒昂としてそびえ立つことができるのだから、いいではないか」というのが中国共産党指導部の考えだろう。
だが党大会から一カ月もたたない二〇一七年一一月一八日、北京郊外の農民工が集住する北京大興区で火事が発生し、子ども八人を含む一九人が亡くなった。本来は責任が問われるべきはずの北京当局は、違法建築や農民工らの火の始末が原因だとして、多数の農民工(北京で一〇年から二〇年近くも暮らしてきたプロレタリア)を「低端(ロー・エンド)人口」と名づけて、零下の厳冬の寒空の下に追い出してしまった。これが、基本的な衣食住が解決された「小康社会」の現実である。これら「低端人口」は北京五輪や上海万博における都市建設労働者として、あるいは大量消費社会となった中国の大都市部の廃品回収や家事労働者などとして中国の急激な経済成長をまさにその血と汗を注ぎ込んできた人々である。
貧富の格差というよりも、階級格差というほうがより正確に現在の中国の矛盾を表現することができるだろう。だが習近平の大会報告では「中国の特色ある社会主義は新時代に入り、中国の主な社会的矛盾は人民の日に日に増大する素晴らしい生活への需要と、不均衡で不十分な発展との間にある矛盾へとすでに変化している」とうそぶいている。
階級なき社会、つまり階級が階級を抑圧する暴力装置としての国家のない社会こそ、社会主義の目指すべきロードマップであるべきだが、中国共産党は巨大な暴力装置こそが中国の特色ある社会主義の核心だと位置づけている。もちろん資本主義を打倒したのちのある一定の時期においてはプロレタリア独裁という暴力装置が必要だろう。そしてその独裁は内戦をつうじて支配を確立し世界革命へと発展することもあるだろう。
だが現在の中国共産党の暴力装置はブルジョアジーや反動派ではなく、労働者や農民に対する「内戦」に向けられている。その「内戦」は他方で数億もの膨大な農民たちを資本主義の「内戦」に駆り立てたことで「賃金労働者」という資本主義的「内戦」の兵士として作り変えることにもなった。中国資本主義は後発ゆえの複合的発展にあるが(それは「特色」とまでは言えない)、何よりもそのスケールが「特色」である。それはそのまま賃金労働者という部隊の規模にも当てはまる。中国資本のグローバル化によって中国における巨大なスケールの階級的内戦は「世界戦争」の様相をも見せ始めている。だが「万国の労働者、団結せよ」の鬨の声を謳いあげる国際的な義勇軍の行進曲はいまだ小さな独唱にとどまっている。
二〇一七年一二月一八日 


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