天皇「代替わり」スケジュールの決定
疑問・批判こそ民主主義の原点だ
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25年ぶりの
「皇室会議」
一二月一日、皇太子・雅子の結婚承認を議題として行われて以来二五年ぶりに開催された「皇室会議」(議長は安倍首相、衆参両院議長・副議長、最高裁長官、最高裁判事、宮内庁長官、常陸宮夫妻の計一〇人で構成、菅官房長官が陪席)は、現天皇の退位と新天皇の即位の日程を、それぞれ二〇一九年四月三〇日、五月一日とすることを決定した。
天皇明仁が退位の意向を明らかにした「参与会議」が行われたのは二〇一〇年七月二二日、その意向が首相官邸に伝えられたのは五年以上経った二〇一五年秋と報じられている。そしてその動きがメディアで報じられたのは昨年の七月、天皇自身の「退位の意向」が「玉音放送」よろしくTV放映されたのは昨年八月八日のことだった。
憲法によって、天皇は「国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第四条)とされている。したがって、幾度も繰り返すことになるのだが、憲法上規定されていない「公務」なるものの天皇による遂行そのものが、まずは検討・批判の対象となるべきなのである。
改憲と連動し
た「祝祭」戦略
憲法に規定されていない天皇の「公務」を十分に果たせなくなった、という理由で明仁天皇が求めていた「生前退位」に、当初は難色を示していた安倍政権は、「有識者会議」の議論を経て、「生前退位」に反対する天皇主義右翼の反発を抑え込んだ。そして与野党一致で「退位特例法」を成立させ、新たな「天皇ブーム」をマスメディア経由で浸透させることで、この動きを安倍自身の改憲プログラムの中で全面的に利用しようともくろんだのである。
二〇一九年の明仁天皇退位と新天皇即位の一大キャンペーン、二〇二〇年の東京五輪という国家的「祝賀」イベントは、危機を深める資本主義の成長戦略にとって欠かすことのできない要因であり、かつ「新しい時代・新しい日本・新しい憲法」という改憲戦略の中で不可欠の位置を占めている。
天皇「代替わり」に伴う「新元号」は来年にも発表されると報じられている。「今回の改元は天皇逝去に伴うものではなく、天皇陛下が退位し、皇太子さまが即位する『慶事』として受け取られる側面が強い。時期があらかじめ分かるメリットを生かし、新元号は『事前に発表すべきだ』という声が強い」(「朝日新聞」12月2日)。こうして「新天皇」「新元号」キャンペーンは「新時代」の「新憲法」という文脈で最大限に煽り立てられることになるに違いない。それに「花を添える」役割は、いうまでもなく二〇二〇年の東京五輪が果たすことになるのである。
この構図は、天皇制帝国主義の中国侵略戦争のただ中で、「歴史的慶事」として大々的に展開された一九四〇年の「紀元二六〇〇年記念式典」と、それとセットとなった「まぼろしの東京五輪」を彷彿とさせるものである。そして「紀元二六〇〇年」に対応するのが政府が来年、力を入れて取り組もうとしている「明治一五〇年」キャンペーンだろう。
こうして二〇一八年の改憲阻止のための政治的攻防は、「代替わり」「明治一五〇年」「東京五輪」とセットになった「歴史観をめぐる攻防」であり、かつその背景であり土台ともなる「祝祭資本主義」「戦争資本主義」のシステムを暴き出す闘いともなる。
ねばり強い
批判の行動を
言うまでもないことではあるが、われわれは安倍政権の「改憲・戦争国家」政策に反対する広範な共同戦線を作り出し、国会での「改憲発議」を阻止するために全力を挙げなければならない。
それとともに、真に自由で平等で公正で、差別のない民主主義と平和を実現するために「特権と差別」「戦争と植民地支配」の象徴である天皇制を批判し、その廃絶をめざして闘う立場をわれわれは堅持する。
この点で、昭和天皇の「代替わり」にあたって戦犯天皇の責任を厳しく批判した日本共産党も、いまや国会開会式での天皇の「おことば」に退席して抗議の意思を表明した立場を転換し、さらに今年四月からは「赤旗」の日付に元号を併記し、「天皇代替わり法案」にも賛成するなど、「平成天皇制」への批判を放棄する立場に転換してしまった。
一〇月総選挙に向けた「赤旗日曜版」(一〇月一五日付)では「『ブレない党』共産党に期待」と題した各界の人びとの言葉の中で「『憲法を守れ』と言うのは、今や日本共産党と天皇陛下くらいになってしまったと思います」という漫画家・山本直樹の支持の言を、わざわざ掲載するほどだ。
当面する情勢の中では、「天皇制への批判」を敢えて正面から語るべきではない、という意見も護憲派市民の中には少なからず存在するだろう。しかし、われわれは安倍政権が、その改憲プログラムの中に、一連の天皇代替わりスケジュールを組み込み、「改憲と代替わり」そして「東京五輪」開催」をセットにしたキャンペーンを進めようとしていることに正面から批判の言説と運動を作り出すことをためらってはならない。
天皇主義右翼の暴力に屈することなく改憲・「戦争国家」への道を飾り立てる、天皇「代替わり」キャンペーン反対の運動を!
(12月4日 平井純一)
11.23
福島原発事故緊急会議
シンポ「原発マネー」で現地
は本当に潤っているのか?
「原発で若狭の
振興」は破たん
一一月二三日、福島原発事故緊急会議は「『原発マネー』で現地は本当に潤っているのか」をテーマに第一四回目となる連続シンポジウムを、東京・原宿の千駄ヶ谷区民会館で行った。講師は著書『なぜ「原発で若狭の振興」は失敗したのか――県民的対話のための提言』(白馬社)を出版した山崎隆敏さん。山崎さんは福井県今立町(現越前市の一部)町議を務め、原発による地域振興などありえないことを一貫して主張してきた人だ。
言うまでもなく山崎さんの訴えは、圧倒的に孤立してきた。しかし著者は、原発誘致で本当に「地域振興はできたのか」という角度から鋭く問題を提起し、「原発マネー」で地域経済振興が達成された現実はないことを明らかにしている。そして原発推進派の自治体首長も実際には、山崎さんの主張が正しかったことを認めないわけにはいかなくなっているのだ。
現実を知り知ら
せることが大事
福井県議会は今年九月、大飯原発3、4号機の再稼働を求める意見書を可決した。来年早々にも大飯3、4号機の再稼働が行われる、と予想されている。原発の設置・運転には@安全性A地域住民の理解と同意B立地地域の福祉・地域振興に貢献する、の三条件が必要とされてきたが、九月の福井県議会の意見書採択は、大飯3、4号機再稼働推進の要件となるのだろうか。
答はノーである。実は一九八八年の段階で「原発は地域の福祉貢献」にはつながらないことを推進派だった自民党県議や福井県知事だった中川平太夫が認めてしまっている。
県議会の予算審議で、自民党の県議から「知事は嶺南(敦賀・若狭地方)発展のために一五基もの原発を受け入れてきたのに、住民の所得増大にはつながらなかった。立地市町村の財政も膨らみすぎ、この先どうなるか分からない」と追及された中川知事は「仰せの通り、過疎から脱却するために原発を受け入れてきたが、期待したようにはいかなかった」と認めてしまった。
それから二年後の一九九〇年、美浜町は「原子力地域振興の概要」をまとめ、「福井県において、製造業、とくに一般機械・電気機械が発展しているのは越前・鯖江地域である。嶺南地方の製造業は弱い。製造業を育成するという効果は、あまり発揮されていない」「原発と地域産業が一体化した地域全体の振興には至っていないのが現状である」と総括した(美浜町「原子力地域振興の概要」)。
一九九四年、敦賀原発三、四号機の増設計画が持ち上がったころ福井県は「原発一五基体制の総括」を行い、「社会資本整備、企業誘致、地元産業の育成、製品出荷額、原発産業の地元受注・地元雇用の拡大は不十分なものにとどまり、恒久的福祉の実現にはほど遠く、逆に相次ぐ原発事故で観光産業が深刻な打撃を受けてきた」と述べている。
原発マネーが、「地域の福祉」「産業振興」に貢献しているというイメージとはうらはらの現実が明らかにされたのだ。
敦賀・若狭の嶺南地域は、原発立地となることを受け入れたがそれによって地域経済振興にはつながらなかったこと、むしろ原発立地にはならなかった嶺北地方(越前)の方が経済発展の度合いが進んでいったことが明らかになった。
観光収入も旧い寺社や美しいリアス式海岸を持つ嶺南地方よりも、嶺北が伸びているのだという。
山崎さんは、このように原発立地県で原発の「メリット」が失われている実情をえぐりだしていった。一九六五年から二〇〇一年にかけて福井県内各自治体の出荷額・人口の伸びは敦賀、美浜、高浜、大飯といった原発立地自治体の方が、福井県内の原発非立地自治体よりも小さいのだ。
次に元東京都議で反原発自治体議員・市民連盟の福士敬子さんが「福島を忘れない全国シンポジウム」など、自治体議員・市民連盟の活動について報告した。
福士さんは、ドイツ緑の党が銀行をも自分たちの力で作ってしまい、武器産業や公害企業にはカネを貸さない、といったスピーディーな活動の一方、日本では「原発の限界」を知っている首長でも原発を認めてしまう、といった状況にある中で、自治体議員と市民によって「福島を忘れない全国シンポジウム」を五回にわたって続けてきたことを報告。
福士さんは「福島のおかげで迷惑している」と言う原発立地住民や、原発のおかげで良い暮らしができていると思ってしまった保守派の人びとと、どのように語りかけていくのかの重要性を強調した。「首長自身が原発が地域にプラスになっていないと思っているにもかかわらず、原発ノーをなぜ言えないのか」「再稼働やらなくてもやっていけるという運動を起こしたいが、どうすればよいか、という声にこたえる運動を」と福士さんは語った。
山崎さんは「ロータリークラブなどでも、周辺の気分として原発の維持を主張できなくなっている」「県と立地町村だけで原発OKを決めるのはおかしい」という声が広がっていることを紹介した。そして廃炉に伴う甚大な被ばく被害をふくめて廃炉ビジネスに惑わされない運動を作り出すことについても言及した。 (K)
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