歴史的反省にもとづいて
ドイツ連邦共和国の場合
たじま よしお
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歴史の上に立
つ連邦制国家
ドイツは連邦制国家であり、一六の自治権を持つ州によって構成されています。各州は独自の憲法を持ち、中でも特徴的なのは「文化高権」の行使であり、これは各州が学校制度・大学制度において独自の法律を定めることを意味します。その他にも各州は自治権及び公安管轄権を有して、それぞれの財源を持ち、そのうち主なものは財産税、自動車税、相続税、土地所得税です。更に所得税、法人税、付加価値税の一部が州の財源となっています。また行政分野においても各州は広範な権限を持っています。
地形は南から北へ,けわしいアルプス山脈,低くなだらかな山地,北ドイツ平原の順に低くなる。国土の西部に国際河川のライン川が流れ、気候は西岸海洋性気候で、温暖で降雨量は適度といいます。東部では、夏と冬の気温の差が大きいのが特徴です。名目GDPは世界第四位で、産業・技術分野でも世界のリーダー的な存在です。輸出・輸入ともに世界第三位となっています。
ドイツ連邦共和国の歴史は宗教改革三十年戦争終結のウエストファリア条約締結の後、ドイツ・ライヒという名の連邦国家となったのです。その後、第一次世界大戦の敗北とともに各州を支配していた王侯が退位して帝国は共和国(いわゆるワイマール共和国)となりました。一九四五年五月八日、ヒトラー率いるドイツ・ライヒは無条件降伏し、米英仏ソの四カ国に各州は分割統治されることになったのです。
戦後復興ののろしは各州から打ち上げられました。一九四六年五月一五日にハンブルグ暫定憲法が制定されたのを皮切りに、ヘッセン憲法が意欲的な条文を盛り込んで注目をあびると、州ごとに次々と憲法が制定され、各占領地域の占領軍に承認されたのです。一九四八年七月、各州の代表者からなる「議会評議会」を、暫定的な基本法制定のために召集することを決定したのです。そして一九四九年五月八日、議会評議会において可決された草案が各占領地域の軍政長官の同意を得て、同二三日にはドイツ連邦共和国基本法として交付されて、翌二四日に発効したのです。
このように西ドイツ地域に適用される新しい憲法は制定されたのですが、プロイセン地方を統治の下においていたソ連との足並みはついに揃うことはありませんでした。なお、日本国憲法とドイツ連邦共和国基本法の制定過程とを比べるには「杉原泰雄著・憲法読本」が大変参考になるとおもいます。
ベルリンの壁
崩壊と統一
一九八九年にベルリンの壁が崩壊して、東側から「円卓会議」によって憲法制定会議を開催して、新憲法を制定する方法が提案され模索されましたが、結局、西ドイツのコール政権のイニシアティブで、東ドイツが西ドイツに「加入」するという形をとることになったのです。そこでは、ドイツ統一に伴う「ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国との間のドイツ統一の樹立に関する条約」(いわゆる統一条約)を承けて、暫定憲法だったはずのボン基本法の、ドイツ全域への適用を宣言したのです。
ドイツ連邦共和国基本法の一つの大きな特色は、他の国のモデルともされている、連邦憲法裁判所の存在です。前文の後にそれらを紹介したいと思います。なお、これまでは州という表現を用いてきましたが、ドイツの章を翻訳した石川健治さんによると「ドイツ史特有の歴史的含意に配慮して、現在では、これらを邦や州とは訳さず、ラントと表示することが多い」とありますので、以後ラントと表示することにします。
ドイツ連邦共和国基本法
前文 ドイツ国民は、神及び人間の前での責任を自覚し、統合されたヨーロッパの対等の構成員として世界の平和に奉仕する意思に鼓舞されて、その憲法制定権力に基づき、この基本法を制定した。
第九二条〔裁判権〕 裁判権は、裁判官に委ねられており、連邦憲法裁判所、この基本法で予め定められている連邦裁判所、及びラントの裁判所によって行使される。
第九三条〔連邦憲法裁判所の管轄〕
@ 連邦憲法裁判所が決定するのは、次の事項である。
一 一の連邦最上級機関の権利及び義務の範囲に関する紛争、又は、この基本法によって若しくは連邦最上級機関の職務規則によって固有権を付与されている他の関係諸機関の権利及び義務の範囲に関する紛争に際しての、この基本法の解釈について
二 連邦政府、ラント政府、又は連邦議会議員の三分の一の申し立てに基づき、連邦法もしくはラント法が形式的にも実質的にもこの基本法と適合するかどうか、又はラント法がその他の連邦法と適合するかどうか、について、意見の対立又は疑義がある場合
連邦憲法裁判所の役割はさらに多岐に及びますが、ラントの憲法とドイツ連邦共和国基本法との、整合性をチェックすることと、連邦最上級機関、つまり、国家権力が憲法を厳格に守っているかどうかを監視するのが役割であるということです。
憲法裁判所の
果たす役割
日本では内閣法制局が憲法裁判所の役割を果たしていると言われていますが、安倍晋三さんは第二次安倍内閣発足のとき小松一郎さんを内閣法制局長官に任命しておきながら、集団的自衛権について小松さんが慎重な姿勢を見せるや更迭して、肯定的な横畠祐介さんに変えたのです。全くとんでもないなされようですが、やはりドイツのようにしっかりした憲法裁判所を設置する運動を展開してこなかったことに起因していることも見ておかなくてはなりません。
最高裁判所の中に、違憲審査を専門に行う「憲法部」を新たに設ける案もあるとのことですが、内閣が指名するのでしたら何もかわりません。
日本国憲法第七六条では特別裁判所の設置は禁じており、なおかつ、八一条では違憲審査の最終的権限を最高裁判所に与えています。しかし、警察予備隊違憲訴訟は以下のようになっております。
「一九五〇年に警察予備隊が設置されたことについて、日本社会党を代表して原告鈴木茂三郎が、一九五一年四月一日以降になした警察予備隊にかかる一切の行為の無効確認を求めて最高裁判所に訴状を提出」しましたが
1 日本の裁判所は具体的な争訟事件が提起されないのに将来を予想して憲法及びその他の法律命令等の解釈に対し存在する疑義論争に関し抽象的な判断を下す権限はない。
2 警察予備隊に係る一切の無効確認を求める訴えは不適法で却下すべきである。
とされてしまいました。最高裁長官は山田耕太郎さんでした。砂川裁判しかりです。このとき憲法裁判所を設けて、憲法を更に強化して軍隊なき社会を創ろうという発想は生まれなかったのでしょうか。
当時を振り返りながら、その根本原因についてこの際、ほとんど日常的に憲法改正がなされているスイス連邦憲法やドイツの連邦憲法裁判所などを学習しながら、この国のありようを共に考えてゆく場を設けることができればと思います。因みに、ドイツでも五十と数回の基本法改正が行われています。さらにドイツでは二○条で抵抗権を基本法に定めてありますので以下に紹介します。
第二〇条〔国家目的規定、抵抗権〕
@ドイツ連邦共和国は、民主的で社会的な連邦国家である。
A すべて国家権力は国民から発する。国家権力は、国民が選挙及び投票において、又、立法、執行権及び裁判の個別機関を通じて行使される。
B 立法は合憲的秩序に、執行権及び法に拘束される。
C すべてドイツ人は、この秩序を排除することを企図する何人に対しても、その他の救済手段を用いることが不可能な場合には、抵抗する権利を有する。
日本でも明治時代の自由民権運動活動家の植木枝盛が、私擬憲法の中に抵抗権の条章を盛り込んでいて「植木枝盛研究・家永三郎著」に詳しくのべられていますが、別の項で触れたいと思います。
コラム
巨大図書館の光景
中学生の頃、私が住む区内には三つの図書館があった。だがいずれも自宅から遠く、出かけるには自転車が欠かせなかった。夏休みの宿題や自主研究。友達と会えば、好きな同級生の話に花が咲いた。図書館で過ごした日々は、青春の一頁であった。
つい最近、区内最古の中央図書館が閉鎖になり、近隣の土地に新たな図書館がオープンした。敷地面積四一〇〇u。地上五階地下一階の免振構造。蔵書数六〇万冊。座席数八〇〇余席は都内屈指だという。
その玄関をくぐって仰天した。本棚、床、机、椅子はすべて洒落た木製で、芳しい木の香りが漂っている。館名に「森」が付く故か。「中央図書館」「吉村昭記念文学館」「子どもひろば」が一体となった、「あらゆる世代」が活用できる複合施設として誕生した。発電機や備蓄倉庫もあり、災害時には避難場所としても機能する。
特に目立つのは、子育てをする家族への支援である。保育園・幼稚園並みの部屋や託児施設が充実し、子供たちが元気に走り回っている。学生たちは広いテーブルを使い、グループ学習ができる。各階には緑に囲まれたテラスがあり、屋外でも本が読める。ホールや喫茶店、「ビジネス支援」と称する部屋まで設置されている。吉村昭記念文学館では、故人が使った書斎を再現。彼の文学世界を体感できる。
かつて地域の図書館には人が溢れ、床に座ることもしばしばだった。やがて座席は予約制になったが、私は椅子を増やすよう、行政に要請したこともあった。館内はどこも原則飲食禁止だが、新館では軽食の持ち込みが許されている。机にはコンセントがあり、パソコンやスマホも自由に使える。それにしても今の子供たちは、私たちの時代とは持ち物が違う。確保したスペースにスマホ、パソコン、そのコード類を乱雑に広げ、食い入るように画面を見つめている。
私は万年筆が好きで、他にボールペンや鉛筆など愛用の筆記具を選んで出かけ、窓際の席につく。すると「さあ、書くぞ」という気になるから不思議だ。作家気取りで紙に向かうが、それはあくまでメモ程度。自宅に戻り、結局パソコンで打ち出すのだから、二度手間ではある。
職員と利用者の緊張関係が、館内を巡回する民間警備員にとって代わられている。自由度が高いというのも考えものである。公共空間である以上、他人に迷惑になる行為は厳に慎まねばならない。当然マナーやモラルが問われるのだが、そんな警戒心すら凌駕する快適さが、この施設にはある。
遠方からの来館者も絶えないという。地域バスの停留所も新設された。われわれの血税が財源だろうが、「やればできるじゃないか」というのが、一利用者としての率直な感想である。 (隆)
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