プエルトリコ
ハリケーン・マリアから一カ月―米国民衆への公開状
銀行と大企業の特権保護止め
双方の民衆への投資を今こそ
マヌエル・ロドリゲス/ラファエル・ベルナベ
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米国の支配下に置かれているプエルトリコは巨額な債務で財政が破綻し、財政の自律性を奪われていた。このプエルトリコがこの九月巨大なハリケーンに襲われ、甚大な被害に苦しんでいる。米政府の支援の遅れと不十分さは、トランプ政権の失策として米国内でも批判を呼んでいる。この状況に対し、ハリケーン被害からの再建にむけた支援だけではなく、問題の根源である新自由主義政策との、プエルトリコ民衆と米国民衆の共同した闘いを訴えるアピールが出されている。米国が抱えるあまり伝えられていない問題を示すものとして、以下に紹介する。(「かけはし」編集部)
われわれにとっての必要は共通
親愛なる友人たちへ。
あなた方はこれまで、プエルトリコでのハリケーン・マリアの破局的影響について、さらにFEMAのような米国機関による遅く依然不十分な救援活動について、確かに聞いたと思われる。
マリアから一ヵ月経ったが、数十のコミュニティは今なお車やトラックで近づくことができていない。全家屋の九〇%近くには、電気が通じていない。半分には水も通じていない。プエルトリコの住民三二〇万人の多くは、飲み水を得ることも難しい。医療的措置やその資材(酸素、透析)がないため、あるいは不安全な水が引き起こす汚染により、死者数は増え続けている。
ニューオーリンズでのハリケーン・カトリーナの場合のような他の災害に対する連邦(FEMAを含む)の対応が同じく遅く不十分だったからには、米国機関の失敗は何ら驚くことにはならないかもしれない。
あなた方はさらに、プエルトリコはハリケーン以前に債務危機に対処中であり、送電網は悪化するまま放置されていた、とのトランプ大統領の言明も聞いたかもしれない。これらの言明は、言われている限りでは真実だ。
しかしトランプ大統領はまた、プエルトリコの労働者は怠け者だとの、そしてFEMAや他の機関もプエルトリコに永久に留まることはできないとの暗示を込めたツイートも投稿した。これは、プエルトリコ人には自己責任があり、これ以上の施しものはどんなものも期待すべきではない、との考えを語っている。トランプは、われわれの間に壁を建てようと狙っている。そしてこれも、われわれを重荷として、われわれには何の権利もない救援策を正統性なく求めていると描いているからには、同じように驚きにはならない。
あなた方はメディアを通じて、プエルトリコ人は、一八九八年以後米国の植民地支配の下で、それ自身のアイデンティティと文化をもつ民衆として一つの民族であるだけではなく、米国市民でもあると、聞いてきたかもしれない。これらの事実は時として、プエルトリコと米国の関係に関して混乱をつくり出している。
親愛なる友人たち、大統領があなた方に信じさせようと思っていること(彼もツイートしたような)とは逆に、プエルトリコ人労働者は、怠け者でもなければ、あらゆることが彼らのために行われることを求めてもいない。彼らは、ほとんどの米国の勤労民衆が求めているものと同じことを願っているのだ。つまり、食と十分な所得、適切な住宅、教育、医療サービス、年金、また環境の保護を並行させた信頼できるインフラ、暮らせる居住区、といったものだ。
われわれが必要としているものは共通だ。独立、あるいは州の地位や米国との何らかの形態の主権ある関係に向かう、やがてプエルトリコがしたがう政治的道とは関わりなく、プエルトリコを再建するための努力は、先の共通性を完全に理解してわれわれをを助けなければならない。この共同した設定課題をもっとよく理解するために、われわれは二、三の歴史的事実を共有したいと思う。
植民地主義的搾取の果ての現実
プエルトリコは、一八九八年の米・スペイン戦争以後米国の植民地とされてきた。プエルトリコは法的に、全権を持つ米国議会の権限の下に、米国の一部ではない、統合されない、一つの領地と定められた。議会は何年にもわたって、現在の一九五二年の準州創出にいたるまで、この領地の政府を認めてきたとはいえ、その関係の植民地的本性は変えられないままにきた。
プエルトリコ人は彼らの知事と立法機関を選出しているが、しかしそれらは、些末な問題を扱うにすぎない。われわれは依然として、連邦議会と政府の決定双方にしたがわされている。それらの作成に関し何一つ代表も参加もない、にもかかわらずだ。
一八九八年この方、議会は一度も、繰り返すが一度も、今の地位にとどまるか否か、独立するか、あるいは連邦の州になるかに関する拘束的国民投票について、プエルトリコ民衆の意見を聞いたことがない。議会はその全権を維持してきた以上、それが領地として主張する一つの領域に対する責任を当然にも負わなければならない。
それでも議会は、しばしばその責任を逃げてきた。これもあらためて何の驚きにもならない。議会は多くの場合、運動と決起が議会を別の方向に強制しない限り、米国内の多くの不公正な状態(中でも、労働者、女性、アフリカ系米国人、先住米国人、移民に影響を及ぼしている)を無視し、見過ごしてきたからだ。
しかし植民地政策には、政治の問題に加えて、経済的問題がある。一八九八年の後プエルトリコの経済は、米国企業の支配下に置かれた。プエルトリコは次いで、米市場向けの少数の商品生産に特化された。その一つの結果は、プエルトリコで生み出された所得の相当な部分の、恒常的流出となった。現在、年におよそ三五〇億ドルが流出している。これは、プエルトリコの国内総生産のおよそ三五%になる。
この資本は再投資されてはいず、ここプエルトリコで雇用を生み出すこともない。こうして、プエルトリコの、外から一方的に支配され、大きく輸出志向とされた経済は、その労働力に十分な雇用を提供することが一度もできずにきた。それは、砂糖生産が主な産業だった時も、やってきたがしばしば去った軽製造業に基づく一九五〇年代と一九六〇年代も、さらに、中でも製薬産業が再重要となっている資本の集中的な活動を通した今日でも、変わっていない。
民衆を扶養できる経済が不可欠
プエルトリコ経済のこの従属的で植民地的本性が、失業の高さの根底にある。その根源にあるものは、トランプ大統領が今になって取り上げた、昔ながらのレイシスト的な決まり文句、いわゆるプエルトリコ労働者の怠惰ではない。
現在、プエルトリコの労働力稼働率は約四〇%だ。すなわち、労働年齢にある人口中六〇%は公式の労働力市場の外にいる。彼らは、職を見つけるという希望を完全に放棄している。依然として労働力市場にいる四〇%のうち、およそ一〇%は正式に雇用されているわけではない。
大量失業は賃金を押し下げ、それが不平等を深刻化し、高い水準の貧困をつくり出す。これが、米国本土との間にある生活基準における広い格差がいつまでも続いていることの説明に助けとなる。米国が支配して一世紀以上経っても、プエルトリコの一人あたり所得は、米国最貧困州であるミシシッピー州のそれの半分なのだ。プエルトリコ民衆のおよそ四五%は、貧困線以下で暮らしている。
雇用の欠如は、米国への相当な移民となってきた。米国にいるプエルトリコ人人口は今五〇〇万人に達している。プエルトリコ人は歴史的に、アフリカ系米国人や他のラティーノ同胞と並んで、差別を受け過重搾取された層の一つとして、米国労働者階級の中に編入されてきた。彼らは、故国の状況と深く結びつき関係したまま、同時に米国の多人種的、多民族的労働者階級の一部でもある。
この貧困水準を前提とすれば、プエルトリコでは多くが連邦が資金を出している福祉プログラムに加わっていることは、驚くことではない。つまり、機能不全の植民地経済の悲惨な結末を部分的にやわらげるために、相当な公的資金が使われている。これを別の方向から考えれば、現在の状況は、僅かの企業にとっては収益性があるとしても、プエルトリコと米国双方の勤労民衆にとっては惨害だ。したがって、そうした埋め合わせを必要としないで住民を養うことができる経済をプエルトリコが得ることは、双方の利益なのだ。
米国議会は責任を取っていない
一九四七年以後、連邦と島内の税における一定の控除が、外国資本を引きつける手段の一つとなった。それでも議会は一九九六年、連邦税の控除を漸次廃止し始め、それは二〇〇六年に完結した。
絶対に間違ってはならない。つまり、税控除が発展や雇用を生み出す力をもつことは決してなかった、ということだ。しかし議会は、不十分な仕組みに代わるものを、何と……何も用意しなかった。壊れた松葉杖でも、脚の悪い人には少しばかりは助けになるかもしれない。しかし単にそれを取り上げることは、もっと悪い。結果として製造業の職は、一九九六年後に半分以上も落ち込んだ。プエルトリコ経済は二〇〇六年以後縮小に転じ、二五万以上の職が失われた。一〇年前に存在した職の二〇%は消え去った。
しかし議会は責任をまったく負っていない。プエルトリコ経済が崩壊する中で、プエルトリコ政府はその優先策を見直さなかった。たとえばそれは、課税や他の手段を通じて、島から消える利潤の大きな部分を取り戻そうとはしなかった。代わりに政府は大量の借り入れに取りかかった。他方で、電力と他のインフラは、しばしば私有化への全般的な支持に合わせて、悪化するにまかされた。状況は持続不可能だった。二〇一五年までには政府も、その債務は持続不可能であり、再交渉しなければならないだろう、と認めざるを得なかった。
その後議会は、プエルトリコ管理監督経済安定法(PROMESA)を採択した。それは、選挙の洗礼を受けていない、連邦が指名した、プエルトリコの財政に関して幅広い権限をもつ統制局をつくり出した。それは、経済回復に向けた資金や方策をまったく提供しない。それは、現在の経済不況を永続化する中で貧困を深める、緊縮政策を可能にしている。つまりそれは、反民主的、植民地主義的で、社会的に不公正かつ経済的に生産阻害的だ。それが認証した財政計画の下で、ゼロ成長が二〇二四年まで予想されている! 再度、これも驚きとはならないかもしれない。確かにこれも、一九七〇年代半ばのニューヨーク市からつい最近のデトロイト市まで、何十という財政危機の中で勤労民衆に敵対する形でこれまで適用された方式(レイオフと削減)だった。
諸々の提案された政府の削減は、新たな売上税(IVU、二〇〇六年)、政府職員大量レイオフ(法7,二〇〇九年)、公共部門労働者の権利に対する攻撃(法66、二〇一四年)、業務縮小を通じた公的雇用の削減(二〇〇六年以後九万の職がなくされた)、および私有部門における労働者の権利の無効化(二〇一七年)のような他の緊縮策の後に出ている。
双方の民衆の正義求める共闘を
プエルトリコに必要なのは何だろうか? われわれは、経済再建の十分に資金のあるプログラム(再生可能エネルギーに向けた移行を含んで)、それをやり遂げる権限、そして政治的自己決定の本物のプロセスを必要としている。議会は再建向けの資金を提供できるし、そうしなければならない。そして再建はまた、プエルトリコの債務の取り消しをも必要とする。この債務はとうに持続不可能だったのであり、その取り立ては今や犯罪となるだろう。
あなた方は正しくも、次のように問うかもしれない。つまり議会は、諸州でそうしていない時に、プエルトリコでの再建に向けなぜ何十億ドルをも割り当てなければならないのか、と。われわれの回答はこうだ。つまり、議会は諸州でも同じくそうすべきだ、と! 結局米国の勤労民衆と貧しい民衆は、何十年という新自由主義的経済政策の社会的かつ環境的結果から苦しめられ続けているのだ。米国の勤労民衆は、われわれが必要としているのと同じだけ、職を生み出し、社会的必要に取り組むことに向けられた、経済再建の広大なプログラムを必要としている。
われわれは、米国内の似たような目標に基づく数多くの運動から着想を引き出した。つまり、企業利潤への課税、職のためのプログラム、都市の再建、社会サービスの拡張、普遍的な医療保険、無料の公的高等教育、再生可能エネルギー、学生債務の取り消し、債務を負った家族の救出、社会的支出を高めるための軍事支出の削減、労働者の組織化と労働運動の再活性化、レイシスト的、性的、ホモ嫌悪あるいは外国人嫌悪の差別のあらゆる形態を終わりにすること、などだ。プエルトリコのわれわれは、あなた方が必要としていると同じだけそうした運動を必要としている。われわれは、それらを建設し拡大するためにあなた方を当てにしている。そしてわれわれは、あなた方があなた方の要求と提案に、経済再建、債務の取り消し、また自己決定に向けた、プエルトリコの必要を含めるように求める。
一方的な従属的発展の諸限界は、プエルトリコと米国間の資本運動に対する制限の結果ではない。それらはむしろ、束縛を受けない私的な利益を求める行為の結果だ。つまり、私有化、規制解体、そして自由貿易原理主義の教条が、解決ではなく問題部分なのだ。われわれは、拡張された公的部門と共同部門を伴う、われわれの経済の計画的再建を必要としている。そのような計画は、連邦のプログラムやわれわれの統制を超えた出先機関、あるいは監督によってではなく、プエルトリコの中で練り上げられなければならない。
同じことは米国内でも当てはまる。そこでも、財政赤字は、気前のよすぎる社会計画の結果ではなく、低い法人税の結果であり、二〇〇八年の危機の後では、自分自身の投機的不行跡から銀行を公金で救出するための政府債務の結果なのだ。
何年にもわたって、われわれの労働の産物の多くがこの島から離れた。それは、米国の労働者が生み出した富の多くが、とてつもなく裕福な企業カーストによって取り上げられていることと異なるものではない。この残酷な現実は、これらの病――植民地主義的搾取と階級的搾取――に反対する闘いが共同の下で前進することを求めている。
「プエルトリコのための財政投入はあり得ない」と脅している者たちに、われわれはこう返答する。今こそプエルトリコと米国の民衆にわれわれが投資する時であり、銀行と大企業の特権の保護を止める時だ、と!
そして正義のために、米国の勤労民衆にとっての正義のために、即時かつ十分なハリケーン救援のために、同じくプエルトリコの長続きする経済再建、債務取消、そして自己決定のために、共に努力しよう。
心を込めて。
▼ラファエル・ベルナベは、勤労民衆党(PPT)のスポークスパーソンを努め、二〇一六年にはこの党のプエルトリコ知事候補者だった。
▼マヌエル・ロドリゲス・バンクスは、労働弁護士であると共に社会的公正の唱道者。また勤労民衆党メンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一〇月号)
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