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    かけはし2017.年11月20日号

積弊への怒り巨大化白日の下に


ろうそく革命から1年:評価と課題語り合う(上)

公権力改革に執拗な監視が必要

 政経癒着・国政壟断勢力に対する大衆の怒りが一挙に街頭に繰り出してからもう1年という時間が過ぎた。ろうそくの抗争の継承を自任する新政権が発足したが、われわれはまだ韓国社会の古い積弊を清算することにまで進むことはできなかった。ろうそく抗争1年を振り返って、われわれの闘争を、今後どのように作っていくべきか悩みを分かち合うために、労働・市民・社会団体の活動家らとともに特別座談会を行った。10月27日午後7時、民主労総事務所にて。

進行 キム・テヨン社会変革労働者党 闘争連帯委員長、前退陣行動財閥拘束特別委員長
座談 キム・ヒョク民主労総事務副総長、前退陣行動運営委員
朴振(パク・ジン)茶山(タサン)人権センター常任活動家、前退陣行動共同状況室長
アン・ジンゴル参与連帯事務所長、前退陣行動共同スポークスマン
整理 イム・ヨンヒョン社会変革労働者党機関紙の委員長

ろうそく抗争の運動史的意味


パク「特権と反則で綴られた社会が大衆的な怒りを育てた」
アン「半分の成功、両極化と不平等の清算につながってこそ」
キム「抵抗の主体たちの組織化に連結できなかったことが勿体なかった」

 キム・テヨン(以下「進行」) 昨年の晩秋、JTBCの報道で「チェ・スンシル、朴槿惠(パク・クネ)ゲート」が世の中に知らされ、朴槿恵退陣運動が急成長したことは否定できない事実だ。
民主主義の退行、経済危機と不平等の深化は被抑圧大衆を変化に向けた熱望であふれさせた。ろうそく抗争が6カ月近くの熱気を持続できた背景は何だと思う?

 朴振(パク・ジン)(以下「パク」) 今回の抗争が触発するようになった決定的理由がチェ・スンシル、朴槿惠の国政壟断の事態だったが、事実権力の不正腐敗は通常の政府でもよくあることだった。
人々が特に大きな怒りを表出したのは、どのような理由からだったのだろうか? 私はチョンユラ事件で特異点を見出すことができると考えているが、韓国社会にたくさんあった特権や反則という行動がチョンユラを通じて人々の抑制された感情を刺激したのではないかと思っている。
「私は最善を尽くして生きてきたんですけど、どうしてそんなことができるの?」という考えが全世代にわたって導火線になり、それが朴槿恵を倒すところまで進んだ原動力ではなかったか。

アン・ジンゴル(以下「アン」) ろうそく抗争で、基層の役割が本当にすごかった。労働改悪の問題もあり、ベクナムキ農民の国家暴力の犠牲の問題もあり、また、セウォル号惨事を継続してかたづけようとばかりする問題まで。
この社会に累積された問題も多かったが、それを代議民主主義を遂行する機関である国会が解決できず、無能な姿を見せたからとりあえず街に溢れ出て来るしかなかったようだ。

キム・ヒョク(以下「キム」) 民主労総の立場でこの問題を眺めると、2015年度に労働改悪阻止、社会的なゼネストをし、以後、朴槿恵政権退陣を掲げて民衆総決起まで続いた過程だった。低成果者の解雇と就業規則不利益変更などの労働改悪が行われ、労働を敵対視する政府政策が手のほどこしようもなく拡大される局面だった。
このように労組自体を嫌悪して敵対視する政策と並んで労働者たちの生存権も悪化しつつ、昨年の国政壟断事態が起きた時人々の怒りに油を差したのだと思う。それでも既得権を維持しようとする者たちが大衆の正当な抗議や怒りを抑圧したり、なだめたりすることにだけ汲々としたのでこの戦いが長い間戦線を維持できたようだ。

進行 朴槿恵政権退陣非常国民行動(以下「退陣行動」)に、全国2千3百余個の労働市民社会団体がともにするほど、社会運動の参加の熱気も高かったが、本当に驚いたのは、毎週、数百万の人波で埋まった広場闘争の規模だった。もし、既存の政治や社会システムに対する大衆の信頼があったなら、これほどの規模がある運動が可能にはならなかっただろう。
とにかく政権退陣運動が進歩的運動勢力と未組織大衆との結合を通じて、飛躍的に成長し、社会全体を改革できるきっかけを作ったという点には異論の余地がなさそうだ。問題は、以後、その変化を強制できる主体の力量が新たに生成されたり、強化されることがとても重要だったのに、その地点でろうそく抗争が明らかにした限界は何だと考えるか。

キム 主体の組織化という側面で成果が全くなかったわけではない。それでも昨年11月30日、民衆総ストを振り返ってみると、労働者の参加が組織(労働組合)の目覚しい成長にまでは繋がらなかったようだ。この部分は、民主労総の96年、97年ゼネストと比肩されることでもあるが、当時、96年、97年ゼネストは上からの決定と下からの闘争の意志があいまって恐るべき威力を作り出した。ところで、今回は指導部の決定が、大衆の闘争につながることはなかった。ここに対する原因分析や評価は今後細かにする必要があるだろうけれど、これが爆発的な様相に進むことができなかった状況について、労働者たちの自発的な参加意志を刺激する運動的なモチーフが不足したのではないか、一度振り返ってみる必要がある。

パク 私は、ひとまず評価にはまだ早い時点だという気がする。ろうそく抗争を本格的に開始したのは1年だが、終了したのは何ヵ月も経っていなくて。その間、日常的な時期では見られない激動期を私たち皆が送っているため、変化の様相や成果を貯蔵する時点ではないとみている。
おっしゃるとおり民衆ゼネストが96年、97年ゼネストのように力強く進められなかった部分については、明確な評価が必要だが人々がろうそくの抗争後、労働組合や市民団体のように日常で変化を作っていく組織についてこれ以上馴染めなかったり、恐れたりしなくなったという肯定的な面も一緒に眺めなければならない。それで私は、変化が始まっただけであり、撒かれた種を手入れしながら判断しても遅くないという立場だ。

アン ろうそく抗争の運動史的意味は何よりはろうそくを持った労働者、民衆の力で朴槿恵政権を引き下して獄中へ送ったということだ。そこに朴槿恵より実はさらに巨大な権力だと思っていた三星(サムソン)の最高総帥を拘束させたということに意味が大きいと見ている。しかし、朴槿恵、李在鎔(イ・ジェヨン)を刑務所に送ったと言っても、労働者、民衆の人生はまだ不平等に悩まされて厳しいなら、これはろうそく革命の足りなさや限界に言及するしかない地点だと思う。主権者革命、市民革命の地位を獲得するほど偉大な抗争ではあったが、究極的にろうそく抗争が名実共に歴史的な革命の地位を持つためには今の両極化、不平等の問題が打破されて労働と民生が最優先に尊重される2段階の成果に必ずつながらなければならない。そのような意味で、半分は成功したが、残り半分は、労働者、民衆の役割ではないかと考える。

ろうそく抗争の運動史的意味


パク「弊害の清算の社会運動の力量、長期的眼目必要」
アン「ろうそく改革課題、わずか2%履行にとどまっている」
キム「山積した労動懸案、政府の意志さえあれば今すぐ解決可能」

進行 退陣行動を解消し、弊害の清算、社会大改革課題をろうそく民心の要求として集めて出している。ろうそく抗争以後、注目に値する変化があったら、それから話してみよう。

パク まず端的に捕捉される変化は、公権力が相対的に穏健な姿勢を示し始めたということだ。市民の権利を抑圧してばかりいた公権力が急に改革という服を着るようになったこと、これが最も目立つ変化だろう。そして、文在寅政府が発足し、広場でろうそくが叫んだスローガンを形式的ではあるが一つ一つ受容する姿も目立った変化となっている。就任直後、大統領が直接仁川(インチョン)空港公社の非正規職労働者たちに会って、正規職化を約束したり、脱原発時代の転換を宣言する姿は、たとえその履行過程で大小の破裂音を出しているが、市民らの目には、過去の政権に比べて一歩前進した姿のように映ることも事実だ。

アン 退陣行動が発表した改革課題で見ると、まだわずか2%を履行しただけなので、冷静に見て社会のいたるところで多くの変化などが行われているとは言えない。国家情報院、警察、検察を含めた権力機関の改革は私たちが以前から引き続き要求してきたのだが、解体の水準の徹底的な改革が必要である。そう言う面で多くの権力機関が弊害の清算チームを構成して改革意志を披露しているのは肯定的な現象だ。特に、過去9年の李明博(イ・ミョンバク)、朴槿惠政権の間の選挙介入をはじめとする重大な国基紊乱、不法を犯した国情院の行動が明らかになったということも重要である。
この過程で政治工作だけがあったのではなく、江亭村(カンジョンマウル)、全教組、さらには参加連帯まで社会運動全体をまるで「主敵」のようにめぐり、あらゆる査察や工作を繰り広げたというのが事実と判明した。これまで運動陣営で、国情院のこのような行動について疑惑は持っていたが、実際に非常に広範囲に行われていたのだ。このようなことを見た時、権力機関の改革が意味のあるように進行する可能性もあるが、じっとして見守ってばかりでできることではないだろう。より強力に改革を圧迫して促す市民社会運動の執拗な監視と牽制が要求される。

キム ところで一度振り返って見たら良いだろう。私たちが「6大積弊」として成果年俸制、セウォル号惨事、国定教科書、マスコミ掌握、サード配置、ベクナムキ農民問題を提起しなかったか。このうち、成果年収制、国定教科書は、政府が廃棄し、ベクナムキ農民の死亡と関連しては警察改革案が出たほどだ。故人の死に対する誠意ある謝罪や責任者処罰はむずかしい状況だ。マスコミ掌握や、セウォル号問題はまだ進行形の状況と見るとき、サード撤回問題の場合、政府が弊害の清算要求を完全に見捨てたのではないか。
全般的に見ると政府の改革の速度が遅いが、一定の進展があることも当たっている。そのために残念な側面がもっと大きく浮上するしかないのだ。例えば、政府が、機会あるたびに「労働尊重社会」を言いながら、労働環境や地位を改善することにそれなりに力を注ぐことは認める。ところが、その方法論においては問題を提起せざるを得ない。政府は公共部門81万個の雇用創出など、雇用の量的側面に集中しているが、雇用の質の向上に向けてはむしろ、個別労使関係の正常化が切迫しているのが現実だと見ている。
代表的に5人以下の事業場に労基法が適用されない問題、特殊雇用間接雇用労働者らの労働権の剥奪、全教組・公務員労組の法外労組化など、山積した懸案が多い。また、労組があっても労組破壊のようなことが堂々と起こっている現実が放置されている。政府は、与小野大の局面で法制度改善は容易ではないと話すが、すぐ政府の行政措置で、いくらでも改革できる事案も多く、今ある法さえ守られていないという問題もまともに法執行すれば済む問題だということだ。

進行 政権初期に現れている変化を大まかに考えてみた。私たちが話している弊害の清算や社会大改革の内容もそうであり、政府の改革をはかることができる尺度は結局は制度改革だろう。一方では現政権に入って、大統領選挙公約を破棄した初事例が多分通信費引き下げだと思うが、文在寅政府が通信財閥との力比べで敗北したのだ。そのような点で、財閥改革という大きな山を果たして、政府が越えられるのか。 それがおそらく重大な問題ではないかと思う。どう展望しているのか。

アン 過去の時代、政府が、三星をはじめとする財閥と露骨な癒着関係を形成したようには今、この政権がすることはできないだろう。ろうそく市民革命を作り出した広場の精神とも反することだから……でも、過去のろうそく抗争で「財閥も共犯だ」と叫んだように、今李在鎔一人処罰することで終わってはいけないが、残りの財閥トップの処罰の問題については、現政権勢力や検察が積極性を見せずにいるようだ。そんな態度があるから基本料金廃止の際、通信費1万1千ウォンを削減することができるが、この公約も守られていないと思う。
SK、KT、LGこの財閥三社が通信市場を掌握して十数年間、利潤を独占している構造について政府が役割を果たさなかったのだ。財閥たちが集団で反発し、官僚らもこれに便乗した結果ではないか。このような慣行が次第に累積されれば、財閥改革政策も漂流するほかないと見ている。これは大衆の失望が累積する結果に繋がるだろうし、それによって他の改革においても動力が失われる可能性がある。
財閥体制の貪欲と不公正が常識的に明らかになった状況で、このくらいの公約さえもまともに守れなかったら、ある意味では意志が不足したり、無能な政権として評価されるしかないだろう。

パク もっと冷静にこの問題を見れば、文在寅政府だけを見つめて、評価し難いのではないかという気がする。私の個人的な考えでは当時、退陣行動や全社会運動陣営の中長期的な、または短期的な目標を私たちがうまく合意していないと考える。各団体や部門が要求することがいつも先決課題だった、共通に戦略と目標を作ってはいなかったようだ。 そのような点で、財閥問題も同じだ。
財閥体制の清算を運動陣営全体の要求に力を合わせる戦いを作るために、果たしてわれわれはどれほど努力したか内部的な省察や質問が私は今必要だと思う。資本権力が韓国社会を引き続き支配してきたこの現実が簡単に変わらないという診断に同意すれば、その戦略と戦術をいくつかに乱すことなく、どのように一つに集めるのか苦慮が必要だったということだ。

キム 国政ろう断を支えたのは、三星をはじめとする韓国社会の財閥だった。結局、積弊の根源だった財閥が李在鎔を除いてはほとんどすべて免罪符を受けた。最近大統領府が労働界と晩餐を持ったが、それ以前には財閥とも出会いを持っていなかった。この時の政府が財界に投げかけたメッセージは大きく二つだったと見ている。
一つは、政経癒着しないということ、そしてもう一つが、元請業者と下請不公正取引を根絶するということ。この二つの問題を政府が提起したことで、残りの問題は経済活性化に向けて政府が積極的に支援するという立場を明らかにしたのだ。つまり、政府が財閥に求める水準は「公正経済」に立脚しているということだ。
私たちはすでに財閥を弊害として規定したが、この政府は市場経済の基本原則に忠実に従うという前提のもとで財閥を助ける政策を堅持するのではないかと思う。結局、下から財閥の問題を強く提起しなければ、今見ているようにうやむやに移る可能性が高い。
(つづく)
「変革と政治」54号

 


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