カタルーニャ
民主主義要求と社会的要求軸に
実体ある主権確立の制憲闘争へ
ホセ・マリア・アンテンタス
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カタルーニャの独立運動がスペインを揺るがし、カタルーニャ自治州政府首相のベルギーへの移動も含めて、カタルーニャ社会にも大きな緊張をつくり出している。情勢の全体は今なお不透明であり、今後の展開は予断を許さない。この情勢とそこでの左翼の任務をどう理解すべきかについて、当地の同志が論じている。カタルーニャの独立運動が抱えてきた右翼主導の政治性格にもかかわらず、スペイン中央政府との深い対立の中で、事態の進展が鋭い矛盾をはらんだ複雑さを作り出していることが分析され、左翼は局外にとどまってはならず、スペイン政治の抜本的刷新に向けそこに全力で介入すべきと強調されている。以下にスペイン支部の声明(七面)と併わせて紹介する。なお本論考は、プッチダモン首相がベルギーに移動する前の、一〇月三日に書かれた。(「かけはし」編集部)
今はまだ始まりにすぎない
一〇月一日がカタルーニャとスペイン国家を揺るがした。今何が起きているのか?
一〇月一日が過ぎ去り、カタルーニャとスペイン国家の間で共有された歴史は幕を閉じ、定かではない未来が始まっている。それは、五年間の独立プロセスの中で築き上げられたあらゆる緊張が頂点に達した日だった。
数が大きな意味をもつ。二二六万二四二四票が投じられた。それは、およそ五三〇万人の有権者名簿を基礎とすれば、投票率が四二・五%だったことを意味する。最終的な数を計算するためには、われわれは、警察に押収された票や投票できなかった市民の票を含めなければならないだろう。計算された票のうち、二〇二万一四四票(九〇%)が独立を支持し、一七万六五六六票(七・八%)が反対、四万五五八六票(二%)が白票だった。
われわれはこれらの記録に次いで、もう一つの数字を挙げなければならない。つまり、公式に記録された八九〇という負傷者数だ。そのイメージは数以上のもの――民衆の歴史的決起で迎えられた前例のない警察の暴力――を語っている
独立運動は勝利の姿で現れることになった。そして、この票が親独立勢力が直ちにその目標に達するということを意味するものではないとはいえ、この勢力は、その反対者のボイコット決定や国家の抑圧にもかかわらず、動員能力と彼らの決意をはっきり示すことにより、推進力を得た。カタルーニャ内部では、ポストフランコのスペイン国家はかつて以上に信用を失っている。
当面の結末ははっきりしている。カタルーニャ議会が九月八日に採択した「暫定法」は、国民投票が「イエス」の勝利という結果になる場合、カタルーニャ政府は独立共和国の宣言に動くだろう、と明記している。
しかしながら、政府がどのように進むかははっきりしていない。その決定は、独立運動とこの投票を支えたより幅広い民主派ブロックの運命を決めるだろう。こうした脈絡の中では、民主派ブロック――親独立諸勢力を超えている――の団結をいかに保つかが決定的に戦略的な問題になる。
カタルーニャの独立はどちらとも決まっていず、短期的には、カタルーニャとスペイン国家間の制度的かつ政治的な闘争が、現在の危機諸々を強めるだけだろう。公式的独立派の話は、独立達成に向けた主な仕事はすでに行われている、と主張している。しかし一〇月一日はもっとも決定的な局面の始まりを刻み付けたのだ。
大衆的決起が複雑な情勢を創出
したがってわれわれは、一〇月三日のゼネストを一〇月一日の第二幕として理解しなければならない。はじめは小さな労組によって推し進められた計画的作業停止は、その後、カタルーニャの二大労組連合の労働者委員会(CCOO)と労働総同盟(UGT)からの部分的支持を勝ち取った。これらの組織は全面ストライキではなく、労働者と雇用主双方が同意した、部分的作業停止を呼びかけた。その後になって、カタルーニャ民族会議(ANC)とオムニウム・カルチュラル――独立運動主流派の指導的組織――、さらにカタルーニャ政府が、この抗議行動に支持を与えた。しかしANCは不承不承そうしたにすぎなかった。
この「公式」ブロックはこのイベントに、大衆的デモを伴う伝統的なストライキを諸企業および公的機関の自発的閉鎖と混合した、階級横断的な「民族的作業停止」と、あらためて商標を付けた。全体としてその日は、例外的な政治情勢の真ん中でもう一つの印象的な集団行動に変わった。
カタルーニャで今起きようとしているものは、当地の諸行動だけではなく、独立運動、国民投票、そして大衆的な抗議行動が全体としてのスペイン政治に及ぼしている影響にも依存している。この情勢の複雑さは、どのような早まった結論を引き出すことも危険にする。
一方で、スペインを支配する国民党(PP)は、その保守基盤を動員するためにカタルーニャの独立を利用し続けるだろう。他方で、ポデモスやその基盤を含むスペインの公衆は、国家の抑圧を拒絶してきたが、今や合法的な国民投票に賛意を示している。
さらに、カタルーニャのように長く続く民族的――あるいは地域的――紛争を抱えているスペインの諸部分の中で、この独立プロセスが、親スペイン中央集権主義者と各々の民族主義運動を分極化するかもしれない。
これらすべての要素が、左翼に対し複雑なシナリオを作り出している。そして左翼は、短期的に民主主議の防衛を放棄するならば、長期にわたってより大きな地歩を失うだろう。これらの急速に展開する諸々のできごとの背後には、一つの重要な矛盾した事情、パラドックスがある。つまり、カタルーニャの独立が一九七八年に創出された政治的、制度的足場の継続性に対し最大の脅威を突き付けているが、それはまた、スペイン政治を右へと押しやる枠組みを作り出し、いくつかの国家の支柱を一時的に強めるかもしれないのだ。
マドリードの戦略は危機深める
PPは国家諸機構とメディアと相携えて活動しながら、この運動が二〇一二年に始まってこの方、独立に対して柔軟さのない立場を取ってきた。この党はこの立場を続けるだろう。カタルーニャの主権に反対することが一定数の方向でこの党に利益となる、と彼らが信じているからだ。つまりこの立場は、スペイン国家の鍵となる地域でその支持を高め、その基盤を統一し、シウダダノスから地歩を取り返し、ペドロ・サンチェスの「新」社会党を圧力の下に置き、政治論争を、国家の腐敗や進行中の経済危機といった、ポデモスを助けている諸課題から引き離す、といった計算だ。
しかし、15M(広場占拠)の高揚をもって二〇一一年に始まった政治的混乱以後何度となく、狭い党派的政略論理がこの間長期的思考を上回ってきた。PPの諸々の失策は、一九七八年体制と衝突した時の、スペインエリートの戦略的限界を示している。あらゆる挑戦者――カタルーニャの独立から15Mとその選挙向け派生物まで――を前にただ抵抗し、持ちこたえる、と。これが、支配階級の呪文となっている。
PPの焦土作戦には重要な先例がある。それはカタルーニャでの親独立勢力の台頭と同時に起きているものであり、ホセ・マリア・アンサール第二次政権(二〇〇〇―二〇〇四年)の攻撃的なスペイン民族主義だ。アンサールの中央集権主義は当時右翼には有益だったが、実際にはそれは、カタルーニャ民衆内部に不可逆的な不満をつくり出し、現在の危機に引き金を引いた。
マドリードの政府はおそらく、すぐの独立プロセスに向けたカタルーニャ民衆の希望を打ち破ることができるまで、独立主義者との衝突を強めなければならない、と計算している。ムチを使った後、政府はその後、より穏健な勢力に何らかの余地を与えつつ、飴を試すだろう。
しかしスペイン国家の政策が厳重な包囲攻撃で紛争に臨めば臨むほど、それだけ方向を変えることは難しくなるだろう。正統性が破綻する時残るのは力だけだ。しかし後者の利用は前者をさらに腐食させるにすぎない。今日、カタルーニャにおけるスペイン国家の正統性の危機は、頂点に達した。
9月20日から10月1日へ
国家が九月二〇日にその抑圧政策を強める前、ANCとオムニウムが率いた独立運動には、底辺からの自己組織化が不在だった。ただ一つ、カンディアトゥラ・ド・ウニタト・ポプラー(CUP、人民統一候補)のみが反資本主義的かつ非公式の親独立潮流を代表していた。しかしこの勢力は、深刻な内部的対立と巨大な外からの圧力を代償にそのような姿勢を保っていた。
しかし国家の集中した抑圧と投票が間近に迫ったことが、民衆的な自己組織化を駆り立て、数々の住居地区と自治体における国民投票防衛委員会(CDRs)が、一〇月一日における投票所を防護するためにボランティアを組織する活動で、エスコレス・オベルテス(開かれた学校)に加わった。
ANCもオムニウムも下からの攻勢から追い越されることはなかった。しかしこれらの攻勢は、先の組織の活動家たちをより一貫した市民的不服従に取りかかるよう強要した可能性がある。先の組織の取り組みはこの時点までは、まったくおずおずとしたものにとどまり、投票所の設立に集中していたのだ。そして、警察の虐待に立ち向かうための実のある防衛システムはどのようなものも計画していなかった。
大規模な自己組織は遅れて登場した。カタルーニャ・エン・コム(訳注一)が国民投票により軸芯を置いて活発に取り組んでいたとすれば、このプロセスはもっと先まで進んでいた可能性があるだろう(とはいえわれわれは、その活動家の多くが、党が公式に行ったことを超えて精力的な役割を果たした、ということを認めなければならない)。
日曜日に達成されたことは壮観だった。しかし、この国民投票にいたる何ヵ月間に感じられたことは、統一した運動の不在だったのだ。ANCは幅広い連携を進めたくはなかった。そして主流の外にいた諸勢力は、ANCと連携する彼ら自身の動きを始めることができなかった。最後の日々のできごとがはじめて状況を変え、以前には存在したことのない底辺からの組織化という進展を起動させた。
まず社会的基盤の拡張が不可欠
これからの衝突においては、運動には四つの基本的な挑戦課題がある。
第一に運動は、その社会的基盤を広げなければならない。投票が抑圧的諸条件の下に行われたために、一〇月一日の結果を評価することは難しい。疑いなく、二〇〇万以上の「イエス」票は重要な社会ブロックを構成する。厳密に数的な多数だとは言えないとしても、それに反対する組織された、あるいは活力のある対抗ブロックはまったく登場しなかった。
独立運動は二〇一二年と二〇一四年の間で爆発したが、その時以来高水準の支持を保っていたとしても、多少とも停滞のままにあった。
ある者はどこへも行き着かないように見えた永久的プロセスに疲れを感じるようになった。しかし先頃の日々、主にはスペイン国家の抑圧が理由で新たな支持が発展した。いくつかの「イエス」票は、独立というよりも民主主義を支持して投じられた可能性がある。その上われわれは、「イエス」に投票していたと思われる人々が、この日がはらんでいたまさに複雑さが理由となって、どれだけの数、そうできなかったのかを知ることができない。
独立運動の基盤は、日曜日の投票者の列では高齢層が極めて目立っていたとはいえ、その社会的構成の点では、中産階級と若い人びとを軸に回っている。主流の運動は、左翼の社会的基盤の重要部分をまったくつかんでいなかった。また事実として彼らはそう挑むこともなかった。つまりは彼らは、左翼のその部分は後になって確信を持つようになるだろう、と単純に期待したのだ。
カタルーニャ・エン・コムの煮え切らない政策は、その指導部の観点だけではなく、その政治上のまた選挙上の基盤がもつ社会的現実をも反映している。それは鍵を握る要素である以上、はっきりふれる価値がある。
左翼の政治的、社会的組織また彼らの社会的基盤に対する特定の政策をもつことが必要だ。そしてそれは疑いなく、権力の座にある新自由主義右翼、パルティト・デモクラタ・エウロペウ・カタラ(PDeCAT、カタルーニャ欧州民主党、前政権党を中心とした右翼再編勢力)の構想と衝突する。そしてこの右翼の弱さを、左翼的転回を押しつけるために利用しなければならない。
われわれは大雑把に、主流の独立運動の急進化に向けた道を素描しなければならない。それは、一組の危機対抗政策として政治的、社会的諸方策を実行し、憲法制定プロセスの開始を優先し、必ずしも独立は望まないが、何らかの種類の国家との憲法的決裂を支持している人びとを含むことができる、そうした枠組みを生み出すものだ。
実際に、カタルーニャの自決権を支持する人びとと独立主義者間の何らかの連携が欠落していることが、このプロセスがもつ最大の戦略的弱点の一つとなっていた。これには直接的意味合いがある。カタルーニャ議会は、一〇月一日の組織化に参加した親民主だが反独立の層が確実に含まれていると感じるやり方で、国民投票の民衆的負託をやり遂げなければならない、ということだ。すなわちそれは、投票の成功に力を貸した民主―不服従の戦線に亀裂が入ることを避け、それによって、日曜日に承認されたことの意味をねじ曲げることなく、その支持者を独立主義諸勢力の一連携者だけに切り縮めることを避けなければならない。
自己組織化基礎に内外の連帯へ
第二に、独立運動は、九月二〇日から一〇月一日にいたる日々、そして一日当日に示された強さを維持しなければならない。CDRsのような民主的な草の根の努力は、あれやこれやの形態で続かなければならない。民衆は、ANCとオムニウムを超えて、それらに対する統一政策を確保しつつも 二つの組織に従属しない幅広い委員会を構築しなければならない。
九月二〇日まで親独立行動は、印象に残る九月一一日の年次決起に限定されていた。しかしそれは、二つの組織が消極的ながらできごとに対応することを選択した時、重要な契機に応じる、あるいはANCとオムニウムを超えて進む、その能力をほとんどもっていなかった。回答は、正常への回帰ではなく、一〇月一日前夜に始まった自己組織化の力学を維持することだ。
第三に、親独立勢力は、闘争、衝突、また勝利に関するより複雑な展望を発展させなければならない。この運動は独立を表現するために、「切断」という用語を決まって使っている。それは、人を引きつける静かな変化というイメージを伝えつつ、国家との決裂に必然的に伴われるものを大きく単純化する用語だ。
公式の議論は、独立が表現するものは一つの正統性からもう一つのものへの移行であると強調してきた。そして、前者がその変化を受け入れない場合、始まることは残酷な力が決定的になる一つの闘争、という事実を無視している(「等しい権利間では、力が決する」との、資本論中のマルクスの注記を想起せよ)。そうであっても力は、全体の関係とそれを振り回す者の正統性によって条件付けられている。持続的紛争が浮上することに向け、このすべてを心に留めることが重要だ。
第四に、親独立勢力は、スペイン国家全体を貫く連携を求め、織り上げなければならない。運動は、強化された抑圧に応じてカタルーニャの外部から受け取った連帯を歓迎してきた。しかしそれはその戦略の基礎を、一方的な行動に置き、バスクやガリシアの民族主義を超えた、スペインの他の部分における支持を決して探し出さなかった。実際は、一方的行動主義と連携追求は両立可能だ。
そうした支持は今かつて以上に必要になっている。鉄拳が短期的には彼らにもっとも利益になるとPPが信じている限り、PPは抑圧という彼らの政策を維持するだろう。独立派は、運動を解体することなく、一九七八年体制と対決するより幅広い戦闘という全体構図の枠内で、その闘争をはっきり断言しなければならない。
抑圧に反対して立ち上がること、そして将来を決定できること、この両者による民主主義が出発点でなければならない。共通の敵の認識が二歩目となるだろう。
急進派諸勢力の役割が重要な鍵
独立運動はスペイン国家と衝突しているが、この運動は内部的闘争にも直面してきた。もっとも見えるものになっている不一致は、二つの政権党、右翼の新自由主義派であるPDeCATと中道左翼のカタルーニャ共和主義左翼(ERC)間にある。しかしそれらの競合を超えて、もっとも決定的な戦闘は、運動内部の急進派諸勢力がカタルーニャ政府、ANC、オムニウムが形成したブロックを上回ることができるかどうか、をめぐって起きるだろう。
九月二〇日以後のできごと、特に底辺からの自己組織化と運動の急進化は、政治的にも(主にはCUP)社会的にもその双方で、左翼諸勢力をより利するかもしれない。最終的には、カタルーニャ・エン・コムがこの闘争で演じる役割が、この情勢が左へと動くかどうかを決める上で鍵を握るだろう。
九月二〇日まで、アダ・コラウの党は消極的なままとどまっていた。昨年政府が国民投票を呼びかけた時、カタルーニャ・エン・コムは、投票に向けたあらゆる歩みが最後の歩みになり、政府が一方的な国民投票を無限の将来まで押しやるだろうと望みをかけつつ、この計画が崩れることを期待した。党は、圧力を受けた時だけその立場を説明し、次いで、その成功に力を入れることなく、あるいは大挙した投票参加を呼びかけることもなく、一つの動員として国民投票プロセス防衛を選択した。
しかしながら、カタルーニャ・エン・コムは、国家の抑圧的転回後にその立場を修正し、決起に加わったが、その戦略的路線を原則的に転換したわけではなかった。アダ・コラウの白票――「イエス」でも「ノー」でもなく――は、独立論争に関する党の「当惑」を集約していた。
今やカタルーニャ・エン・コムは選択しなければならない。距離を取ってこの闘いを見守るのか。それとも国家との衝突に加わり、憲法制定プロセスを支持するのか、の選択だ。それは、二重の目標に基づいて、つまり中央集権化された国家に打ち勝ち、独立運動に対する右翼と中道左翼の支配的影響力を打ち破る点で、この活力ある役割を引き受けることができる。
そうすることは必ずしも、全面的な独立を支持することを意味しないと思われる。その代わりにそうすることは、国家との決裂が連邦に関する一つの解決にとっての必要条件となる、ということを明らかにするかもしれない。つまり、カタルーニャ・エン・コムは、自身の綱領的立場を裏切ることなく、カタルーニャ共和国の宣言と憲法制定プロセスの開始を支持できるのだ。
この党が局外にとどまるならば、これはこの党をカタルーニャ政治の周辺に追いやる可能性があり、あるいは独立が敗北すれば、党はある種のはね返り効果を受け、それが党に新たな中期的成功を与えるかもしれない。しかしどちらにしても、党が一〇月一日に先立って保持していた受動的な路線を幕を開けた新たな段階で再び取るとすれば、それは党の政治構想の性格に厳しい影響を与えるだろう。賭けられているものは、独立論争に関するカタルーニャ・エン・コムの立場だけではなく、それ自身の憲法制定と決裂の運動だ。コムに対する独立運動の不快さは理解できる。しかしこのことが、特に民主的課題と憲法制定の課題に関して、運動に向けた統一政策をもつ必要性をこの党に忘れさせるようなことになってはならない。
ポデモスは、国民投票に向けより積極的で献身的な立場を保持してきた。それは、投票の拘束的な性格を否認し、その基盤に「ノー」投票をも訴えた。しかしこれらの立場は、憲法制定プロセスの開始という提案と矛盾している。
ポデモスは今、国家との衝突という次の局面の外にとどまるか、主権派ブロックに向け積極的な政策をもち、このブロックの右翼を克服する挑戦を助けるか、を決めなければならない。
すべてを備えた主権の強調軸に
こうして左翼は、三つの内的に相互に関係する任務をやり遂げなければならない。つまり、スペイン国家に対決する独立運動の統一した行動を維持すること、独立の先まで進む民主的、反抑圧のブロックを強調すること、そして、左翼を有利にするカタルーニャ政治諸勢力の力関係再編のために闘うこと、という任務だ。
この最後の点は、より原理的な問題に達する。つまり、独立という言葉が意味するものは何か、そしてそれは、主権概念とどう関係しているのか、という問題だ。主流の運動は独立を、その概念の具体的内容を空にしたまま、カタルーニャの全問題に対する解決策として提起してきた。事実として公式の独立論は、新自由主義形態も中道左翼の形態もその両者とも、形式的には独立しているが、EUの下僕にとどまる一国家における、TTIP(環大西洋投資貿易協定)のような国際貿易協定や多国籍企業に奉仕する諸政策に有利な、実体的な主権をもたない独立、を招く可能性があった。
カタルーニャの左翼は、その民族的、社会的、経済的、また医療の側面といったすべてを備えた主権を強調しなければならない。反動的な民族主義に反対する連帯と民主主義の観念と主権の関係については言うまでもない。左翼は、もう一つの道を提起し、主流の独立運動が表現している変革なき変革の先に進む、もう一つの社会的、経済的、そして制度的モデル、に向かう提案と政治的変革の提案をどのように結び付けるかを解きほぐさなければならない。
傍観者であってはならない
独立運動に反対したままの、あるいはその外にとどまってきた、カタルーニャとスペイン国家双方の左翼の諸部分は、多少とも正当な論拠に基づいて、この運動の数知れない矛盾をしばしば指摘してきた。もちろん、あらゆるものの中でもっとも知れ渡った矛盾として今もあり続けているものは、カタルーニャ政府の首座における新自由主義政党の存在だ。この政党は、社会的切り下げ政策の厳格な防衛者であり、以前は独立を支持することなど決してなかった。筆者は早くから、カタルーニャの政治プロセスがもついくつかの限界――社会的基盤および争い合っている諸勢力の点で――を指摘していた。
しかし、この過程がはらむ諸矛盾を変わることのなく強調することは、社会的現実それ自身に向けた過剰にスコラ哲学的な、弁証法を欠いた姿勢を映し出している。そしてそれは不幸なことに、それらの著者のあらかじめ決まった図式を外れる現象に対する多くの左翼の分析の中に、しばしば表れている。
社会の多くの歩みは、程度の大小はあるとしても諸々の矛盾を生み出す。これは、人間社会のまさに複雑さから、またそれらが対立をどのように表すか、から現れる。一つの運動が矛盾と限界を含むだけではなく、その展開もまた常に矛盾と限界ある結果を生み出すだろう。この観察はわれわれを、社会理論家が社会的行為の意図せざる結末と呼ぶものに連れ戻す。
どのような反資本主義の戦略も、矛盾と限界をはらんだ全体構図の中で、後者の境界を広げつつ、いわば解放の方向の中で前者に挑みそれを解決するためにいかに努力するか、を学ぶ必要がある。もっとも異物のない戦略とはまさに、汚れ、矛盾に満ち、複雑な世界の中で自身をいかに動かすかを分かっている戦略なのだ。
「『純粋の』社会革命を期待するものは誰であれ、生きてそれを見ることは決してないだろう。そのような人物は、革命とは何かを理解することなく、革命にリップサービスする」、レーニンはイースター蜂起(訳注二)について一九一六年こう書いた。今日われわれは、一つの革命を前にしようとしているわけではない。しかし彼の言葉はそうであってもカタルーニャの現実に当てはまっている。
カタルーニャの独立運動を前に、左翼には二つの選択肢がある。心ならずも運動の欠陥を悪化させることになる受動的な政策を選択するか、現実に介入しその歩みをより進歩的な方向に押しやる積極的な政策にしたがうか、だ。第一の選択は、場合に応じて、抽象的な急進主義、宣伝主義、あるいは制度主義的慣例主義に導く。これらの結果はどれ一つとして、世界を変革する真剣な挑戦とは何の関係もない。
五年におよぶ独立プロセスの矛盾と限界は、喜劇的力と悲劇的力の両者を帯びる可能性のある言葉、著しいパラドックス、つまり鋭い矛盾をはらんだ情勢の突然の出現を後押しすることになった。確かに、一〇月一日にいたる日々は、パラドックスをはらんだ日々だった。反抗派諸政党は秩序と静穏を求め、他方左翼はカタルーニャ警察と対峙した。右翼諸勢力は新たなカタルーニャの正統性にしたがうものとして偽装された制度上の不服従を懇願し、他方活動家たちとアナーキストは投票を準備した。反動的政府は、国民投票を組織したいと思ったその市民にクーデターをたくらんでいると罪を着せた。
スペインに今あるように、社会的進展が加速する時、化石にされたくないと思うあらゆる戦略的思考は、そこでものごとは思ったようなものではなく、諸々の行為の結末も必ずしもはっきりしない可能性があるが、それでもこうした矛盾に満ちた状況に頭から飛び込まなければならない。
(二〇一七年一〇月三日、バルセロナ)
▼筆者は、ビエント・スル誌編集委員であると共にバルセロナ自治大学社会学教授。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一一月号)
(訳注一)住宅ローン被害者防衛運動代表のアダ・コラウを指導者に緊縮反対の立場からバルセロナ市議選に勝利し、現在同市政をになっている新たな市民運動政治潮流。
(訳注二)一九一六年の復活祭にアイルランドの共和主義者が決行した、アイルランド共和国樹立をめざした反英武装蜂起。短期に軍事鎮圧されたが、この蜂起は共和主義者の武装闘争を、これ以後のアイルランド政治の中核に確固とした位置を占めるものにした。
スペイン
声明
155条発動を拒絶し 2017年10月29日
民衆の自己決定権防衛を訴える
アンティカピタリスタス(FIスペイン支部)
1.カタルーニャ議会は一〇月二七日、警察の抑圧にもかかわらず二〇〇万人以上が参加した一〇月一日の国民投票の負託にしたがって、カタルーニャ共和国を宣言した。独裁者フランコの直接的継承者である君主を戴くスペインにおいて、憲法制定プロセスに道を開く共和国は疑いなく、一九七八年体制、およびその政治的総意、またエリートに奉仕する憲法秩序と決裂する一提案だ。この宣言は、憲法一五五条を発動するとの、また抜きん出て政治的かつ民主的な解決がなければならない紛争に権威主義的解決を仕向けるとの絶え間ない脅迫を背景に行われた。この間の日々の中で事実上、何であれ起きたことすべてが一五五条発動の対象となる、そうした脅威が始まった。われわれは、一五五条発動を拒絶するよう、またカタルーニャ民衆の意志と彼らの決定権に対する民主的、平和的、そして不服従的防衛に応じるよう訴える。
2.愛国主義的感情の激化というこうした時、起きてきたことに責任を負う者たちを正しく見分けることが重要だ。国民党(PP)は、シウダダノスから激励を受け、PSOE(社会労働党)の支持と国家機構の圧力をもテコとして、憲法一五五条を発動すると決定した。この方策の目標は、交渉を通じた国民投票という解決策に道を開くことを拒絶し、政治問題の解決に力を使うことを正当化し、カタルーニャ民衆を犯罪視しつつ、カタルーニャと国の残りとの対話を妨げることだった。まさに無責任な方策であり、それは、権威主義的な関係を基礎にした国家の統一の再組織化を追求している。
3.われわれは数多くの未知なこと、不確実なことが始まっていることに気付いている。安易なスローガンで人びとに麻酔をかけることは、民主的な論争を避ける、また実際は普通の民衆が主役である話について自らを主役だと見なす、そうした政治のある種の考え方に特有なものだ。
新しいカタルーニャ共和国は、住民のかなりの層が独立によって代表されるとは感じていない一つの国で、無視できない内部からの異議突き付けを前にしている。このプロセスの第一の挑戦課題は、国家の抑圧に抵抗できる一つの運動を組織しつつ、反動の諸勢力を利するだけの社会的分裂を避け、親独立派ではない民衆層を彼らの国の構想の中に統合しつつ、この分断を和解させるために努力することだ。
憲法制定プロセスは、この方向に進むためにこそ活用されなければならない。その中で、民族問題の先まで広がる民衆諸階級の要求を統合し、社会的諸課題を中心に据え、カタルーニャを根底的に民主化しなければならない。
4.スペイン国家の中では、われわれは複雑な反動の波を生き延び続けている。左翼の民衆を含む多くの人々は、カタルーニャで今起き続けていることに引き裂かれたと感じ、痛みを感じている。この感情の多くが、フランコ体制の最悪の諸感情から引き継がれた、ある種のカタルーニャ嫌悪的な反動の中に、また街頭における極右の暴力的な表現に導かれているというのは事実だとしても、カタルーニャで起き続けていることに率直に心を痛め、政治の回復の上での、対話と交渉にその信をおいている大きな層の住民がいる。
われわれの観点から見て、賭けられているものは原理的に、民衆の彼らの未来を決定する能力だ。もしカタルーニャの民衆が敗北を喫し、PPとその連携勢力によって押しつぶされるとすれば、ある地域、ある町の議会、あるコミュニティ、あるいはある社会層が任意の問題について自由に決定すると決める場合、それは、今日PPと国家がカタルーニャを押しつぶそうと追求している同じ論理で押しつぶされることになるだろう。
これは中心的な課題だ。それは、民族の問題を超えて広がり、民衆主権の問題を中心に据える。つまり、決定権をもっているのは民衆であり、それは民主主義の基礎であり、法は民主主義に役立つものでなければならず、その逆ではない、といったことだ。
他方で、スペイン国家に伝統的に押しつけられたものを上回る、他の解決策と民衆間関係の諸形態がある。憲法制定プロセスを始める戦略が一つの中心としてもつ理念は、勤労民衆諸階級、女性、移民、政治的かつ経済的権力をもってはいないがかけがえのない者であるすべての者が、社会の構想を練り上げる、というものだ。
しかしそれはまた、全国レベルでのスペイン国家の歴史的諸問題を解決する一方法でもあり得るのであり、それは、平等の中で民衆の間の関係を再組織する一つの方法だ。そしてそこでは、決定権とその結果に対する尊重から出発することが、押しつけられまた権威主義的な現在の中央国家の関係が解体している統一に、橋を架ける。つまり、政治的また経済的エリートの社会に対するオルタナティブな社会を建設するための、底辺の人びとの間における対話と協働の諸形態の構築だ。
このプロセスは共に生きる枠組みを作り上げる好機であり、それはわれわれに、単に取り戻すだけではなく、民衆諸階級のための新たな社会的、民主的権利を獲得することまでの、大志を抱くことを可能にする。
5.われわれは、このような脈絡の中である種困難な立場にあることを分かっている。だからこそわれわれにとっては、さまざまな民主的立場の間で論争し、対話し、それだけではなくカタルーニャ問題を口実に(それは他のどんな問題でもよかっただろう)国家が計画している権威主義的介入に反対することも、原理的であると見える。残忍な憲法一五五条発動に耐えることになるカタルーニャ民衆を守ることは、独立派を守るだけではなく、国民投票と彼らの要求に対する民主的な回答を求め続けてきたカタルーニャ住民のあの八〇%、および自治を失うことになる他の二〇%と共にあることでもある。
それは、国家の押しつけからの民主的な出口の可能性を守ることなのだ。今こそ、一九七八年体制の先へと進む一つの構想の、スペイン国家のさまざまな民衆間の兄弟愛ある関係の構築を可能にする構想の、辛抱強い構築を始める(再び)時だ。エリートたちは、スペイン国家が抱える諸問題を解決する能力がないことを明らかにしてきた。かつて以上に今日、底辺の民衆が政治における指導的役割を取り戻すことが急を要している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一一月号) |