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    かけはし2017.年11月20日号

世界史から見た「10月革命」の意味


11.4

ロシア革命100年シンポジウム

グローバル資本主義の新たな危機の中で


歴史的に検証すること


 一一月四日、「シンポジウム 世界を揺るがした一〇〇年間〜世界史からみたロシア革命」を亀戸文化センターで行った。主催は実行委、共催がトロツキー研究所、アジア連帯講座、東アジア研究会。参加者は八三人。
 一九一七年のロシア一〇月革命から一〇〇年。この史上初の社会主義革命は、労働者の権利獲得、民族自決、男女同権、反戦平和などを実現した。その後のスターリニスト的歪曲にもかかわらず、一〇〇年ものあいだ世界を揺るがせ続けてきた。いま改めてロシア革命を世界史の中に位置づけるとともに、ヨーロッパとアジアに及ぼしたその影響を振り返った。
 開会あいさつが山本大さん(トロツキー研究所)から行われ、「一九八九年のベルリンの壁崩壊に始まった東欧民主革命は、ソ連の影響下にあった東ヨーロッパ全体に及び、一九九二年、共産党の独裁下にあったソ連も崩壊した。こうした一連の事態からロシア革命と社会主義の歴史は一党独裁の負の歴史であるとして否定的に捉え、またヒトラーやムッソリーニの全体主義と並べて、スターリンによる独裁を左右の全体主義として歴史の闇に葬ろうとしている。シンポジウムは、こうした流れに抗し、また、ロシア革命とその後の歩み全体を賛美して、肯定的に総括しようとするものとも無縁だ。世界初のプロレタリア社会主義革命であり、永続革命として行われたロシア革命を世界史の中で検証していきたいと考えて企画した」と発言し、シンポジウムの討論の方向性を示した。

世界革命として

 森田成也さん(大学非常勤講師)は、「世界革命としてのロシア革命――ヨーロッパ、ロシア、アジア」をテーマに以下のように報告した。
「ロシア?命の成?条件の国際的?脈と国際性」について、「その国内的諸条件として歴史的後発性、不均等複合発展の産物としてのロシア社会の特殊性、ブルジョア民主主義的課題の歴史的先送り、ブルジョアジーの反動化、労働者階級の発達とヘゲモニー、同盟者としての農民階級の革命性、都市のヘゲモニーがあり、これらがすべて合わさって典型的な永続革命的軌道をたどった。また世界大戦と帝国主義の最も弱い環としての国際的条件が存在していた」。
「思想的諸条件としてはマルクス主義の国際性、多民族国家ロシアにおける少数民族の革命性(とくにラトビア人、ユダヤ人、 ポーランド人) があり、最終的勝利の条件としてヨーロッパ革命を展望していた。しかし第一次大戦後のヨーロッパへの波及と挫折(ドイツ、 オーストリア、イタリア、ハンガリー、等) によってロシア革命が完結しうる国際的条件の強制的停止とスターリニズムへの軌道の開始となった。また、ロシア革命はアジアへの巨大なインパクトを与え、第二次中国革命の高揚を作り出したが挫折の道を辿った」。
「ロシア?命の世界史的位置づけと世界史的意義」について、「ロシア革命は、欧米周辺国および植民地諸国に下からの近代化、民主主義化の過程を可能としたこと(それは勝利の軌道を描いた場合には社会主義革命と必然的に結合する)と、欧米社会それ自身に社会主義的要素を大なり小なり取りこむことを余儀なくさせた(福祉国家化)。ロシア革命は、社会的平等(労働者・農民の権利、女性・少数民族・同性愛者の権利、植民地解放と民族自決権)を重視する現代社会の基礎をつくり出した。逆説的なことに、ソ連東欧の崩壊は資本主義世界システムの進歩的生命力の終焉をも意味した」と指摘した。
さらに森田さんは、「『永続革命の時代』終焉後の二一世紀はいかなる時代になるのか?」と問いかけ、「理論的推論」として「世界の資本主義化の完了と世界資本主義の危機の深化を前提にして、世界、とくに先進資本主義国を(再度)中心とした『反資本主義革命の時 代』(二一世紀) だ。つまり、社会主義的意識・展望の大幅な後退と、資本主義それ自身の危機・行き詰まりの深化という歴史的 矛盾があり、二一世紀が本当に『反資本主義革命の時代』になるかどうかは、今後の展開と主体的努力しだい。 未来はいい意味でも悪い意味でも決定されていない」と集約した。

ヨーロッパからの視点

 中村勝己さん(大学非常勤講師)は、「ヨーロッパから見たロシア革命」をテーマに報告した。
「はじめに」では、「ロシア革命はレーニン、トロツキーらが唱える『プロレタリアートの独裁』を実現したものとみなされ、これをめぐり彼らボリシェヴィキのリーダーたちとヨーロッパのマルクス主義者たちが論争を繰り広げた。カール・カウツキー(一八五四〜一九三八)、ローザ・ルクセンブルク(一八七一〜一九一九)らである。いずれも革命のあり方およびその後の社会の運営の原理として『プロレタリア独裁』を認めるが、その内容がかなり異なるところが興味深い。論争の際の論点はたくさんあったが、今回はあえて『社会主義革命と自由主義、民主主義は両立するのか? 例えばロシア革命で憲法制定議会を解散させたことは正しかったか?』をめぐる論争に絞って見てみることにする」と中村さんの問題意識を提起した。
そのうえで「ロシア革命論争」として@カウツキー『プロレタリアートの独裁』における「公開性と多元性」Aレーニンのプロレタリアートの独裁論Bローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』に見る「民主主義と自由」を比較分析し、「ローザの独裁批判は、カウツキーとは異なり民衆の自由を拡大するものとしてロシア革命を肯定的に捉えている。しかしまた、カウツキーとローザの独裁批判にはある種の共通点も見てとれる。それは、民主主義(人民主権)には多元性(複数性)を保障する論理が必要だという視点である。西欧で多元性を重視したのは自由主義の伝統である。自由主義の視点をカウツキーは明示的に、ローザは暗黙の形で前提としている。そして彼らの批判は、レーニン死去後、スターリン独裁体制の成立により裏づけられたともいえる」ことを明らかにした。
次に中村さんは、「 グラムシとロシア革命――『資本論』に反する革命」について提起し、「グラムシは、ロシアにおける資本主義発展の遅れを取り戻す力がボリシェヴェキの主体的な行動にかかっていると考えていた。これは、カウツキーの客観主義的=待機主義的なロシア革命理解への批判にもなっている。これを指して多くの研究者たちが「初期グラムシの主意主義(主体性中心主義)」と呼んでいた。青年時代のグラムシがこうした強い主意主義的傾向をもってロシア革命の意味を解釈したことの背景には、当時のマルクス主義の主流派が社会進化論的、実証主義的な傾向を示していたのに対して、そうした実証主義への「反逆」として新たな思想潮流が登場しつつあり、それにグラムシが影響を受けていたことが挙げられる」と分析した。
さらに「グラムシ『獄中ノート』における省察――機動戦から陣地戦への転換」では、「トロツキーが唱えた『永続革命論』とは、ロシアのような後進資本主義国における革命は、大都市の労働者階級(プロレタリアート)の主導による自由と民主主義を求める革命(ブルジョア革命)をもって始まり、そのまま中断することなく、社会主義革命へと連続していかざるをえないこと、また、その革命は先進資本主義諸国の社会主義革命へと連続的に波及し、その援助を受けることを必要とすることなどを骨子とする。グラムシは、この永続革命論に陣地戦論を対置し、西欧の革命を可能とする条件を考察する」と評価した。
そして、「グラムシは、市民社会における知識人の役割、アメリカニズム(フォーディズム)の導入による労働と生活の規範の規律化、政党としてのメディアの役割、社会運動におけるサバルタン(従属的諸集団)の自立の過程、〈現代の君主〉としての政党の役割などのテーマを掘り下げていく。その際に注目されるのはつねに〈ヘゲモニー〉というミクロな権力作用である。物理的な強制力とは別の精神的、文化的、道徳的などの影響力がいかに国家権力による支配を支えているか、民衆はいかにそこから自立するのかが注目されている。このように獄中期グラムシの主要な関心は、ロシア革命の再審よりも来たるべき西欧革命の方向性を探ることにあったと言えるだろう」と語った。
また「来たるべき革命は、機動戦か陣地戦か、情報戦か空間占拠戦か、といった戦術レベルでの議論をする前に、そもそも私たちが目指すべき社会とはどのような社会なのかという戦略レベルでの議論をしないと、ロシア革命を参照点とする左翼は二一世紀の遠くない将来に消滅するだろう。そうならないための議論を、ロシア革命一〇〇年に際しても継続することが必要だと私は考える」と問題提起した。
二人の報告に対して湯川順夫さん(トロツキー研究所)は、「複数制と民主主義」の論点についてダニエル ベンサイドの『21世紀マルクス主義の模索』を紹介しながらコメントし、論議の深化を呼びかけた。

中国革命と陳独秀


江田憲治さん(京都大学教授、中国現代政治思想史、中国共産党史)は、「ロシア革命論の継承─中国・陳独秀の場合」をテーマにして、「ロシア革命における革命理論が中国でどのように継承されたのか、この問題を、中国共産党の創立者にして初期指導者(一九二一〜二七年)、そして中国トロツキー派の指導者(の一人)であった陳独秀について検証しようというのが、本報告のねらいである」と述べた。
そのうえで@はじめに─陳独秀と中国革命A陳独秀=「二回革命論者」説の検討B中国トロツキー派の成立と「永続革命」論争についての分析を報告した。
さらにC「陳独秀における民主主義と社会主義」について、次のように指摘した。
「陳独秀がロシア革命の革命論から継承していたのが、民主主義についての議論である。トロツキストとしての彼の場合、民主主義闘争から社会主義革命達成、民主主義と社会主義との併存を説き続けていたことは確かである。陳独秀は『われわれの現段階での政治闘争の戦術問題』では、民主主義そのものをブルジョアジーの専売特許とは見なさなかった」。
「プロレタリアートは、何の遠慮会釈もなくブルジョアジーのこの切っ先鋭い道具(民主主義)を借用して、ブルジョアジーに対抗するべきなのだと言っている。さらに『ブルジョア民主主義の視点は、プロレタリア民主主義の起点につながる』と述べ、両者の同質性を指摘し、さらに『徹底した民主主義の国民会議の実現要求を通して行われる武装暴動で、プロレタリアの政権を実現し、同時に徹底した民主主義の国民会議を実現する。これがわれわれの観点である』と結論づけている」。
「陳独秀のこうした論点は、陳独秀が獄中からトロツキー派の機関誌に掲載させた『プロレタリアーと民主主義』(『火花』一九三六年三月)でも、そしてまた『陳独秀最後の論文と書信』(一九四八年)に収録された彼のトロツキー派宛ての書簡(一九四〇年)や、『私の根本意見』(一九四〇年)で、より明確なかたちで(後者ではボルシェヴィキのプロレタリア独裁に対する糾弾を含みながら)、提起されることになる」と重要な示唆をしていることを強調した。
江田報告に対して長堀祐造さん(慶應義塾大学教授、中国近現代文学─魯迅及びその周辺)は、「中国トロツキスト回想録―中国革命の再発掘  王凡西」(一九七九年) や「陳独秀文集」(二〇一六年)を紹介し、「中国革命と陳独秀」の歴史的意義についてコメントした。
質疑応答と討論を行い、最後に国富建治さん(アジア連帯講座)から閉会あいさつが行われ、「ソ連邦の崩壊という現実からロシア革命の歴史的意味を否定的に解釈するのではなく、その過程でのさまざまな可能性をつかみとり、今日の現実と重なりあわせて対象化する作業を今後も続けていこう」と集約した。 (Y)



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