中国
區龍宇 中国共産党第19回大会を語る
前近代的官僚制による近代化の
解決不能な力学の進行さし示す
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中国共産党の第一九大会が終わった。今や世界の動向に大きな影響を与える中国の、今後五年を、また場合によってはその先まで方向づける重要な大会であり、この大会が意味するものについては、一般紙上でもさまざまな角度から論じられている。以下に、香港の同志による、今回の大会をどの角度から見ているか、また何を重大と考えているかの観点を紹介する。(「かけはし編集部」)
「紅い血統」の登場とその強調
――中国共産党一九回大会の重要性は何か?
報道のさまざまな見出しは、この大会が習近平が彼の権力をさらに固めつつあることを示すその方法に焦点を合わせた。しかしもう一つの重要な点は、貴族主義的政治への退行を大会がどのように表しているか、にある。
習の報告には、「軍内での党建設を強化するために、今後われわれは、『紅い遺伝子を伝え、軍を強化する責任を引き受ける』テーマに関し教育を進める」と書いている一章句がある。これは、党が受け継いだものに関連している。つまり、人民解放軍を創設したのは党だったのであり、その逆ではない、ということだ。それゆえこの受け継いだものは、何度でもあらためて主張されなければならないのだ。
しかし「紅い遺伝子」という言葉の選択はまた、近年のもっとはるかに注目に値する変化と一致している。三ヵ月弱以前、党学校の新聞が、「党の中核」と習近平を讃える論文を掲載した。そして読者に、党の古参幹部、習仲勲の息子として、彼の「もって生まれた遺伝子」と「紅い血統」を思い起こさせた。
毛の時代から一九八〇年代まで中国共産党は常に、中華人民共和国の建国の父たちの子どもたちが、特権を高めるために彼らの家族という背景を利用しているとの印象を、たとえそれが事実であったとしても、公衆に与えることを避けてきた。ほとんどの人びとは、それらの子どもたちが永久に続く特権を享受しているということを知っている。しかしこのことが公衆の空間に入ることはほとんどない。それが現実になる場合でさえ、使われる用語は中立的な高級幹部の子弟(高幹子弟)であり、それは、「紅い血統」とのつながりはまったくないことを示唆し、それゆえ極めて広い意味をもつ用語だ。
ソ連邦の崩壊がその後に続いた一九八九年の民主主義運動の直後、一定の高齢となった頂点の指導者たちは、次のように結論を下した。つまり、中国の相対国であるロシアの運命を中国共産党が避けたいと思うのであれば、そうする一つの方法は、権力を彼らの子どもたちに渡すことだ、との結論だ。
同時に、古参幹部の子どもたちのある者は、党が国家財産の直接的所有権を獲得するよう求める文書を、彼ら内部で回覧し始めた。これらのキャンペーンは秘密のうちに展開された。
同時にこの当時、党外の者たち、主に一九八九年の弾圧後に西側に逃げのびた者たちが、これらの「高幹子弟」に別の名称、すなわち、「太子党」という名称を与え始めていた。しかしそれらは、名誉を傷付ける響きを帯び、それゆえ中国内のメディアには決して現れないものだ。
この問題が中国内メディアに現れる場合それは、「高幹子弟」でも「太子党」でもなく、紅二代であり、それは肯定的な商標なのだ。この用語は、それが明示的に紅い血統を指し、それゆえ高幹子弟という用語よりもはるかに狭いがゆえに、高幹子弟とは根本的に異なっている。それは実際にも、その両親が古参幹部ではない幹部たちすべてを排除している。
中国共産党の路線に断絶起きる
この用語は、胡錦涛の任期中に中国メディアに現れ始めた。しかし、「紅二代」の問題をはるかに可視的にしたのは、おそらく元の重慶トップでありもう一人の古参幹部の息子である薄煕来だった。そして彼は、彼がよく目立ち、「紅い歌唱運動」[革命歌うたごえ運動]を推進したことが原因となって、二〇一二年、胡錦涛によって打倒された。メディアによる「紅二代」の存在とその権力に関する国民一般の認知は、二〇一二年の薄失脚後も続いている。そしてそれは、時に「紅い血統」のような違った用語で装われているとしても、習近平の取り巻きによって拾い上げられてきた。
中国共産党の最高指導者が今彼の「紅い血統」を強調しなければならないという事実は、党内部における「紅二代」の全般的な傾向と一致している。そこには彼らが過去三〇年蓄積してきた政治的かつ経済的権力すべてが伴われ、そして彼らは、ますますより安全な地位を求めている。
この層は均質とはとても言えない。そこには、リベラルから強硬民族主義、あるいはファシストまでの政治的違いがつきまとっている。しかし、彼らの「紅い血統」の全面的な利用は、政治的に活動的な者たちすべてにとって共通点なのだ。
習はその例外ではまったくなく、今や党の「核心的指導者」としての地位を固めるために、それを徹底的に利用し続けている。これはまた、過去との一定の断絶をも意味している。その過去中国共産党は、「党の政府からの分離」、「政治改革が必要」、「集団指導を支持する」、「普遍的価値としての民主主義」、「外交に関しては目立たないようにする」等々についてなおも語り続けていたのだ。
われわれは今、「紅二代」出身の、またこの「紅二代」の絶対権力への昇進を大声で主張してもいる最高指導者を前にしている。そして彼は一方で、「西側スタイル」の民主主義と「集団指導」に対するあからさまな蔑視を見せつけている。これは、貴族政治への全面的な退行だ。中国共産党の路線に断絶が起きたのだ。
党内権力めぐる習の二正面闘争
――しかし薄煕来の失脚は、紅二代がそれ自身内部の食うか食われるかの闘いにひどく巻き込まれている、ということも示したのではないのか?
その通りだ。実際われわれはここで、この退行内にある興味深い点に達した。今、進行中の政治闘争には二つのレベルがある。
第一に、紅二代は今、その両親が古参の指導的幹部ではない官僚から、より多くの権力をもぎ取ろうと挑んでいる。第二に紅二代内部では、彼らのほとんどがより多くの権力を欲しているが、しかし習は絶対的権力を求め、それゆえそこには緊張がある。
中華帝国の歴史が示すように、皇帝の絶対権力は必然的に貴族の権力とぶつかる。絶対的独裁権は、貴族政治との対立に入るのだ。皇帝にとっての最終的解決策は、階級としての貴族のほぼ全面的な破壊だった。そしてこれが、中華帝国の軌跡を欧州の経験と異なるものにする主なものだ。
習近平がそれほどまで権力に飢え、彼を江沢民と胡錦涛の両派閥を敗北させ、これを通して全権力をつかむよう導いた理由は、彼が権力への上昇を始めた時、彼の前任者たちよりもまさにはるかに弱い立場から開始したからだ。中国共産党の歴史上初めて最高指導者の候補が、争う余地のない権威を誇っていたケ小平や陳雲といった古参指導者によってというよりも、習の支え手たちにより選ばれた(引退した指導者の江沢民と胡錦涛はここで一定の役割を演じているとはいえ、彼らの権威はケや陳のそれに匹敵するものではない)。
疑いなく彼は、こっそりとだが、薄煕来の挑戦を受けた。幸運なことに彼には、彼のために仕事をする者たちがいた。習が権力を継承する数カ月前、彼は自らが江沢民と胡錦涛間の食うか食われるかの闘いの真ん中にいることを見出した。これは有益であることが分かった。彼が彼の権力を高めるための、またその後政治局常務委員一人と政治局メンバー三人――江と胡どちらかの取り巻き――を監獄に送るためのてことして、彼らの闘争を利用できたからだ。
これは、彼が古参幹部の後ろ盾をまったくもたないはるかに弱い立場から始めたことを思い起こすならば、習が有能な政治家であることを示している。われわれが広範に広まっている噂を信じることができるとすれば、二回の任期を超えて権力の座にとどまるために彼は、恒常的に貴族政治の傾向を抑え込まなければならない。そしてあえて彼に挑戦する大胆さをもつ者たちを粉砕しなければならない。あるいはそうしなければ彼の独裁権力は、貴族政治によって掘り崩されるだろう。
近頃信頼に足る香港紙が、習がどれほど公正で厳格かを伝えた。すなわち、彼は「紅二代」に属する彼の旧友からの昇進要求を単純に無視している、と。もう一つの報道も同じことを書いている。「紅二代」の何人かが「紅二代」のための特別団体設立に許可を求めたが、これは習から拒否された、と。
習はまた、ムチに加えてアメも必要としている。彼は、紅二代を抑え込む傍らで、官僚内の他の勢力を撃退するために彼らからの支えも必要なのだ。それゆえ彼は、その世代との一定の取引を取り決め、彼らが何らかの明確に境界を定めた権力を分かち合うことを許さなければならない。いくつかの噂があり、それは、習の反腐敗キャンペーンが地味な背景を出身母体とする官僚を主に標的にしている、そして紅二代にさわることはめったにない、というものだ。これが正しいとすれば、それは、二つの側の間にある事実上の取引に関する好例となる。
二種類の官僚間の裂け目拡大へ
――官僚内部には他の勢力がいる。はっきり言って、現在中国共産党にはどれほどの数の分派があるのか? そしてそれらが表す政治的立場とはどういうものか?
より中心部の党内闘争に対し「分派」という言葉を使うべきかどうか、私には確信がない。私はむしろ「派閥」の方を使いたい。世間一般の通念にしたがえば、各々その指導者に江沢民と胡錦涛をいただく、上海閥と共青団閥がある。そこに実質的な政治的違いがあるかどうかははっきりしない。習の成功は、その歩みの中で彼自身の閥を固めつつ、双方の派閥出身の主な幹部数人を部分的に打ち倒したことにある。しかしこれら最高位指導者たちの言葉と行為を注意深く検証した場合、それはそれでもわれわれを、党中心部の闘争が政治的相違を付随しているのかどうかという問題に関し、一定のヒントへと導くことができるだろう。
党内部には、たとえば前首相の温家宝のような人々がいる。彼は「紅二代」への流れによりひっくり返されたのだが、「普遍的な人権」の必要性を語っていた。
「紅二代」の昇進は明白に、地味な背景をもつ者たちに警告報を発している。そして、官僚の二つの異なった要素間の分断をさらにより見えるものにしている。
派閥の問題とそれらが表現する政治の種類からは独立して、二種類の幹部がいる。一つは、彼らの両親を理由に権力に達した「紅二代」の官僚だ。そして第二の者は、もっと地味な背景から現れ、試験の好成績と懸命な努力と幸運を通してはしごを一歩一歩這い上ることで、はじめて成功した。後者の層から出ている多くの者がまた共青団出身でもあることは偶然ではない。それはそれ自身党から、指導部に向けた準備学校と見なされているのだ。
胡錦涛はこの水路を通して権力に到達した。紅二代の高まる野心により、地味な背景を出身母体とする官僚は脅威を感じている。習は、薄煕来の攻撃を打ち負かすために胡を利用した。そしてこの後継承した習は、「団派」と呼ばれる、共青団派閥への対処に転じ始めた。その手段は、共青団を無能だと責め、その予算を半分に削減することだった。これは、二種類の官僚間の対立に関する見間違いようのない兆候だ。
そうであってもそれは必ずしも実のある政治的相違を意味するわけではなく、独裁権力と貴族政治への党の同時的退行の結果として、官僚内部の裂け目が広がり続けていることを意味しているのだ。反対方向の意見を声にしたことのある温家宝がまた地味な背景から身を起こし、彼自身の懸命な努力を通して彼の道を努力の末に作り上げた、ということはおそらく偶然ではない。彼のような人びとは、指導者選抜において「紅い血統」が第一基準になるならば、決定的にさらに敗北しなければならない。これらの違いは、ある種の政治的危機が勃発する場合、将来さらにもっと見える形で噴出するかもしれない。
古くて新しい官僚制の根本問題
これは新しいものではない。中華帝国の歴史上、高貴な背景をもつ、あるいは高官(勲功を上げた政治家、すなわち皇帝に傑出したサービスを提供した個人)の子孫である官僚たち、または完全に制度化された官吏と、地味な背景からのし上がった者たち、これらの間の緊張は常に存在した。時としてこれは、たとえば唐王朝期を通じて、部分的に分派間闘争の境界を定めた。
これはまた、官僚制が超越的な権力を授けられた場合に官僚制が抱える問題でもある。つまり官僚制には、貴族政治に退行する生来的傾向があるのだ。しかしまさにこのために、官僚制は改良主義的な反応をかき立てる。つまり、地味な背景をもつ人々を含んだすべてに開かれた、徴募と試験を通じて自身を確実に再生産できるように能力主義を支持することによって、先の傾向に対抗しようとする反応だ。
時代のほとんどでこの二種類の官僚は、官僚的な形式主義と機能不全すべてを抱えるとしても、共に活動することができる。しかし彼らの間の緊張は、社会的、政治的危機が広がり出す場合、より鋭くなり、政治的違いの中に一定の支えを確保し始めるかもしれない。
――しかし、全権力が習の下に集中される場合、これまでの話のこの側面は、中国共産党の将来の発展にどのように作用するのだろうか?
中国史に関する話の教訓は、習が仮に自らの下に無限定に全権力を集中できるとして、そしてそれは一〇年という任期限定の先例をうまく打ち破るということを意味しているのだが、それでもそこには解決不能な問題がある。貴族主義への退行と官僚制の全般的退廃その他の背後には、勤労民衆が生産した超過生産物のさらに多くの分け前を収奪する、官僚制の全般的傾向があるのだ。
中国共産党による国の略奪は、今日の中国の連続的成長がひどく債務に依拠するほどまでに深まっている。これが限界を超えて全体を崩壊させる時、それは危機の時にいたるだろう。
われわれが帝国の王朝史を凝視すれば、下からのすべての蜂起のはるか前から、王朝は常に劣悪な状態の中にあった。それは、全般的な腐敗、規律の喪失、公的な富と民衆の富両者の略奪によって駆り立てられたそれ自身の遠心力から、すでに大きく弱められていた。これらはまた、より感受性の高い官吏たちが、官僚が集団的に腐敗を抑え込み、社会的富の略奪に一つの制限を加える必要を自覚するようになった時でもあった。これは、改良と反改良の、そしてそれと共に官僚内部のより中心部の闘争の、危うい循環を始動させた。
いくつかの意味でわれわれは、今日似た情勢に到達しつつある。習近平の腐敗を抑え込もうとする努力は、彼のキャンペーンの目的が主には彼の政敵を取り除くことにあるとの告発は依然有効かもしれないとしても、過去の改良と似たものとして理解されるべきだろう。習は、彼の反腐敗キャンペーンの分野で一時的な成功を得るかもしれない。しかし長期的に見れば、官吏層内部に大きな不確実性をつくり出すことによって、国家機構を掘り崩しつつあるのだ。ほとんどの官吏とより重要度の小さな公人たちが彼らの家族と富を海外に移そうと試みている事実は、中国共産党内部の高まる遠心力の、まさに一つの見ることのできる印だ。
党内の長期的平和はあり得ない
習は確かに、官僚を統制し、彼らを彼の好みに合わせて形成する、多数のもっと近代的な手立てをもっている。それでも彼は、中華帝国の皇帝たちとの比較で一つの極めて重要な手立てをもっていない。官僚の最終的な仲裁者である皇帝は、彼の玉座を後継者に渡すことに関する正統性に悩むことはなかったが、習は、彼の頭に王冠をいただくことは言うまでもなく、終身の独裁者になることに対しても正統性をもっていない。
「偉大な主席」であった毛がこれを達成するために闘う必要があったとすれば(何という大闘争であったことか)、習のようなもっと小さな人物がそこ[終身主席の地位]に座ることができ、同じ結果を達成できるというシナリオなど、ほとんど想像することができない。「紅二代」と正規の官僚両者のレベルにある他の派閥すべては、王冠なき皇帝になろうとする習のもくろみには抵抗を挑むだろう。
言葉を換えれば、習への無制限な権力集中は、将来における党中心部のさらなる戦闘という結果になるだろう。彼が勝つか負けるかに関わりなく確かなことは、戦闘が一時的に終わっているとしても、また元最高指導者全員が出席した大会期間中、外見上仲むつまじい党指導部が見せつけられているとしても、党内部に長期の平和はあり得ない、ということだ。
以前の取り決め、つまり最高指導者の一〇年の任期プラス彼の後継者を推薦する特権でもし習が満足し、二〇二二年に降りるとすれば、どうなるだろうか?
これはさらに、習は同じく集団指導を自らに義務づけなければならない、ということを意味する。われわれはもちろん、この選択肢を習が選ぶという可能性を排除できない。しかしこの選択肢は、習が彼の前任者である江沢民や胡錦涛と同じ運命に見舞われるかもしれないというリスクをもたらすだろう。確かに両者の影響力は、彼らが降りるや否や腐食し、報復の標的になる可能性にも直面させられた。
習が他の派閥に対し行ってきたこと、また「なぜ彼か」(原注)の疑問が紅二代内部の彼の支持者から途切れることなく上げられることを前提とすれば、昔の決まりを守るという選択肢は習にとって魅力的ではないかもしれない。どちらの選択肢も実のある解決策とはならないのだ。
われわれは、習がすでに優位を確保した時点の二〇一六年三月、彼の辞任を求めるインターネットに投稿された文書を、まだ何人かの党員が得ることをできた、ということを思い起こさなければならない。それは後で削除されたとはいえ、大きな報復はまだまったく伝えられていない。
古い中国と新しい中国の抗争
まとめると、中国共産党の主な矛盾は次のようなものだ、と私は考える。
つまり、党は見境なく近代化を推進しているが、それは本質的に前近代的政治文化に深く根を張った官僚制なのだ。その結果、党は二一世紀に、あらゆる重要な官吏層に受け入れ可能な、権力継承に向けた安定した体制をいまだ生み出すことができずにいる。
ソビエト共産党は、スターリンの死後これを多少とも達成できた。中国共産党のこれに関する失敗には、その中世風な政治文化に起源がある。そしてその政治文化は、一九二〇年代後半、党が都市を放棄し、地方のゲリラ勢力になって以後組織され形作られた。確かに、中世風中国の影響力に加えて、極めて強力なスターリニズムの要素があったが、これは決定的に、中国共産党の権威主義と毛を中心とする個人崇拝文化に対するいかなる解決法にもならず、ただ後者を強化したに過ぎなかった。
中国共産党は確かに、同じくその西欧のライバルから近代的なやり方を模倣してきた。それは見落とされてはならないものだ。しかしこれらの近代的な諸要素は、昔のやり方に置き換わる代わりに、昔のやり方にかなり順応してしまったように見える。中国共産党内部にはかつて一定のもっと大きいリベラルな声があったが、習の権力への上昇は、まさにこの声の消滅を表現している。
結局われわれは、一つのシナリオに到達する。それは、中国共産党が民衆に対し「全体主義」支配を押しつけることができ、下部からの反乱という展望が今なお見込み薄に見えるとしても、システム内の破断は別のどこかで起きるかもしれない、というものだ。
権力継承の危機を解決する点における中国共産党のまさに不能性は、不安定な体制を意味する。そしてそれが明らかにするかもしれないことは、それ自身の前近代的政治文化が、彼らの両親よりも高い要求をもつ、急速に都市化し近代化された住民と、ますます衝突に入り込み、同時にますますそれへの対処が不可能になる、ということだ。古い中国と新しい中国の間で、ある種の長期的な力比べは始まったばかりである。(二〇一七年一〇月二二日)
▼區龍宇は、香港の指導的なグローバル・ジャスティスキャンペーン活動家。彼は現在、チャイナ・レイバー・ネットの編集者であり、インターネットメディアにコラムを書いている。
(原注)ある噂によれば、文化革命の経験を鑑みて、ケ小平以後、政治局常務委員に女性は一人も認められない、との合意が行われてきた。文革当時、四人組の女性指導者である江青が古参幹部の迫害を先導した。いずれにしろその時以後、女性が党の最高機関に認められたことは一度もない。それゆえ、この継承者は「彼」でなければならない。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一〇月号)
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