カタルーニャ
憲法155条
2017年10月23日 アンティカピタリステス・カタルーニャ
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1.ラホイ内閣による憲法一五五条の発動(カタルーニャ自治州から自治権を取り上げる措置)は、カタルーニャにおけるクーデターだ。この攻撃は、一〇月一日の民主的な付託と対話の要求を無視し、選挙で選ばれた政府の解体、自治州への選挙の義務づけを狙ったものだ。それは、同時にカタルーニャの公営メディアにも向けられた攻撃であり、このメディアは早くから、これが「表現と報道の自由」の侵犯であると、またそれにしたがうつもりはない、と言明してきた。
それは、一〇月一日へと続き、その日自体でも行われた攻撃の、われわれがその下で暮らしている絶え間ない警察の展開の頂点として現れたクーデターだ。そしてこれらの攻撃には、今回の運動の先頭に立ってきた教育部門の人びとに敵対する先週のデマゴギー、そしてもちろん、われわれが支持するオムニウムとANC(カタルーニャ民族会議)の代表である、ジョルディ・クイサルトとジョルディ・サンチェスの収監もある。
この一連の攻撃に対する対応は、昨日バルセロナの中心を埋め尽くしたほぼ五〇万人にものぼる人びとのように、決起するカタルーニャだ。
2.われわれが自己決定権を機能するものにできるのは、民衆的な自己組織化を通してであり、街頭においてだ。われわれはそこを起点にはじめて、体制の抑圧と脅迫に抵抗できる。メディア、警察部隊、あるいはカタルーニャ議会を指揮しようとするPP(国民党)の権威の否認は、われわれが先月に経験してきた大衆的な市民的不服従の、さらに先への飛躍を必要とする。
この飛躍を行うためにわれわれは、憲法一五五条に徹底した対決の対応を行わなければならない。すなわち、諸々の決起、ゼネスト、罰金を集団的に払うための基金集め、経済的オルタナティブの発展……を通す対決であり、誰もを置き去りにしないことを、われわれがその中で暮らす諸々の障害を克服することを、そして恐怖の戦略に対抗することをわれわれに可能とする、一連のイニシアティブだ。
3.カタルーニャ諸機関の自治凍結に込められた意図は、体制が追求していると主張する「正常性」への復帰とはかけ離れたものであり、反動的な効果を込められたある種の憲法的な復古の確立だ。首相が見出すものは、この反動を前にした、カタルーニャにおける大衆的な拒絶となるだろう。
カタルーニャでは不服従が組織されるだろう。そして孤立を避けるために、カタルーニャの外部での大きな連携が築き上げられるだろう。EUおよびその諸政権の権威主義的転回に脅かされているEU民衆との連携を築き上げ、しかし同時に、あらゆるところで憲法制定要求に弾みをつける可能性をひらくために、スペイン国家を貫く民主的反体制ブロックの再武装も行わなければならない。
4.権威主義的枠組みにおける憲法的な復古を避けるために、また一〇月一日に発する民主的な挑戦を後退させないために、カタルーニャの主権を実体あるものにすることが、いまや急を要する任務となっている。これが意味することは、独立はたやすいという話を克服すること、そしてわれわれが先行した挑戦を集団的に引き受けることだ。
われわれは次のことを確信している。つまり、この主権を物質化する道は、民衆的な憲法制定の歩みに道を開きつつあり、国民投票を防衛した人びとは同時に新共和国の主唱者になるだろう、ということだ。その憲法制定運動は、憲法を単に起草する運動ではなく、民衆的自己組織化から成長し、脅迫に打ち勝つ対抗権力を生み出し、しかしまた主権の領域を社会的に広げることをも可能にする、そうした新たな制度を発展させる一時期だ。
不服従と自己組織化はわれわれの制度だ。われわれはそこを起点に、その上に共和国が構築されることになる憲法制定の歩みを始める。
ポルトガル
地方選
右翼大敗、PS前進
前途に緊張はらむ多くの仕事
一〇月一日の地方選で、ポルトガルの政権党である社会党(PS)が三八%の得票率を得た。主要な右翼野党のPSD(社会民主党)は一六%にしかならず、八都市の支配を失った。棄権率は四五%だった(注一)。
有権者の選択では地方的な要素が圧倒的だったとはいえ、一〇月一日のこの結果にはもちろん全国的な意味がある。すなわち、この三二年間で初めて、政権党が自治体選挙で勝利を収めたのだ。
ポルトガルでは過去、一九八五年に政権党が自治体選挙で勝利する経験をした。一〇の自治体の獲得を伴う二〇一七年の社会党の勝利は、それが現在、この国の三〇八自治体のうち一五九の統治にあたっていることを意味する。
左翼の前進
に不均等さ
この選挙は、PSがPSD―CDS右翼連合にわずかの差で敗れた、二〇一五年総選挙後最初の選挙だ。しかしPSは、ポルトガル共産党(PCP)と左翼ブロックの議会での支持に基づき政権を作ることができた。トロイカの緊縮政策実行に責任のある右翼のPSD―CDSは、有権者がこの政権連合を敗北させるものと期待した。この選挙による右翼の敗北後、PSDの指導者であり、前首相のペドロ・パソス・コエロは、政治生活からの即時引退を公表した(注二)。
左翼はこの選挙で得票と被選出代表における比率を高めたが、すべての政党が同じような形で利益を受けたわけではなかった。事実として、新たな自治体を獲得できたのはPSだけだった。PCPは一〇の自治体を失ったが、そのほとんどはPSに奪われたもの――特に、PCPの歴史的拠点だったアレンテージョ――だった。そして左翼ブロックは、依然どの自治体も統治していない。
左翼ブロックの
結果はまずまず
左翼ブロックにとって結果は、ささやかなものにとどまっているとはいえ肯定的なものだった。それは得票数を増大させ(五万票)、自治体議員数を一〇〇から一二五に、地方行政区(フレグエシア)議員数を一三八から二一三に、副市長数を八から一二に増やした。当該地区の闘争を基礎とした、左翼ブロックキャンペーンの中心テーマは、透明性、管轄分野の防衛、環境保護、社会サービスと公共サービスの強化、自治体サービス職員の不安定性を終わりにすることだった。
左翼ブロックのまとめ役であるカタリナ・マルティンスは、その地域での存在を発展させる上で依然必要とされている重要な仕事があるということをわきまえつつも、リスボンの自治体執行部に対する左翼ブロックの候補者、リカルド・ロブレスの初めての選出を強調した(注三)。
リスボン市の現政治情勢は二〇〇七年の時と同じだ。市長のフェルナンド・メディナは、自治体議会で多数派を確保する上で、左翼ブロック議員の支持を必要としている。リカルド・ロブレスはキャンペーンを通して、全国レベルと同じ合意を実行できるように、リスボンでの条件を主張した。すなわち、手頃な賃貸住宅計画、数十の自治体託児所建設、学校向け予算の増額、公共輸送の開発だ。これからの数週間に行われる予定の交渉は、合意ができれば、左翼ブロックに副市長のポストをもたらすことになるかもしれない(注四)。
▼筆者は左翼ブロックのメンバーであると共に、元のPSR、第四インターナショナルポルトガル支部メンバー。また、左翼ブロックニュースウェブサイト、エスクエルダネットの発行と編集に責任を負っている。
(注一)左翼ブロックの歴史的指導者であるフランシスコ・ルカは「棄権率の低下はよい兆候だが、それは依然高すぎ、変わることなく多くの偽りがある。有権者名簿はまだ最新化されていず、それが棄権率を過大に見せている。そして選挙制度が信頼性と民主主義が求める動員を生み出すことを可能にしていない」と述べた。
(注二)「PSDの票が後退しPSが獲得した。PSDはリスボンとポルトで約一〇%となり、他方PSはその自治体での多数を強化した。PSD指導者のパソス・コエロにとっては、彼が候補者を選抜したのだから、それは困難な試練になっている」(同右)。
(注三)「左翼ブロックは得票を引き上げ、当該地区で多数を得るために決定的になるリスボンと他の都市で追加的な議員の選出を得る形で、勝利がもっとも求められたところで勝利した。ふれられるべきこととしてリスボンでは、あまり知られていない候補者で思い切った冒険をしたが、彼は信頼され、動員力があることを示した。党にとって学ばれるべき教訓があるとすればそれは、党は開放性と刷新によって強化されている、と言うことだ」(同右)。
(注四)「リスボンでのPS候補者であるフェルナンド・メディナは、楽勝だったとしても、左翼と折り合って進まなければならない。そして交渉は難しいものになるだろう。PCPはいくつかの自治体で左翼の立場での連携を行わなければならないだろう。そして左翼ブロックは、多くの町役場でこれから多数派が問題になるがゆえに、地方政府と共に体系的な仕事を組織しなければならない。全体として、PS―左翼ブロック―PCPの多数派合流が右翼の敗北のゆえに強化されるとしても、多数の交渉を必要とし、緊張を生み出す、多くの仕事をそれが抱えることになる、ということも現実だ」(同右)。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一〇月号)
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