ロヒンギャ
頂点に達している人道危機
ピエール・ルッセ
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誰が抑圧の的
にされたのか
ビルマ政権はロヒンギャに対し民族浄化政策を遂行中だ。ロヒンギャは、国から追い出され続けている。このムスリム・マイノリティに対する迫害はこれまで、このような暴力のレベルにまで達したことはなかった。ビルマ政権の本性、土地の横領と地政学的バクチの政策が、この人道危機の発作的性格に大きな責任を負っている。
ロヒンギャは、世界における主要な国をもたない住民の一つを占めている。これまでこれは常に事実だったわけではない。ビルマの当局は、以前は認められていた諸権利を彼らから徐々に奪い、経済活動、結婚、教育を受ける権利にますます大きくなる制約を課し、今回のテロの波という点に達するまで暴力的に彼らに抑圧を加えてきたのだ。最後のものは、ある種の体系的民族浄化政策に似ている。つまりロヒンギャは、死ぬか、それとも二度と戻らない形で去らなければならない。
ロヒンギャには「ロハングの住民」という意味がある。そしてロハングとは、この大多数がムスリムである住民によりアラカンに与えられた元の名称だ。それゆえロヒンギャとは「アラカンの住民」だ。現在のビルマ当局は、彼らがロヒンギャを外国人と考えているがゆえに、ロヒンギャ自身がそう呼ぶ権利を彼らに否認している。
ビルマは一四の州と行政区域から構成されている。アラカンの公式名称はラカイン州だ。それは、ベンガル湾に接したこの国の中西部に位置し、バングラデシュと短い国境を接している。ラカインにはまた仏教徒も住んでいるが、彼ら自身周辺化され、差別されている。実際この州はこの国でもっとも貧しい州だ。過去、この二つのコミュニティ間に何らかの特別な暴力的対立があったようには見えない。
ロヒンギャの歴史は僅かしか知られていない。そして政治的論争の対象になった。しかしながらアラカンにおけるロヒンギャの存在は、長い過去にまで遡る。他方、一九世紀後半と二〇世紀はじめ、英国支配の時期、一つの移民の波が起きた。そしてそれを理由にビルマ民族主義者はロヒンギャを非難している。
ビルマにおける市民権の問題は複雑だ。つまりそれは、全員に同じ権利を自動的に与えるものではない。こうしてカム(諸々のムスリム集団)は認識されているが、しかし彼らの行動の自由は厳しく統制されたままにある。ロヒンギャは過去、身分証明カードをもち、ある種の選挙に対し投票権を確保していた。
国なき人びと
は創出された
二〇一二年、ビルマ政権は公式に認められた民族グループ一三五のリストを公表した。そこにロヒンギャは含まれていなかった。こうして彼らは何であれあらゆる市民権のない者になっている。政権は仏教民族主義の圧力の下に、ロヒンギャに対し一層差別的となる諸方策を加えるようになった。
彼らはもはや選挙に投票することも立候補することもできない。彼らはベンガル人として記録されなければならない(他方でバングラデシュは彼らを認めていない)。禁止措置は、経済的レベルで、また社会的にも積み重なっている(彼らは店を開くことができず、仏教徒と取引することもできない)。また、医療を受ける権利、教育、結婚(行政的管理の下に置かれて)、もつことのできる子ども、旅行、その他に対する制限もある。ラカイン州でのコミュニティ分離は厳格となった。
反ムスリムキャンペーンは一層攻撃的になっている。二〇一二年、仏教民族主義者たちはレイプの噂の後、家々を焼き討ちし、二八〇人以上のロヒンギャを殺害、何千人もの人びとが、その多くが小舟を使って逃げ出す原因を作った。しかし彼らはしばしば、隣国から難民となることを否認されている。正体不明のグループが引き起こした一つの小規模な武装事件が、ムスリム地域を系統的に占領するにあたって、軍と警察により利用された。
非武装の人びと
への政権のテロ
このような状況を前に、活動家たちは、原理主義に反対し、自身を自衛と解放の運動と表明しつつ、アラカン・ロヒンギャ救出軍(ARSA)を作り出した。ビルマでは多くの民族的マイノリティは武装し、何十年間も政府軍に抵抗することができてきた。しかしこれはロヒンギャには当てはまらなかった。そして今もそうだ。実際ARSAは極度に初歩的な武器しかもっていない。それは二〇一七年八月、警察と軍の詰め所を攻撃した。この戦闘では一〇〇人以上の死者が出た。そこには一ダースの警官が含まれていたが、残りすべての犠牲者は攻撃した側だった。
「軍事」の側面では、ARSAはビルマ当局にとってまったく重要度の低い問題だ。彼らが注意を向けてきたのは他の者たちであり、そして彼らは、望む場合は交渉の仕方を知っている。しかしこの問題の場合、彼らは交渉を望んでいないのだ。ロヒンギャ・コミュニティの全体が犯罪当事者(「ベンガル人テロリスト」)にされた。確かにテロはあるが、しかしそれは政権のテロなのだ。
われわれは今、系統的な非武装市民の虐殺、一つまた一つという村々の焼き討ち、逃亡者狩り、その他を伴った、広大な民族浄化作戦を目撃している最中だ。すでに四〇万人以上のロヒンギャが、バングラデシュで、それだけではなくマレーシア、タイ、さらにインドネシアまでも含む国で難民資格を得ようと、国境を越えたが、多くの孤児を抱えて全面的に困窮し消耗しきった境遇に直面している。
これらのできごとの前、ラカイン州のロヒンギャ人口は一一〇万人と見積もられた。過去には大脱走の局面が存在していた。一九七〇年代以後、一〇〇万人以上がすでに迫害から逃げ出していた。受け入れ国の条件はしばしば惨めなものになっている。国なき者となった彼らは、今もその状態にとどまっている。国際諸機関は重要な援助プログラムを始動させつつある。しかし不幸なことだが経験が示していることは、それらの諸限界であり、あるいは、難民自身による彼らの将来に対する集団的管理に向けた諸条件が満たされない場合の、長期的に見たそれらの非道な作用だ。
仏教徒右翼の攻撃と圧倒的孤立
ビルマの戦闘的な民族的マイノリティは過去、外国政府(中国を含む)から援助を受け取ってきた。ロヒンギャに対しては、バングラデシュからさえもそうした種類のものは何もない。むしろバングラデシュ国境警備隊は、あまりに多くの場合、虐殺を逃れた難民たちを拒絶し、彼らに嫌がらせを行ってきた。
ビルマそれ自身の内部では、重要な勢力はただ一つも――他の民族的マイノリティも、軍事独裁に対する歴史的な敵対者だった、そしてノーベル平和賞受賞者であり今は国家の頂点にいるアウンサン・スーチーも――彼らを守ってこなかった。彼女は、人権の主張よりもビルマ民族主義の主張を受け入れているのだ。
アウンサン・スーチーは今年九月一九日、初めてこの問題を認め(その重さを認めることなく)、彼らの市民権を確かめた後に難民たちの帰還が組織されるだろう、と言明した(しかしそれは撤回されてしまった!)。われわれは何が起きるかをこれから知ることになる。
しかしながら現在まで、彼女は彼女のスポークスパーソンと共に、軍の傍らに確固として立ち、国連の援助出先部署を「テロリストの共犯者」と非難することまでした。彼女は、米国にロヒンギャという言葉の使用を止めることを求めてきた。彼女は、ラクヒン州の状況に関してつくり出された騒音すべては、偽情報キャンペーンにすぎない、と力説した。
人は、アウンサン・スーチーの姿勢は彼女の考え方がどれほど伝統的な「ビルマ風」かを、また彼女のロヒンギャに対する同情心の欠如をあらわにすることになる、と気づかうかもしれない。しかしそれは、ビルマにおける力関係の現実をも映し出している。
「民主主義を求める国民同盟」(NLD)は二〇一五年の立法院選挙に勝利したとはいえ、軍は依然として決定的な権力を諸々確保している。憲法は彼らに三つの鍵を握る省庁、内務省、国防省、国境警備省を与えている。また議会議席の二五%を彼らに保証している(つまり、それはあらゆる憲法修正に対する拒否権だ)。軍は、国の安全保障に関係するあらゆることに関し――したがってムスリム領域に関し――、より上位の支配権を確保しているのだ。
そして軍は警察からの支えを受け、極右の仏教徒民兵によっても支えられている。影響力のある極右仏教徒運動は、レイシストで外国人排撃主義者である僧侶のウー・ウィラチュという人物を指導者として生まれた。そして彼に対し仏教がロヒンギャの殺害に権威を与えている(唱導さえしている)。
アシン・ウィラチュは二〇〇三年、レイシズムの憎悪を煽った件で、二五年の投獄刑を宣告されたが、二〇一〇年に恩赦を受けた。彼はムスリム(この国の人口の約四%)を標的にした「九六九運動」を作り出した。ムスリムは仏教を基礎にしたビルマ人の「アイデンティティ」を脅かすと、またビルマ人の若者と結婚することでビルマのイスラム化を狙っていると言われている。
ウィラチュの説教は、二〇一二年の共同体間の暴力に力を貸した。彼は「九六九運動」の禁止後、人種と宗教の保護をうたう団体、「マ・バ・ザ」を、次いで慈善団体の「ブッダ・ダマ基金」を作り出した。後者を構成しているのは大部分出家していない信者だ。そしてこれが、彼の聖職者組織に対し次々に下される禁令を彼がうまくくぐり抜けることを可能にしている。ウィラチュは、彼のヘイトスピーチを流すためにソーシャルネットワークを利用している。
この仏教徒極右の影響力は、政府がとった決定の中にさえ感じられる。たとえば二〇一五年、政府は「人種と宗教に関する法」を採択した。そしてそこには、ムスリムのカップルがもつことのできる子どもの数を制限すること、仏教徒の女性がムスリム男性と結婚することを、特に女性が彼女の配偶者の宗教に改宗することを禁止することにより、「防止すること」が含まれている。
グローバル資本
主義が危機促進
時代を示す一つの兆候だが、NLDの勝利は、民主化の歩みの引き金を真に引くことがなかった。つまりわれわれは、諸々の体制がますます権威主義的になる傾向にあり、その逆がない、そうした一つの時代に生きているのだ。
軍はその支配を何とか永続化することに成功した。ロヒンギャの危機は、その覇権の確立の中で頂点に達した。そしてこれは偶然ではない。それはまたビルマ民族主義を悪性のものにした。さらにそれは、この体制から庇護を受けた者たちと多国籍企業のために、虐殺されたか、あるいは帰還の望みもないまま国を追い出されたムスリムの人びとの土地に対し強奪を可能にしているのだ。
ロヒンギャが苦しめられている民族浄化は、民衆諸層に対するビルマにおける強奪、という全般的な進行の極端な表現なのだ。住民の強制追い立てが数多くある。大投資家の便宜を図る土地強奪に向けた青信号が政府により与えられた。この国は長い間、資本主義的グローバリゼーションの欄外にあった。それが今や、外国資本に開かれようとしている。それは「ニューフロンティア」になったのだ。
ビルマは今激しい地政学的競争の焦点だ。たとえばインドは資金を投入し、ベンガル湾にインドのミゾラム州を結び付けるためにシットウェ港を建設した。中国政府は、民族的マイノリティ地域に数多くの投資を行っている。そして中国の昆明とシットウェ間でパイプラインの建設を継続中だ。米国について言えば、この重要な国で北京の高まる影響力に対抗することを基本と考えている。
政治的術策、経済的利害、そして地政学が、「ロヒンギャ問題」に対するビルマ当局の解決策である暴力と、大いに関係している。ビルマにおける民族関係と宗教関係の複雑さは明らかに考慮されるべき一要素だ。しかし彼らの憤激は、それに関する「精神的なもの」とはまったく関係がない原因が源になっているのだ。
これはまた、EUと米国が、言葉上の抗議の先で、ビルマ政権とまさに親密である理由を説明している。テロ政策と民族浄化の停止は、優先順位にあるとは考えられていない。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年九月号)
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