カタルーニャ
労組活動家へのインタビュー
自身の手立てでの介入が決定的
独立の道に新たな展望
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カタルーニャでの一〇月三日のゼネストは、この州における四〇年以上で最大の決起だった。それは、インテルシンディカル・アルテルナティバ・デ・カタルーニャ(IAC、カタルーニャの戦闘的労組の職種間連合)、労働総同盟(CGT、自由主義の伝統をもつ)、シンディカト・デ・コミッショネス・デ・バセ(労働者委員会の分裂組織)、そしてインテルシンディカレ―CSCによって呼びかけられた。警察の弾圧に反対し一般民衆の自由を求める政治ストライキという考えは、親独立の歩みに決定的な影響を及ぼした。フランスNPA(反資本主義新党)機関紙、ランティカピタリストのアレックス・Gが、IACおよびアンティカピタリスタスメンバーのリトと、この歴史的な決起について語り合った。
旧来の右派指導部を乗り越える
――一〇月三日のストライキはどう準備されたのか?
学生と労組の諸連合体、移民諸組織、フェミニスト諸団体、また左翼政治諸組織を伴ったカタルーニャ労組左翼の協働の空間が、スペイン国家の抑圧的諸行動に対する一つの対応を可能にした(注一)。この空間はまた、ゲネラリタート(カタルーニャ自治政府)の親独立多数派の仲介者である二つのカタルーニャ市民団体、カタルーニャ民族会議(ANC)とオムニウムをも含んでいた。ストライキの召集は、CC・OO(労働者委員会)とUGT(スペインにおけるもっとも大きな二つの労組連合)にも圧力をかけた。そしてこれらは、中でも中小企業の企業家諸団体、公立大学カタルーニャ協会、またANCと共に、タウラ・ペル・ラ・デモクラシア(民主主義を求める委員会)を設立していた。
この空間は当初、一〇月二、三日に関する決起を呼びかけることを願わず、むしろ一〇月五日の活動停止呼びかけを願った。これらすべての組織は、結局一〇月三日の決起を呼びかけたが、そこには微妙な差違があった。
既成のものに代わる労組のすべては関連する権利に基づきストライキを想定したが、「民主主義を求める委員会」は、「国の活動の停止」について、一種のロックアウト(事業所閉鎖)、つまりカタルーニャ諸機関や諸企業と交渉した上でのストライキについて語った。なぜならばCC・OOとUGTにとっては、ストライキという言葉が政治的に負担となるからだ。独立運動に関与していたより穏健な部分、実際には右翼の部分にとって、ロックアウト方式がより同意できることだった。
――国民投票の防衛をめざした諸々の委員会と市民運動団体の「エスコレス・オベルテス」(学校開放)は、ストライキ準備にどう関わったのか?
ある種混乱したやり方と部分的なやり方でだ。
「学校開放」は、この国の中の活動停止を推し進める点で、「民主主義を求める委員会」により強く結び付けられてきた。諸々の防衛委員会は、労働者階級の力量強化とストライキにもっと力点を置いた。
これらの地域単位で構築された委員会は、そのようなものとして、職場でのストライキをつくり出すことはできなかったが、ストライキをロックアウトに対置した。それらはいくつかの場所、特にバルセロナでは、ストライキの大義を説明しつつ、ストライキ行動、職場の近くでのデモ、主要道路の封鎖へと進むよう諸行動を導いた。
今やストライキは終わり、諸々の防衛委員会は、組織化を継続したいと思っている。たとえばバルセロナの住居地区であるポブレ・セクでは、日曜日(一〇月一日)における投票所防衛と火曜日のストライキを組織し終えた後にも諸々の集会が続いている。地域単位の共同というこの空間は必要だ。それが、独立運動に対する民衆諸階級の介入に、国家との関係で不服従を強め、独立運動指導部を出し抜く点で余地を与えるからだ。
ストライキを通じた新たな経験
――職場でのこのストライキに対する尊重はどれほどのものだったのか?
それは、古典的な基準に従えば理解不能な「異常な」ストライキだった。社会的かつ仕事に関係した要求は確かに明確にされていた。しかし総じて言えば、要求は民主主義のそれだった。すなわち、警察の抑圧反対、スペイン政府反対、国民投票結果の受容支持、といったことだ。
一〇月三日の決起は、中小企業におけるロックアウトの諸要素を、ストライキの相貌に、またカタルーニャ諸機関による行政執行の取り止めに組み合わせた。たとえば、ほとんどの教員はストライキに立ち上がったが、教育諸機関はゲネラリタートの教育所管部署により閉鎖された。また諸々の大学も閉鎖されたが、学生は集会を行った。港湾労働者は大挙してストライキに立ち上がる一方で、たとえばCC・OOやUGTが影響力をもつ金属労働者部門では、生産停止は相対的に弱かった。
しかしながら何百万人という人々はその日一日中街頭にいた。たとえば七万人の住民を抱える町であるマンレサでは、四万人がデモを決行した。ゲネラリタートの場合行政執行の取り止めは、この決起を統制し、その独自の役割を際立たせる一手段となった。しかしそうであってもこのすべては、独立運動の指導部を出し抜くことに導いた。
――労働組合左翼と社会運動から現れたこのゼネストの主導性は、独立運動にどのような影響を及ぼしたのか?
その重要性は、民主主義の要求と社会的な要求のはっきりした結びつきにある。現在まで、この歩みを率いてきたのはいつも親独立派の右派だった。しかし一〇月三日、階級闘争の記憶に訴える民衆的で民主的なスローガンが、民主主義の防衛と社会の変革の間に結びつきを作ることを可能にした。
興味深いことは、労働組合運動を通して団結しているわけではない民衆の諸部分が決起することを、このストライキがどのように可能にしたのか、を知ることだ。ゼネストの共同空間は、フェミニズム運動、職場の諸問題、移民の権利を伴って、社会横断的な取り組みと諸々の論争に余地を作り出した。人びとは、女性が率いる介護労働者のストライキがもつ意味を発見することを可能にする、あるいは移民がストライキに参加する理由を理解する、さらにあるいはスペイン国旗を携えた人々が立ち上がったことを理解する、そうした大衆的な経験を得ることになった。他方人びとは、国家に服従しない、広場を占拠する、道路を封鎖する、あるいは商業を止める経験を得ることになった。
独立後の社会
めぐる論争へ
――労働者階級と社会諸運動は、どのようにして独立運動の主唱者になることができたのか?
民衆諸階級と労働者階級は、古典的であろうがもっと現代的であろうが、すなわち、ストライキや居住地防衛委員会といった、決起に関するそれ自身の道具をもって介入しなければならない。現在まで運動の多数派指導部は、「市民としての権利」という観点を保持していた。しかし国民投票防衛委員会は、社会評議会や地域単位評議会の萌芽的要素を導入している。
この間の日々、決起した人びとは、政治についてかつて以上に階級の言葉で語り合っている。戦闘的労働組合運動、社会運動、そして左翼の政治運動の共同は、独立運動のおとなしい指導部を超えた民衆諸階級の団結を可能にしている。
例として、ゼネストを求めて声を上げている部門のほとんどを見つけることができる空間は、「尊厳の行進」だ。この共闘機関はカタルーニャ社会的権利憲章を提案してきた(注二)。 カタルーニャ共和国の宣言を仮定した場合、われわれが建設したいと思う共和国のタイプ、すなわち、医療や教育のシステム、労働関係、女性の権利に関わる諸政策、を論争することが必要になるだろう。先の憲章は、現地の諸問題とスペイン国家レベルにおけるさまざまな結びつきを組み合わせることによって、新たな社会のあり得る建設に関する鍵となる諸要素を論争する上で、一つの道具だ。
現実にこれは、この綱領と階級の言葉でわれわれの要求を提示し説明するために、労働者階級の具体的な諸部分との論争をつくり出し、村々に向かうことを、すでに可能にしている。そしてこの村々こそ、社会的で連帯的な組織が弱いところであり、親独立派の右派が支配的影響力をもち、一定の受動性が存在しているところなのだ。
(注一)ここで挙げた四つの労組と二つの学生組織に加えて、フェミニスト団体のコ・ラ・ドナ、農民会議、闘う消防士、バルセロナ港湾労働者、年金生活者の波、尊厳の行進、CUP(反資本主義の自立的左翼である、民衆的統一を求める候補者)、ポデム、憲法制定運動、レボルタ・グローバル(カタルーニャ内のアンティカピタリスタス)、が総体的かつ社会的なストライキを求めて声を上げた。デモを呼びかけた文書は社会的権利憲章を支持している。そしてこの憲章は、「この間の年月におけるさまざまな社会運動によって、すなわち、食料主権に向けた社会的で連帯的な経済から、男主義的暴力に対決しフェミニスト的闘争に向かう地域の防衛から、そして平和運動から移民の権利の確認にいたる、蓄積された諸々の実戦と経験すべてを高く評価している」。それはさらに「この年月われわれの生活をより不安定にしてきた、そして銀行救出に利益となる形で公的部門を解体してきた緊縮諸政策」を糾弾した。
(注二)この憲章を明確にするための最初の会合には、すでに挙げた他の組織の中でも、団体協約を求めて闘っている女性のウエイトレスと清掃労働者の運動であるケリス、移民の運動である「みんなのためのドキュメント」、アサムブレア・グロガ(公的、世俗的、かつカタルーニャ語の民主的教育を防衛する、教育コミュニティ会議)が参加した。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一〇月号)
フェミニズム
新たな高揚への試論
女性は民衆解放の戦略的主体
ライア・ファセット
私は今年のフェミニズム運動の盛り上がりに続いて、IIRE国際女性セミナーにおいてこの数週間、世界のさまざまな地域から来た女性たちと議論と経験を共にする機会をもった(注)。それは、同志ジュリア・カメラとのいつも通りのまた必要な語らいと意見交換に加えられたものだった。わたしは、女性としての仲間関係に関する彼女の最新考察とこの意見交換に続いて、多くの人々と共有するかもしれない一つの直感を思い切って発展させた。それは、解放の戦略の効果的組み合わせがはらむ複雑さをわれわれが理解することを可能にするかもしれない、集団的論争から生じている考察だ。
女性の重荷を世界的危機が倍加
われわれは、フェミニズムの国際的決起の新しいサイクルを今目撃しつつある。そしてこれは、特に今年見ることができる何かだ。三月八日の呼びかけに対する反応、さらに世界中の女性行進におけるその再現は、この何十年間との関係では新しいものだ。
しかしわれわれはまた、二〇一一年以後のサイクルでも、抗議行動のフェミニズム化を今経験しつつある。われわれはそれをアラブの春の中で見た。そしてわれわれはそれを、公共性の防衛に関する決起の中に、ラテンアメリカ小農民の諸々の抗議行動の中に、あるいはスペインのPAH(「住宅ローンに苦しむ民衆のためのプラットホーム」)におけるより特別な形態の中に見てきたのだ。それは偶然ではない。
女性におよんでいる社会的・経済的危機の厳しい波及作用は、幅広く論じられ分析されてきた。たとえば、福祉国家の解体は、何百万人という女性の生活諸条件にどれほどの打撃となってきたのかと。この女性たちは今、自身がはるかに高い貧困率の下にあること、以前の何十年という時期に比べ彼女たちの重荷が増大していること、を見出しているのだ。
女性たちは、非公式的で水面下にある経済の特定領域をどれほど満たしているのか、われわれは生活諸条件をどれほどがまんし続けているのか、などの議論もある。女性たちはすでに二〇〇八年以前に、二重、三重の負担を引き受けた。そしてその諸条件は、勤労諸階級と民衆諸階級のますます増え続ける部分に全体化されてきた。女性たちは、家の内外で、市場の内外で、また雇用の内外で、出生を担う者の重荷を背負っている。
資本主義世界
の戦略的な層
前もって疑いを払いのけることとして、それは、第二の波のいくつかの潮流が主張してきたような、女性がそれ自体で「家事」に結びついた一つの階級を構成する、ということではない。つまり要点は、われわれは資本主義世界の戦略的な層として存在している、ということだ。
われわれが潜在的能力を秘めた一つの戦略的な主体となっているということは、全体としての資本主義における、そしてわれわれが経験している特定の危機再発における、上に見た位置にある。それは、ある種の「抑圧蓄積」による――抑圧がひどければひどいほど、潜在的可能性はより高まる――ものではなく、われわれを戦略的な地位に配置する、再生産維持(その最も広い意味で)の役割を通して、ということだ。
再生産を維持するということにはケアが組み込まれるが、それだけではない。つまりそれは家事を組み込んでいるが、家庭の壁のはるか先にまでおよんでいる。次世代を送り出すという問題は、市場にも、雇用にも、国家にもおよんでいる。それゆえ女性の過半に影響を及ぼす。すべてというわけではないが、ほとんどの女性は、この地位を横断的に占めている。しかし、彼女たちの何人かは限界に達したときに変化にいたるかもしれないとはいえ、ブルジョアジー、既得権層、上流社会、支配的エリート、国家機構の女性は、その役割を演じることはない。
ともかくわれわれとしては、現在の局面に応じた鍵となる経験を蓄積してきた。つまり、福祉国家はそれ自体不十分だったのだ。
それはなぜ鍵となる経験なのか? スペインのフェミニスト経済論は、多くの論者の仕事を通じて、この問題に関して発展してきた。そして「福祉国家」と呼ばれたものの諸限界について十分な再評価を提供した。私はそれらを別の言葉で言い換えることはしない。しかし私は、われわれが自身をそこに見出している資本主義の危機局面において、先の蓄積された経験が、経済的、社会的、また政治的戦略を再考する上で、鍵だと確信している。
福祉国家では
解決にならず
ほとんどの女性にとってはそのようなものではなかった「福祉」について、その黄金時代への回帰という一種の幻想に位置が与えられてきた。しかしそのことは、望ましい展望として機能しているのだ。
他方で搾取率は高まり続け、プロレタリア化の進行は世界的に高まり続けている。そして非公式的な、また家内経済は、階級のかつて以上に増大している層の中での生き残りにおいて、中心的な役割を演じている。それは、ラテンアメリカや中央アメリカの女性がまったく十分に知っているものだ。
この周辺は、福祉国家が発展しなかっただけではなく、中枢の諸国家を支えるために、高い搾取率と抑圧を維持してきた地域だ。二年前ブラジルの同志たちは、スペインの状況に関する報告を聞きながら、「あなたたちは今ラテンアメリカ化の過程を生き延びている」と私に語りかけた。それは、判断が難しい言葉だが、われわれが進もうとしているところに向けて、はっきりした傾向を示している。
われわれは一つの衝突の中にいる。それは、資本主義のこの局面では実現されようもない諸々の期待と、そこに向けて社会主義化され、十分に成熟させられた経済戦略がまったくない変革サイクルの現実、この二つがつくり出す衝突だ。
人口の半分に対する抑圧の基礎を掘り崩すことを追及する戦略は、「統合され」なければならないだけでなく、後戻りも役に立つケインズ主義的処方箋もまったくない現在の資本主義枠組みにおける、社会的、経済的諸政策をも再考しなければならない。
女性が果してい
る機能の動力化
われわれは、国家が溝を次々に大きくなるままに放置している枠組みの中にいる。それは、国家がこれまで引き受けてきた再生産機能(教育、医療、社会的サービス、その他)の溝、働く女性に対し搾取的で、残酷で、情け容赦のない市場が接収することにより、現在商品化されている再生産機能の溝だ。あるいはその溝は、先のような諸機能を再組織化すること、それらを家庭の壁の中に囲い込むこと、また個人的に、あるいは家族形態の中で女性の肩にかかるに任せることの中にもある。
作業を組織化する新しい方法、自然と関係を結ぶ新しい方法、あらゆる種類の恐怖症から解放されて、共通の利害を経験しているわれわれ自身を関係づける新しい方法、それらを提案する可能性は、われわれが影響力を発揮していることの中にある。それは、掃除をし、調理し、いやし、世話をし、働く同じ管理能力の中に、地球と公共性とコミュニティと身体を守る同じ主導力の中にあるのだ。
われわれはこれをとうに行っている。われわれはくらしを組織している。こうした共通の利害を、見えない形で、周辺化されて、そして悲惨な状況の中で維持し、追い求めているのは、今日われわれなのだ。これらの力は、こうした諸機能を包括的な政治的、経済的戦略の中心に置くことによって、彼女たちを集団的に組織するために動力化されなければならない。
自己組織の強化
が秘める可能性
そして女性労働者の利益はわれわれの利益と言うだけではない。それは、底辺の者たちの、米国の同志たちの言う九九%の、社会的多数の利益、全体としての階級の利益だ。したがってわれわれは、われわれの諸闘争から現れる他の諸機関を、フェミニストやフェミニズム化された自己組織の経験から組織する潜在能力を保持している。それが生み出す機関は、われわれの役に立ち、われわれの支配下にあり、社会の危機を抜本的なやり方で解決するものだ。
それが意味することは、その潜在能力を発展させるために、われわれの実践を通して戦略的に考えることだ。なぜならば、潜在能力とはまさに、活力あり意識的な政治がまったくない場合、現実になりようもないものだからだ。それは、政治的な正しさの問題としてではなく、戦略的な要素として、あらゆる可能な領域において、女性の自己組織を強化し深めることを意味する。それは、権力の脱中央集権化を進め、基本的な必要を満たす新たな諸機関へ権力を引き渡す(権力をとれ!)ことだ。
われわれは一〇〇年前を回顧することができ、ペトログラードの女性から教訓を引き出すことができる。その時戦争と貧困の惨めさに絶え続けた女性たちは、三月八日に爆発し、二月革命の口火を切ったのだ。しかしまた彼女たちは、ストライキ運動の支持者とも、参加者ともなったのだった。確かにそれらは当面適用できる着想ではないが、それを基礎に努力する展望、解放の戦略を固めるためにわれわれの日々の活動に道筋を与える展望だ。
▼筆者はスペインのアンティカピタリスタスのメンバー。
(注)国際女性セミナーは、第四インターナショナルにより二年ごとに組織されている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年九月号) |