イラク北部でクルド人の自決権を問う国民投票が行われ、中東に新たな緊張か、と報じられている。以下はこの国民投票について、この投票に先立って書かれた論考だ。この問題をめぐるさまざまな背景事情を伝えている。(「かけはし」編集部)
一九九一年以来の三州から構成されたイラク北部自治地域、イラク・クルディスタンの独立に関する国民投票は、この九月二五日に行われる予定だ。
この投票は、法的拘束力のあるものにはならないだろうが、賛成票が勝利した場合、独立への歩みの引き金を引くだろう。シーア原理主義運動、ダーワ派により支配されたイラク中央政権、およびトルコとイランを含む地域の多くの国家は、この国民投票に反対している。国際的レベルでは、ロシア、米国、EUが、この選挙を疑念を込めて見ている。
バグダッドの反対に理はあるか
バグダッドのイラク中央政府は、この国民投票を憲法に反すると強く非難した。イラク政府はまた、「係争地」、特にイラク北部のそれらの、イラク・クルディスタンに対する将来の統合にも反対している。ちなみにそれらには、クルディスタン地域政府(KRG)とイラク政府両者が帰属を主張している、多民族が居住し石油資源に恵まれたキルクークが含まれている。
キルクーク州知事のナジュムッディン・カレームは八月二九日、州議会多数派が参加を支持する票決を行った後に、この国民投票へのキルクーク市の参加を公表した。しかしながら、票決は満場一致にはほど遠く、まったくそれとは逆だった。定数四一のうち議決に参加したのは二四人にすぎず、その中でも国民投票参加を支持したのは二三人であり、一人は棄権した。残りの議員――すべてがアラブ人とトルコ系住民――は、票決をボイコットした。彼らは代わりに、この投票を「反憲法的」と非難する声明を発表した。
アルハク(「解決」)連合のイラク人スンニ派議員のモハメド・アルカルボウリは、この決定は「完全な憲法違反であり、キルクークのアラブ人とトルコ系市民の諸権利を制限しようとする決意のこもった動きだ。政府はこの侵犯を止めるために介入すべきだ」と言明した。イラク首相のハイデル・アルアバディは、この結果を「正しくない」と強く非難した。
クルド人のペシュメルガ(KRGの武装組織)兵士は、二〇一四年にキルクーク市を支配下に置いた。その時イラク軍は、イラク北部と西部を貫いたISの攻撃を受け逃亡したのだ。結果としてペシュメルガが、この地域の油田がジハーディストの支配下に落ちるのを阻止した。
イラク・クルディスタンは、五五〇万人の人口を抱えている。そしてそのうちおよそ四六〇万人がクルド人だ。この人口は、「係争地」を含めた場合、七七〇万人にまで増大する。
しかしわれわれは、二〇〇五年に議決された憲法の主要条項の一つが、問題の地がクルディスタンに所属するかそうでないかを関係住民が自由に決定することを目的に、二〇〇七年一二月以前に「係争地」での国民投票を組織しなければならない、と明記していることを思い起こす必要がある。住民のほとんどがスンニ派アラブ人であるイラクの地域でも、彼らの州を一つの連邦の地域に、言葉を換えればもっと自治権を備えた地域に変更できるか否かを、国民投票で決めることができずにきた。
KRGとバグダッド間にある最後の鎖の一つは、クルディスタン地域への財政配分だった。それは、イラクの予算では一七%を占めていた。しかしながら、それは二〇一四年一月後に停止した。その時以来、イラク・クルディスタンは深刻な財政危機により打撃を受けてきた。財政配分を止めたのはバグダッドであるからには、それは正当ではない。原油価格の低落、腐敗、さらに恩顧主義もまた経済的諸困難を説明するものだ。クルド自治地域住民内部の貧困率は劇的に跳ね上がった。その中で公共サービスにおける諸々のストライキが、遅配や賃金引き下げへの抗議として増大してきた。
その上この地域は、IS部隊との軍事衝突、そしてジハーディストグループが引き起こした侵攻を原因とする大人数の難民流入から苦しんだ。
近隣国と西側の自己都合的反対
国民投票の公表はまた、トルコやイランのような近隣諸国からの反対にも火をつけた。アンカラとテヘランが恐れていることは、そうした歩みがそれら諸国自身のクルド人マイノリティに対し波及効果をもつと思われる、ということだ。このマイノリティもまた、これらの政権の差別的で抑圧的な諸政策が原因で苦しんでいるのだ。トルコは、KRGおよびバルザニ一家との間で良好な関係を保持し、イラククルディスタンにおける第一位の投資国でもあるが、この国民投票を一つの「恐るべき間違い」と強く批判した。そして、「イラクの領域的一体性」に対するその支持を何度も繰り返した。
米国、ロシア、また主要な欧州諸国もまた、独立という考え方を支持することに尻込みし、特にISとの戦闘におけるKRGとの極めて密接な関係にもかかわらず、イラクの統一の維持に賛意を示している。米国は、国民投票を延期するようクルドの公職者たちを説き伏せようと試みることまで行った。西側諸国は、投票がバグダッドとの間で新たな紛争に火をつけるだろう、そしてもう一つの地域的危機に変じるだろう、と怖れ、国民投票を延期してほしいと思っている。
資本家依拠の腐敗した支配階級
イラクのクルド人の圧倒的多数は独立という考えを支持している。それとは異なるいくつかの声は国民投票の延期を求め、KRGの政治指導部に反対している。この指導部は以下の諸政党により支配されている。その第一は、イラク・クルド反乱の伝説的一人物であるムスタファ・バルザニの息子、マサウド・バルザニ率いるクルド民主党(KDP)であり、第二は、元イラク大統領のジャラル・タラバニが支配するクルド愛国同盟(PUK)だ。これら二政党は、彼らの間での一九九〇年代における三〇〇〇人以上を殺害した流血の衝突、という時期が何度かあったとはいえ、イラク・クルディスタンで四分の一世紀の間権力を分け合い続けてきた。
そうであってもマサウド・バルザニは、イラク・クルディスタンの強力な人間だ。彼と彼の一族は大きな数の政治的地位を専有している。ウィキリークスが暴露した米国務省の一海外通信は、「KDPはいくつかの家族閥から構成され、ある種のマフィア組織と非常に似た形で機能している。たとえば、外務大臣のホシュヤル・ゼバリはマサウド・バルザニの叔父であり、KRG首相のネチルバン・バルザニは彼の甥/娘の連れ合いだ。そして彼の息子であるマスルルはKRGの情報部門執行機関の長だ」と述べていた。マサウド・バルザニは、二〇一五年八月に彼の公的職務の任期を終えていたにもかかわらず、今もKRGを統治している。大統領としてのマサウド・バルザニの任期は、四年の任期を二回務めた後、実際は二〇一三年に終わっていた。そしてその任期は、当時KDP―PUKが支配した議会の決議によりその後二年延長されたのだ。
イラク・クルディスタンの政治システムは、バルザニの権力を大幅に薄めたと思われる議会制にシステムを転換しようとする一つの試みの後、二〇一五年一〇月に凍結された。他の民主的に選出された諸機関すべては凍結されるか、「選出されていない」大統領の党によって統制された。ジャーナリスト、活動家、またその諸政策に批判的な政治的敵対者に対しては、また諸々の抗議運動に対しても、これまでKRG治安部隊による攻撃や抑圧行為が行われてきた。それは現在も行われている。
二〇一一年のチュニジアとエジプトの抗議行動に続いて、もう一つの政党、「変革のための運動」が内閣総辞職とKRGの解散を呼びかけ声を上げた。しかしKRG反対の二〇一一年三月と二月の抗議行動は暴力的に弾圧され、この行動参加者は二人が殺害され、他の数人は負傷した。これらの抗議行動で指導的な役割を演じ、内閣総辞職とKRGの解散を要求した「変革のための運動」党(ゴランとして知られる)もまた、弾圧の標的となった。KRG治安部隊は、テレビ局やラジオ局を含み、「変革のための運動」が所有するいくつかの建物を焼き払った。KDPは二〇一五年一〇月、政府のゴランメンバーすべてに停職を命じ、ゴランのペシュメルガ長官と彼の顧問を解任した。
イスラエル国家とバルザニ一家との間にある歴史的な政治的つながりも強く非難されなければならない。さらにイラク・クルディスタンでは、モサド(イスラエルの秘密諜報機関)の在外部門や元イスラエル兵士が秘密裏に、クルドの治安部隊の訓練を続けてきた。KRGもまた近年、国際的貿易会社を通じて、またバグダッドの当局から承認を得ることなく、大量の原油をイスラエル国家に売却してきた。この件では、この原油は、トルコの地中海沿岸にあるジェイハン港に通じるパイプラインを通された。
マサウド・バルザニのクルド政府と連携するトルコはここまで、この長く続いてきた仕事を容易にしてきた。アンカラは、トルコの公営銀行、ハルクにアルビル(イラク・クルディスタンの首都)向け口座を開設し、買い手を待つクルド原油を備蓄した。KDPのペシュメルガ部隊は今も、クルド都市のザクホでトルコ特別部隊による訓練を受け続けている。
PUKはPUKで、イランとの良好な関係を維持し、いくつかの場合ではそのペシュメルガの作戦で、特にディヤラ州で、過去にはイランが支配したシーア派民兵と協力してきた。
民衆の自己決定権を支持しよう
確かなこととして、上記のクルド二政党、KDPとPUKが意図していることは、それらの政治的、経済的権力の強化であり、何よりも、諸問題の彼らによる新自由主義的、恩顧主義的、また腐敗した管理に対する民衆的怒りをそらそうと試みることだ。さまざまな世界的帝国主義と地域的帝国主義と連携したこれらの政党がもつ解放への潜在力に関しては、いっさい幻想をもってはならない。彼らにはまたしばしば、クルド住民や他の諸国内に存在する政治諸勢力に敵対する行動もあった。
それにもかかわらずわれわれは、全面的な独立の姿における彼ら自身の将来を決定するイラクのクルド民衆にとっての可能性を、つまりイラク国家からの分離を含む自決権を支持しなければならない。しかしながら重要なことは、民族的マイノリティ(アラブ人、トルコ系の人びと、アッシリア人)と宗教的マイノリティ(クリスチャン、ヤジディ、その他)の権利もまた、独立過程の中で保証されなければならない、ということだ。
あらゆる被抑圧民衆にとっての自決権は、彼らの解放に関わる基本的な要素だ。クルド民衆に対し、何十年もの間この権利は否認されてきた。そして彼らは、ことさらに排外主義を煽るこの地域の国家による暴力的な抑圧と圧迫から、またさまざまな帝国主義国家の裏切りから苦しめられてきたのだ。
それゆえにこそ、イラクのクルド民衆諸階級の自己決定を支持しよう。その中で、KDPとPUKのブルジョア的かつ権威主義的指導部に反対しよう。
▼筆者はシリア系スイス人の学者かつ活動家であり、アレッポ出身者として、シリアバース党体制に対する確固とした敵対者。世俗的かつ社会主義のシリア建設に向けられたウェブサイト「シリア・フリーダム・フォーエバー」を管理している。(「IV」二〇一七年九月号)
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