米国
新自由主義時代後期の米国労働者(下)
深部で鳴り響く草の根の挑戦は
時代が差し出す可能性つかむか
キム・ムーディ
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突破必要な民族主義と労使協調
この事態に対する分析と実践の遺物は、「高い競争力をもつ」ようになることで職を救い出すという期待の中で譲歩する意志、そして輸入に対する、心得違いの焦点化だけではなく、移民を職を盗み取る「外国人のよそ者」と見る曖昧な見方を力づける、労働者の民族主義でもある。「彼ら」は、仕事が彼らの国に向かうときはあなたたちの職を盗み、彼らがここに来ても職を盗む、と。
もちろん民族主義とレイシズムは、共和国の誕生以来何らかの程度でそこにあった。しかし公式の労働運動の外国というものごとに対する焦点化は、グローバリゼーションという呪文を通じて、民族主義をただ強化し、正統なものにしたにすぎなかった。ほとんどの労組指導部のトップは移民に対するこの路線をもはやとってはいず、ほとんどの労組は実際に、まさに必然的に、移民労働者を組合に招き入れようと試みている。とはいえ、「アメリカ製品を買おう」の遺物は、深く染み込み、「アメリカを再び偉大に」とはほんの近くの距離にあるにすぎないのだ。
「アメリカ製品を買おう」は繊維、服飾、自動車において一九七〇年代と一九八〇年代、全面的な失敗だったという事実は別として、UAWおよびおそらく他の労組によるその復活は確実に、ホワイトハウスの外国人嫌いの頭目には一つの贈り物になる。それはまた、「アメリカ製品を買おう」が「米国労働者のための米国の職」に隣り合っている以上、反移民感情を蓄えることにもなりそうだ。
米国の自動車労働者がはるかに小さくなった職場でかつて以上の乗用車とトラックを生産し続けている今、そうした自動車プラントで、第一に彼らの職すべてを必要とさせる条件について闘うこと、そして中西部と南部の「移植プラント」で未組織生産労働者を組織すること、それは道理にかなうことではないのだろうか? 本国では生産プラントを埋めている移民労働者と、海外では同じ条件、競争、また敵対的な雇用主に直面している自動車労働者と連携する国際主義は、より長持ちのする未来を提供することはないのだろうか?
労働者民族主義と労働者管理の協力という双子の詐欺は、この時期全体を通じた所得の企業主取り分の速やかな上昇という形で、資本にとっては十分に機能してきた。所得における不平等の高まりの根源になっているものは、筋肉質生産とさらにその先の手法を通して仕事から抜き取られた付加価値の資本の取り分(すなわち剰余価値)におけるずば抜けた上昇であり、課税政策あるいは金融(すなわち架空)資本の作用を上回っている。たとえば政治経済の論者であるアンワル・シャイクは、彼の記念碑的著作である『資本主義』の中で「所得の不平等度の全体は終局的に、利潤/賃金比率に、すなわち付加価値の基礎的分割に依存している」と指摘している。
トランプが救済者を気取ったインディアナ州のキャリア社の鉄鋼労働者一九九九支部代表のチャック・ジョーンズのような、まったく希少を超えた組合指導者によって、人は鼓舞されている。ジョーンズは、メキシコに移されつつある職のはるかに大きな数のうち二、三〇〇を救うために、インディアナ州をキャリア社に賄賂を送るように仕向けた(この二、三〇〇の職と引き換えにキャリア社はインディアナ州から補助金を受け取った:訳者)このスタンドプレー的動きにおけるトランプのまじめさに、疑問を突き付けただけではなかった。彼はまた支部の組合員に向け日常的に、彼らの仕事を取り上げようとしているのはメキシコ人労働者ではなく、キャリア社のような貪欲な企業だ、と話しかけてもいるのだ。
ユージン・デブス(二〇世紀初頭に鉄道労働者として労働運動活動家になり、その後アメリカ社会党から五度大統領選に立候補した:訳者)の故郷の州から、しかしまた何とあのマイク・ペンス(トランプの下での副大統領:訳者)にも故郷である州から届く、何というさわやかな空気だろうか。
変化はメディアの識別範囲外で
われわれが上に見た抗議行動に立ち上がっている鉄道労働者と同じく、今日の一枚岩的かつ官僚的な労組の内部にある紛争や盛り上がりは、メディアからの注意をほとんど引いていない。人がこれらの内部的反乱について何ごとかを見つけるためには、「レイバーノーツ」、「ユニオン・デモクラシー・レビュー」、あるいは左翼出版物のいくつかを読むしかない。しかしながら変化は、表面下で、あるいはメディアのレーダーの下でごろごろと鳴っている。諸労組内の草の根反乱のほとんどは、本物の民主主義を求め、労使協調に反対し、より大きな戦闘性を支持して譲歩を拒否し、多くの労組の人種的かつジェンダー的多様性の高まりに依拠することを追求し、概してビジネスユニオニズムの先へと向かっている。
下部組合員の改革運動は、時には全国権力を獲得している。その例が、郵便労働者組合や合同運輸組合だ。現労組指導部に対する他の改革運動による全国規模の挑戦は、チムスターのように寸前にまで到達したか、機械工国際組合(IAM)において三分の一の票を獲得したように、相当な形勢をつくり出した。いくつかは、機械工労組、チムスター、ニューヨーク州公務従業者組合のように、執行委員会に二、三の席を得た。
もっと典型的なものが下部組合における反乱だ。これらのいくつかは、シカゴ教組、ニューヨーク看護士組合、通信労組一一〇一支部、あるいはさまざまなチムスターの諸支部のように、概して下部の労組を獲得した。ニューヨーク市の巨大な統一教員連合の中では、「モア/ニュー・アクション」派が、反対派が過去にしばしば確保したように、七つの高校で代表を圧勝で勝ち取った。しかし強力にがっちりと固められた統一派を打ち破ることはできなかった。
しかしながらほとんどは、はっきりした勝利とは言えないか、見えるものにもなっていない。しかしそうした運動がある場合、それらは他に火を着けることができる。たとえばシカゴ教組は、国中の教員組合の中に似たような運動を諸々生み出すことになり、二〇の傘下組織を抱える全国的な内部組織、基層メンバー教育者統一組織(UCORE)も立ち上げるまでになった。
この草の根の傾向は成長を続けている。しかしそれは依然少数派であり、公衆や他の組合員、また政治的左翼の多くにすら大部分見えていない。
これらの挑戦のほとんどは、譲歩、無対応あるいは親経営指導部への反対、あるいは先に論じた職場の諸条件に反対を組織するこれまでの奮闘からつくり出されている。たとえば「IAM改革名簿」は、一部、「ローズマシニスト751」の名をもつ草の根運動(ボーイングのIAM七五一支部における役員選投票妨害に端を発する組合民主化運動:訳者)から生まれた。譲歩と悪化を続ける諸条件に反対するこの現場の運動は、全国に広がり、二〇一四年の挑戦で重要なものとなった。時にそれはまた、他の方向に進んでいる。改革派は、ニューヨークで通信労組一一〇一支部を接収した後にさらに進んで、二〇一六年のベライゾンストライキが印した活動家的性格において鍵を握る役割を果たした。
ストライキをめざす移民労働者
これらの運動や組織された労働者は全体として、われわれが二〇一七年の春に見た大衆ストライキや諸々のデモと何らかの形で関係しているのだろうか? これまでのところ答えは次のように言うしかない。つまり、それほどでもないと。
確かにいくつかの労組、特に改革派を指導部にもつ労組、移民組合員を大人数で抱える労組、あるいは僅かの左翼的伝統をもつ労組は、「移民なきメーデーの一日」を承認した。また、国際港湾倉庫労組、通信労組、統一電気労組、全国看護士労組、全米郵便労組、合同運輸組合、SEIU西岸サービス労組、さらにいくつかの地方組合が五月一日の行動を承認した。しかしそれは、労組あるいは指導部によって組織された行動ではなかった。
米国中の四〇の都市で、数万人の移民と彼らの支援者がストライキに立ち上がりデモを決行した、二月一六日と五月一日の高度に見えるものとなったこのできごとは、移民労働者の諸組織が行った努力のゆえに可能になった。これらの諸組織はそれ自体、諸労組内下部組合員の反乱と同じ程度で、公衆や他の労働者には見えていない。
これらの多くは、「道をつけろニューヨーク」や「道をつけろペンシルバニア」のような移民に基礎を置いた労働者センター、また「レストラン機会センター」や他の移民の権利組織あるいは居住地の諸グループだ。しかし、全国的に注目されたこのストライキのほとんどについて背後にある組織は、モビエント・コセチャ(刈り入れ運動)であったように見える。それ自身最近までメディアのレーダー下にあったコセチャは、移民の権利を米国内で設定課題にするための唯一の方法として、ストライキと非協力をはっきりと主張する中心になっている。これに関する彼らの声明は以下のように教育的だ。
すなわち「われわれのコミュニティは再三再四、オバマであろうがトランプであろうが、次の四年間あるいは八年間に向け移民政策を形作ることになる、次期の追放長官に票を投ずるよう頼まれている。われわれは各々の選挙で、民主党に票を入れれば、彼らがわれわれに移民改革を提供するだろう、と約束されている。それらの約束が果たされないで時が過ぎる場合――オバマが三〇〇万人の移民を追放するとき、あるいはトランプが追放しわれわれのコミュニティに恐怖を与えるために彼の権力を拡大するとき――、われわれは何をするのか? われわれはストライキに立ち上がる」と。
労組中央に頼らないスト行動
しかしストライキは死んではいないのか? 労働協約に関係したストライキがほとんど消えてしまっている、というのは事実ではないのか?
確かに、労働統計局とは違って、労働契約交渉に関わるすべてのストライキを報告しようと努めている連邦調停・仲介サービス(FMCS)は、二〇一六会計年度期間中に一一二件を記録しているにすぎず、それは年毎に減少している。二〇一七年第一四半期、この期間は僅か二〇件のストライキだけが進行中であるか、この期の終わりまでに終わった、と報告している。
しかし確かなこととして筆者は、ほんのざっとした調査の中で、この期間が見逃したストライキを、二〇一七年はじめに二、三、この二年間についてはもっと多くを見つけた。これらのほとんどは、山猫的で、不満表明の、あるいは不当労働行為(ULP、米国では、労働者側による要件を欠いた争議行為もこの概念の下に禁止されている)のストライキだった。労働者のある者たちは、常置的交代要員が配置される可能性のない、ULPあるいは不満表明ストライキに頼るようになっている。
しかしながら、労組指導部と組合員が型どおりのストライキを避けてきた、という事実は残っている。その理由は部分的に、交代要員労働者に対する恐れ、現行労働法ほとんどの有用性が消えていること、そして、資本とその政治家に高まる反組合の熱情だ。数を増す雇用主が、彼らの生産あるいはその原材料と供給に刻印されたジャストインタイム的性格のおかげで、ストライキ行動に脆弱になっているという事実にもかかわらず、先のような事実がある。
それでも、ほとんどが労働者階級の民衆からなる数万人が、労働日にデモを決行することによって、彼らの不満にはけ口を与えるためにストライキという武器に頼ることになったのだ。今年の移民ストライキがどの程度有効であったか、を正しく知ることは難しい。
フォックスニュースは合計として、二月一六日「抗議と連帯として仕事、学校、他のコミュニティの仕事を放棄したのは数千人と見積もられる」と報じた。ほとんどの労働者は報復を受けなかったにもかかわらず、アトランティック紙(二月二一日)は、このストライキのために解雇された煉瓦積み工、港湾労働者、ペンキ製造工に言及した。通信社のブルームバーグは、建設業は影響を感じたが、二月一六日にもっとも厳しい打撃を受けたのは外食産業だった、と報じた。上院のコーヒー店は、労働者が休んだために店を閉めなければならなかった。
この五月一日は、建設現場、食肉包装プラント、またロスアンジェルスの多忙な港湾におけるトラック輸送が止められた、二〇〇六年の「移民のいない日」よりもはるかに小規模だった。それでも二〇一七年の五月一日も、ほとんどの都市で「移民のいない一日」と呼ばれ、彼らの労働力を与えないことの意味が込められた。
事業閉鎖についての報告は共通だった。たとえばペンシルバニアのレディングでは、この都市の事業所約四分の三が閉鎖された。ハフィントンポストは、「仕事をすっ飛ばした」労働者や、五月一日に病欠を電話で伝えた教員のことを書いた。
行動したのは、この国にとどまり米国で働く権利のために闘っている移民だけではなく、ジェンダー平等とトランプと対決するために三月八日にストライキに立ち上がった女性たちでもあった。「一五ドルを求める闘い」もまた、この二、三年にわたるこれらの行動が実際に多くのストライキを含んでいたのかどうかという問題が一定程度あるとしても、その行動としてストライキを呼びかけた。しかしながら心に留めるべきことだが、一五ドル最賃を定める法がいくつか、諸都市と諸州でこれまでに採択されたのであり、それは、先の闘いの奮闘とこの課題を取り上げた諸々の労組の結果としてなのだ。
政治・社会ストライキの時代?
これらすべてはこれまでのところ、必然的にその影響力が限定される、一日行動に限られてきた。労働運動史の研究者であるネルソン・リヒテンシュタインは推論をめぐらし「われわれは政治ストライキの時代に入ろうとしているのかもしれない。その中では、諸労組と他の諸グループが日取りと課題を設定するが、それらの組織に参加していない大勢の人びとも合流する。こうしたストライキは何らかの種類の制度的背骨を与えられる可能性があるか、毎回最初から再創出する必要がある一回限りのできごととは異なる何らかの影響力をもつ可能性があるか、問題はこうしたことだ」と述べている。
コセチャはより楽観的な論調で「われわれは一日から始めるだろうが、移民のいない一週間に向かって進もうとしている」と言明した。これは実現が難しい大変な注文だ。しかしそれは遂行する価値のある目標だ。このすべては今後分かることとして残されている。
どれほど限られているかは問題とせずに、幅広い社会的、政治的目標に向けたストライキの利用は、一九八六年五月一日の三〇万人以上の自身ほとんどが移民であった労働者による八時間労働を求めるストライキ(そこで起きた権力による労働者虐殺への抗議を含めて、メーデーの起源となった:訳者)以後、合衆国内では見たことがなかった何かだ。合衆国の労働者階級の状態を理解する点で、この重要性は見失われたり過小評価されたりしてはならない。
これらのこれまで認識されてこなかった労働者とほとんどレーダーにかからなかった彼らの組織は、完全ではないとしても、大衆的政治・社会ストライキを再び取り入れるにいたった。そして彼らの闘争を、自主規制メディアですら無視できなかった白日の中に持ち込むにいたった。
これは、より多くの労働組合に組織された労働者がストライキに頼るよう火を着けるだろうか、また、再編成された生産と商品やサービスの流通が差し出している、新たな、しばしば内的に結合された脆弱性を彼らが利用するよう刺激を与えるだろうか?
都市の中心と何百万人もが集中しているそれに隣接した「物流拠点」の中で、これらの一見したところ異なった労働者階級グループの民衆の重なり合いは、一九六〇年代と一九七〇年代の規模で、あるいはもっと一九三〇年代の規模で、もう一つの労働者の高揚に力を貸すだろうか?
全体としての労働者階級の闘争は、敵に包囲された労働運動に新たな部隊をもたらしつつ、レーダーの下から白日の中へと現れるのだろうか?
英国の歴史家のエリック・ホブズボームがわれわれに思い起こさせることだが、労働組合の成長と大衆的ストライキ運動は、「単調な上り調子」としてではなく、「あたかも圧縮下に置かれたように、ただ周期的に発火するだけの可燃性物質の蓄積」から現れる。これは確かに、今日の米国内の、実際は世界中の、ほとんどの労働者階級民衆の諸条件を描いている。これは予測されるべきものではなく、実践で追求されるべきことだ。有名なウォブリー(IWW組合員、ここでは「嘆くことなかれ、組織せよ」の言葉を残したジョー・ヒルを指している:訳者)の言葉を言い換えれば、「待つな、組織せよ!」だ。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年八月号)
【訂正】本紙前号(9月25日号)1面集会案内9月27日の主催者の「FeO Japan」を「FoE Japan」に、4面沖縄報告の署名「T・N」を「K・S」に訂正します。 |