米国
新自由主義時代後期の米国労働者(上)
挑戦する価値のある可能性前に
産業の変容に屈服続ける指導部
キム・ムーディ
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以下は米国の労働者が直面している現実とその打開をめざす草の根からの営々とした努力を伝えると共に、新たに生まれている闘争の戦略的対決点とそこにおける闘争に関する一定の展望を論じている。米国の労働運動が社会に深く根を下ろした大衆的で歴史的な伝統を失っていないこと、および今後の新たな発展に対する潜在的可能性を感じさせると共に、日本ももちろん無縁ではない労働運動の再生という重大課題に関しても、示唆に富む分析が含まれている。貴重な論考であり、長文だが二回に分けて紹介する。(「かけはし」編集部)
米国および世界中の資本主義は、一九七〇年代後半と一九八〇年代はじめの新自由主義時代の始まり以来先進経済諸地域のほとんどで、組織された労働運動に方向感覚を失わさせる、そうした一連のショッキングな危機、地域限定的な「苦境」、さらにとどまることのない再編成をくぐり抜けてきた。
産業の戦略的な要で始まる反乱
しかしながらその時以来、収益性と競争という変わることのない問題が、刷新された階級闘争に基盤を与える可能性もあるやり方で、米資本主義と労働者階級の構造を変えてきた。労組活動家、未組織労働者、打ち寄せる移民、また低賃金の職に閉じ込められた都市を基盤とする労働者が、悪化する労働条件および生活条件と、また都市の米国の縁に立地した新たな労働力の集中点で互いに、ますます直接的に向き合うようになっているからだ。
五月三日、数万人の移民労働者がストライキに決起しデモを行った(五月一日)僅か二日後、公正な契約を要求し、彼らの医療給付を守り、全国的な全員対象の公的健康保険を主張するために、国中の操車場で鉄道労働者が数百人規模の集会を決行した。何ヵ月もの交渉引き延ばし、また鉄道労働者を代表するいくつかの労組のほとんどで行動を躊躇する指導者たちを前に、四万人の組合員を擁するチムスター保線従業員友愛支部(BMWED)が、企業の財産である主要な操車場でのこうした反乱を呼びかけるイニシアチブをとった。人種的に多様なトラック労働者のこの小さな労組は、今やチムスターの一支部となっているものに今も影響を残している、一九九〇年代におけるその分裂の一つで草の根の改革運動を経験した。その組合員は二〇一七年のチムスター役員選で、三対二の比率でホッファ(腐敗やマフィアとのつながりで批判されることが多い:訳者)指導部に挑戦した改革派名簿、「統一チムスター」支持の票を投じ、この名簿の会長候補者、フレッド・ツッカーマンは勝利寸前まで到達した。鉄道職諸労組内部のこの例外的労組は、全員対象の公的健康保険を主唱し、二〇一六年にはバーニー・サンダースを承認した。
これらの集会には、もう一つのチムスター支部、機関車技術者・訓練員友愛支部(この組合員もチムスター改革派を三対二の比率で支持した)を含んで、他の鉄道諸労組からの参加者もいた。これらのさまざまな鉄道労組活動家の結集体が、職を横断した下部組合員の「統一鉄道労働者」(RMU)だった。
二〇〇八年創立のRMUの目標は、統一と連帯と民主主義のために、また妥協的な交渉を終わりにするために闘うことをめざし、労組に組織化された一五万人の鉄道労働者のほとんどを代表する一三の組合から活動家を結集することだ。RMUはまた、北米の貨物輸送諸企業での一人乗務導入――筋肉質生産の鉄道経営者版――に対し闘いを続行中だ。驚くことではないが、何人かのRMUメンバーは、「民主的労組をめざすチムスター」(TDU)にも所属している。RMU、ここに見た集会、全員対象の公的健康保険を求めるキャンペーン、これらは現代の労働者が展開している自主的活動の事例だが、大衆的商業メディアのレーダーには捉えられていない。
三月八日のストライキに決起した女性や、二月一六日と五月一日にストライキに決起した移民労働者によるより大規模な直接行動で全国が揺さぶられているとき、この論評を上に見た相対的に小規模なできごとで始めたのはなぜか? 理由は、もっと大きな何かに向けた潜在的可能性があるかどうかを知るために、労働者内部の高度に可視的になっている草の根の運動と、まだ社会のレーダーの識別範囲以下にあるものの間にある潜在的に可能な関係をよく見るため、ということだ。
確かにそれが値したよりも扱いは小さかったとはいえ、よく目立った三月八日の女性ストライキや二月一六日と五月一日の移民ストライキとは異なり、北米で浮上中のジャストインタイム方式、デジタル的に動かされる物流ネットワーク、この要を、またシカゴの一操車場では警察の脅迫を前にしてさえ侵略した、黒い肌や褐色の肌や白い肌の男と女の鉄道労働者の行動を伝えた主流メディアは、筆者が気付いた限りでは一つもなかった。
まだ見えていない他の労働者の運動や行動はたくさんある。しかしここで見たものは、労組に組織化された鉄道労働者と、その多くが移民、アフリカ系米国人、また女性である一〇〇万人にもなる労働者との接点を形で示しているのだ。そしてこの後者の労働者は、今日のジャストインタイムの供給ネットワークとして、生産、輸送、特急配送、サービス、IT、コールセンター、eコマース、さらに小売り労働者を結び付けている、物流ネットワークの中で働いている。この潜在的な推進力を検証する前に、われわれはまず、組織された労働者の悲惨な状態をざっと見なければならない。
不変のビジネスユニオニズム
合衆国の新大統領に反対して何百万人もがデモを行い、より民主的で進歩的な二、三の労組が五月一日のできごとを承認した一方で、何人かの労組代表は王冠にキスをするためにひざまづいた。トランプはもちろん、これらのえり抜かれた労働運動指導者たちに言い寄った。はじめに彼が招いたゲストの中にいた建設関係諸労組の指導者たちは、その何人かはすでにこの億万長者の住宅デペロッパーと取引したことはあったのだが、インフラ計画での何万人もの職という約束によって誘い込まれた。AFL・CIOの北米建設労組支部会長のジーン・マックガーベイは、トランプとの会談について「ここまではそれで結構」と語った。別の一人はそれに、「結論的に、米国労働者階級にとっては新しい日のように感じ始めている」と熱を込めて磨きをかけた。
他の労組の公的代表者トップのほとんどは、トランプの諸政策と提案に反対であるか懸念をもっている。しかし何人かは、たとえばUAW(全米自動車労組)会長のデニス・ウィリアムスは、国の貿易協定、特にNAFTAを改訂するという彼の約束に引きつけられた。ウィリアムスはさらに歩を進め、新たな「米製品を買おう」キャンペーンを宣言した――部分的には彼の消耗し切った組合員の犠牲で、国内の乗用車とトラック生産が空前の高さにまで達しているのに――。この後者でふれた毒入りリンゴについては、労働運動が自ら加えた弱さの点でも高い位置にあるものとして、われわれは後に論じるだろう。
確実なこととして、この一〇年かそれ以上の間に、合衆国の労働運動の中ではものごとが変化を遂げた。SEIU(国際サービス従業者労組)率いる「勝利のための変革連合」とAFL・CIO間に起きた昨日の内戦は収まるにいたった。AFL・CIOは、ニューヨークタクシー労働者連合を自らの全国連合に引き入れ、それに全国的な存在感を与えることにより、「オルタナティブな労働運動」のいくつかを取り込んだ。
AFL・CIOはより全般的に、実際のまた潜在的な成長に対する労働者の現場活動センターの貢献を認めた。看護士の諸労組は新しい戦闘性と進歩的な政治を先導してきた。倉庫労働者を組織化する型にはまらない努力が進行中だ。そしてサンダース・キャンペーンが、労働組合の政治的決まり事を一時揺さぶり、多くの労働者と現場の労組活動家に可能なことについて新しい見方を与えた。
しかし全体とすれば、記録が語るものは、継続的な下降と型どおりのビジネスユニオニズム(労働組合を、組合費と引き換えに組合員に福利厚生サービスを提供する、一種の保険会社と見る考え方:訳者)の物語だ。
組織された労働者の深い危機
米国の組織された労働者の危機は、そうであっても深く、公共部門と私有部門の労働者双方に対する高まる政治的攻撃に直面する中、もっと深まりそうだ。労働組合員数は、二〇一五年から二〇一六年までにさらに二五万人下がり、一四六〇万人へと再び下降した。公的部門の労働者は、彼らの労組が二〇一〇年以来五〇万人失ったことと一体的に、悪どい攻撃の下に置かれてきた。公式ストライキ行為の水準は下降を続け、二〇一六年にはおよそ一一二件の作業停止――少なくとも集計を続けている三つの政府機関により測定されたものとして――にまで減少した。
実質賃金は一九七三年水準以下のままにある。諸労組により交渉された年間賃上げ率は、私有部門で平均二・七%に達した。しかしそれは、ここしばらくの崩壊的な消費者価格指数によってのみ、さらなる実質的下落から助け出された水準なのだ。調査で示されたことは、二〇一六年のコスト節約の変更が、労働契約により保障される健康保険プログラムの七九%に、また年金プログラムの二四%に押しつけられた、ということだ。
もちろんこれまでにはいくつかの勝利もあった。たとえば、ベライゾン(米国の大手通信会社:訳者)における三万九〇〇〇人の通信労働者によるストライキ、ここ数年間の看護士ストライキの多く、またシカゴの教員が立ち上がった二〇一二年のストライキを挙げることができる。
経済は助けにはならなかった。二〇〇八―二〇〇九年の大不況以後の回復は、一%に届かない成長をもって弱々しいものでしかなく、他方民間部門の生産と非管理職労働者に対する雇用は、二〇一四年までに九五七〇万人という二〇〇七年水準に、最終的には二〇一六年に一億人に達したにすぎなかった。失業率の下落にもかかわらず、労働力稼働率が一九九四年の六六・六%から二〇一四年の六三%に、そしてこの期間を通じて「主要年齢層」(二五―五四歳)男性に対しては八四・四%から八〇・九%に下落する中、産業予備軍は大きいままに維持された。
労働者を取り巻く大きな変化
一九八〇年代はじめから今日まで、新自由主義の時代は、労働者階級、ほとんどの労働者が労働する諸条件、そして合衆国資本主義の基礎的基盤そのものにおいて、大きな変化を経験してきた。この時期を通じて製造業の職が一〇〇万人単位で消失した一方で、製造業の産出高は増大した。結果として、二〇一〇年までに製造業生産労働者は、彼らが一九五〇年代に生産したものの四倍、また一九八三年における彼らの生産の二倍を生産していた。輸入がいくつかの産業に厳しい打撃を加えていたが、それらの職のほとんどを殺したのは、四回の深刻な不況と高まり続けた生産性という二連の力だった。
他方で、労働力の社会的再生産に向けた資本の必要として、何百万人分もの「サービス部門」の職が生み出された。そしてその広大に拡張されて構築された全体環境と輸送の動脈に対する保全業務が、低賃金労働者の軍勢――その多くが移民――を見えるところに呼び寄せた。全体として今日の労働者階級はほとんどの業務で、新自由主義時代の夜明け時点よりも人種的にはるかにもっと多様になっている。今日では、諸々を生産し、輸送し、動かし、保全し、あるいは建設している三〇〇〇万人近い労働者のおよそ四〇%は、黒人であるか、ラティーノであるか、あるいはアジア人だ――一九八〇年におけるそれらの比率の二倍を優に超えて――。サービス生産の職の場合、それは四〇%以上になっている。
これら新旧の職のほとんどは一九九〇年代までに、6Sのようなプログラム、統計的工程管理、総体的品質管理、等々により強化され測定された、筋肉質生産の路線に添って再組織化されるようになっていた。それらはすべて新しいテクノロジーによって可能にされていた。二一世紀はじめまでにこうしたテクニックは、労働者監視と仕事の測定に関する新たな電子的で生物的測定手段により補足されるか、取って代わられていた。そしてこれらの手段は今や、工場を超えて病院、倉庫、ホテル、スーパーマーケット、さらにその先にまでいたっている。
雇用主の六七%は彼らの雇用者を電子的に監視している。一方ある評価は、米国の労働者八〇%が監視を受けていると伝えている。サービスと商品を生産する労働者を貫いて、半・未熟練の職に就いている彼らは、「資本論」の中でマルクスが書いたように「労働日の毛穴を埋めつつ」、彼らの休憩時間が一九八〇年代における日労働時間の一三%から、二〇〇〇年代には八%まで切り縮められたことを見た。
これらの変化は一体となって、米国史上最高の労働密度をつくり出した。それは、今となっては古風な趣と言えるテイラー方式(米国で始まったベルトコンベアーでつながった流れ作業方式:訳者)の基準をはるかに超えている。
全国の資本/労働比が高まるに応じて、サービス職も、製造業のそれらと同じくより資本集約的になった。サービス部門の労働者の集中度は、商品生産のそれとは異なり、平均でより大きくなった。五〇〇人以上の職場における労働者数が一九八六年の一六五〇万人から二〇〇八年の二四七〇万人へと増大した中で、一〇〇〇人以上の職場における同数が同じ期間で一〇七〇万人から一六五〇万人に増大していたのだ。
その上で、ますます多くの新たな職は、熟練度が低く、低賃金となっていた。そこには、非管理職と非専門職の七〇%は二〇二四年までに非熟練・低賃金の類型に入るだろう、との労働統計局予想が付随している。これこそが、近代的工場のイメージに変形された職の中で、農業部門の賃金に類似した賃金と引き換えに「サービス」商品を生産する労働力なのだ。
生産と物流総体にJITが貫徹
近くではさらに、この二〇年の「物流革命」の登場も起きてきた。生産者から生産者へ、生産者から小売商やサービス供給者への商品の流れを常に特性づけてきた供給チェーンは、合理化を遂げ、ジャストインタイム(JIT)を基礎としてデジタル的に追跡され誘導され、方式統合的輸送システムにより動かされるようになっている。最後のものは、技術的に高度化された鉄道、道路、水路、空路の回廊に沿って、またハイテク化され埠頭とつながった倉庫を通じて、結節点から結節点へと結ぶ輸送システムだ。
時間は競争においてもっとも重要なものになった。ある種皮肉と言えるが、まさに度を高める政治的御都合主義の対象となって、全国のインフラがぼろぼろに崩れつつあるそのど真ん中で、この国の五大鉄道輸送会社は、大陸横断鉄道回廊を高度化するために何十億ドルをもつぎ込んできたのだ。これらの改善が、北米の主要な「地峡」に沿って、国内と外国で作られた商品双方が詰まった二段に積まれたコンテナーを運ぶことになっている。そしてこのシステムの多くは、われわれが前述したBMWEDのメンバーによって建設され、保全されている。
筋肉質生産のJITリズム同様、これらの再形成された供給チェーンは、資本蓄積の過程全体を通じて、労働に残酷なペースを組み込んだ。それらは、資本の新たな贅肉をそぎ落としたJIT供給チェーンのひとそろいの基礎となっている。しかしこれらのチェーンは今、労働者の諸行為との関係で十分に脆弱なものに、壊される可能性のあるものになっている。それらの時間に縛られた本性と競争における納品速度の役割が、ここ二〇年でこの脆弱性を高めてきた。
生産と流通のこの背骨における主な「結節点」は、積み替えの要であるだけでなく、労働者の巨大な集中点でもある。商品とサービスのより早くと進みつつある生産の圧力がもし抵抗に対する一つの刺激になり、ある程度まで有効な行動の手段となるならば、大規模「物流」集約点における労働者の新たな集中は、大規模な反乱に向け潜在的な現場を提供したことになる。
労働者の新たな心臓部が出現
米国内には約六〇の物流集約点があり、各々にはほとんどがブルーカラーあるいは手作業の労働者からなる数千人の集中がある。ある評価によれば、これらの集約点では三二〇万人が雇用されているが、しかしここでは、多数の鉄道、道路、通信の労働者が、また国中でこの集約点にサービスを提供しそれを結び付けている他の労働者が除外されている。
その最大のものの中には、ほとんどがブルーカラー労働者の一五―二〇万人を抱えるシカゴに隣接した集約点がある。そしてロスアンジェルスとニューヨーク・ニュージャージー港では少なくとも各々一〇万人を抱え、UPS(米最大の宅配業者:訳者)のルイビル(ケンタッキー州)にある「ワールドポート」は五万五〇〇〇人を雇用し、メンフィスのフェデックスのハブは一万五〇〇〇人を直接雇用しているが、周辺の集約点を加えれば総数二二万人になる。それらが利用しているのは、これらの所在地がその郊外となっている諸都市が抱える巨大な産業予備軍であり、こうしたものこそ今日のデトロイト、ゲイリー(インディアナ州)、そしてピッツバーグだ。
これらの都会のセンターは、今年二回ストライキに立ち上がった移民労働者の、ブラック・ライブズ・マター(「黒人の命も大事だ」)活動家の、また数万人そして数十万ですらある現在の労組員の本拠なのだ。そして少なくとも後者のある者たちは、これらの新たなプロレタリアートの心臓部の組織化を助けるために、動員される可能性をもっているだろう――労組指導者と多くの組合員の心と視線が、移民の「よそ者」に、それほどはしっかりと焦点を合わされていたわけではなかったとしても――。
鉄道労働者、トラックドライバー、整備士、IT専門家――ほとんどが白人で総体的に高給、未組織だが、攻撃にもさらされている――が、商品を巨大な工場のような倉庫に出入りさせ、つないでいる、そうした労働者の拡大中の塊に出会うのが、これらの巨人的集中点の中でだ。これら後者の労働者は、ほとんどがラティーノと黒人、そのほぼ四分の一は女性であり、全員が低賃金で未組織、そしてしばしば雇用主は派遣会社だ。
この数十万人にのぼる労働者を組織化する機会の存在は明白だ。しかし、人種、民族、また移民という地位がはらむ障壁は常に存在し、それどころかトランプの勝利の余波の中で、さらに公言されている。レイシズムおよび民族主義に勝負を挑むことは、これらさまざまな労働者のグループを組織し統一するための鍵になるだろう。この点で、ビジネスユニオニズムのイデオロギーと実践の遺産が、労働運動の方向を変える可能性がある好機に対する、もう一つの障壁を提供している。
労組指導部が犯した二重の過ち
それほど多くの労働者、労組員、また労組の公式指導者たちが、移民、輸入、生産の海外移転を終わりにするというトランプの外国人嫌悪に引きつけられている一つの理由は、製造業と他での職の喪失に対する組合の公式的説明が何十年間も、輸入と生産の海外移転に中心を置いていた、ということだ。もちろんこの焦点は、NAFTA、今や死に体のTPP、まだ死んでいない包括的経済貿易協定、またEUやWTOのようなその規則の策定機構を一体とした、新自由主義時代の「自由貿易」の気風全体によって力づけられてきた。
これらは労働運動が反対しなければならない政策と機構だ。それらが、発展途上の諸国民が工業化し、国内市場を発展させ、所得を高める上で必要となる、ある種の国家介入を妨げるからだ。同時にこれらの貿易協定は、先進工業諸国でも同じく、私有化、市場化、政府支出の切り下げ、労働者の権利の掘り崩しを求めている。
しかし労働運動指導者から出ている言葉の多くは、民族主義と反外国人感情の諸形態に基礎を与えるような訴えとなっている。それでも、輸入と海外移転がいくつかの職を取り上げているとしても、それらは、製造業における職の喪失、あるいはもっと近頃の、米国とほとんどの先進工業諸国における緩やかな職の創出の主な原因ではない。これらは、一層競争的となる世界の中での、資本の収益性という諸問題がもつ機能だ。
グローバリゼーション、下落中の利潤率、そして一九八〇年代初期の深い景気後退、一九九〇年代と二〇〇〇年代のもっと小さなそれ、そして二〇〇八年の大不況を発生させた新自由主義の治療策、こうしたものが生み出している体系的な不安定性が、製造業生産職を何百万と破壊した。この時代のほとんどを通じた生産性上昇、労働密度の高まり、さらに新しいテクノロジーが請け合っていることは、不況の間で生産が再び立ち上がった場合、何らかの新しい職がつくられたとしてさえ、それは僅か、ということだ。
ここに二重の皮肉がある。米労組指導者のほとんどは、ほとんどもっぱら、時々は想像上の(そして時々は実体的な)自由貿易の諸結果に焦点を絞っただけではなく、彼らはまた、筋肉質生産に付随し、かつまさに生産性上昇を助けた、譲歩とさまざまな労働者管理協力方式をも甘受した、あるいはそれを力づけさえした、ということだ。そしてその後者のものは、職の喪失、およびこの時期のほとんどを通じた高まる不平等の主要な原因だったのだ。自分で自分の脚を二度も撃つとは、何ということか。 (つづく)
▼筆者は、レイバーノーツ創設者の一員であると共に、米国労働運動に関し数冊の著作を著している。現在は、ロンドンのウエストミンスター大学の客員研究者。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年八月号)
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