金正恩政権は核開発をもてあそぶな
トランプ・安倍の戦争プラン止めろ
あらゆる差別と排外主義を許すな
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全会一致の
経済制裁決議
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による九月三日の初の「水爆実験」は、北朝鮮に対する米国トランプ政権の「大規模な軍事的反撃」「最強の経済制裁」という対応をエスカレートさせた。トランプは中国、ロシアを念頭に置き、「米国は、北朝鮮とビジネスをするいかなる国とも、すべての貿易を停止することも検討する」との明らかに体制転覆を視野に入れた強硬姿勢を突き付けた。
九月一一日(日本時間、九月一二日早朝)、国連安保理は、米国が主張していた北朝鮮への石油の全面禁輸ではなく、北朝鮮への「石油輸出の三割削減」、さらに北朝鮮の主要輸出品である繊維製品の輸出禁止をふくむ経済制裁決議を中国、ロシアを含む全会一致で採択した。一見したところ「石油全面禁輸」ではなく「三割削減」としたことはある程度の妥協の結果であるようにも見える。しかし核実験から九日後の決議採択は、旧来には見られない迅速なものだった。
北朝鮮の金正恩政権は、この制裁を「極悪非道な挑発」と抗議し、九月一五日早朝には、これまでで最長の三七〇〇キロメートルの飛距離で北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射した。この距離は、北朝鮮当局が公言していた米国領グアム島を射程に入れたミサイル発射が現実化していることを示している。金正恩は、このミサイル発射について「核戦力の完成という目標がほぼ最終段階に達した」と語った。
金正恩政権は、その一族独裁支配体制の存続をかけて住民を実質的に「人質」にした軍事的冒険のエスカレートを見せつけている。そしてそれと歩調を合わせる形で、米日韓の「世論」の中でも「戦争」の可能性が取り沙汰され始めている。
しかし、ここで考えてみよう。金正恩政権の側から体制の崩壊をかけて全面戦争を仕掛ける可能性がどこにあるのか、と。金正恩政権の「核開発」が何よりも、その体制を維持するためのものでしかありえないことを、冷静に見ておかなければならない。
金正恩政権にとって、サダム・フセインのイラクとカダフィのリビアの崩壊は、深刻な教訓となった。サダム・フセイン政権は「大量破壊兵器」を持たなかったがゆえに、カダフィ政権は核兵器計画を放棄したがゆえに崩壊した、ということが彼らの「総括」であったに違いない。言うまでもなくそのことは、金正恩体制を「擁護」する理由とはならない。
「米日韓軍事
同盟実戦化」
金正恩政権による、「体制存続」を至上命題にした核ミサイル開発に対し、米国・トランプ政権は北朝鮮の軍事的壊滅をも狙った作戦計画の具体化を推し進めている。そして安倍政権は、金正恩政権の核・ミサイル開発戦略を利用しながら、米日韓の共同作戦体制の実戦化への踏み込みをさらに進めようとしている。
北朝鮮のミサイル発射などを警戒して日本海に展開する米軍のイージス艦に対して、二〇一五年戦争法による改訂ACSA(日米物品役務提供協定)に基づき海上自衛隊の補給艦が給油活動を行っていることなどは、その一例である。すでに金正恩政権による「核・ミサイル開発」を最大限に利用する形で、八月の日米外務・防衛担当閣僚会議(2プラス2)でミサイル防衛システム「イージス・ショア」の米国からの購入、「宇宙部隊」の創設などの大軍拡が進められていることは本紙でも指摘しているが、それは韓国の文新政権に対しても「対北融和」ではなく軍部を通じた「臨戦態勢」への圧力となっている。
安倍政権は、いま「北朝鮮」発の核・ミサイル危機を煽り立てながら、改憲と「戦争国家体制」構築の道を突き進んでいる。そのために「北朝鮮の脅威」は、最も利用しやすい材料である。しかし安倍の言う、「北朝鮮の脅威」(中距離ミサイルの発射、核実験によって、それは一見現実味を帯びたものとなっているのだが)という主張は、「戦争の危機」をあおりつつ、「解散・総選挙」という政治的「賭け」に打って出るための材料である。それは彼が本当のところ「脅威」など考えてはいないことを自ら暴露するものになっている。
あらゆる排外
主義許さない
「北朝鮮の核開発の脅威」は、安倍政権が「戦争法」を成立させ、地球規模での戦争に自衛隊を送り込み、そして今、憲法九条の改悪に踏み込む上で、最大の口実となっている。予想される「一〇月総選挙」で自民党が展開するキャンペーンの重要テーマの一つが、「度重なる北朝鮮のミサイル発射・核実験の脅威に立ち向かう」ということであるのは間違いないだろう。
われわれは、北朝鮮の「ミサイル発射」や「核実験」にきっぱりと反対する。北朝鮮は、自国民を人質に取った冒険的ゲームをもてあそぶべきではない。われわれは同時に「北朝鮮の脅威」を口実にしたトランプと安倍の核軍事同盟の強化と実戦化に反対し、東アジアの平和のための共同の取り組みに全力を上げる。
その際、決定的に重要なのは、韓国・朝鮮・中国の人びとへの差別と排外主義の言説・行動と正面から立ち向かうことである。
小池百合子東京都知事は、例年、関東大震災における朝鮮人虐殺慰霊碑に届けていた哀悼の辞を取りやめた。「軍隊慰安婦」への謝罪・補償の拒否、朝鮮人強制連行の否定をはじめ、朝鮮・韓国・中国の人びとへの憎悪と差別、恐怖に満ちたヘイトスピーチは、依然として、より露骨かつ陰湿な形をとりながら人びとの間に広がっている。
中国や韓国・北朝鮮への差別・憎悪は歴史問題、あるいは領土問題という形をとって公然化している。「明治一五〇年」「天皇代替わり」あるいは改憲・東京五輪などの国家的キャンペーンは「美しいニッポン、すばらしいニッポン」の大合唱を伴ったものになるに違いない。
しかし同時に、沖縄の「島ぐるみの闘い」は朝鮮半島や台湾の人びとの大きな共感を呼んでおり、「国境を超える闘い」の新地平を切り開いている。あらためて労働者・民衆自身による「東アジアの平和」のための闘いを作り出していこう。それは、差別と分断による支配を連帯した闘いで打ち倒すための、日常的な取り組みによってこそ培われていくのである。(平井純一)
投書
滝山論文を読んで
米国の核にも批判を
S・M
『かけはし』9月4日号(第2483号)の滝山五郎さんの論文を読んだ。滝山さんは述べる。「アメリカ帝国主義に対抗するために、労働者国家の核武装を擁護してきたかつてのわれわれの立場も再検討すべきではないか」。「帝国主義だろうが労働者国家だろうが核兵器はいらない。これがわれわれの立場だ」。「ウラン鉱開発での被ばくに始まり、原発によって作り出される膨大な核廃棄物の処理・管理はどこの国でも出来ていない。ただ放置されるか、地下深く埋められる。これとて一〇万年の管理が必要とされる。生きた地球の造山活動からすると管理は不可能だ。どこの国にも原発はいらない」。私はこれらの主張に賛成する。
ただ、滝山論文の見出しは「北朝鮮の核・ミサイル開発反対」になっている。私はこの見出し(スローガン)には疑問を感じる。左翼のスローガンは「北朝鮮の核にもアメリカの核にも反対(またはアメリカの核にも北朝鮮の核にも反対)」であるべきではないだろうか。「北朝鮮の核・ミサイル開発反対」だと政府・マスコミ・右翼と同じになってしまうのではないだろうか。
勉強不足のため世界一位か二位かは知らないが、アメリカは世界最大の核保有国の一つであることは間違いないだろう。アメリカと北朝鮮の軍事力には「大人と子どもの違い」があるといっても間違いないだろう。政府や右翼を支援する「天皇教ファシスト・マスコミ」はアメリカの核兵器には反対しないし、在日米軍(日米安保)や在韓米軍には何も反対しないのだ。毎日毎日「北朝鮮が攻めて来るぞ」と民衆を脅し続けているのだ。「ナチスのやり方」に学んでいるわけだ。日本の被害のみを大きく訴え日本の加害性には触れないか小さくしか触れない「天皇教ファシスト・マスコミ」の戦中・戦前についての報道の行きつく先がこれだったのだ(私の誤解でなければ、すでに「慰安婦」問題などでも全マスコミが「産経化」している。「少女像に対する報道」や「韓国の人権団体は間違っている的な報道」などを見れば分かる)。
「天皇教ファシスト・マスコミ」の「核兵器禁止条約賛成」はポーズにすぎなかったのだ。北朝鮮の核に反対するなら、アメリカの核にも当然反対するべきだ。私は「北朝鮮の一方的武装解除」的なスローガンには反対だ。「北朝鮮による核実験・核開発に対する批判は核廃絶に向けた毅然とした立場、核保有国すべてに対する批判として貫徹されなければならないし、そうしてこそ北朝鮮に対する説得力をもつことができる」(荒沢峻)。
滝山五郎さんは荒沢峻さんのこの主張を紹介している。私は荒沢峻さんの主張に賛成だ。ただし荒沢峻さんは亡くなってしまったので、私の今回の主張を読めたらどう思ったかを確認することは残念ながら不可能だ。
あらゆる核に反対しよう。
(2017年9月10日)
コラム
脳出血患者の闘病記 そのB
先日、朝いちのリハビリを終えて部屋に戻ると看護師さんが病棟に直接電話が入っていると迎えに来た。「Aさん(田舎の悪友)という方を知ってますか。電話に出ても出なくともいいですよ」と言う。私は「知っています。出ます」と答えると車椅子に乗せてナースセンターの電話機まで連れていってくれた。電話機を持つと同時に受話器の向こうの友人は間髪を置かず「お盆で帰って来たB君から聞いた。“あたったんだって”。苦しくてもリハビリが大事だぞ」とまくし立てる。私も彼につられて「あたってしまった。塩分の取り過ぎ、不摂生と酒の飲み過ぎのせいだろう」と返答した。彼は「そんなこと聞かなくても分かる」と私の話をさえぎった。
私の田舎では脳梗塞や脳出血などの病気を総称して「中風」と書いて「ちゅうぶ」と言い、寝た切りや半身不随の重病になった場合、それを「あたった」と言う。逆に麻痺などがあまりなく早期に日常生活に復帰できる病状を「かすった」と言う。彼が私に「あたったのか」と言ったのは病名と病状を一言で言ったのであり、田舎では四〇代よりも上の世代では誰でも分かっているし、日常的に使う。私の父も彼の父も「あたって」亡くなった。その意味でこの言葉には私と友人の間に共通の認識と思い出がある。
八月中旬から歩行器を着用しての歩行訓練に入りました。それはそれですごくうれしいのですが、いざ訓練が始まると器具を着けた訓練と現実に歩くという間には何重もの壁があることを知りました。この壁に五段階があるとすると一段階一カ月としても、この階段をクリアできるのに今年いっぱいかかる計算になります。そうすると本格的に「歩く」ことができるのは年明け以降という計算になるので、ちょっと絶望的な気持ちになります。
歩行器具を使った歩行練習が始まって以降一日目は右足のふくらはぎ、二日目は右足の付け根という具合に腫れあがり、翌朝にはベッドから車椅子に、トイレで便器に腰を落とすにも力が入らず、時には立てず痛みで泣いています。
そして右足の痛みと腫れがおさまると次の週は左足のふくらはぎ、もも、付け根という具合です。歩けるようになるかならないかは別としても、歩行訓練はいまが佳境だと周りの人が口々に言います。それを聞いて、痛みにも必死に耐える毎日です。今は夜も消灯時間の九時半前には眠ってしまいます。目を覚ますのはトイレ時間の午前二時前後です。こういう状況に直面すると明日の天気も気になりません。体重もすでに一三キロ程やせました。 (武)
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