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    かけはし2017.年9月18日号

ビンだけ新しい古いワイン


論評

シャンタル・ムフの「ポピュリストのとき」

ダニエル・タヌロ


ポピュリズムの
積極的意義づけ

 「ポピュリストのとき」は、哲学者のシャンタル・ムフが提唱した一つの考え方だ。ムフによれば、グローバリゼーション、金融資本の支配的影響力、社会民主主義の新自由主義政治への統合が、「ポスト・デモクラシー」を生み出すことになった。
 それによれば、民衆主権原理は中味のない定式になり果てた。つまり、もはや主権はなく、それゆえ左翼と右翼間の論争ももはやない。一握りの金融支配者の利益防衛は、政治問題を技術的な問題に、つまり専門家により決定されるべき問題に切り縮めている一つのカーストによって確保されている。このような脈絡の中で、平等原理(左翼)と自由(右翼)の間の関係は、左翼を不利にする形で均衡が破られている。ムフにとって民衆は、所与の社会学的実体ではない。つまりそれは、「彼ら」と「われわれ」の間にどう境界線を引くかに依存する一つの政治的構築物だ。彼女にとって、この政治的構築物の様式がポピュリズムを構成している。
 今日、われわれがあらゆるところに深い閉塞感、民主主義へのそれゆえ主権への、こうして平等と自由の再均衡化への「民衆的」熱望を見ることができるがゆえに、「ポピュリストのとき」がある。これらの感情は主に右翼ポピュリズムによって獲得されている。しかしこの情勢は不可避ではない。
 「右翼ポピュリズムは民衆主権を再確立するが、しかし平等性を再確立することはない」――特にそれが諸々の社会問題を民族の問題にするがゆえに――。それゆえそれが築くものは、民主主義を広げる代わりにそれを狭める「われわれ」だ。これが右翼ポピュリズムが抱えるアキレスのかかとになる。
 左翼は、いわば左翼ポピュリズムを開発することができ、そうしなければならない。それが右翼ポピュリズムと闘うただ一つの方法だ。これを行うために、ムフは「ファシズム」あるいは「極右」について語らないように推奨している。「それは理解しようとするやり方ではない」「右翼のポピュリスト運動の基礎となっている要求は民主的要求であることを認識しなければならない」と彼女は語った。マリーヌ・ルペンは、「幸せなグローバリゼーション」の犠牲者たちに回答を与えている。ムフにとって左翼ポピュリズムは、敵は新自由主義的グローバリゼーションであって移民ではない、と語ることによって、右翼ポピュリズムから区別される。

民主主義軸に社
会横断の結集?


 マルクス主義者は「即自的階級」と「対自的階級」を識別する。違いは意識の中にある。階級それ自身は一つの社会学的なデータだ。「対自的階級」は、諸闘争、自己組織化、諸闘争の拡張と統一、これらの経験から構成される。これらの経験が、社会関係および人間と自然の関係の完全な革命に対し基礎を据える目的で、プロレタリアートをその諸要求の先まで進むことを可能にさせる。
 しかしムフは「民衆の構築は『対自的階級』の構築ではない」と主張する。それは、「さまざまな社会層」から出てくる「異質な要求」を一点に集める、「はるかにもっと横断的な」運動だ。しかしそれはどちら側にある要求だろうか?
 ムフはフェミニズム、LGBT運動、環境……などを挙げている。しかしこれは問題の実質ではない。要点は、われわれはもはやフォーディズムの資本主義の中にはいないがゆえに横断性を必要としている、ということだ。「今日われわれすべては、右翼に帰属している社会学的層も含んで、金融資本の支配下にある」と。
 それゆえ横断性は「社会主義の構想を民主主義の急進化の分野で再定式化する」という問題だ。これが、雇用主からも出てくる諸要求の政治的結晶化を必要としている。そしてこの結晶化は、存在しているものが議論だけではないからには、諸々の激情を動員するカリスマ的指導者を必要とする。つまり、政治においては感情の要素が重要だ。右翼ポピュリズムはこのことをはっきり理解してきた。そして左翼ポピュリズムは同じことを行う必要がある。

これがグラムシ
の分析の結論?


 これが、非常に凝縮した形態においてだが、今日左翼の一部に魅惑を与えている政治理論の本質だ。それは、現代的で急進的な外観をもつが、新しいびんにつめられた極めて古いワインだ。
 そもそも出発点が間違っている。つまりそれは、金融資本と全体としての資本を、この二つが解きほぐせない形で編み込まれているにもかかわらず、引き離すことに本質があるのだ。ムフとその追随者にとっては、敵は労働者を搾取し環境を破壊している資本主義ではなく、「民衆主権」からその中味を空にするグローバル化した資本になっている。
 その結論は、回復するための「市民の蜂起」だが、何を回復するのだろうか? 国民の枠組み内での右翼と左翼間の「均衡」を伴う、新自由主義的転換以前の「民主主義」と「主権」だ。ムフは明白だ。すなわち彼女は、シリザとポデモスにふれながら、ポピュリズムは諸制度を変革するためにそこに入り込まなければならないと考えている。彼女にとってそうしたことが、ヘゲモニーの獲得に関するグラムシの分析から引き出されるべき結論だ。
 何と貧困なグラムシか! ムフが提案していることは社会民主主義が今やっている……と主張していることなのだから、そしてそれが社会民主主義を社会自由主義に変えているのだから、グラムシは墓の中でひっくり返っているに違いない。(引用は、シャンタル・ムフとジャン・リュク・メランション間の論争から)

▼筆者は実績のある農学者であると共に、エコソーシャリズムに立つ環境活動家。「ラ・ゴーシュ」(第四インターナショナルベルギー支部の月刊誌)の記者でもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年八月号)

ボリビア

諸権利と自然守る人々への
訴追を政府は止めるべだ

フォーカス・オン・グローバルサウス

 ソロン財団の代表であり、フォーカス・オン・グローバルサウスの元執行代表、そして元ボリビア国連大使のパブロ・ソロンが、アマゾン地域での二つの水力発電計画、エル・バラとエル・チャペテの建設、およびボリビア政府に対し批判の声を上げていることを理由に、ボリビア政府から今標的にされている。ダムの建設個所を見極めるために政府が雇ったイタリア企業、ジオデータの研究に基いてソロンは、それらのダムは「ラパス市の五倍の大きさのある地域を水没させ、五〇〇〇人以上の先住民を追い立て、一〇万ヘクタール以上の森林を破壊し、ブラジルでの現在の電力価格を基にすれば国には利益にならない」と語っている。
 ソロンは、二〇一一年六月に国連大使を辞し、その職は常任代表代理であったラファエル・アルコンドに引き継がれた。非常に著名なジャーナリストであるアルコンドは、サチャ・ルロレンティが新国連大使に指名されるまで、一四ヵ月の間臨時大使として努めを果たした。そしてこの新大使は、国立公園であり先住民領域であるティプニスを守るための先住民行進に対する弾圧があった二〇一一年九月には、閣僚の職にあった。反腐敗・透明性省次官は今になって、ソロンとアルコンドに対し、最高四年の懲役刑のある刑事容疑で告発することを決定した。ソロンはアルコンドを「不法に指名した」、そしてアルコンドは「職の引き延ばし」という罪を犯した、と申し立てられている。告発を受けた両者は、アルコンドは国連常任代表代理として大統領から指名された、また彼はその職を引き延ばしたことなどなかったと示して、堂々と対応した。
 政府における彼らの在職から六年も経って、ソロンとアルコンドにこのような容疑がかけられている理由ははっきりしている。ボリビア政府は、政府の政策と戦略に異義を突き付ける大胆さをもつ者たちを圧迫し、脅し、それを犯罪にしようと狙っている。たとえばソロンは「このニュース〔刑事容疑の〕は驚きではない。エル・バラとチャペテの大規模水力プラントに対するわれわれの批判的分析の後、何人かの友人たちは私に、彼らは何らかの形で私に嫌疑をかけ、私を脅し、私を黙らせようとあらゆる手段を講じるだろうと注意をした」と言明していた。
 ソロンは、投獄の脅しにもかかわらず、彼の見解を声に出すという彼の任務を再確認している。彼は「われわれはマザー・アースの権利とビビル・ビエン(善き生活)が確固とした実体である、そうした異なったボリビアに対する希望を捨てないだろう」と語る。
 われわれは、先住民衆の諸権利、自然、そして公共の利益のために立ち上がっていることをもって、ソロンを圧迫し脅しつけようとするボリビア政府の画策を強く非難する。われわれはボリビア政府に、ソロンとアルコンド両者に対するインチキな訴追を取り下げるよう促す。われわれは、このようなでっち上げの申し立てに異義を突き付け、正義と自然のために闘い続けている彼らに連帯して立ち上がる。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年九月号)  

香港

活動家投獄に反対する
抗議行動街頭を埋める

法曹界重鎮、政治的迫害否認

オキュパイ以後
最大の抗議行動

 八月二〇日、不法な抗議行動を理由とした親民主主義の若者活動家の投獄を糾弾し、香港市の指導的法曹専門家が先頃の判決を政治的迫害と描くことに警告を与えたにもかかわらず、数万人が街頭に繰り出した。
 行動の組織者たちは、この集会は二〇一四年のオキュパイ抗議行動以後では最大となったが、数の見積もりについてはあえて言うつもりはない、と主張した。他方警察は、その数をより低く見積もり二万二〇〇〇人とした。しかしそれでもこれは、この数年次第に減少してきた、七月一日における毎年の親民主主義集会への参加総数よりも多い。
 この非難の噴出は、検察当局が三人の学生活動家に対し控訴裁判所からより厳しい判決を得ることに成功した後に現れた。三人の活動家は先週、六ヵ月から八ヵ月の投獄を言い渡された。そしてこの香港の親民主主義活動家の投獄を、何千人もが「オキュパイ以後では最大の抗議行動」の形で非難している。
 政治活動家に対する社会奉仕活動命令と執行猶予判決を見直したことは、それ以前に同じ判事団がもう一つの不法な抗議行動に関し他の一三人に対し一三カ月までの投獄を言い渡していたことに続いて、政府が一週間で二度目に得た成功だった。
 学生の指導者で行進の組織者であるレスター・シュムは「投獄された活動家を支持して今日これほど多くの人々が出てきたことを見て、われわれは非常な勇気をもらっている」「それは政治的迫害によって香港の人々がすっかり怯えることはないだろう、という証明だ」と語った。
 民主主義運動の活動家たちは今、オキュパイ抗議行動以後弱体化が進んできていた彼らの運動の活力をそれが回復させるだろう、と期待をかけている。
 政治評論家のチュン・キム・ワーは、宣誓をめぐる親民主派議員の資格剥奪も含め、活動家に対する政府の弾圧に直面し香港人が強い抑圧感を感じていた以上、八月二〇日が大きな行動となることは予想されたことだ、と語った。

法曹界の動きに
北京の圧力の影


 北京からはもう一つの強い反応があり、外務省香港事務所は、裁判所の判決に対する外国政府の批判を酷評し、この市の問題に対し外国政府は干渉するな、と警告した。
 さらに多くの法曹専門家たちも、そうした批判は、裁判所が北京の命令を前にして活動家を犠牲に差し出していると暗示するものであり、それによって法の支配と司法の独立を掘り崩している、と警告するために、意を決して論争に取りかかった。
 元法曹協会議長でベテランの弁護士であるパウル・シエー・ウィン・タイは、三人の投獄を政治的迫害と描くことは間違いだ、と語った。彼は、彼らは政府本庁舎地区を襲撃しオキュパイの座り込みを引き起こしたことで法を犯したことの代償を払っているのだ、と語った。彼は、彼らはオキュパイの抗議行動に参加した際、その法的な結果は引き受けると誓約していた、と指摘した。そして「彼らが代わりに投獄の判決を静かに受け入れていたら、人びとから多くの尊敬を勝ち得ていたことだろう……」と語った。
 香港における法曹専門家の二つの最大団体、法曹協会と弁護士会は、司法の独立と法の支配を共同して擁護しようと、同一八日に前例のない一歩を踏み出した。
 シエーは、控訴裁判所副所長のワリー・イエン・チュン・クエンが知識人の「不健全な傾向」を酷評したことで、判決には「少し感情的なもの」があることを見出した。問題の酷評は、知識人たちが香港における市民的不服従、および彼らが高尚な理想だと見なす可能性のあるもののために法を破ること、を主唱しているとするものだった。この副所長はまた、オキュパイ・セントラルの共同創設者が市民的不服従に、暴力の介在はまったくないだろうとの想定のような、たくさんの「非現実的な期待」を加えたからには、香港大学法学教授のベニー・タイ・ユ・ティンには、「答えるべきものがたくさんある」とも語った。
 シエーを最大に悩ませたことは、裁判所が市民を心配させる判決を下したときは必ず、人々が法の支配の終わりといった結論に飛びつく傾向だった。しかし彼も、親民主派議員の資格を剥奪する動きが信頼喪失の点では理由になり得る、ということを渋々認めるしかなかった。
 ベテランの弁護士で元親民主派議員の行政会議メンバーのロニー・トン・カ・ワーは、判事を政治的操作に屈服しているとして責めることは法廷侮辱にあたる、と警告した。彼はさらに、法を破った者たちを「政治犯」と見なす人びとにも反対した。(「南アジア・モーニングポスト」八月二〇日掲載)(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年八月号)



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