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    かけはし2017.年9月18日号

東アジアの平和を沖縄から


沖縄報告:9月9日

韓国済州島の神父も毎日座り込み

沖縄 K・S


9.9

土曜行動に200人

ゲート前とテントに座り込む
機動隊も資材搬入も丸一日なし

 旧盆明けの初めての土曜集中行動となった九月九日のゲート前行動は、県議や市町村議を含め各地から約二〇〇人が集まり、ゲート前とテントで座り込んだ。はじめから機動隊も配備されておらず、資材搬入も行われなかった。その代り沖縄防衛局は前日の金曜日、一七二台の工事車両を進入させた。
 座り込み集会の進行は平和運動センターの大城悟事務局長が担当し、各地の島ぐるみのあいさつが続いた。その中で、島ぐるみ名護の浦島悦子さんは「市民投票から二〇年、名護市民の辺野古新基地NO!の気持ちは変わっていない。来年二月の市長選挙を圧倒的に勝とう。この四年間で、四年間の新成人に一八歳選挙権を得た若者を合わせ六年の新世代が選挙権を得た。新しい選挙民をどう獲得するのかが問われている。韓国の若者中心の運動を見習おう」と述べた。
 うるま市島ぐるみは「毎週木土の二回、大型バスで参加している。今日が一五三回目だ。現場に来ないと決意が固まっていかない。新しい人たちを発掘しよう。新聞報道によると、防衛局は来月からK1、N5の護岸工事を着手するという。すべての力を結集して現場の工事を止め、そのうえで知事の承認撤回を実現しよう。毎週月曜日は、キャンプ・コートニーで海兵隊撤退を訴えるスタンディングを続けている。海兵隊の撤退は基地のない沖縄に向かう大きな前進だ」とアピールした。また、沖教組国頭支部は「土曜行動に議員の参加が減ってきた。毎週水木土は北部地区労とともにゲート前に来ている。今日は八人参加した。現場の労働者が立ち上がれば新基地を止めることが可能だ。動員を強化し工事を止めよう」と訴えた。
 そのあと第1ゲートまでデモ行進し、テントでの集会に移り、歌やパフォーマンス、発言、体ほぐし体操が続いた。その中で、伊波義安さんは「先週、国頭での工事車両阻止行動で初めて逮捕された。当日は読谷、宜野湾、高江などから数十人が集まった。排除されてもまた止める行動を繰り返し、二時間ストップした。県警は一昨年警視庁機動隊が動員されて以降、暴力的になった。沖縄の警察は生ぬるい、と強く批判されたのだろう。留置された名護署の警官は全部ウチナーンチュだ。アメリカの基地を造るのにどうして沖縄の人同士が争わなければならないのか。旧盆に県道一〇四号線の現場に行き献花し線香をあげてきた。力を合わせて立ちあがろう」と話した。
 また、八重瀬町島ぐるみの小波津さんは、キャンプ・シュワブのゲート前でひき逃げにあった平良悦美さんの報告を行った。「平良修さんと一緒に教会に通っている。悦美さんは骨折した両足に五時間に及ぶ大手術を受けた。先日受け取ったメールには、沖縄にどうしても基地を造らせてはいけない、早くゲート前に行きたい、気持ちはみんなと一緒だと書いてあった。本当に強い人だ」と報告した。
 なは島ぐるみバスで参加した、韓国済州島のキム・ソンファン神父は「一カ月の予定で先月一八日に沖縄に来た。毎日那覇バスで辺野古に来ている。土曜日は高江に行っているが今日は辺野古に来た。済州島には五年間いた。毎日基地建設に反対するために行動した。朴槿恵前政権はチェジュ道の海軍基地反対運動に総額三四億ウォンの損害賠償金を科したが、新しく誕生したムン・ジェイン政府の代理人は、損害賠償金を取り消す代わりに毎日のゲート前での抗議行動を取りやめるようにという条件を出してきた。ゲート前での行動が韓国政府、米軍に脅威となっているのだ。もちろん、抗議行動を止めるわけにはいかない。皆さんの毎日の辺野古現地での行動はそれ以上に米軍に対し大きな脅威となっている。あきらめず最後まで行動し勝利してほしい」と述べた。
 キム・ソンファン神父は現在三年の予定でアイルランドの大学に留学し平和学を学んでいる。今回の来沖は、東アジアの平和をテーマとした論文執筆のため沖縄の反基地運動の参加者のインタビューを行う目的だという。すでに二十数人のインタビューを終えたと語った。
 そのあと、小橋川共行さんの発議で、第1ゲート前でチェジュ道の「百拝」を真似て「十拝」を行った。チェジュ道では毎日朝七時から海軍基地ゲート前で、平和を祈る心を込めて立った姿勢から地面にひれ伏してお辞儀をし再び立ち上がって両手を合わせて祈る動きを百回繰り返す「百拝」の祈りを行っている。
 キム・ソンファン神父の動きに合わせて行われたキャンプ・シュワブゲート前の「百拝」は一〇回だけだったが、ジュゴンのいる辺野古・大浦湾の海を守る気持ちを込めて参加者全員で厳かに行われた。その間、ゲートの向こう側では米兵の車両は出ることができずくぎ付けとなった。
 三時過ぎこの日の行動は終了した。

石川真生「大琉球写真絵巻」


 「石川真生大琉球写真絵巻Part1〜4」が九月五日から一〇日まで那覇市パレット久茂地6Fの那覇市民ギャラリーで開催され連日盛況だ。主催は「石川真生・大琉球写真絵巻展パート1〜4実現&がん治療支援のためのクラウドファンディング実行委員会」。四年前から取り組んでいる「大琉球写真絵巻」シリーズは石川真生さんのライフワークだ。今回展示された写真絵巻は九〇枚。七月の三度目のがん摘出手術を乗り越え写真展にこぎつけた真生さんは、毎日元気にトークに立ち、写真を見に訪れた人々に思いのたけを語った。
 薩摩藩の琉球侵攻、明治政府の琉球併合、沖縄戦、米軍駐留と米軍政支配、米軍の事件・事故・犯罪、復帰後も継続する日本政府による基地固定化、高江・辺野古の新基地建設と続く沖縄の現実を突き出した写真絵巻は、真生さんの友人・知人が総出演して演じている。実際、私の知り合いもいくつかの写真に登場し演じている。ものすごい迫力だ。このあと、一一月にフランス・パリで開催される世界最大の写真フェアに出展。年明けから絵巻のパート5の撮影に挑むという。イシカワマオの闘志は萎えることを知らない。
 石川真生さんはトークで、アメリカに従属した今の日本の現状を「日本はアメリカのポチ。単純明快」と指摘した。キャンプ・シュワブ横の砂浜でトランプ米大統領の手につながれた鎖の首輪をつけた安倍首相が「お手」をしている写真は、全体の写真絵巻の中でも特に印象的な一枚だ。
 会場では、絵巻の写真をコピーした写真はがきや石川真生さんの最近の写真集が販売された。私は『FENCES,OKINAWA』を買い求め、かわいらしい女学生のような字の真生さんのサインをもらった。写真家として写真を通して今後も闘い続ける石川さんに声援を送りたい。

9.7 命どぅ宝コンサート

基地の島から
平和発信の島へ


九月七日は、七二年前の一九四五年日本軍と米軍との間で「降伏調印式」が行われ、沖縄戦が正式に終了した日だ。場所は当時嘉手納飛行場の中にあった越来村の米第10軍司令部。日本軍は牛島満司令官が六月二三日に自殺していたため、代わりに宮古から先島群島司令官・納見敏郎中将と奄美からは陸軍司令官・高田利貞中将、海軍司令官・加藤唯男少将が出席し米第10軍司令官・スティルウェル大将との間で降伏文書に署名した。九月七日は日本が降伏して沖縄戦が終結した日だ。表紙に大きく「Surrender(降伏)」と記された一連の降伏調印文書は沖縄県公文書館に保管されている。納見中将はその後GHQから「A級戦犯」として逮捕命令が出されると宮古に戻って自殺したという。

6・23は沖縄戦終結の日ではない

 六月二三日の慰霊の日は、牛島司令官と長参謀長が自殺し日本軍の組織的な戦闘が壊滅した日であるが、沖縄戦が終わった日ではない。牛島司令官は自殺にあたって残した遺書に「祖国のために最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱を受くることなく、悠久の大義に生くべし」と書いた。牛島司令官は戦争を終わらせるために死んだのではない。遺書にあるように「今や戦線錯綜し、通信も途絶し、予の指揮は不可能」となったために死んだのである。だから司令官が死んでも戦争は終わらなかった。かえって各地の軍の勝手な行動が生み出された。久米島での鹿山正海軍兵曹長による住民殺害事件の数々はその典型だ。
実は、牛島司令官と長参謀長が自殺する二日前の六月二一日、陸軍大臣及び参謀総長から訣別電報が届いていた。訣別電報に記されていたことは二つ。一つは、米軍司令官・バックナー中将が戦死したこと。もう一つは、10・10空襲の一カ月後の一一月一一日に着工され、強制連行された朝鮮人六五〇〇人を含む一万人が動員された全長一〇kmの松代大本営が完成間近ということ。松代大本営は、天皇が三種の神器と共に住み、政府諸機関やマスコミが入る一大地下要塞であった。
沖縄の日本軍は、米軍の沖縄島読谷・北谷海岸からの上陸以降嘉数高地―前田高地―シュガーローフに至る一カ月半の激戦を死力を尽くして戦った。その結果、五万人をこえる戦死傷者、精神障害者を出す損害を米軍に与えたが、六万人以上の戦死者を出して日本軍はほぼ壊滅した。沖縄戦の決着はついた。日本軍は敗北した。国際的にも日本の同盟国、ドイツとイタリアは既に降伏していた。

松代大本営ができるまで沖縄戦を引き延ばした

 ところが日本軍は戦争を止めなかった。五月二二日、首里城地下の日本軍司令部は各地の部隊指導者を集めた会議で、前線部隊参謀長の「首里での決戦」方針を退け、本島南部糸満市摩文仁へ司令部を移し戦争を継続することを命令した。その結果、一〇万人以上の住民が避難していた南部一帯が戦場となり多数の住民が犠牲になったのだ。目的は戦争の引きのばし、ただその一点。牛島司令官の遺書が冒頭、「諸氏の勇戦敢闘、実に三カ月、すでにその任務を完遂せり」と記したのは、「軍が壊滅し戦争に敗北したのに任務を完遂したとはどういうことか」と思うかもしれないが、「松代大本営ができた。沖縄戦の役割は終わった」という意味なのである。

まよなかしんやさんも元気な姿を見せた

 前田高地近くの浦添市ベッテルハイムホールで開催された9・7命どぅ宝コンサートには約五〇人が参加した。初めに降伏調印式と前田高地の戦闘の実写フィルムの上映が行われた。そのあと、宮城千恵さん、「よっしー&どぅしんちゃ―」、当山なつみさん、泰真実さん、川口真由美さん、まよなかしんやさんなど多くの歌でにぎやかに盛り上がった。毎年の9・7の取り組みを中心になって継続してきたまよなかしんやさんは、後遺症による言葉の障害がありながらも、歌う時のトレードマークの姿で今回も元気な姿を見せた。


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