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    かけはし2017.年9月11日号

「自発的対米従属」克服へ


7.22

しないさせない戦争協力・関西ネット

具体的な提案が必要だ

総会で猿田佐世さん

 【大阪】しないさせない戦争協力関西ネットワーク年次総会が七月二二日国労会館で開かれ、昨年度のとりくみと会計の報告が行われ了承された。そして、反改憲・沖縄連帯・戦争法廃止の運動、安倍退陣に向けた運動の骨子が提案され了承された。
 続いて、日本とワシントンで活動している猿田佐世さん(新外交イニシアティブ事務局長、弁護士)が、「自発的対米従属をどう克服するか」と題して特別講演をした(別掲)。(T・T)

猿田佐世さんのお話

「ワシントン拡声器」

 鳩山政権が誕生したころ、大学院生としてワシントンにいた。今の活動の対象は日米外交だ。活動をしながら一〇年ぐらい過ぎた。ワシントンからの声は実際のものよりものすごく大きくなるので、これをワシントン拡声器と呼んでいる。
日米外交は、TPP・沖縄・原発・安保法制・憲法九条など私たちの生活に幅広い影響を及ぼしている。歴史問題・靖國参拝問題・従軍慰安婦問題・領土問題は本来であれば、中国や韓国・朝鮮との問題だが、現実は常に米国が絡んでいる。二〇一三年一二月に安倍さんが靖國神社に参拝したとき、米国は失望したと言い、その後安倍さんは参拝できなくなるというように。米国が言うと、なぜか知らないがその通りになる。米国が消費税を増やそうとか、弁護士を増やそうというとやがてその通りになる。九条は日米同盟にとって障がいだ、早く辺野古に基地をつくれ、自衛隊を早く海外に派兵できるようにしろ、原発は再稼働せよ、TPPは早期批准を、ここにいる人はこれらはすべて米国からの圧力だと思っていると思う。
その代表的なものとして、アーミテージ・ナイ報告書がある。今まで三弾出ている。日本の安全保障の青写真を示し、ここに書いてある日本政府への勧告はすべて五年、一〇年の間に実現していく。二〇一二年の第三弾では、秘密保護法をつくれとか、日本の自衛隊も海兵隊のような能力を備えよ、武器輸出三原則を変えよなどが書いてある。現在これらはすべて実現している。政府の官僚でもない一市民の二人の報告書が日本の政策の教科書になっている。
だが、アーミテージに実際あってみると、そんなに悪いことは言っていない。辺野古を無理にすすめるのはよくない、などという。こういう事実は日本では報道されない。

第3層の人々
に注目すべき
日本が米国の声と思っているのは、本当に米国の声なのか。一部の声ではあるだろうが、他にもいろいろ声はあるはず。米国の声といっているものは、どうも実際とはちがうようだ、ということに気付き始めた。
ワシントンは、人口が六五万人の小さな街だが、世界中の権力と情報が集中している政治だけしかない街だ。日本人も、大使館関係者、ロビーイングをする大企業関係者、大手メディアがいる。その中で日本に対する影響がつくられている。米国の方は日本にはほとんど関心がない。第一層は日本外務省の相手である米国政府、第二層は議会、その中で日本に関心のある者はほとんどいない、沖縄のことを訴えるときでも、沖縄のことなど何も知らない。米国の声をつくっているのはワシントンそのもの。
つまり第三層のシンクタンク、大学、知日派、ロビーイスト、メディアだ。私たちが会うのは第三層の人たちだ。この第三層の人たちは、政権が変わるたびに一層・二層の人たちの四〇〇〇人ぐらいと入れ替わる。だから三層の人に対してなめてかかれない。

国務省に集中
する日本メディア
二〇一四年七月一日、集団的自衛権行使容認の閣議決定の前夜に、名護市長の稲嶺さんのお手伝いをしていてワシントンで気付いたこと。国務省の前に日本のメディアがたくさんいた。名護市長を取材してくれるのかなと思ったがちがっていた。すると、日本の国会議員が出てきた。メディアに聞くと河井さんだという。知っている人がいますか。メディアが集まっていたのはホテルに帰ってから分かったが、『現在ワシントンを訪問中の自民党衆議院議員は、ワシントンで会談したアーミテージ氏が、集団的自衛権の閣議決定は素晴らしいことだと言ったことを告げ、早く日本に帰り安倍首相に報告したい、と述べた』と言う記事がネット新聞に載っていた。このことを永田町で記者会見しても誰も注目しない。それは河井さんも分かっている。メディアもそういう声が取りたいからわざわざ国務省の前にいく。

オルタナティブ
な外交ルートを
既存の外交ルートではなく、沖縄問題でオルタナティブな外交ルートを作っていきたい。沖縄の米軍基地問題で米国側と話しても、日本政府がそれを望んでいると言い返される。辺野古基地はいらないということを言っていかなければいけない。鳩山政権は、政権を取ったが声を届ける外交ルートを持っていなかった。沖縄の人たちも持っていない。外務省は何の助けにもならない。政府だけではなく、国会議員の外交、名護市の外交、民間の外交いろいろなレベルの独自の外交ルートをつくることだ。沖縄問題を環境問題として(環境問題に厳しいあなたが、この基地建設を容認できるのか)、性暴力問題として(女性がレイプされ殺害された。殺したのはあなたの国の軍隊だ。どう思うか)話をする。沖縄なんか知らない人でも関心を向けてくれる。国防費をムダなことに使うべきではないと話す。
ワシントン拡声器のことを話したが、私たちも拡声器を使うことができる。稲嶺さんを案内したときも、米国のメディアが取材をして長い記事を書いてくれた。抑止力というのは実態に合っていないということも発言していく。国防権限法で、辺野古が唯一の選択肢だという部分は削除させたのは大きいことだった。今回訪米し軍事委員会や歳出委員会の議員にあったとき、関連委員会でも沖縄問題に関心を寄せる議員が増えているのではないかと思った。何とか助けになりたい、具体的にどうすればいいのかを教えてくれと言われた。人道支援の観点からでも詳しい報告書をつくって持って行く必要があると思った。沖縄以外では、二〇一八年日米原子力協定改定のこと。米国は再処理をやめろと要求している。ところが、一方では強く言いすぎると日米同盟にひびが入るとまずいとも考えて揺れている。
自発的対米従属をどうしたら変えられるか。日本がアジアの国、中国や韓国ともっとつきあいを深めるとか、抑止力が実態と違うのではないかという手紙を書くとか、反対という言い方ではなく、具体的な提案を出すなどが必要ではないか。(発言要旨、文責編集部)

三里塚の証言 悪魔の731石井部隊 B

我が内なるファシズムの思想を克服せよ

三里塚大地共有委員会代表 加瀬 勉 2017年4月10日


石井式濾水機

 九十九里平野が北にせりあがって北総畑作台地の谷津田に入る。三里塚木の根の小川源さんの所有地の水田で田圃は尽きる。さらに多古町丹波山反対同盟木村喜重さん水田が最後である。源さんと喜重さんの田圃から湧き出る水は小さな流れをつくって下る。高谷川源流である。この横堀谷津から辺田へ、中郷、東、住母家、坂志岡、稲葉、そして石井四郎の生まれ育った加茂集落に流れは続く。
石井四郎軍医中将が考案開発した「石井式濾水機」の初実験がこの流れで行われた。この「石井式濾水機」は三つの目的があった。@平房でのコレラ菌、炭そ菌、チブス菌、などの人体実験をするために細菌を培養する浄化水が必要であった。A細菌戦を行うために大量の細菌の培養が必要であった。B日本の軍隊は野戦では小沼、河川の水を飲んでいたため隊内に伝染病が絶えず発生していた。無菌浄化水を必要としていた。
石井は日本特殊工業で開発に成功して故郷の加茂の高谷川で初実験したのである。村長をはじめ千代田挙げての祝賀行事となった。空港建設反対闘争で「自前の農業」闘争方針を掲げ水路の泥を挙げた小さな河川の流れは世界史的な重要な意味をもっていたのである。

平房の施設

 人体実験施設は大林組が請負って建設した。その実験建物の細部を千葉県九十九里の鈴木組が担当した。鈴木組は四郎の兄三男と旧知の間柄で秘密を守れると判断したからである。
内装は「千葉組」の特別建設班が組織された。これは石井四郎の命令で組織された極秘組織であった。大工、左官、タイル、ペンキの各職工、この作業は極秘中の極秘であるために、石井の郷里千代田村加茂の人たち、多古町島の人たちによつて組織された。石井の血族、親族の人間関係を中心に組織されている。「千葉組」六〇人の班長は青柳雄〈千代田村菱田辺田〉、石井四郎の親族である。石井正男〈千代田村小原子〉は石井四郎の親族、実験された死体を焼却するボイラー係、瓜生栄二〈千代田村菱田辺田〉監獄特別管理人。
千代田村〈現芝山町〉は七〇〇戸、人口二一〇〇人の寒村であった。石井四郎軍医中将率いる731部隊は別名、石井の故郷の名前を取って「加茂部隊」と呼ばれていた。千代田村から731部隊員、軍属、平房総施設建設班、雑役夫等村ぐるみで参加していた。当時、日当五銭に対して平房で働けば雑役三円一〇銭、大工四円五〇銭になった。村人、小作人はこぞって働きに出て家に送金した。
千代田村は石井によって裕福になったと言われている。村人は、「神様、仏様、大恩人様、石井閣下様」なのである。寄生地主制度下失業の小作人は、帝国主義軍隊の人的資源であり、ファシズムの大衆的基盤であった。

石井四郎軍医生渡満

 石井四郎が満州に出張したのは昭和七年か八年〈一九三三年〉頃のことである。「石井軍医生ノ業務援助ノ嘱託四名、雇員五名、雇人二七名ガ満州ニ出張ス」。この時一五人が加茂から参加している。加茂部隊という秘密部隊が組織されている。
加茂〈芝山町大里加茂石井の出身集落〉「満州国出張中ノ左記防疫研究室職員ハ夫々壮烈ナル戦死ヲ遂グ」。

 本籍 千葉県山武郡千代田村大里加茂一四五一
嘱託 田下五郎〈明治四二年四月一日生〉
昭和一〇年七月一八日満州国浜江省双城県藍棋子溝ニ匪賊討伐中左胸部貫通銃創ヲ受ケ戦死。

 本籍千葉県山武郡千代田村大里加茂一四五一
嘱託 田下丑之助〈大正二年九月一日生〉
昭和一〇年六月五日満州国浜江省双城県李家瓦房二於テ匪賊討伐中東部貫通銃創ヲ受ケ戦死

 本籍千葉県山武郡千代田村大里一二一五
雇員 萩原豊〈大正八年三月二四日生〉
昭和一〇年六月二五日腸チフスに罹り東京第一衛戊病院七月二九日死亡

 戦死した田下五郎、丑之助は兄弟である。又田下反対同盟本部役員の叔父である。

石井正男

 石井正男〈千代田村小原子〉は、石井四郎の親族である。平房施設の死体焼却のボイラーマンであった。三〇〇〇人の中国人、ロシア人、朝鮮人が丸太と呼ばれて生体実験された。死体は焼却された。終戦時二〇〇人の死体があった。焼却して骨を石炭の粉末に混入して骨を黒くして袋に詰めて松花江に流した。戦後、帰国、社会党に入党、小原子空港反対同盟の組織化は石井正男さんを中心に行った。

青柳雄

 青柳雄〈千代田村菱田辺田〉。青柳庸一老人行動隊員の弟である。石井四郎の親族で平房建設極秘「千葉組」の班長であった。

大竹はな

 空港反対同盟婦人行動隊隊長大竹はなは千代田村坂志岡の出身。多古町第三学区船越の生まれの佐瀬金蔵と結婚、金蔵731部隊の軍属としてはなは雑役婦として平房に勤務、戦後帰国して三里塚古込地区に開拓に入った。

小川和一

 小川和一〈千代田村菱田辺田〉さんは、反対同盟副委員長小川明治・小川源さんと小川七郎さんの長兄である。母親が石井四郎軍医中将の親戚の青柳庸一家の奉公人であり、青柳家の小作人であった関係で、平房の人体実験施設建設の極秘組織「千葉組」に家族とともに勤務していた。建設が終了すると「千葉組」の人々は731部隊に入隊、また軍属に、雇用人として働いていた。和一さんは、731部隊に入隊したのである。終戦後帰国してきたのであるがMPに連行されて横浜の軍事裁判で死刑の判決を受けて巣鴨プリズンで刑死した。小川和一さんの息子小川剛正さんはこのように証言している。
「俺は七歳の時に母と満州から引き揚げてきた。父親が現地召集で兵隊になったからである。戦後父は帰ってきたが、アメリカに連行されて東京巣鴨の刑務所に入れられた。父の最後の遺書が届いた。それを読んでは泣き、苦しいときに読んでは自分を奮い立たせて歯を食いしばって生きてきた父親が軍務の時にどんな犯罪を犯したのか、横浜の軍事裁判の論告求刑について、巣鴨プリズンで刑死する直前に家族に残した遺書の内容について語ってもらわなかった。

小川源

 小川源〈成田市木の根〉反対同盟副委員長。空港建設反対闘争に生涯をかけた人である。私は小川さんに三里塚反対同盟中国訪問団に加わってくれるように強く要請した。小川さんは快諾したが、出発直前になって参加を断ってきた。731部隊員であったからである。自分は左足に砲弾の破片が入っている傷痍軍人であったことを語ってくれた。また、源さんの妻は石井四郎軍医中将の出身集落加茂の生まれ、石井の紹介で東京衛戍病院に勤務していた。石井家家族の紹介で源さんと結婚したのである。      (つづく)

 


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