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    かけはし2017.年9月11日号

県内外・国内外に闘いの輪を


沖縄報告:9月2日

辺野古・高江の攻防は続く

沖縄 K・S

ドイツの国際平和ビューロー

「オール沖縄」にマクブラ
イド賞が授与された!

 ドイツの平和団体IPB(国際平和ビューロー)は、二〇一七年のショーン・マクブライド平和賞を、辺野古新基地反対の闘いを粘り強く進めてきた「オール沖縄」に授与することを決定した。「国際平和ビューロー」は長い歴史を持つ平和団体で、一九一〇年にノーベル平和賞を受賞している。授賞式は一一月二四日、スペインのバルセロナで行われる。オール沖縄の高里鈴代共同代表は「非暴力であきらめない闘いが評価された。勇気をもらった」と述べた。
 また、八月二一日にはサンフランシスコの米連邦控訴裁判所が「沖縄ジュゴン訴訟」で、「安保や外交に裁判所が介入する権限はない」として原告の訴えを退けた一審判決を破棄し差し戻す判決を下した。米国の国家歴史保存法は、国外においても文化財を尊重すること、つまり新基地予定地のジュゴンを保護することを求めている。
 ND(新外交イニシアティブ)は八月二九日東京で訪米報告会を開いた。猿田佐世事務局長は「議論の場をつくったのは大きな一歩だ。地殻変動の可能性もある」と述べた。
 沖縄の闘いは世界に広がっている。必ず勝つとの確信をもって現地の闘いを強化しよう。ウークイ(旧盆の送り日)が終わったら辺野古に全力で結集しよう!

8.30

ゲート前座り込み

200人が県警の強制排除・
資材搬入に抗議の行動


 八月三〇日水曜日のゲート前座り込みは、まず全員が立ち上がって恒例の三曲(沖縄今こそ立ち上がろう、座り込めここへ、沖縄を返せ)を歌い、集会を開始した。トップバッターは糸満島ぐるみの金城さん。「八月一八日に糸満島ぐるみの集まりを一二〇人で持った。右翼が会場周辺をグルグル回って妨害したが、会場を締め切り騒音をシャットアウト。最後はカチャーシーで締めた。ゲート前はあと五〇人いれば、警察の強制排除に対し勝てる。仲間を増やそう」と檄を飛ばした。
 読谷村の城間真弓さんは「今から仕事に戻るが、その前に一言。カメジローの映画を見た。素晴らしかった。カメジローの魂は私の中にも生きている。子供たちにも伝えて行こう」と話した。南城市議の松田さんは「北朝鮮のミサイルに抗議するが、圧力一辺倒の安倍政権の対応は間違いだ」と述べた。八重瀬島ぐるみは「欠陥機オスプレイが大分空港に不時着した。全国でオスプレイ反対の運動を起こす時だ。北のミサイルに対し朝から晩まで北の危機を煽り立て 「B29に竹やり」のような避難訓練をしている。日本政府が本来やるべきことは、平和憲法を持つ国として率先して話し合いの道を提案することだ。さらに問題は政府と一緒に危機を煽り立てるマスコミだ」と述べた。

高里鈴代さん
が訪米の報告
宜野座村の仲村さん「防衛局はわれわれに日本語が分かりますか、と言った。なめるな、防衛局。ウチナー口が分かるか?私はもうすぐ天に召されるが、新基地は絶対に造らせない」。本部島ぐるみの仲宗根さん「八月二六日の北部島ぐるみの交流会に一六〇人集まった。辺野古へ行こう、稲嶺市長の三選に勝利しよう、が二本の柱だ。われわれ一人がもう一人を連れてくればゲート前の人数は倍になる。簡単ではないが、やり抜き現場を守ろう」。今帰仁島ぐるみ「名護市長選挙から県知事選挙まで、必ず勝ち抜こう」。名護島ぐるみの上間さん「戦争を進める政府に対し、日本国憲法を持って反対しよう」。
高里さんは八・一六〜二四の訪米団の報告をした。「アジア太平洋系アメリカ人労働組合の二五周年総会に参加した。労組創設者のひとり、ケント・ウォンさんは二年前辺野古・高江に来て、人々が勇気をもって世界の大国に抵抗し続けている姿に感動した、と述べた。五〇〇人余り参加した総会で沖縄連帯決議が可決された。今度外相になった河野太郎は以前、お忍びで辺野古に来たことがある。嘉陽のオジーに会った時、オジーは自民党では初めての人だと感激していた。それが外相になって、辺野古唯一とはガッカリだ。私たちの闘う相手は、目の前の機動隊、警備員、防衛局の後ろにいる二つの大きな政府だ」。
その後、テントに移動し集会を継続した。途中、ダンプが国頭の採石場を出たとの情報に、参加者は早めの昼食をとり、ゲート前に座り込んだ。まもなく、機動隊が仏頂面で登場し座り込み排除を始めたが、なかなかはかどらない。全員を排除して囲い込み、ダンプ、二〇トントレーラー、荷台をシートで隠したトラックなど六七台が進入し資材を下ろしてゲートを出るまで一時間以上かかった。工事車両は、丸政工務店、大宜見産業、北勝重機運輸のほか、池原運送、比国運送、比地運送、丸久運送、与儀運送などに加え、名前を隠したダンプも見られた。

「本土ではわから
ないことだらけ」
そのあと再びゲート前テントに移動した。参加者は二〇〇人近くに増えた。兵庫県尼崎市からの二一人は「『風かたか』の上映をする。沖縄とともに闘いたい」「私は奄美の出身。戦争中ガマに隠れいつ米軍が上陸してくるかとおびえていた。食べ物もなかった。政府が再び戦争の道を進むことは許されない」などとアピールした。また宮城県仙台市からの四人の学生・元学生は「現場に来て衝撃を受けた。本土にいては分からないことだらけ。こんなのは日本じゃない」「機動隊の排除に怒りを覚えた。ケガしますよ、と言いながら無理やり引っ張っていく。言うこととやることがあべこべだ」「座り込みは初めて。宮城に帰り仲間を増やして頑張る」などと述べた。
イギリスのロンドンで反戦平和の運動をしている二人は「辺野古の運動をロンドンの友人たちに伝えて広めていきたい」と話した。韓国の民衆民主党「沖縄遠征団」の三人の若者は、「八月二一日、米韓軍事演習の開始に抗議して沖縄に来た。九月に三週間米軍反対全国キャラバンを行う。共に闘おう」と述べ、「岩のように」の歌に合わせて踊りを披露した。
海外からの参加者が増えている。八月三一日には、韓国抱川(ポッチョン)市の米軍射撃場の騒音対策委員会の訪問団(市議一〇人を含む六〇人)が嘉数高台から普天間基地を視察したあと、大謝名公民館で普天間爆音訴訟団と交流し、白充弁護士から第二次訴訟について説明を受けた。その後辺野古ゲート前テントを訪れ、「ポッチョンにも基地がある。基地被害をなくすため協力していきたい」と訴えた。
闘いの輪を県内外・国内外にもっと広げ、日米両政府との力関係を転換させよう!

8.31

高江早朝行動

ゲート前に車両バリ
作業員への説得活動

 昨年一二月二二日、日米両政府は米海兵隊北部訓練場の一部・約四〇〇〇ヘクタールの返還式を行った。しかし、安倍の指示による突貫工事のヘリパッド建設は、法面の崩壊、芝生面の欠陥、赤土流失など多くの問題を抱えていただけでなく、一部の進入路が未完成のままだった。七月から再開された工事に対し、ヘリパッドいらない住民の会と高江現地行動連絡会はN1ゲート前のテントを拠点に抗議行動を続けてきたが、八月の最後の一週間は、作業員に対する説得活動を集中して行った。
八月三一日は夜明け前からH・Gゲート入り口を車両でふさぐとともに高江展望台前の道路にチェック・ポイントを設けた。基地内の工事に従事する作業員一〇人は午前四時半頃から五時半頃にかけてチェック・ポイントに到着したが、車両での進入を阻止されたため、車を路上に止めて徒歩でH・Gゲートへと向かった。しかし、ゲートも車両バリケードでふさがれ入れない。ゲート前は、無理やり中に入ろうとするひとりの作業員とのもみ合いが短時間あったあと、ゲート前の車両バリケード前に陣取るわれわれと反対側のガードレールに待機する作業員とが対峙する状態が続いた。
作業員たちの年令は二〇代から六〇代までさまざまに見える。全員おとなしい。あえて強行突破しようとしない。わがメンバーから手渡された高江ヘリパッド反対・辺野古新基地反対のパンフレットに目を通している。夜が明け、座り込みの路上をトンボがたくさん飛び始めたころ、親方と思しき男性の「今日はもう引きあげよう」との掛け声で、作業員が立ち上がり帰り始めた。「やったぞ、今日は勝った」と思いながら、引きあげる作業員に「お疲れさまでした。もう来ないでくださいね」「一緒に基地に反対しましょう」などと口々に声をかけた。
作業員はもと来た道を歩いて帰ったが、そのうちの三人はH・Gゲートの右側の山道に入って行き藪をかき分けて現場に至る敷地内に入った。しばらくして残りの作業員も山の斜面から現場に至る敷地内に入った。N1ゲート前でも監視行動が行われている間に、作業員は高江橋脇の斜面から現場に向かったようだ。この日の高江早朝行動は、工事を止めることはできなかったが、工事の開始を遅らせ、ヘリパッド反対を強くアピールした。
高江ヘリパッド反対の闘いは終わっていない。様々な補修・追加工事に反対し、オスプレイの使用・飛来に反対する闘いをくじけることなく根気強くやり抜いていく。普天間基地のオスプレイは、昨年一二月名護市安部沖海岸で墜落事故を起こしたのに続き、今年八月にオーストラリアで乗員三人が死亡する墜落事故を起こした。そのあと、日米両政府は根強い反対を押し切って北海道での日米合同演習にオスプレイを参加させたが、その中の一機が普天間への帰路、エンジンから白煙を上げ大分空港に不時着した。欠陥機オスプレイは全国どこでも飛ばすな!米軍はオスプレイを持ってアメリカ本国へ帰れ!という声をいたるところで大きく上げよう。

8・16〜20石垣キャンプ

国境を越えて手をつなごう


平和の海・国際ピースキャンプが八月一六〜二〇日の四泊五日の日程で、石垣青少年の家を舞台に開催された。済州島をはじめ韓国、台湾、日本本土、沖縄島、宮古、与那国そして石垣の各島から総勢八〇人にのぼる人々が集まった。二〇一四年の済州に始まり、沖縄、台湾と続き、第四回目の今年は石垣島での開催となった。
プログラムは、ハートブレイキング・ビンゴに始まり、ワールドカフェ、夜の森の鳴き声や星座の観察、国際ピースシンポジウム、「標的の島風かたか」の上映、石垣の戦跡巡り、戦争体験者の講話、ミサイル配備が計画される地域住民との交流、東アジアの連帯に向けた討論、マングローブ散策やカヌー体験、キャンプファイヤー、宣言発表、ピースウォークなど凝縮した多彩な内容だ。
国際ピースシンポジウムは、@石垣市民ラボによる「日本最南端の市民放射能測定所」A済州からの「島の平和・海の平和を守る闘いを放棄しない」B与那国メンバーの現状報告「与那国の今」C台湾メンバーの報告「台湾の原子力発電所、核廃棄物と反核運動」D辺野古・高江の闘いE「新しいコミュニティと大転換期へ向かう私たち」Fソウルの参加者による「武器取引の隠された醜い真実」G宮古島からの報告「命の水を守ろう!基地のない平和な島を」H台湾からの文化保全と観光開発についての提起「反美麗湾開発運動からの発想」Iアーサー・ビナードさんの「日本て本当に被爆国?」が、全一日かけて報告・意見交換された。
石垣島の戦跡巡りは炎天下、松島さんのガイドで大型バスに乗り次の各地を訪問した。@日本軍が米軍上陸に備えてつくった真栄里海岸に残る銃眼、A大浜・フルスト原遺跡のがけ下に残る陣地壕、B海軍平得飛行場跡地とそばの航空機掩体、C名蔵の廃屋に当時の姿をとどめるトーチカ、D一九九七年建てられた「八重山戦争マラリア犠牲者慰霊の塔」。石垣島には米軍の上陸がなかったが、宮古島と合わせて三万人もの日本軍が陣地を構え、住民の労力・食料を奪っただけでなく、波照間島の全住民をはじめ各地の住民をマラリア地域に強制移住させ三六〇〇人以上の命を奪った。日本軍の戦争犯罪を告発する慰霊碑だ。
石垣島ピースキャンプは、来年韓国済州島で開催することを発表したあと、ピースウォ―クを行って幕を閉じた。


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