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    かけはし2017.年9月11日号

深まる労働現場の荒廃


今こそ人権・民主主義回復を

横行する職場のパワハラ

くどう ひろし

「心の病」で労災最多498人

 過労などが原因で心の病を患い、労災に認定された人が、昨年度四九八人、過去最多を更新した。
 職場のパワハラが原因のケースが目立つ。心の病を発症して労災を請求した人は、一五八六人、四年連続で過去最多を更新した。嫌がらせ、いじめ、暴行が七四件と最も多い。認定された人のうち三割超が月平均一〇〇時間以上の時間外労働をしていた。うち五二人が一六〇時間以上だった。一日一四〜一五時間労働になる。一日八時間労働や週休二日はどこへ行ったのか。
 国会で働き方改革がにぎやかだが、労働現場からは二〇〇〇年代に入って、争議がほとんど聞かれなくなった。二〇〇七年までの折れ線グラフが、モノ言わない労働者の姿でなくてなんであろう。これは労働現場に労働組合がなくなったと告知しているに等しい。「人手不足なのに業務量が増え、働き手にかかる負荷が高まる“高圧釜”状態の職場が多い。人間関係がギスギスし、パワハラが生じやすくなっている」(森岡孝二、関西大教授)。勤勉とはほど遠い、いじめ社会以外の何ものでもない。
 人口一〇万人当たりの自殺者数“自殺死亡率”は、一八・五人と、主要先進七カ国の中で、日本の自殺死亡率は最も高い。棒グラフは、世界保健機関(WHO)の調査だが、次に高い米国は一三・四人、年間三万人を超えた一時期より大幅に減ってなおかつ日本は主要国の中でダントツに高い。
 かつて魯迅は日本人の勤勉を、奴隷の勤勉と呼んだが、今になってさらに身にしみるものがある。

いじめ、嫌がらせ相談件数


 新聞(五月)に載ったいじめのグラフを見ると、一〇年間見事に相談件数が増え続けている。労働争議が減ったのに反比例といってもよさそうである。
 厚労省によるパワハラの六類型をながめていると、滅入ってしまう。民主主義や個人の尊厳がないがしろにされている社会だ。実質憲法は企業と自民党によって改悪、無視されている。仕事をする仕事場というより、まるで虐待室だ。
 ブラック企業を書いた本が、何冊も、何種類も高い売れゆきを誇るわけだ。妙に納得してしまう。ぜひ読んでほしい。
 ここでは女性が一人でも無理なく生きていくモデルは全く確立されていない、という作家・活動家、雨宮処凛さんを引用しよう。
 「中年女性でイメージされるのは、夫と子供がいて、パートで働く女性たち。そうではない女性たちに対し、独身貴族というような偏見があると感じます。老後は家賃を払えない。同世代の独身女性が集まると“他人を傷つけずに長く刑務所に入る方法を思いついた”なんて話が出てくる。餓死か、自殺か、ホームレスか、刑務所か、最悪の4択だね。独身中年女性のリアルです」(『朝日』2016年11月7日)。
 記者は偏見、自己責任論を排し、男女の賃金格差も排し、女性が貧困から抜け出せない状況を改善してほしい、と結んでいた。
 もっともだが、現実は女性の活躍社会からはほど遠い、と雨宮さんは手きびしい批判をしているのである。自民党、お坊ちゃん育ちの国会議員様に、労働現場を語ることほど徒労、ムダはあるまい。
 本筋は労働現場が独自に解決する能力をあみ出し、身につけること、労働相談、資本家との交渉をあらゆる職場ができるようになることである。
 短く言えば、すべての職場に労働組合をつくろう、ということになる。言うのは簡単だが、現実に組合をつくるのは簡単でもあり、難しくもある。現実に労働組合の組織率は一八%、二割にみたない。
 戦後民主化で、基本的人権の尊重や労働法が整備された。形の上では労働組合が次々つくられ、一時は現実に組織率五割を超えたが、次第に減って今は二割にみたない。
 北欧はおしなべて組織率が高い。スウェーデン九一%、アイスランド八三%、デンマーク八〇%、フィンランド七九%など、これらの国は労働者、農民の生活を大切にする社会福祉の考えが強い。
 日本はヨーロッパの国々に比べ、組織率が低い。なぜか。産業革命が若干遅かったこと、帝国主義戦争をやったことがあげられる。戦後は民主化したが、アメリカ帝国主義への協力、安保条約があって、国民の福祉、人権の軽視があった。
 具体的にはいくつかあるが、大きいのは国鉄改革に名をかりた労働組合つぶし、弾圧である。新聞で見ただけでも、多くの人々が自死に追いやられた。
 「国労二四年の闘争に幕」の見出しが新聞に載ったのは二〇一一年七月三〇日。他に被解雇者がいるとして建交労全国鉄道本部と動労千葉が引き続きJR各社に雇用を求める。

労働者の人権、民主主義の回復を!


 労働者が働くのは、自分の労働力を売る以外に生活のすべ、収入を得る方法がないからである。
 資本家と労働者、一対一では労働者が言うまでもなく弱い。少しでも労働力の売買、雇用契約を不利にならないようにするためには、同じ立場にある労働者が結束して労働力市場で、資本家と交渉しなければならない。労働組合は労働者がお互いに助け合い、資本家との雇用契約で不利にならないようにする堤防である。労働者にとって、労働組合は生活を守るのに欠かせない、生存権と一体である。
 さる六月二三日、朝日新聞に神宮義秋さん(元国労闘争団全国連絡会議議長)インタビュー記事が載った。読んでない方は是非読んでほしい。
 そこで国鉄改革というのは、中曽根康弘首相が、その後のインタビューで「国労(国鉄労働組合)が崩壊すれば、総評(日本労働組合総評議会)も崩壊するということを明確に意識してやった」と語っている。
 総評、社会党をつぶして改憲へという大戦略を描いていたことがわかります。そのために護憲勢力の社会党を支え、最強の戦闘力を誇った国労を狙い撃ちにしたのでしょう。
 資本主義は財産関係の社会なので、無一文の労働者が、自分たちを守る労働組合を悪者あつかいされたのでは、平等な人間関係が成りたたない。近代民主主義の否定に他ならない。個人の尊重なんてウソになる。
 国労つぶしをやった中曽根首相は、安保法制や現代の治安維持法というべき「共謀罪法案」をごり押し、安倍首相の源流になっており、甚だしい時代錯誤である。
 もう一つ付け加えれば、大惨事をひきおこした原発の熱心な導入者である。
 原発はトイレのないマンションと言われ、廃棄物の捨て場がない。その一事だけで日本国中の厄介ものである。世論調査では過半数が原発に反対である。
 欧米では民間の専門機関が安全についての基準を作ることが多い。「民間基準が標準になり中立性も保たれている。日本には基準を作れる民間技術者がいないので政府の翻訳でしかない」「産に比べ学の存在感が希薄で、実際の技術開発を主導できるような学者がいない」。
 原発事故調の「委員をやって感じたのは、原子力事業者がよくもこれだけ何もやってこなかったということです。間違ったことをしたというより、やるべきことをしなかった不作為が最大の問題です」(九州大学副学長、吉岡斉さん、科学技術史、『朝日』2012年2月29日)。
 昨年の参院選で、川内原発をかかえる鹿児島県の自民党、野村哲郎氏は、原発について次のように述べた。「専門家でない者が危ない、危なくないというのは無責任、政治がいちいち介入したらおしまいだ」。
 地域の自治、市民、農民、漁民、労働組合をだまらせる金権だのみの原発導入が、歴史的な惨事をまねいて以降、世論の多数は脱原発になった。避難者は専門家ではないが、原発反対になった。双葉、大熊の人たちをはじめ、多くの人に帰る見通しがない。自殺も後をたたない。
 野村氏の指摘は、これまでの経過、自民党にはあてはまるが、今や問題は国民的である。南相馬の桜井市長は「再稼働は今も避難している住民を棄民扱いにすることだ。その議論自体、政府の責任放棄だ」と語る。
 中曽根康弘氏、安倍首相、核武装論者の石破氏、自民党の原発再稼働には憲法改悪がちらつく。
 「事故が起こる前から原子力は優れた技術ではなかった。再処理すれば発電コストは安くないし、ささいな事故や事件で止まる。コストの面でも、安定供給の面でも割に合わない。今回の事故で劣っている部分が露骨な形で出た」。
 「……国や事業者は一刻も早く原発を再稼働させる考えしか持ち合わせていない。……過酷事故をおこさないための安全基準を再構築しなければいけない。ドイツでは、政府ができないと判断したので、原発をやめることにした」(前出、吉岡斉さん、『朝日』2012年3月15日)。
 原発は退場すべきを説いているのである。

コラム

あれから

 七月の頭から英語の勉強を始めて、今週で九週目が終ろうとしている。週四〇〇の単語・熟語を目標にしてきたのだが、現在およそ三〇〇〇語弱で、予定よりも少し遅れをとっている。八月の涼しくなった日の夜に網戸の窓で寝てしまい二度も夏風邪をひいてしまったこと、『かけはし』に原稿を書かなければならなくなったことなどが影響しているようだ。
 毎週木曜日の『かけはし』の発送作業を手伝いに行くこと以外は、ほぼ部屋に閉じこもって英語とにらめっこしている状態である。だいたい夜の一一時ころまで勉強をして、それから深夜の一時まで営業している近所のスーパーに出かけて、食料やその日に飲む缶チューハイなどを買う。
 この二カ月間「鉛筆より重たいものは持たない」ような生活をしていて、運動らしきものはまったくしていない。夏の暑さと天候不順ということもあるのだろうが、趣味であったはずの登山をしようという気持ちも湧いてこない。「勉強が遅れてしまう」といった「脅迫感」に捕らわれているのかもしれない。
 一日中、座いすにあぐらの姿勢でいるものだから、これまで過酷な肉体労働を続けてきた私の筋肉は日に日に減少している。そしてそれに伴った関節の痛みなども出てきている。先日、ロシア革命一〇〇周年の第二回目の学習会に行こうと思い家を出て歩き始めると、左の股関節が痛い。一歩一歩痛みが来る。それでも一〇〇mほど歩いてみたのだが痛みが取れず家に引き返した。
 また、こんな生活をしているのだから一日三食では確実に太ると考えて、朝食抜きの一日二食にしている。腹が減ったら間食はカップヨーグルトや冷やしトマト、野菜ジュースなどを取るようにしている。それでも腹筋の減少に伴って、腹はブヨ付きだして出張りはじめている。おまけに止めようと思っていたタバコは逆に増えてしまっているし、週の二日は酒を抜くつもりでいたのだが、それも実行できてはいない。  こんな状態では、英語をものにする前に病気になってしまうかもしれない。涼しくなったら新しい山靴を買って、通いなれた丹沢にでも出かけようかと思っている。また夕刻に近所の公園まで軽いランニングをするのもいいかもしれない。
 そうした状況にもかかわらず幸いなのは、英語の勉強が楽しいと感じ続けていることだ。先に進めば進むほど単語は難しくなり、覚えるのも大変だ。単語を何度も発音しながら書いて、例文も英文を伏せて日本語を英語に訳して書くというやり方をしている。そして何か疑問点などがあれば、辞書を引いては重要だと思えることをテキストの余白に書き込んでいる。そんなことだから、一つの単語をやっつけるのに五分は掛かってしまう。
 こんな感じで、私の「英語漬け」も三カ月目に突入する。一年間である程度ものにできるのかは、今のところは未知数である。それでもやると決めたのだから、四〇年間の活動家人生を賭けてやるしかないのである。
 先日、コラム仲間に「その内、ネタが無くなるかもしれない」と言うと、「英語で書くという手もあるでしょう」と言われてしまった。ありか!!(星)
 


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