7.23
「市民・野党共闘」が勝利した
郡和子さんを押し上げた「無党派」層
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注目された仙台市長選挙。郡(こおり)和子候補(無所属/注1)が激戦を勝ち抜いた。市民運動の要請を受けての立候補。郡さんは勝因を聞かれ「市民の力」「民主主義の勝利」と繰り返した。
出発は県知事の思惑と仙台市政の事情がからみ、異例の選挙となった。県知事が強力に支援した「経済人」は、保守系候補として一本化され、自民、公明、「こころ」の支持を得て本命視された。のちに現仙台市長も加わった。民進党は候補者選定の過程で市議や元衆議院議員が離脱、混迷が続いた。市民団体などは野党共闘の可能性も見すえ、勝利めざして闘う候補者が必要だと訴えていた。民進党は六月初旬、郡和子議員の擁立を決定。民進党と社民党が支持、共産党、自由党が支援して国政与野党の対決となった。
政局の影響が指摘され始めていた。河北新報は六月中旬「内閣支持一〇ポイント減、急落四四%」と報じた。支持率は続落した。都議選で自民党が歴史的な大敗、しかも共産党が自民党候補を破って二議席を増やした。民進党も踏み止まった(注2)。「次は仙台だ」という実感が広がっていった。
仙台市長選はすでに地方首長選挙の範囲を越えていた。投票率は前回から一四ポイント上昇、いわゆる「無党派層」が郡候補の勝利を決定的なものにした(注3)。
春以降の経緯を振り返る。
市長が突然
の引退表明
現在の仙台市政は元市長(保守系)の失政に起因している。共産党を除く「オール与党」体制でありながら、「市民協働」を標榜する市政が二期八年、続いた。「リベラル」と評価されていた市長を民主党、民進党は支えてきた。
四月、三選を確実視されていた市長が突然、引退を表明、事態が一変した。村井県知事はすかさず「経済人の立候補」に言及した。
経済界を含めて描かれていたシナリオがあり、それが四年、前倒しになったという説が流れた。保守陣営からすれば現市政は仮住まいだ。知事の動きは、市政の「継承」ではなく「奪還」を意味した(知事は後に、敗戦の弁の中で、自分が立候補を主導したわけではないと語気を強め、責任論に反発した)。
県知事への
批判高まる
知事の動きに自民党系仙台市議からの反発が起きた。「強引な市政介入」「仙台をなめているのか」などの言葉が飛び、知事は弁明に追われた。
長期県政への批判や牽制が背景にある。政令指定都市の「権限」をめぐる県との綱引き(震災対応は全国的な議論)も関係しているだろう。
自民党は保守系候補を一本化して選挙戦を先行させたが、不協和音は続いた。予定候補者との「二連ポスター」が繁華街に林立した。知事の「前のめり」が目立ち、「誰の選挙なのか」とささやかれた。配信された動画は事前運動の疑いをかけられ、知事は陳謝した(知事は六月下旬、四選めざして正式に立候補を表明。県議会では「多選制限が必要」など厳しい発言が保守系議員から相次いだ)。
急浮上した会社経営者は知事の友人であり、水産特区や仙台空港「民営化」など知事の「創造的復興」の政策パートナーであり、しかも保守的思想の持ち主だという。
「安倍一強」の既視感が広がった。都議選(六月二三日告示)が焦点となり、政局が急変動していたころだった。
仙台の「与野党対決」は政権与党の側から挑まれたといえる。かりに人選を含めて「現市政の継承」が「オール与党」内で検討されたなら、事態は違う展開になった可能性がある。知事の素早い動きは結果として、そのような余地を封じたが、皮肉にも国政の嵐を呼び込むこととなった。
市民の会の要請
と民進党の決断
当初、民進党の困難の方が深刻だと受けとめられていた。
突然の事態に、県連は様々な選択肢を検討していたという。その過程で「党主導への反発」が市議会会派の中から公然化した。最終的に四人の市議が保守系対立候補の陣営に回った。
さらに県連副代表が離党。「しがらみのない」政治を強調、立候補を表明した。民進党に合流した元衆院議員(みんなの党から立候補、比例東北で復活当選)で、次期衆院選の予定候補者とみなされていた。県連が市長選擁立を検討したなかの一人だったともいう。
内部の離反に直面しながら、民進党は正式に郡和子議員を候補者に決定した。
「市民の会」が大きな、決定的な役割を果たした。〈挑まれた対決であり、勝利できる候補者を立てて闘おう〉〈本気で勝とう〉という声が民進党を押した。「私たちの市長を選ぶ仙台市民の会」は正式に郡議員の出馬を要請、民進党はこれに応える形で擁立を決定した。
連合宮城も支持を表明した(連合内部の「温度差」が選挙の大勢を左右することはなかった)。
こうして、保守系候補に対抗して、参議院選挙を引き継ぐ「市民」と「野党共闘」による選挙戦が加速していった。
保守系支援を
表明した市長
市長は告示(七月九日)が迫る六月末、突然、保守系候補の支持を表明した。
共産党の郡候補支援が理由とされた。後継指名はしないと言明した引退表明だったが、土壇場で飛び出した態度表明に戸惑いや失望、さらに批判の声があがった。とくに「市民協働」を実践すべく市政に参画してきた人たち、現市長を支えてきた民進党の支持者たちの中に複雑な感情が渦巻いただろう。
現職知事と現職市長の支持があれば、向かうところ敵なしだ。選挙公報では市長と知事が並んで支持を訴えた。それでも流れは変わらなかった。逆効果だったという声すら聞かれる。地元紙は出口調査の結果から「市政批判票、郡氏に」と分析した。
告示後、地元紙は郡候補のリードを伝えた。菅官房長官らが支援に入ったが、街頭には立たず「自民党隠し」と言われた。すでに市長選は安倍政権の支持を問う場となっていた。鉄壁であるはずの知事と市長の二枚看板は「安倍一強」と二重写しになり、保守層の離反さえ招く事態が進んでいったといえる。
自公が内部固めを強め、追撃している。居住区などのネットワークが動きを察知し、郡候補を勝たせようという熱気が草の根的に広がっていると、ある運動員は語っていた。野党共闘の側も支援を強め、民進、共産の著名な国会議員が同じ壇上で支援を訴え、社民党国会議員も街頭に立った。最終盤には郡候補が優勢を維持していると報じられた。
自民党支持者の二割が郡候補に投票した(各社の出口調査)。民進党を離れた第三の候補者にも一割が流れた。「支持政党なし」層では、郡候補が他候補を大きく上回った。
新市政への
攻勢に対して
少数与党市政(市議の七割が保守系候補を支持)には厳しい議会運営が予想される。与党としての共産党のスタンスも注目される(離脱議員を出した民進党と共産党はほぼ同数)。市政の混乱、企業進出の停滞など、反対派は懸念や批判を強めている。
しかし、前回の市長選は過去最低の投票率だった。それから四年、「市政の停滞」や「オール与党の弊害」が指摘されてきた。「現状維持」は、ほころんでいた。県知事をはじめとする主戦論は、保守派の側からのアプローチだった。それをはね返した市長選の結果が、いかに市政に反映されるか。運動と市政がどのような関係を結ぶか。
「いじめ自死」「石炭火力発電所の被災地進出」など、現市政は対応力を発揮できず、市民の期待を失ってきた。「市民の力」「民主主義」が反映される新市政が注目される(注4)。
仙台市長選の勝利は「野党共闘」への期待を裏付けた。同時に民進党にとって、仙台の二つの小選挙区の予定候補者が空白となった。衆議院選挙での正否が問われる。
なお、市長選のなかで「都民ファースト」との連動の可能性も一部にとりざたされたが、表面化はしなかった。
(7月29日/仙台・八木)
(注1)前民進党衆議院議員(民主党議員から一二年間、現職議員)。無所属で立候補、自動的に議員失職。
(注2)〈都民ファーストの躍進に埋没した共産、民進〉という類の大方の報道に対して、異議をとなえる記事があった(朝日新聞)。この異論のほうが、市長選を闘っていた人たちの実感に近い。
(注3)得票数など省略(河北新報オンライン参照)。
(注4)市政への期待アンケート。各社により調査内容が異なりばらつきがあるが、教育や子育て、福祉などが「経済」を上回っている。
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