残業代ゼロも、まやかし「働き方改革」も撤回へ
生活時間取り戻し尊厳ある労働社会を
安倍政権にとっても新たな打撃
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「残業代ゼロ」容認策動が頓挫
七月二七日開催された連合の臨時中央執行委員会は、高度プロフェッショナル制度導入や裁量労働制拡張を盛り込み、現在国会に上程されながらも審議されないままになっている労働基準法改訂案について、一部修正した上で容認、を内容とする「政労使合意」を見送り、従来通り反対に立場を戻すことを決定した。神津里季生連合会長黙認の下に、逢見直人同事務局長を中心とする一部幹部が主導した、同法案容認への原理的裏切りとも言うべき方向転換の画策はひとまず頓挫した。
実は連合のここに見た転向は危惧されていたことだった。本紙でもすでにふれているが(四月二四日号)、先の労働基準法改訂案の早期成立を盛り込んだ「働き方改革実行計画」が神津連合会長同席の下に決定されていたからだ。神津会長はその後も、同法改訂案への反対に変わりはないと語ってはいたが、労働法制の解体に向けた、安倍政権の連合取り込みの意志はあまりに明らかだった。そして連合内部からそれに応える動きが水面下で進められていたことを、この間の事態が赤裸々にあらわにした。
しかしそれがあらわになるや連合内外を貫いて強い抵抗が表面化、そのシナリオをともかくいったんは崩すまでにいたった、というのがこの間起きたことだ。労働法制解体に対する幅広い抵抗感の表面化、そしてそれが安倍政権のシナリオに打撃を与えたこと、労働法制解体攻撃をはね返す上で、これは労働者民衆にとって大きな成果だ。あるいはそれを成果としてこれからの闘いに活かすことが、われわれの挑戦課題として提起されている。
なお高度プロフェッショナル制度というのは、一部の専門業務に従事する労働者に、当面年収一〇七五万円以上の労働者に限るという条件の下で、労働時間規制を一切取り払うという、労働時間規制のない労働者をつくる制度だ。そのような労働者は当然どれだけ働こうが割増賃金は払われず(「残業代ゼロ」)、「定額働かせ放題」となる。そして使用者は労働時間管理の責任が免除され、法的には過労死しても労働者個人の自己責任となる。「意欲と能力のある労働者の自己実現」(「働き方改革実行計画」)、成果を基準とする報酬、などの美名が看板になっているが、本質は労働時間規制の解体に向けた突破口であり(日本経団連は、年収条件の大幅切り下げを方針として明言している)、連合もそれゆえこれまで強く反対してきた。
揺れに揺れた三週間
ここまでの約三週間、連合は激しく揺れ続けた。発端は七月八日の三役会。主要産別代表が参加するこの場に、それまでまったく議論されていなかった前記の修正案が、法案容認を含んだ七月一九日の「政労使合意」という段取りまで込みで突然提案された。さまざまな情報が漏れ伝わっているが、少なくない異論に対し、逢見事務局長は機関決議を経る必要はない、と言い切ったという。
現に、七月一三日、神津連合会長は安倍首相と会談、前記提案通りの法案修正を要請し、安倍から前向きに受け止めるとの回答を得ている。ここまでは事前のシナリオ通り、連合指導部が描いた構図で進んだ。
ちなみにこの修正内容は、高度プロフェッショナル制度導入にあたっては、年一〇四日の休日取得の義務づけ、加えて労働時間の上限設定、勤務時間インターバル制度、二週間連続の休日取得、臨時の健康診断、この四つのうちいずれかを働きすぎ防止策として選択、さらに裁量労働制拡張に関しては、企画業務型に関し法人向け営業では商品販売の一般営業職を対象外とする、というもの。
しかしこの修正内容にも、働き過ぎ防止として実効性がないなど、多方面から批判の声が上がっている。たとえば年間一〇四日の休日は週休二日制企業では何も新たなものではなく、それ以外の日には時間制限のない、いわば割増賃金のない「働かせ放題」の労働も、単に臨時の健康診断さえすれば何の問題もない、ということになるのだ。生活時間はおろか十分な休息時間すら労働者に保証しないこのような条件を「修正」と呼ぶ方がよほどどうかしている。
まして逢見事務局長は民主党のヒアリング(七月一八日)に対し、「今回は高めの球を投げて拾ってもらうのではなく、ある程度、合意を読んだ上で進めた」と、経営側への配慮をあけすけに語っているのだ(朝日七月二一日)。まさに語るに落ちる、と言う以外ない。
この文字通りの労働者への背信にはもっと深い意味があるのだがそれは後述する。いずれにしろさすがに連合内部でも、この動きには反発が広がった。おそらく、七月一一日前後から各紙上で連合指導部のこの動きが大々的に報じられ出したのには、連合内部からの情報提供があったと推測される。そしてこの報道が社会的に衝撃をもって受け止められ、社会の多方面から批判を呼び起こすと共に、それがさらに連合内部に波及するサイクルが動き出した。連合内部では「全国ユニオン」が先頭を切って反対声明を出し、全労連、全労協など他の労働団体からも反対の見解が公表された。さらに過労死遺族からも強い批判が加えられた。
このように社会的圧力を受け連合指導部はあわてて七月一八日、七月二一日に予定されていた中央執行委員会を待たずに「中央執行委員会懇談会」という意見を聴取するだけの会合をもった。しかし異論続出の中、これまでの方針強行は不可能となり、七月一九日の政労使合意という当初の予定は延期する以外なくなった。
しかし連合指導部はこの段階でも、七月二一日の中央執行委員会で了承を取り付け七月二七日に「政労使合意」、の段取りを思い描いていたようだ(朝日七月一九日)。ところが七月二一日の中央執行委員会も彼らの思い通りにはならなかった。容認を内容とする「政労使合意」そのものへの反対に加え、機関決定を経ない独走への批判など、全国ユニオンはもとより海員組合、自治労、JR総連を含んだいくつかの産別、また北海道、関東、近畿、中国などの地方連合などから異論が続出したのだ。
この場では発言しなかったとしても、たとえば情報労連など、主要産別内でも今回の進め方への批判は報じられている(朝日七月二一日)。結果として連合指導部はこの場での了承取り付けを見送らざるを得なかった。そしてこの混乱の中、連合指導部は最終的に混乱収拾を優先し、前記した七月二七日の中央執行委員会に立場を元に戻す提案を行うことを決断、前記の通りこの方針が正式決定となった。
社会的圧力が追い詰めた
連合指導部をこの最終決定に追い詰めた力は何よりも、このひどい裏切りに対する社会的批判、と言わなければならない。すでにふれたようにこの「連合容認」が報じられるや否や、各方面から非難の声がわき起こった。特に家族を過労死・過労自死で奪われた遺族はすぐさまはっきりと強い批判を明らかにした。
たとえば朝日七月一四日は、「全国過労死を考える家族の会」代表の寺西笑子さんの憤りを伝えた。さらに同記事は、他の分野の識者による批判や、高度プロフェッショナルの対象になると思われる労働者の、連合の動きに対する冷ややかな声も紹介している。この三週間この問題は特に新聞報道で、批判的論調をにじませつつ連続的に大きく報道されたが、それ自体この社会的批判を敏感に感じ取ったからと推測できる。
すでに電通の高橋まつりさんの過労自死を契機に長時間労働の問題はあらためて人びとの怒りを駆り立て、大きな社会的問題となっていた。そしてまさにこの同じ時期の七月二〇日、オリンピック会場となる新国立競技場建設に従事していた僅か二三歳の若い労働者が、三月に過労自死していたことが判明した。自死前の一ヵ月には残業が二〇〇時間を超えていたという(朝日七月二一日)。
その中で、日本最大の労組ナショナルセンター、かつ日本の労働者の代表を気取る連合が、その長時間労働を文字通り野放しにするものにしかなりようのない「高度プロフェッショナル制度」なるものを容認するというのだ。社会に衝撃を与え、怒りと不信を呼ばないわけがない。併わせて、人びとの思いとあまりにかけ離れたその感覚のずれにもおそらく、大きな違和感を残したと思われる。何しろ安倍政権が人びとの不信を買い危機に直面していた最中のことだ。この連合指導部の行動が客観的に安倍政権に塩を送る効果をもつことを、誰しもが感じざるを得ないのだ。
もっとも現場に近いところにいる連合の指導者たちがこうした人びとの感覚に危機感を覚えたことは想像に難くない。漏れ出てくる情報の中では、七月二一日の中央執行委員会で、「安倍政権が支持を失い、高プロを出せなくなるところに追い込もうとしているときになぜ敵に塩を送るのか」との意見も出たようだ。
こうして七月一九日には、連合本部に高度プロフェッショナル制度導入容認に抗議するデモがかけられるという、自称労働者の代表にとっては実に不名誉な事態が生まれた。個人としてツイッターで集まった市民(労働者)が「連合は勝手に労働者を代表するな」と声を上げたのだ。まさに連合は社会的に包囲され、彼らにはそれをはね返す大義は何もなかった。
安倍政権の思惑にヒビ
この間の事態は確実に、安倍政権にも大きな打撃になっている。まず臨時国会をなるべく無風化したい、という彼らの皮算用は完全に崩れた。労働基準法改定案と「働き方改革実行計画」に盛り込まれた残業「規制」策を一体化した上で、それを「政労使合意」の下に抵抗なく早々に通過させるという勝手なもくろみの崩壊であり、逆に臨時国会には、森友・加計に加えもう一つの波乱要因が加わる危険が生まれた。
さらに、この間の事態が大々的に報道される中で、高度プロフェッショナル制度や裁量労働制の問題、さらに過労死の問題が再びクローズアップされた。ある意味で、労働規制に関わる問題の報道がこれほど連続的かつ多方向から行われたことはここしばらくほとんど例がない、と言える。これ自体が、安倍政権の狙う法案審議の無風化にとって障害であり、逆にわれわれには、これを人びとに問題を広げる上でどう活かすか、が問われている。
加えて、野党共闘に楔を打ち込みたいという安倍政権の思惑にも目算のずれが生じている。昨年の参院選以後のさまざまな局面であらわになったように、その目算では、連合が一つの鍵の位置を占めているからだ。今回の連合取り込みの失敗とそれを契機にあらわになった連合内の混乱は、彼らにシナリオの立て直しを迫らざるを得ない。
労働時間規制解体阻止の闘いへ
七月二八日、塩崎恭久厚労相は、現在上程されている労働基準法改訂案と「働き方改革実行計画」に盛り込まれたまやかし残業時間規制案を一本化して臨時国会に提出する意志を明らかにした。予想されたことだが、安倍政権はこの事態の中でも労働規制解体に向け強行突破する構えでいる。
今回図らずも表面化した広範な抵抗感を社会的運動に表現し、安倍政権への高まる不信と結びつき、この攻撃を何としても葬り去らなければならない。
労働時間規制が労働者運動発祥以来世界の労働者が高く掲げてきた歴史的で根本的な要求であったことを、あらためて思い起こそう。言うまでもないが、一日二四時間しかない時間の中で、休息に加え自分が自由にできる時間をどれだけ確保できるかは労働者の尊厳に関わっている。労働者なら誰もが抱く休みたいという要求は、まさに人間であることの根源的で原理的な要求であり、それゆえ「八時間は仕事のため、八時間は休息のため、八時間は自分のため」という八時間労働制の要求は世界の労働者共通の要求になり、そのための国際統一行動はメーデーとして現在に続き、そして八時間労働制は現在の世界標準(最低基準)になっている。
その規制を一部であれ外して良い理由などまったくない。高度プロフェッショナルなどと名前を付けようが、その対象者が使用者の支配下に置かれ、業務の指揮命令下に拘束される事実は変わりようがない。その限りで彼らはこの制度導入で、自分が自由にできる時間は法的に拒否されるのだ。まさに不公正この上ない。
それを容認するとした、今回明らかになった連合指導部の裏切りは、その意味で文字通り原理的な裏切りだ。今回それには辛うじてブレーキがかかった。しかし神津連合会長は、先の塩崎厚労相の表明に関し、提出される法案への賛否を明言していない(朝日七月二九日)。連合内の議論が、特に主要産別指導部の議論が組織内手続きの問題に力点を置いていたことに注意が必要だ。もう一度組織内手続きを積み上げ、先の裏切りが再浮上する可能性は否定できない。
労働時間の実効ある規制を求める、まさに幅広い大衆的な声を運動として形あるものにすることが決定的だ。それは連合内にも跳ね返る可能性があることも今回の展開で示された。そして、長時間労働がパワハラの横行とも一体的に、社会的に大きな懸念をもって問題にされている今、それには可能な基盤がつくられつつある。今こそ安倍政権に対決する労働者民衆総がかりの闘いの中に労働規制解体阻止の闘いを共鳴させ、労働者の下に時間を取り戻す闘いに発展させよう。(神谷)
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