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    かけはし2017.年8月28日号

孤立の中で光る人間性


映画案内

ヴァンサン・ペレーズ監督/2016年/独仏英合作

『ヒトラーへの285枚の葉書』

─名もなき夫婦の静かな闘い



価値の破壊に
抵抗する人々
 先日、東京・有楽町で久しぶりに封切り作品を見た。「ヒトラーへの285枚の葉書」である。
 二〇世紀初頭のドイツは、西欧文明のリーダーとして、日本をはじめ世界各国から留学生を受け入れるほどの文化大国、経済大国だった。ところがアドルフ・ヒトラーが政権の座にあった一二年間は、人権や民主主義といった近代世界の普遍的な価値と制度が、徹底的に破壊されつくした。その残虐の歴史を描写した書籍や映画などの作品は、今では数えきれない。「シンドラーのリスト」「白バラの祈り」などはDVD化され、私も繰り返し鑑賞したものだ。
 物語は、一人の兵士が森の中を疾走するシーンから始まる。やがて銃声が聞こえ、彼はその場に倒れる。一九四〇年のドイツ。フランスとの戦争に勝ち意気が上がるベルリン。つつましく暮らす夫婦の元に、息子の戦死の封書が届く。オットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)は悲しみにくれ、やがてヒトラーへの反乱を決意する。その手段はペンとハガキ、ただそれだけだ。
オットーは軍需工場で働く職人である。「職工長」という肩書きは管理職ではなく、最底辺の労働者からわずかに上がっただけの職位だろう。彼はひそかに葉書を買い集め、筆跡を偽装してヒトラーへの怒りを文字にする。前半のストーリーは急ピッチで進む。
 「戦争マシンを止めろ!」「ドイツ国民目覚めよ」「自由な報道! 敵はヒトラーだ!」「人殺しヒトラーを止めろ!」――仕事を終え、家に帰って葉書を書き、それをひそかに街中に置き始める。ただこれだけの行動だが、観客には、ハラハラドキドキの連続である。
 いっぽうのアンナも夫の闘いの力になる。国家社会主義女性同盟に属する彼女と周辺の女性たちの存在も、脇役として絶妙な演出を加えている。親衛隊幹部の妻という理由で、労働をサボタージュする裕福な婦人に対し、アンナはヒトラーの権威にこじつけて厳しく糾弾する。権力者とその周辺の堕落ぶりは、どの国でも同じようだ。オットー夫妻が住むアパートには、ナチス党員、ユダヤ人、密告者、判事などさまざまな住人がいて、独裁政権下での市井の人々の生活がリアルに映し出されている。
 通報を受け捜査に乗り出した秘密警察ゲシュタポ。エリート警部のエッシャリヒ(ダニエル・ブリュール)は、ハガキの置かれた場所を綿密に記録しながら、ジワジワと実行者を絞り込んでいく。ところが部下が誤認逮捕した容疑者を彼が釈放したことで、軍の大佐から暴行を受ける。理論派のエッシャリヒは直情型の軍幹部に反感を持ちつつも、逆らうことはできない。えん罪と知りながら容疑者の射殺に追い込まれていく。捜査の手が迫るなか、ハガキを配るオットーはある日、致命的なミスを犯してしまう。

今だからこそ
見るべき映画
本作の公式プレスシートには、宇都宮健児さんや安藤優子さん、金平茂紀さんら一五人の著名人が称賛の声を寄せている。そのうちの五人が「今だからこそ見るべき映画」とのコメントを書いている。その理由は言うまでもないだろう。
特定秘密保護法、安保関連法そして稀代の悪法・共謀罪の強行成立。安倍政権の下でこの国でも、人々の心の中までえぐり出して摘発する。そのための監視や密告が許される法制度が完成した。共謀罪が成立するずっと以前から、市民運動や左翼運動は、治安当局の厳しい弾圧にさらされてきた。
「反戦落書き事件」、「自衛隊官舎ビラ入れ事件」、「公務員によるマンションビラ入れ事件」などなど。これら当事者は、民間人に通報されて逮捕され、不当にも長い裁判を闘う羽目になった。ピザ屋や不動産業者、廃品処理業者の「住居侵入」とポスティングは、罪に問われているか。ゲシュタポと日本の特高警察、その役割はまったく変わらない。戦後連合国によって「民主化」されても、反体制勢力への監視と圧力は続いてきた。
名もない一介の夫婦が最愛のわが子を失い、悲しみと愛を共有する。孤独で地味なレジスタンスを淡々と再現するスクリーン。ゲシュタポの記録をもとに書かれた小説「ベルリンに一人死す」(ハンス・ファラダ著)を映画化した。強大な権力に絶望的ともいえる戦いを挑んだ、衝撃の実話である。「本当はだれでもできることなのに、ほとんどの人がしなかった」とは、指揮を執った監督の弁だ(七月一三日付・東京新聞朝刊)。
寡黙なオットーの所作が、名もない職人の勤勉さや実直さ、そして息子を殺した独裁者への強い憎しみを、重く渋く表現している。妻アンナを演じたエマ・トンプソンはこれまで、数多の映画賞を総なめにしたという。情感あふれる演技は実に美しい。
インターネットもスマホもない時代。誰の支援も受けず、ひたすら葉書を置き続ける夫婦の姿に、胸を打たれずにはいられない。(佐藤隆) 

映画

『標的の島 風かたか』
三上智恵監督/2017年


七月三〇日、千葉県成田市のもりんぴあこうづにて第二回目になる成田平和映画祭で、映画「標的の島 風かたか」(三上智恵監督 2017)の上映会があり、行ってきました。
 まず実行委員会より小泉英政さんが「この映画を観て、沖縄の現状を隣近所の人や知り合いに伝えてほしい」と挨拶しました。

 以前に紹介した「標的の村」(三上智恵監督 2013)では、東村(ひがしそん)高江へのヘリパッド計画建設反対の闘いと、ベトナム戦争時、高江において「ベトナム村」を作り、高江住民を「ベトコン」(南ベトナム解放民族戦線の兵士)に見立てて演習をやったという歴史を暴露しました。
今回は高江や辺野古の闘いとともに、二〇一五年五月に防衛省が発表した地対艦ミサイル配備計画に揺れる宮古島と石垣島に焦点をあてました。
宮古島には南西諸島防衛の司令部も作られる計画であり、地対艦ミサイル部隊など八〇〇人規模の基地の候補地は、島民の飲み水をまかなう水源地の真上だそうです。また弾薬庫予定地は、島民が神の宿る聖域として大切にしてきた御嶽(うたき)と呼ばれる場所だそうです。島内の賛否が分かれる中で、女性たちを中心に「てぃだぬふぁ島の子の平和な未来を作り会」が立ち上げられ、行政と沖縄防衛局を追及しています。
石垣島では、沖縄県で最も高い山である於茂登岳の麓に陸上自衛隊ミサイル部隊の配備が計画されています。近隣三地区は石垣市と防衛省に配備反対の要請を行いました。石垣島で生まれ、沖縄戦を体験した山里節子さんは「この島には金も物もないけど歌や踊りでお腹を満たしてきた」といいます。また石垣島には戦時中軍が住民をマラリアが蔓延する山奥に強制移住させ、三六四七人の人が罹患して亡くなるという悲劇が紹介されています。
映画終了後三上智恵監督が登壇し、お話をされましたが、一〇時間四〇分の映像を二時間にまとめるのはものすごく苦労したそうです。本編に紹介される島の祭も迫力がありましたが、「沖縄のみならず日本が標的の島になる。沖縄に基地を集中させることで安全・安心を不可視化させる」ことを強調し、映画に登場した毎日辺野古の闘いの最前線に立つ島袋文子さんが八月一七日来京するため、ぜひ駆けつけてその声を聞いてほしいと訴えました。
また病を乗り越え壮絶な闘いが紹介された山城博治さんは、現在石垣島や宮古島に頻繁に足を運んでいるそうです。石垣島や宮古島には沖縄本島のニュースはほとんど報道されず、辺野古や高江の現状といったこともほとんど知られていないそうです。その現状を伝える役割を山城さんが担っているそうです。
私のこの投稿ではとてもこの映画を紹介しきれませんので、ぜひ全国で行われる上映会でこの映画を観て、沖縄の状況を体験していただきたいと思います。(沢中 仙)

三里塚の証言 悪魔の731石井部隊 (1)

我が内なるファシズムの思想を克服せよ

三里塚大地共有委員会代表 加瀬 勉 2017年4月10日

 三里塚芝山連合空港反対同盟の闘いで当初から指導的役割を果たしてきた加瀬勉さん(元全日農青対部長)が、三里塚の闘いの原点をあらためて問い直し、どのような歴史を背負った者として農民たちが闘わねばならなかったのか、歴史的省察に基づいた論考を書き上げた。今号から連載する。(本紙編集部)

 我々の志は何かと問われれば「有史以来変わらぬ国家の本質を変革することである」。三里塚五〇年の闘争は我々の志からみれば短い闘争である。国家権力によつて三里塚空港の第三滑走路建設問題が提起されて、さらに五〇年一〇〇年闘争に心新たにして出発しなければならない。
 我々は自らを奮い立たせ感動と誇りある闘争を創造してゆかなくてはならない。そのことにおいて我々の意思は、我々の運動は生命は子々孫々の中に続けて永遠に不滅なのである。

 私は奈良「春日神大社」を問題にする。それは空港反対闘争地域の芝山町住母家にある春日神社境内に731部隊石井四郎軍医揮毫 の「忠魂」碑が建立されているからである。昭和三二年に建立されたのだが、その忠魂碑の裏面に建設委員の氏名が刻されている。全村有力者が建設委員になり村を挙げて資金を集め建立されている。空港反対老人行動隊に名を連ねた人々も多く建設委員になつている。
芝山町において731部隊石井四郎軍医中将は郷土の偉人であり、「神様、仏さま、石井閣下さま、村の大恩人様」なのである。一方もう一つの空港建設反対闘争地域においては天皇家の下総御料牧場の存在があった。現代史における日本の悲劇の根源は絶対主義天皇制にあった。三里塚地区の人々にとって恐れ多いが内心おらが天皇であった。戦後開拓記念式典、農業構造改善シルクコンビナート施行式典には皇族が列席してお手植えの植樹をしている。全村挙げての花火の祝賀を行っている。
我々は「わが内なるファッシズムの思想、我々人民大衆の中にあるファッシズムの思想」を完膚なきまで粉砕し克服するために奮闘しなければならない。私は日本の近代、現代史は日清、日露、日中、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして現在の南スーダン自衛隊派遣まで、直接的、間接的戦争の歴史であると理解している。自らの戦争に対する罪科に対して総懺悔ではなく真に反省し平和を希求する普遍の価値を求めて奮闘する日本人民であり民族でなければならないと思っている。
三里塚闘争において、学習院講堂で反対同盟を結成し生死をかけた闘争を継続してきたが、下総御料牧場の持つ天皇崇拝の大衆的基盤と731部隊石井四郎軍医中将の厳命「731のことは墓までもってゆけ」は同じ基盤である。三里塚地区の天皇家と下総御料牧場、芝山地区の731部隊の平房人体実験は、絶対主義天皇制と天皇の軍隊が生み出したナチスドイツに並ぶ世界的な狂暴性を象徴するものであった。

 大和政権東国侵略

 「古語拾遺言」は平安前期大同二年(八〇七)に成立した史書で、朝廷の神事をつかさどる齋部広成が一族の権威を誇示するために書き表したものである。「天富命、さらに沃穣をもとめんとて、阿波齋部を分かち、率いて東土に往き麻穀播殖せしめたもう。好き麻の生いたる所、故に之を総の国とゆう。阿波齋部の入るところ安房国と名ずく」。
千葉県は安房、上総、下総の三国からなっており、総とは古代語で麻を意味しており、奈良から近い方を上総、遠い方を下総と呼んだ。常陸風土記は東夷征伐に際して「杵島曲を唱ふること七日七夜、遊び楽ぎ歌い舞ひき。時に賊の党、盛なる音楽を聞き、房を挙りて、男も女もことごとく出てき、浜を傾けて歓び会り、ことごとく種族を囚人へ、一時にして、焚き滅ぼしき」大和政権が東国支配に積極的に進出してきたことがわかる。房総半島の地名、安房、勝浦、白浜、奈良名等南紀の地名と同じである。黒潮暖流と親潮寒流が半島の沖合で合流する。千葉県の文化を黒潮文化という。

春日の神香取・鹿島の農業祭神を盗む

 鹿島神宮は多臣氏族の農業祭神であり、香取神宮は出雲族の農業祭神であった。それが物部の氏神(経津抽主神、タケミカズチ神)を祭るようになり、大化改心によって物部の勢力は失墜、中臣が権勢を増大、大和朝廷を支配するに及んで、藤原の氏神である奈良の春日神社に香取鹿島神宮は合祀された。春日神社縁起によれば「香取・鹿島の神が鹿にのってこの地にやってきた」とあるが、大和政権の中臣が香取・鹿島の神を盗ったのである。春日の神は東国を奪い取り、農業祭神を盗んだ泥棒の神託なのである。

香取、鹿島神宮は侵略の神へ

 武道場には必ず鹿島神宮、香取神宮の神が祭られている。戦場に出征していくことを「鹿島立」という。香取神宮の宝物は、道奥国の蝦夷の酋長の首である。これは香取神宮の軍事的侵略的性格をよく表している。香取神宮に隣接する利根川津宮河畔で蝦夷の酋長に対する白状祭が明治初年まで続けられていた。馬に乗った蝦夷の酋長に拷問をかけて馬を奪い取る儀式である。香取神宮は一二年に一度式年神幸軍祭が行われる。氏子が古代の甲冑に身をかためた軍人が総動員されて倭舞えの奏でるなか行進する。また香取神宮は天皇家の氏神である天皇即位の時は必ず報告の参拝にくる。
農業祭神から武人にかわった香取神宮の神は第一の摂社側高之神に道奥国にいって馬を盗んで来いと命令した。その盗んできた馬を八〇〇匹隠したところが香取神宮の隣接する隠井集落である。この馬を放牧したのが牧野(現香取市牧野)である。軍事基地としての北総台地の牧々(佐倉小金井七牧)下総御料牧場の始まりである。牧は古代から戦国時代まで強大な軍事基地であった。馬を盗んできた側高の神は何物か、その祭神は古来秘密であって氏子として知る人はない。知ることは許されない。
香取神宮から北に利根川を遡ること一〇キロ、神崎神社がある。香取神宮の先、神の先にあるから神崎神社である。この神崎神社も香取神宮の摂社である。祭神は天鳥船命である。馬と船を用いて道奥国々を侵略し支配してゆくのである。
霊亀元年(七一五)上総他六国一千戸を強制移住。
神亀元年(七二四)蝦夷反乱坂東九国三万動員、宝亀九年(七七八)上総、下総六国騎兵一千を動員。
天応元年(七八一)上総下総国穀物一〇石を陸奥の軍所へ。
延暦一五年(七九六)上総六国九千人を伊治城へ。
宝亀一一年(七八〇年)下総の糒六〇〇〇石、常陸国一万石、多賀城へ。
天応元年(七八一)相模、武蔵、常陸から穀一〇万石軍所へ。
延暦一五年(七九八)上総八国九〇〇〇人伊治城へ、下総、上総国糒一四三一五石、米九六八五石を中山柵へ。この石高は房総三国の租稲の半分に相当する。
大和国家侵略軍を迎え撃ったのが道奥国の英雄アテルイである。裸馬にまたがり八〇〇騎を率いて侵略軍を撃破する。また、上総下総の俘囚丸子廻毛の反乱、官物を奪い寺を焼き強盗団、就馬党となつて反乱を繰り返した。道奥国侵略軍持節大将軍藤原宇合、坂上田村麻呂であるが大和国家の最前線兵站基地になった下総、上総の国の人民は死線の苦しみを味わった。
古代の戦乱で苦しむ北総台地の人民と空港建設ですべてを奪われる三里塚の農民と重なって私は見えるのである。    (つづく)




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