KTX女性乗務員解雇の解決策は?
イ・チョルウィ(全国鉄道労働組合ソウル地方本部労働安全局長)
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2006年2月初め、KTXの女性乗務員402人が鉄道労組に集団加入した。乗務員は一人の例外もなく、韓国労総傘下のホンイクフェ労組を脱退した。KTXの乗務員は、2005年9月からソウル駅集会などの順法闘争を行ってきた。要求事項は、鉄道公社がKTXの乗務員を直接雇用することであった。残りの要求事項は、枝葉的なものとして提起されなかった。マスコミは、KTXの乗務員の労働条件について報道した。
ホンイクフェによる
度重なる搾取の構造
KTXの乗務員は最初、ホンイクフェ契約を条件に採用される。ホンイクフェが直接採用するのではなく、スカウト会社が採用を代行する方式であった。採用と教育の過程で鉄道公社の関係者は、「近いうちに鉄道庁正規職になるだろう。公務員レベルの待遇をしてくれる」と約束した。乗務員は、2005年1月1日に発足した鉄道公社の身分で働くことを疑わなかった。しかし、それは幻想であることがすぐに明らかになった。ホンイクフェは鉄道公社最大の子会社であった。しかしKTXの乗務員に与えられたのは、単に業務委託を受けた請負会社の仕事だけだった。ホンイクフェは当時、乗務員1人当たり月248万5千ウォンで業務の請負をした。運営費を除いて月に184万ウォンを支給する予定であったが、実際に支払われた金額は140万ウォンに過ぎなかった。乗務員に古着を支給し、名札の費用も乗務員の給料から差し引いた。品物を運搬するキャリアのような物品も、質の低い安物を支給した。また入社2期、3期、4期には、期ごとに約10万ウォンずつ給料の支給額に差を設けて搾取を行った。搾取に耐えかねた乗務員たちは、最終的に闘争を決意した。
約束のないストライキ闘争
当初ソウル駅集会と宣伝戦から始まった闘争は、日増しにその勢いを増していった。2006年3月1日に鉄道労組がゼネストに突入するのと同時に、乗務員も共にストライキを敢行した。3月4日に鉄道労組はストライキから現場に復帰したが、乗務員たちは闘争の継続を決定した。鉄道公社は乗務員を別の子会社「KTX観光レジャー」に押し込めようとした。子会社正規職という一見良さそうな待遇を乗務員たちは断固として拒否し、ストライキを継続した。KTXの乗務員280人は2006年5月19日、整理解雇された。380人だった組合員が、2011年には33人に減った。組合員は、国会憲政記念館、カン・グムシル選挙本部、鉄道公社ソウル地域本部、ソウル地方労働庁で座り込みを行い、企画予算処、国家人権委員会、労働部、西部地方裁判所を一時占拠した。組合員全員は四回連行され、損害賠償請求、告訴告発など、非正規職労働者の闘争が被るすべての弾圧を経験した。空中籠城、絶食、丸刈り、ソウル駅座り込み、テント座り込みなど、あらゆる闘争を行ったが、解決の道は遠かった。女性サービス職の象徴であること、公共部門の非正規職闘争の象徴が足かせとなった。
直接雇用正規職が
唯一の解決策である
最高裁は2015年、「直接雇用して未払い賃金を支給せよ」との1審と2審の判決を覆したが、乗務員たちは闘争を再開した。「子会社正規職」なる解決策は、欺まんであった。鉄道公社は「KTX観光レジャー」の後身の「コレイル観光開発」に乗務業務を委託したが、搾取の仕組みは同じであった。委託費から、運営費や様々な名目の費用を差し引いた後に、最低賃金をわずかに超えるレベルの賃金を支給した。鉄道公社正規職と比べ、労働条件や福利厚生は劣悪であった。賃金は半分以下で、労働時間、就業規則、休暇などの条件が、何から何まで不利であった。資本はなぜ、業務委託を行うのであろうか。安い賃金で労働者を酷使するためである。また正規職労働者との団結を妨げることによって、通常の闘争を成り立たせないためである。
鉄道公社のホン・スンマン社長は就任以来、熱に浮かされたように鉄道公社の業務を委託してきた。子会社やロテムなどの関連の民間資本への核心、非核心業務の委託を強行した。KTX整備業務委託は、政府が公共機関における業務委託の中止を指示するまで継続した。現在、電気、設備、機関士、列車乗務員などの業務委託を防ぐためテント座り込みが、あちらこちらで行われている。
「鉄道関連のすべての業務を直接雇用正規職に!」のようなスローガンが必要である。列車を運転する機関士をはじめ、あらゆる鉄道労働者の正規職化を要求する大胆な闘争が必要である。安全業務と付帯業務、コアとノンコア業務の区分は、資本と経営陣の都合にすぎない。現在労働者に求められるのは、たとえすぐに貫徹されなくても、当然の要求を掲げて闘争する大胆さと自信である。2017年のKTX乗務員の復職闘争は、鉄道労働者の要求実現における重要な試金石となるであろう。
(変革政治48号 社会変革労働者党)
声明:コンビニ労働者の死に頬かむり糾弾
本部の責任逃れ許さない
社会変革労働者党
2016年12月14日、慶北慶山のCUコンビニエンスストアで働いていたアルバイト労働者が顧客に殺害された。閉鎖的なコンビニエンスストアのスタンド構造、流動人口が少ない地域での深夜勤務、警察の遅い対応等の悪条件が重なって引き起こされた事件であった。事件収拾の過程でCUコンビニエンスストア元請のBGFリテールは、一切の責任を認めず、慌ただしい遺憾の表明のみで事件をうやむやにしようとした。
被害者の友人と遺族は立ち上がった。BGFリテールの心からの謝罪と、BGFリテール本社が責任を負う対策立案と執行計画を要求した。続いて市民社会対策委員会が構成され、記者会見、一人デモが行われた。すでに三回交渉が要求されたが、BGFリテールは応じなかった。今年3月に会社のホームページにポップアップウィンドウを浮かべて遺憾を表明し、自主的に用意した対策をマスコミに配布しただけだった。独自の対策として「安全コンビニエンスストア」なる呼称を使い、安全バー、警察通報ボタンを追加したコンビニエンスストアの構造を明らかにした。しかしコンビニエンスストアで従事する労働者の意見が取り入れられなかったばかりでなく、追加の安全設備の費用をだれが負担するかも不明である。また、流動人口が少ない地域における深夜の一人での労働をせざるを得ない労働者の環境を改善するための根本的な対策もされていない。回答らしいものをしていないBGFリテールの傍若無人な態度を見かねて対策委は6月14日、人権委員会に陳情を提起するに至った。
今回の事件の責任がBGFリテールにあることは明らかである。コンビニエンスストアの運営は現在、加盟店主に無理な深夜開店を強要する契約形態、加盟店の労働者の労働環境や安全に責任を負わずに利潤のみ受け取る構造において行われている。本社は加盟店に対する細かいルールや基準を設けている。営業時間のルール、在庫管理、清潔の維持、営業方式など、細部にわたる加盟店に対する指導、統制を行っている。毎日の送金制度によって、加盟店の毎日の収入はすべて本社に送金され、本部は営業利益を徹底的に管理監督している。
一方で本社は、営業のコストを公平に負担せず、営業リスクは加盟店主に転嫁して高い収益は抜け目なく受け取っている。これらの条件の下で、コンビニエンスストアにおける暴行事件、性的暴行、従業員の休憩時間での配達強要、最低賃金法違反、事故などが放置されてきた。不公正な取引の条件に置かれている加盟店主が、アルバイトの労働者を劣悪な労働に追いやっているのである。本社が独自の対策を用意したとしても、本社の直接の責任や管理監督義務を認めない限り、真相は表に出てこない。
コンビニエンスストア業界のシェアは、CU、GS、セブンイレブンの3つが業界全体の90%を占めている。現在の店舗数は2001年当時と比べて9倍と大幅に増加した。大資本が成長を加速する中で、コンビニエンスストア労働者と低所得の加盟店オーナーの苦痛と被害が深刻さを増してきた。
事件が発生した時期、不平等な財閥体制、朴槿恵政権の癒着と専横への怒りのろうそくの炎が全国各地を覆い尽くした。民衆の怒りの炎が韓国全土を覆い尽くすなかで、ある都市で人ごとのように傍観する企業がコンビニエンスストア労働者の命を奪っていた。朴槿恵政権が退陣し、財閥改革、積弊清算の声がこれまで以上に高まっている。しかしBGFリテールは、事件から半年が過ぎたいまも労働者の死に対する謝罪を一切行っていない。ふたたび同じ事件が発生してもおかしくない現実が、そのまま放置されているのだ。
われわれは、劣悪な労働条件がそのまま放置され、労働者が死亡しても当事者が責任放棄しかねない現実をこれ以上容認できない。社会変革労働者党は、BGFリテールが故人と遺族の前で直接謝罪して補償を行うこと、そしてコンビニエンスストアの労働者が安全で健康に働くことができる総合計画を策定すること、計画の執行のプロセスに責任も持つことを要求する。
2017年6月14日
社会変革労働者党
87年体制と住宅金融化(2)
ソン・ミョングァン(チャムセサン研究所〈準〉)
97年の通貨危機がもたらした金融的環境による最も大きな変化は、おそらく資金需要傾向の急激な反転である。通貨危機によって甚大な打撃を受けた企業における財務健全性の新たな金融の指標として「BIS自己資本比率(総負債/リスク加重資産)と負債比率200%」が重要な基準として定着した。その結果、企業は負債比率を減らすことに注力した。一方家計においては、資産に対する負債の比率が急激に増加した。90年代半ばに20%台であった家計貯蓄率は、通貨危機以降、わずか5年の間に2%台に急落してしまう。一方企業における貯蓄率は、10%ポイントほど上昇した。これにより、企業が貯蓄をして家計が負債を負う逆転現象が起こった。
新自由主義的負債 - 資産経済の登場と大衆が支えた内需拡大
このような現象の背景には、政府が経済危機に対応するための内需拡大の方策を、家計に見出したことがある。そこで登場したのが98年9月の「内需振興総合対策」である。この対策の主な内容は、消費者金融の拡大によってマネーサプライを増やし、消費刺激によって景気を活性化するというものであった。クレジットカードの手数料引き下げ、引き出し限度拡大、家電製品を購入する際に利用される割賦金融の金利引き下げ、住宅資金の融資拡大などが提示された。その中でも住宅ローンの活性化は、これまで行われてきた金融改革の延長線と言うことができる。韓国銀行は98年「金融機関与信運用管理規定」を廃止し、それによって個人向け融資が活発になった。また、暴落した住宅価格を安定させるための政府の住宅取引活性化政策も、住宅ローンを拡大させるきっかけとなった。
ところがこのような刺激策は、短期的なものでなかった。刺激策は後に、韓国経済の状況に変化をもたらした。家計の貯蓄が資金供給の役割を果たし、供給された資金を企業が投資や雇用増大に利用するという伝統的な方式に変化した。もはや家計と企業は、ひとまとめに投資家と呼称され、投資のための資金調達が行われた。企業は財務構造の健全性に執着する一方、貯蓄をさらに増やしていった。そのような状況の中で銀行は、企業の融資事業に代わる新たな出口として、「個人」という新しい市場を開拓した。
それ以降の低金利政策と消費者金融の拡大は、韓国社会を「借金を奨励する社会」に変えるきっかけとなった。折しも世界的な不動産バブルと相まって、再び韓国社会に不動産投機ブームが起こった。その不動産投機ブームの大部分は、世帯当たり数千万円台の累積債務によって生じていた。財テクからさらに進んで「借金テク」なる新語も登場した。97年の通貨危機以降、歴代のすべての政権が「借金を勧める社会」を推進した。過去20年間韓国社会を支えていた内需拡大は、まさに「家計負債」が後ろ盾となっていたのである。
大衆の金融化と資産ベース福祉システムのジレンマ
このような「借金テク」は、既存の資産形成の方法に依存する福祉システムと結合して、韓国社会の「大衆の金融化」を作り出した。労働市場の柔軟化や高齢化などの社会構造変動の中で中間層の家計は、資産増殖と財テクの福祉システムへの置き換えのための重要な生存戦略として活用された。通貨危機以降、労働条件の急激な後退や雇用不安の深化に対する大衆の不満は大きくなった。しかし、その不満が階級政治集団化されないまま、個別化された生存戦略の競争の中で融解してしまった。
とりわけマイホーム獲得に失敗した人にとっては、生存戦略は非常に切迫する問題であった。生存手段としてのマンションを主とする不動産は、唯一安定したものであったのだ。ところが不動産への過度の依存は、急激な家計負債の増加を招き、さらには資産価格も上昇させる悪循環を招いた。資産形成の福祉システムを正常に機能させるには、基本的に安定した資産価格の上昇がなければならない。住宅価格の上昇や下降に従って、所有層と非所有層との間の葛藤が生まれる。資産ベースという福祉の享受を可能とする住宅を無住宅階層が購入するには、住宅価格の維持、あるいは下落が不可欠である。しかしこの場合、住宅所有層の抵抗に直面することになる。逆の場合も同様である。資産ベースの福祉の発展のためには資産価格の安定した上昇が必要だが、価格が上昇すると無住宅階層は自らの所得だけでは住宅を購入しにくくなる。結局、過剰債務を伴うしかないであろう。
一方、韓国社会における不動産偏重の政治的傾向は、選挙にもはっきりと表れた。2005年の再・補欠選挙を基点に2006年の自治体選挙、2007年の大統領選挙、そして「ニュータウン」の開発公約が乱発された2008年の総選挙までに有権者は、分配の政治よりも成長の開発を選択した。これは、国家の福祉政策に対する不信、そして10年続いた民主化勢力の政権に対する失望による有権者の不動産への依存の深化を示している。
(続く)
(1)は7月10日号に掲載。
朝鮮半島通信
▲朝鮮民主主義人民共和国の平壌で7月10日、大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星14」発射実験の成功を祝う宴会が開かれた。金正恩朝鮮労働党委員長と夫人が宴会に参加した。また朝鮮中央通信の13日の報道によると金正恩朝鮮労働党委員長は、「火星14」の開発に寄与したメンバーとともに記念写真を撮った。日時は不明。
▲韓国世論調査会社のリアルメーターが7月10日発表した文在寅大統領の支持率は76・6%で、前週に比べ1・3ポイント上昇した。先週、3週ぶり上昇に転じたのに続き、支持率を上げた。不支持率は16%で1・3ポイント下がった。
▲韓国郵政事業本部は7月12日、ソウルで切手発行審議委員会理事会を開き、朴槿恵前大統領の父、朴正熙元大統領の生誕100周年記念切手の発行を中止することを決定した。一度決定された記念切手の発行が中止になるのは初めて。
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