英国
危機にある保守党と労働党の攻勢
急進的政綱に基づく労働党勝利
現場の抵抗と結び新たな発展へ
ベロニカ・ファガン
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緊縮政策に対する民衆の抵抗が英国政治を揺さぶっている。すでに本紙でも伝えたが、その一つはコービン労働党の総選挙での攻勢であり、さらにロンドンで起きた高層住宅の惨事が規制緩和が何であったかをあらためて人びとに突き付けた。以下では、これらを背景に、従来は普通であった総選挙後の民衆レベルでの一時休戦的風景は今回消えていることが報告されている。いずれにしろ、労働者民衆の街頭や職場や地域での大衆行動が、コービン労働党の議会での攻勢と緊密に結びついて支配階級と対峙する局面が現出しようとしている。その展開の行方は、世界の労働者民衆の闘いにとっても大きな意味をもつ可能性があり、注視が必要だ。その観点から、現局面の動きを分析している英国の同志の論評を紹介する。(「かけはし」編集部)
テレサ・メイの勝手な皮算用
七月一日、「民衆会議」が呼びかけたデモとして、反緊縮活動家、労働党員、労組員数千人が、ロンドンの通りを貫く行進を行った。それは、陰の財務相、ジョン・マクドネルが求めた、抗議に決起する一〇〇万人ではなかったが、三つの行動が組み込まれた数週間に向け呼びかけられた一つの行動にとっては、印象に残るショーとなった。コービンとマクドネルはこの数週間を、議会で彼らが主張することと、活動家たちが職場で、コミュニティで、また街頭で闘うものの間に距離があるものとは考えていない。
二〇一七年四月一八日、英首相のテレサ・メイが六月八日における意表をついた総選挙を打ち出したとき、彼女は、結果は彼女の立場を強化するものになるだろう、と期待した。事実は、まさに反対となった。今や、急進的で社会主義的なマニフェストに基づき選出された、来年中にはひと掃きでその座に寄せられようとしている、コービン率いる政府という非常に現実性のある展望がある。今回の選挙結果は、コービンにとってはすばらしい勝利であり、メイにとってはかなりの敗北だった。
そして前述した可能性は、欧州中の、またそれを超えて、左翼に対し巨大な意味をもっている。英国は周辺的な国ではない。それは、新自由主義推進の前線を占めた、帝国主義的自負を一体化している主要な経済大国だ。急進化した大衆運動を基礎に実権を握る左翼社会民主主義政府は不可避的に、英国と欧州の労働者階級に大きな前向きの影響を及ぼすと思われる。
そうであれば、なぜメイは彼女がやったような賭けに出たのだろうか? 彼女は、英国とその他のEU諸国間のブレグジット(EU離脱)交渉が六月一九日に始まる予定になっていることを分かっていた。この国がEU離脱と票決した昨年夏の国民投票以来、この問題に関する保守党内部の歴史的分断は休眠状態になっていた。
メイ自身は残留を完全に支持していたとはいえ、昨年夏の結果から時間をおかずに首相を辞任したデイビッド・キャメロンに彼女が代わるや否や、彼女は内閣を反EU強硬派で一杯にした。彼女の保守党は、ナイジェル・ファラージュの英国独立党(UKIP)に対する高まる支持を、その政策とスタイルを取り入れることで、つまり保守党のUKIP化を通して掘り崩そうと追求した。
しかしそれは、党内の全員がその方向に一致させられたということを意味してはいなかった。そして彼女は、この分裂は前途にあるブリュッセルとの討論の中でもっとあからさまになるだろう――メディアの中で、また潜在的には、彼女が貧弱な多数しか確保していない下院の平場ですら――、ということを分かっていた。彼女は、問題の交渉が始まるまでに、彼女の立場を固めたかったのだ。
メイと保守党が見誤ったもの
保守党は、労働党指導者のコービンを軽視してかまわないと考えた。そして、こうしたやり方は労働党議員の多数から共有されると信じる点で、あらゆる理由をもっていた。確かに議会労働党(PLP)は、信念の固いコービン支持派の僅かばかりのグループを除いて、主流メディアから巧みな助けを受け、二〇一五年の彼の選出以後からすでに、彼を悪魔のように描き、彼の信用を掘り崩そうと、挑み続けてきた。コービン攻撃は、二〇一六年六月のEU国民投票後にその最高潮に達した。その時、労働党議員二二九人のうち一七二人が秘密投票で労働党党首に対する不信任動議を採択させた。コービンは、その夏を通じたその後の労働党党首選で、全体としての党員により楽々と再選された。
メイと保守党はしかしながら、PLP多数がこの労働党指導者への敵対を維持していることを分かっていた。労働党右派は、電波上であれ、印刷物においてであれ、これを明確にする機会を決して逃さなかった。しかし保守党は、コービンの政治的考えとそれらを広める巨大な運動が選挙キャンペーン期間中演じることになる役割を、大々的に過小評価した。選挙が打ち出されたときにあった世論調査上の保守党のリード、二二%は、コービンの政策が国中で論争されるにつれ蒸発した。
首相は彼女が確保していた僅かな多数を失った。今や、保守党が欧州内でもっとも反動的な政党の一つ――民主統一党(DUP)――から支援されない限り統治できないという、宙づり議会がある。体制派テログループに対する支援の長い実績をもつこの党は、同時に深い女性差別主義の党でもある――たとえば中絶の権利を女性がもつことへの全面的な反対、そして同性愛嫌悪(同性婚に反対投票をしてきた)――。彼らはすでに保守党から、代価として大枚一〇億ポンドの現金を引き出した。しかし、これは彼らが今後求める唯一の代価とはならないとの、フェミニストやLGBTIQグループから出ている強い懸念がある(注一)。
尖鋭な対照示したマニフェスト
驚くべき選挙結果の主な理由は、コービンの労働党が展開した、以下のことを求めた大胆なマニフェストに集中したすばらしい選挙キャンペーンだった。
?最富裕五%層と企業に対する増税。
?鉄道の再国有化。
?授業料廃止。
?NHS(国民医療保健制度)に対する資金投入増額、および新自由主義の鍵となる側面の逆転と他の領域における同様な諸要求(注二)
それは革命的な、あるいは反資本主義的な要求セットではない。しかし英国の現実の政治情勢においては、その取り組み方はまさに必要とされているものだった。それは、三〇年以上遡る英国政治の新自由主義の満場一致を打ち壊した。それが火を着けた論争の中心には、二回の党首選を含んで、コービンと彼の支持者が労働党内で使ってきた路線――緊縮は政治の選択であり、われわれが拒否する選択だ、という――があった。そしてそれは、コービンが闘った二回の党首選期間中に労働党党員数の大量増加に導き、また彼の勝利に導いた、同じ取り組み方だった。
同時に、大量の努力が、マニフェストに込められた各々の約束に要する費用検討に、そして企業とトップ五%の所得層に対する課税から、必要となるマネーをどのようにして集めることが可能かを示すために向けられた。これは、メディアと保守党両者からの、これらは実現不可能な約束だ、という反応に防御壁を立てる、意識的な決定だった。
このすべては、保守党のマニフェストとは際立って対照的だった。確かにそこには、陰の国防相のエミリー・ソーンベリーが気の利いた皮肉を言ったように、そこにあった唯一の数字はページナンバーだけだった(注三)! 保守党は、コービンを攻撃して、労働党のマニフェストは「魔法のマネーの木」を基礎としていると主張した。しかし彼らは奇跡のように、DUPとの腐った取引を固めるために巨額を見つけ出すことができている(注四)。
保守党はまた、住民のあらゆる層に対するさらなる攻撃、すなわち狐狩りや新たなグラマースクール(注五)設立に対する禁止の無効化の提案を、彼らの貧弱なマニフェストに詰め込むことも行った。しかし、彼らの考えられないような傲慢さをもっともはっきりと示したのは、高齢者――彼らへの中核的な支持は何十年間もそこから出てきた――に対するさまざまな攻撃だった。
彼らは、冬期燃料手当――暖房費請求の増額を助けるために六五歳以上の全員に、一回限りで支払われる二〇〇ポンド――は資力査定が必要、と提案した。彼らは、社会的ケアの高まる危機に、住宅価値が考慮に値すると思われる自宅でケアを必要としている人びとには税を課すことになるだろう、と語ることで応じた。そして彼らは、国家年金の最低引き上げ率を保証している三重の条件を水割りする、と語った。その三重の条件とは、二・五%、インフレ率、そして平均賃上げ率のどれかの最大のもの、ということだ。彼らは、この攻撃を実行できることに、また世論調査での彼らのリードを保つことに自信満々だった。
総選挙に向けた労働党マニフェストは、討論がコービンに対する個人攻撃で支配されていたところから、政治がそれ自身の道を押し通すところへと、情勢を転換した。あらゆる人が、彼らが生きたいと思う社会の種類は何かについて話していた。そしてこれが、討論をかなり左へと、コービンの得点とメイの狼狽へと動かした。
選挙制とスコットランドに難点
労働党マニフェストに対しソーシャリスト・レジスタンスが同意できない問題はいくつかある。
おそらくわれわれの最大の批判は、ウェストミンスターに対する大きく非民主的な完全小選挙区制について、それが何も語っていないことだ。二〇一五年総選挙では、UKIP議員一人の選出には驚くような三九〇万票を要し、緑の党議員一人の選出には一一〇万票が必要だった。以下、自民党議員一人には二九万九〇〇〇票、労働党議員一人には四万票、保守党議員一人には三万四〇〇〇票となった。対照的に、SNP(スコットランド国民党)議員一人の選出が必要としたのは二万六〇〇〇票だけだった。UKIPは全得票では三位になった。しかし議員は一人だけに置かれ、他方SNPはUKIP得票の半分以下で五六議席を得た。
UKIPのようなレイシズムの党の議員が僅かとなるのは良いことだ。しかし、彼らを政治的に打ち破るのではなく彼らに対し不正選挙を仕掛けることで得られるものは何もない――特に、同じく左翼にたいしても不正手段が向けられる場合には――。
われわれは、労働党内部で、またより全体的に英国社会を貫いて、比例代表制を求めるキャンペーンが存在する必要がある、と考える。労働党は、この党がもしこの状況をきっぱりと終わりにすると約束していたならば、大きな支持を――そして大きな政治的信頼性を――生み出していたと思われる。
われわれはまた、労働党のスコットランドに関する立場には深刻な問題がいくつかある、とも考える。われわれは、スコットランドで二回目の独立国民投票を行うスコットランド議会の権利を支持している。スコットランドのわれわれの支持者は、そのような国民投票ではイエス投票ために運動するだろう。そしてイングランドとウェールズの支持者は、そのような立場に対する支持を強調するだろう。これらは、昨年の独立国民投票でわれわれが行ったことと同じだ(注六)。
何十年にもわたる右翼的軌跡と組になったスコットランド労働党の統一主義的取り組みは、多くの元労働党支持者――実際は党員と活動家――を彼らの支持をSNPに切り替えることに導いた。コービンのうねりは、スコットランドでは英国の他よりかなり弱かった。とはいえ、マニフェストとキャンペーンは、今回前向きの影響力を発揮した。しかし依然としてスコットランドの独立については、境界の両側で労働党の取り組み方全体を変えるための一つの闘争がなければならない。
移住の権利は取引対象ではない
これまで最大の論争となり、左翼の立場からの異論となった問題は、EUおよび特に移動の自由――そしてそれを超えてより全般的に移民問題――に対する労働党の姿勢の問題に関するものだ。
逆向きの噂があったとはいえ、EU国民投票でジェレミー・コービンは残留投票のために疲れを知らないキャンペーンを繰り広げた。彼は公的な残留キャンペーンに加わることはなかったが、その理由は、保守党および大企業と並んでキャンペーンしている――スコットランド独立国民投票で労働党に確実に打撃を与えたもの――とは見られたくなかったからだ。
しかしその後、コービンが明確にしたことは基本的に、国民投票の結果を認める――それ以外のことをやれば民主的とはならなかったと思われる――ということだった。
しかし労働党はもう一つの問題を抱えていた。労働党支持者の多数は残留を支持していたが、労働党議員の多数は、離脱が多数派であった選挙区にいたのだ。次期総選挙で保守党への地滑りを防ぐためには、コービンはそれらの人びとの多くの支持を勝ち取る必要があった。そうするためには、労働党のマニフェストが、少数のためではなく多数のための公共サービスという約束と共に決定的だった。しかし、労働党が国民投票を受け入れるということをはじめからはっきりさせていたことも、その役割を果たした。ある者たちは、EUとの討論を始めるプロセスである、条約五〇条を作動させることに対し、反対の投票を行うべきだった、と主張した。しかしこれは誤りとなっていただろうし、選挙でも打撃になったと思われる。
現在ここで暮らしているEU各国民に関してマニフェストが語っていることは以下のようになっている。すなわち「労働党政府は、英国内に住んでいるすべてのEU各国民の現存する権利を即刻保証するだろう、そしてEU諸国内で生活することを選択した英国市民に対する諸権利も、相互承認の形で確保するだろう」と。EU各国民はわが社会に貢献しているだけではない。彼らは、わが社会の一部でもある。そして彼らは、取引の札として使われてはならないのだ。
後者の点は特にコービンによって、総選挙前にまたもっと先頃ではEUに対するテレサ・メイの「提案」との関係で、その双方で数え切れない回数表明されてきた。それは健全な立場だ。
興味深いことに陰のブレグジット長官のケール・スターマーはさらに先に進んだ。彼はメイの立場を酷評する中で、一万八〇〇〇ポンドという今ある所得の下限値が英国国籍をもつ者が家族を英国に住む気にさせることを妨げていると、そのやり方を批判した。彼は、EU市民は英国国籍をもつ者以上の権利をもつべきなのか、と質問された。かれは、違う、われわれが政府にいればその政策を見直すだろう、と答えた。
移民問題でも労働党内論議必要
もちろん論争はそこでは終わらない。英国へのEU移民は英国の離脱後に何を認められるのか、そしてそれは移民政策全体とどのように調和するのか、という問題がある。ここでマニフェストは明確さを低め、移動の自由が労働党政府により労働の自由、すなわち人びとは職にもとづいて移動が可能になるということで置き換えられる(おそらく移民すべてに対して)、と暗示する。これには、右翼によるレイシズム扇動に反対する強い言い回し、すなわち「労働党は移民をスケープゴートにすることも、経済の失策を彼らのせいにすることもしない」が伴われている。
これは完全ではない。たとえば、移民は人民であるという本質的な主張と、彼らから人間性を奪う「管理された移民」といった用語の使用の間にはある種の緊張がある。しかしその主張は決定的に正しい方向に向かいつつある。
ソーシャリスト・レジスタンスは、国境はないとの立場を支持している。しかしそれは、そうした立場が簡単に大衆的支持を獲得する立場だとわれわれが考えていることを意味するものではない。レイシズムと反移民の感情がメディアと主流政治家によって正統なものとされたEU国民投票から僅か一年後にあっては、特にそうだ。
EU各国民と移民の権利を支持する活動家たちがこの問題について感情が高ぶるのは理解できる。しかしわれわれの考えでは、われわれが労働党がそこにあってほしいと思う位置との関係で、同じくわれわれの方向にさらに労働党をどのように動かすかとの関係で、労働党が位置を定めるところについて具体的に考えることの方がもっと有効だ。それは、マニフェストに表現された現在の立場が全面的に悪いものではないと認めることを意味する。それは、反レイシズム活動家を発言者として招くことや、門口まで来ているレイシズム的考えにどのように挑むかについての討論といった、積極的な諸方策を提案することを意味する。
われわれは、レイシズムに浮き輪を投げているとわれわれが考える労働党の政治家や他のすべての者を批判する。われわれがそうしていると考える親コービン派議員から、これまでいくつかの言明があった。たとえば陰の教育相であるアンゲラ・レイナーは、移民は賃金下落に責任がある、というようなコメントを行った。それは事実ではなく――問題は通常労働組合組織化の欠如だ――、右翼が常に繰り返した神話だ。
しかしわれわれは、他の中心的な労働党の人物――たとえば、親移民デモで発言するために彼の最初の指導部選挙の場からかけつけたジェレミー・コービン、移民の拘留に反対して闘ってきたジョン・マクドネル、またこれまで広範囲に著作し運動してきたダイアン・アボット――は異なった観点をもっていると確信している。そして彼らは労働党の内部でそのために今も闘っている。
大衆的キャンペーンが力発揮
労働党のキャンペーンの性格は重要だった。四月一八日から六月八日まで、コービンは英国中の六〇以上の町や市で行われた九〇の集会で、「一握りのためではなく多数のために」のスローガンの下に演説した。それらは数千人が参加した巨大な集会――彼が引きつけていた群集に合う十分に大きな屋内の会場がなかったために、時には浜辺や公園での――だった。メッセージは、NHSの防衛などを訴えるものであり、労組員や活動家がそうしたキャンペーンの基本的な部分だった。数千人の活動家が英国のあらゆる地域で、有権者に労働党の提案を語りかけつつ通りを埋めた。コービンを応援するためにあふれ出た者たちを含めて、二〇一五年の総選挙後に党に加わった多くの人たちはこれまで、党の日常の活動に関わったことはなかった。しかし今や彼らが、保守党への地滑りを阻止することが決定的ということを理解し、登場した。
諸労組とキャンペーンに取り組む人びと、特に公共サービスをめぐるそうした人びとも重要な役割を果たした。特に教員の諸労組(そのどれもが実際には労働党の系列下にはない)は、学校に対する資金供与をめぐってすばらしいキャンペーンを展開した。親たちと生徒たちも加わり、多くの学校は、保守党が課しつつあった資金カット――これは彼らに、書籍と文房具への支払いを求める親たちへの訴えと募金に時間を使うよう強要した――を示す横断幕を掲げた。
このすべては保守党とテレサ・メイとは大きく対照的だった。首相が集会を行った場合、それらは彼女の党の選り抜き党員用のものだった。ある集会は、労働者が出勤する前の工場で、もう一つは、政府資金を奪われたコミュニティセンターで開催された。少人数を群集に見せかけるためにどのように縁を落とされたか、を示す写真がいくつも漏れ出した。そしてメイ自身も、コービンや他の党指導者とメディアで正面切って論争することを拒絶した。
投票日の晩には、保守党と並ぶもう一人の敗者がいた。つまり、メディア界の大物である、ルパート・マードックもまた、極度に浮かない顔をしていた(注七)。
コービンのチームと左翼の圧力グループであるモメンタム両者は、ソーシャルメディアですばらしいしごとをやった。このメディアは、国内の選挙キャンペーンでは中心にもなったのだ。ニュースに対して新聞や主流TV局に頼っていた人びとは益々少なくなっていた。マードックのサン紙の読者層では、投票に出かけたのは何と半分以下だった。
コービンが統制してはいない労働党機構の全国キャンペーンは、守勢的であり、しかも鈍感だった。労働党が早くから相当な大きさをもつ多数を確保していた選挙区であっても、人びとは全体としてその地域の活動に鼓舞された。労働党議員が最後の最後ですれすれに勝利したところでは、いくつかの追加的な資材が投入された。しかし世論調査が保守党に不利に動いたときであっても、その議席に重要性がなければ目標に挙げられることはなかった。
モメンタムは、保守主義を打ち壊し、人びとをキャンペーンに方向付け、巨大な反応を生み出す上で、機構の幹部たちをしのぐすばらしいしごとを行った(注八)。
各選挙区のキャンペーンもまた異なった。何人かの議員は彼らの選挙宣伝の中では、ジェレミー・コービンは言うに及ばず労働党にはほとんどふれず、地域代表としての彼らの個人的実績にもとづいて運動しようとした。彼らの何人かは、急進的な政策は票を減じるという神話を鵜呑みにした。したがって他の者たちは、コービンに対する彼らの反目を続けたかった。
しかし今回の選挙結果は多くを強いて、公然と屈辱を受け入れさせ、労働党のキャンペーンとこの結果を賞讃させた。いずれにしろ指導者としてのコービンの地位は、かつて以上に安全となっている。
この観点から見ると、依然として二つの労働党がある。一つはコービンを支持するそれであり、もう一つはPLP右派と機構によって支配されているそれだ。しかし選挙キャンペーンは、力関係を以前よりもさらにコービンの方向に傾けることになった。
英国の総選挙は通常、新たなあるいは再選された政府が定まり、そのマニフェストが新たな立法計画に移されるにつれ、また活動家がキャンペーン後に休息をとる中で、ある種の政治的な空白として終わる。今回は逆のことが起こっている。
この点ではジェレミー・コービンが鍵となる役割を演じた。結果が、保守党あるいは労働党内の彼の敵対者である右派のどちらであれ、それらが期待した以上にコービンにとり良好だと思われることがはっきりしたとき、彼は彼の本拠、ロンドン北部のイスリングトン・バラ(バラは、英国の地方行政区:訳者)での投票日前夜集会で、彼の支持者にキャンペーンの継続を促した。
またも新自由主義が民衆を虐殺
総選挙からほんのわずか日が経った後で、この結果による二つの主要政党とそれらの指導者の運勢の転換をさらにはっきり示したもう一つの出来事が起こった。つまり、ロンドン北部にある高層市営団地、グレンフェルタワーの大火だ。その大火では少なくとも七八人が死亡した。
二三階の建物がものすごい速度で外側から燃えるさまを、何百万人もが恐ろしい思いで彼らのTV画面で凝視した。これは高貴なケンジントン・チェルシー・バラ(K+C)――英国内最富裕の地方行政区――で、しかし保守党の行政当局がコストカットと私有化の前線にあり続けたところで起きた。この高貴なバラには多くの金持ち住民がいるものの、確かなことだが、グレンフェルの借家人には当てはまらなかった。この火事の後死亡が確認された最初の人がシリア人難民であったことは、北ケンジントンを知る誰にとっても驚きではなかった。
これは、勤労階級の民衆が緊縮のたき火の犠牲にされた、新自由主義の規制緩和が生み出した悲劇であり、完全に防ぐことのできた悲劇だった。ジョン・マクドネルはまさに、人びとは「政治の決定によって虐殺された」と断言した(注九)。
それらの決定には、必要性ではなく利潤を基礎に住宅を建設する、あるいは改装することをデベロッパーに可能にする建設の規制緩和が含まれ、危険な素材の使用を通じるものだけではなく、非常時の灯火や十分な非常口あるいはスプリンクラーシステムを含めないでよいことにしたことまでおよんでいる。それらの決定には、「官僚的形式主義」として、出火に対する安全規制を含んで健康と安全に対する規制の取り除きが含まれている。それゆえにこれらは、法として、また問題を適切に監視するために必要な労働力を切り下げることを通じる両者で、弱体化されている。
この高層建物を、また英国中で他の多くの建物を断熱するために使用された素材は可燃性――しかし危険性がより小さな代替素材よりも安価――だった。この住宅の借家人組織は、これに対しまた他の安全問題に関し何年もキャンペーンを続けてきていた。そして、彼らを黙らせようとする法的措置で脅されてきた。彼らは二〇一四年に、「改善」工事はこのタワーを死にいたるワナに変えたと書き(注一〇)、そして二〇一六年には、「それは本当に恐ろしい考えだが、『グレンフェル・アクション・グループ』は、破局的できごとがあってはじめて、われわれの大家の愚かさと資格欠落が暴き出されるだろう、と固く信じている」と書いた(注一一)。
このできごとについて情報が次々に出てくるにしたがい、北ケンジントンおよびそれを超えて憤激が高まっている。こうした背景の中で高位の政治家二人の訪問は象徴的となった。テレサ・メイ首相はグレンフェルに出かけた、しかし悲嘆に暮れる人びと、負傷者、あるいは心に深く傷を負った住民には会わなかった。彼女はその代わりに火事の翌朝、緊急救助隊のメンバーとのみ私的な会合をもった。これは、選挙キャンペーン期間における彼女の行為を繰り返すものだった。前者で彼女はコービンの大衆的集会とは対照的に、保守党の選り抜き支持者との会合を開いたのだった。
それから僅かの時間遅れて、ジェレミー・コービンがグレンフェルトに出かけ、疲れ果てた消防士とだけではなく、彼を腕を広げて迎え入れた多くの住民とも会った。連帯の波の中で、この地の保守党議会が提供しなかった、食料、衣類、その他の基本的な物資を携えて、グレンフェルに殺到した何千人というボランティアもまたそうした。
こうして、悲劇に関する下院の討論でコービンが「ヒルズバラからグレンフェルまでパターンは一貫している。勤労階級民衆の声は無視されている」と語ったとき、彼は、何百万人という人びとの感情を響かせていた(注一二)。保守党を放り出し、コービン政府を選ぶことが、次のグレンフェルを防ぐ最良の方法だ。とはいえそれはまた、緊縮と闘うよりもむしろその管理を共に続けてきた、多くの労働党主導の地方自治体と格闘することも意味するだろう。
グレンフェル以後、他の地方議会――労働党が支配するものを含み――と住宅機関がグレンフェルと同じ素材とやり方と似たものを利用してきた、ということが明確になった。労働党が議会を支配していたカムデンには、この議会が立ち退かせた数棟のタワー住宅があった。最初われわれはこの立ち退きについて、グレンフェルで使用されたと同じ外装材が使われていたことが理由と告げられた。しかし今や、それに加え近頃の「改装」の間に防火ドアすべてが取り除かれていた、と思われている。そうであれば、借家人と労働者双方の心配をよく聞き、それに対応することが、労働党の議会がグレンフェルから引き出す教訓とならなければならない。
労働党政府の展望が人々を鼓舞
総選挙および労働党と保守党の対照的な結果は、英国の政治情勢を転換した。メディアとしてか、あるいは労働党右派の立場からか、以前はコービンを攻撃した多くの者たちが、彼は内閣首班のように見える、と評論するまでになっている。
保守党マニフェスト中の最悪な側面のいくつかは、クイーンズ・スピーチから落とされた(注一三)。これに対する口実は、前述した三重の条件のようなものごとを終わりにすることにDUPが反対したことだったが、しかし、コービンの働きで不意に高められた人びとの期待を壊すこともまた、一つの要素であったはずだ。緊縮を終わりにすべきか否かについて、今や主流メディア内にさえ本物の論争がある。
テレサ・メイは、保守党の指導者として現在脅威にさらされているようには見えない。しかしそれは、はっきりした代わりになる者が一人もいないからにすぎない。世論調査は、コービンを相手にした場合別の指導者は彼女よりも人気がないだろう、と示している。結局のところコービンの労働党は、現在緊縮の先頭に立っている人物だけというよりも、緊縮というブランド全体に異義を突き付けたのだ。しかし元の保守党財務相、ジョージ・オズボーン(今や、ロンドンのイブニング・スタンダード紙編集者)が彼女にあからさまに歩く死んだ女性と言及するとき、彼女の地位の不安定さは極めて明白となる(注一四)。
労働党は、公的部門の賃金凍結を終わりにし、消防と警察部門への特別資金供与を求めるクイーンズ・スピーチ修正を提起することにより、強みを納得させつつある。この修正が通ることはありそうにないとしても、それは、緊縮は政治の選択、という事実に基づく論点を論争の中心に置き続ける(注一五)。
六月二八日の総選挙後の最初のプライム・ミニスターズ・クエッション(注一六)において、ジェレミー・コービンは以下の事実を歓迎した。それは、同日早くヒルズバラに関する告発が公表されたことだ。次いで彼は、グレンフェルの教訓、および巻き込まれた人びとを支援すること、また、高層建物だけではなく、類似の素材が使われたかもしれないと十分疑われる建物でも、そうした悲劇の再発を防ぐこと、この両方のために取られる必要がある諸策に焦点を当てた。
保守党の危機が深まる中でいつでも現れる可能性のある次期総選挙に用意を整えた労働党メンバー内には、新しい自信がある。それは、労働党が急進的政綱にもとづいて勝利する実体的な好機にある、という自信だ。
二〇一五年総選挙以後労働党に加わるために殺到した活動家たちには、異なった種類の社会のために闘うために、スペインのポデモスのような政党に加わった人びとと共通するものが多くある。英国の労働運動の歴史と構造に特殊な理由がいくつかあり、それは、先のような反乱が、代わりとなる党の創出を手段とするというよりも、社会民主主義の党を通過するという方がもっとありそうだ、ということを意味している。コービン政府の勝利は、英国内の、欧州中の、さらにそれを超えた左翼にとって、大きな前進の一歩となるだろう。
▼筆者は、英国ソーシャリスト・レジスタンス紙専属記者。
(注一)ガーディアン紙、六月二六日付け「保守党・DUP取引:それは何を物語り、何を意味するか」。
(注二)「一握りではなく多数のために」、労働党マニフェスト二〇一七。
(注三)トーク・ラジオ2(六月二日)「労働党のエミリー・ソーンベリー語る、テレサ・メイは、マニフェスト中の数字はページナンバーしかないほど傲慢、と」。
(注四)IV、「DUPがそれほどに反動的な理由」参照。
(注五)グラマースクールとは、その入学が普通「イレブンプラス」として知られている試験合格が条件となっている中学校。
(注六)IV「国際主義左翼がスコットランドの独立投票でイエスを支持すべき理由」参照。
(注七)ルパート・マードックはタブロイド紙『サン』――たとえばそれがヒルズバラについて、サッカーファンが緊急救助隊の活動を妨げ、遺体から略奪したと書いたようなやり方から、広く嫌われ、実際はボイコットされた――の所有者。同じ系列下にある高級紙「タイムス」と「サンデータイムス」も強く右翼と反コービンに傾いている。
(注八)モメンタムは、労働党内外の人びとから始められたキャンペーングループ。特にウェブサイトを通して、さまざまな選挙区で人びとを戸別訪問運動に向かうよう組織した。
(注九)インデペンデント紙六月二五日付け「グレンフェルタワー火災の犠牲者は政治の選択により虐殺された、ジョン・マクドネル主張」。
(注一〇)グレンフェル・アクション・グループ二〇一四年八月二六日「グレンフェルタワーは逃げ場のない建物なのか?」。
(注一一)グレンフェル・アクション・グループ二〇一六年一一月二〇日「KCTMO―火遊びをヤメロ!」。
(注一二)シェフィールドのヒルズバラ・スタジアムは、リバプールとノッチンゲンの森の間にあるサッカースタジアム。そこで一九八九年、すでに超満員となっていた会場にリバプールサポーターの殺到を引き起こした警察の行動の結果として、九六人が死亡し、七六六人が負傷した。
(注一三)クイーンズ・スピーチは、立法計画を明らかにする演説。各会期初日に両院に対して行われる。
(注一四)ガーディアン紙六月一一日付け「テレサ・メイは歩く死んだ女性、オズボーン語る」。
(注一五)この修正案は実際に否決された。ガーディアン紙六月二八日付け「下院、クイーンズ・スピーチへの労働党修正案を拒否――過去同様」。とはいえこの後、何人かの指導的保守党議員は方針がやわらげられると信じている、という兆候が出ている。テレグラフ誌七月三日付「公的部門賃金の上限は責任あるやり方で引き上げされる可能性がある、ボリス・ジョンソン強く確信」。
(注一六)週一回の議会会合。そこでは首相が、議員からの直接の質問に回答する。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年七月号)
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