6.24
アジア連帯講座
新しい「Xデー」に立ち向かおう
天皇「生前退位」問題めぐって
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六月二四日、アジア連帯講座は、都内で「新しい『Xデー』に立ち向かおう 天皇『生前退位』問題をめぐって」をテーマに国富建治さん(新時代社)を講師に招き講座を行った。
六月九日、参議院本会議で天皇制延命強化に向けた「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案」が可決され、成立した。自民、公明、維新、民進、共産、社民党は賛成し、皇室典範改正を主張する自由党は棄権した。実質的に天皇翼賛国会状態だ。また、昨年一一月二〇日、吉祥寺の「天皇制いらないデモ」に対して国家権力と天皇主義右翼が一体となって攻撃してきた。与野党の「退位容認」「天皇制維持」を批判し、国家権力と天皇主義右翼が一体となった反天皇制運動破壊をはねかえす闘いを強化していく必要がある。
すでに安倍首相は、天皇代替わり、東京五輪開催を契機に二〇二〇年を改憲達成の年と設定している。天皇賛美挙国一致を煽りながらグローバル派兵国家建設を押し進めようとしている。
国富さんはこの間の天皇制問題の評価・整理、自粛を強制した「昭和Xデー」と「平成Xデー」の違いを分析し、今後の指針を共有化していく論議を行った。(Y)
国富建治さん(新時代社)の報告(上)
いま明らかにすべきことは何か
昨年八月に天皇の生前退位のビデオメッセージが放映されたが、反天皇制運動の仲間たちは一種の「玉音放送」のようだと揶揄していた。だが、この問題は、今までの皇室典範に書かれていないような生前退位という形をとった天皇の代替わりへの踏み込みであった。さらにどのように法律的に実施していくのかをめぐって非常に大きな対立が、とりわけ保守派の陣営、天皇主義者の中で非和解的な形で進んでいった。
六月に生前退位の特例法法案が成立した。実質上、天皇の意思がそのまま法律に反映される法律が成立した。来年の末には、現在の明仁天皇は退位すると言われている。二〇一八年一二月に退位して、最終的に確定はしていないが、おそらく二〇一九年に新しい元号と代替わりが行われる。これらのプロセスをどのように考えたらいいのか。
1 「昭和Xデー」との違い
以前の天皇Xデーは、どうだったろうか。一九八九年一月に昭和天皇が亡くなった。実質上、八八年九月に下血問題があって、それ以降、八八年九月から八九年一月までにかけて、日本はお祭りなどが中止になったり、自粛ムードになり、毎日毎日、天皇の病状が報道された。人々は「ご記帳」に行くとか、天皇の病状の回復を願うキャンペーンが展開された。
今回の新しい天皇Xデーは、昭和Xデーと大きな違いがある。昭和天皇は第二次世界大戦の戦犯であり、侵略戦争の最高責任者だった。そんな裕仁が亡くなったことへの国民的な自粛と追悼が行われることに対して、大きな反発が広がっていった。
最も典型的なことは、長崎の本島市長が昭和天皇の戦争責任について言及して、右翼にピストルで撃たれた。また、昭和Xデーに抗議し、天皇制に反対する人々に対する監視・弾圧が空前の規模で強行される事態が進んでいった。
第二次世界大戦を経験した人々にとって、昭和天皇は侵略戦争に大きな責任があり、忘れられない事態であった。いくら戦後日本の平和の象徴となっても、彼は大日本帝国の最高責任者だ。そのことに対する批判は、絶対にぬぐいされないものであった。
当時、日本共産党は、昭和天皇の戦争責任を原則的に追及するキャンペーンを行っていた。最高指導者だった宮本顕治は、天皇の名の下に行われた治安維持法弾圧で一二年間獄中に囚われていた。天皇制の弾圧、戦争責任を強く実感している世代は、日本共産党の中では、かなりの層として存在していた。
ところが「平成Xデー」には、違った状況がある。今の明仁天皇は、終戦の年にはまだ小学生だった。美智子妃との「ご成婚」も含めて、国民的人気が意識的に煽り立てられて、象徴天皇としての役割を果たしてきた。
天皇自身が自然災害の被災地に積極的に入り、被災者を励ますとかの行動を意識的に行ってきた。昭和天皇と違って、明仁天皇に対する国民的な批判、あるいは反発が、私たちのように天皇制は民主主義に敵対する制度であると、はっきり言う人以外にはあまり見られない。
天皇が生前退位をビデオメッセージで八月一〇日に流した時、七〜八割ぐらいが「天皇様、ご苦労さまでした。生前退位していただきます」という雰囲気が非常に強かった。はっきり意識的に天皇の生前退位に反対だと言ったのは、最も極右的な天皇主義者だった。それ以外はなかった。
もちろん反天皇制運動を取り組んできた少数の人々は、天皇自身の意志によって新しい法律が作られ、実現されていくことは、天皇の政治的行為であり、憲法に違反すると批判した。
日本国憲法の下では、第一条では「天皇は国政に関する権能を有しない」と言っている。「天皇は、日本国ならびに日本国民の統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意にもとづく」と書いてある。天皇は、いかなる意味でも政治的権能は持たない、持ってはならないというのは、少なくとも象徴天皇制の基本的な考え方だ。
しかし今回の事態を見るならば、明らかに天皇自身の主導による生前退位である。それによって新法が作られることは、これはあからさまな違憲行為であると捉えなければならない。
このことについて反天皇制運動以外でも、はっきりと指摘したのが原武史さん(政治思想史/放送大学教授)だ。原さんは、決して左翼の人ではない。反天皇制をずっーと言ってきた人でもない。ただ天皇制について研究してきた人だ。『大正天皇』という興味深い著書もある。
彼は、三月一八日の朝日新聞に載ったインタビューの中で次のように発言している。
「特例法に向けて与野党が合意し、天皇の退位が現実に起きています。このような流れをどう見ていますか。
原武史─はっきり言っておかしいです。今の憲法下で国政に関与できないはずです。それなのに天皇が退位の気持ちをにじませて発言をすると、急に政府が動き出し、国会で議論を始めた。お気持ちを通して、結果的にせよ国政を動かした。私が知るかぎり戦後天皇が意志を公に現し、それを受けて法律が作られたり、改正されたりしたことはありません。明治憲法によって大権を持っていた明治天皇、大正天皇、昭和天皇の時でもこんなことはありませんでした。今回のお気持ちの表明と、その後の退位に向けた政治の動きは、極めて異例である」。
質問者は、「政府も国会も天皇のお気持ちが第一だと受けとめたからではないですか」と言ったが、「だからと言って、これでいいとは思いません。本来、天皇を規定する法が天皇の意志で作られたり、変わったりしたら、法の上に天皇が立つことになってしまう。政府や国会での議論の争点は、特例法か皇室典範改正かが出ていたけれど、どちらになろうと天皇の意志が現実政治に影響を及ぼしたことは変わりはない」と明確に言っている。
今回の生前退位についての法案、これが明らかに憲法が規定する天皇の役割というものを根本的に逸脱するものであると言っている。いろんな学者の中で、彼が一番ハッキリ語っている。 (つづく)
7.22
辺野古新基地建設反対 新宿デモ
翁長知事の差し止め訴訟を支持しよう!
七月二二日午後二時から、東京・新宿駅東口アルタ前で「辺野古新基地建設反対7・22新宿デモ」が辺野古への基地建設を許さない実行委主催で行われた。三〇度を超す猛暑の中であったが、辺野古現地でのキャンプ・シュワブ基地包囲行動と連帯する行動として元気にやりぬいた。
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの仲間が「辺野古現地でキャンプ・シュワブ基地包囲行動が開始された。七月二四日、翁長知事が岩礁破砕差し止め訴訟を提訴し、同時に仮処分も申請する。七月二五日、カヌー海上デモ、八月一二日県民大会と沖縄の闘いは続く。辺野古に行こう。八月一七日、『文子オバア』の愛称で知られている島袋文子さんを呼んで院内集会を行い、その後官邸前抗議行動も行う。首都圏の行動へも参加を」と主催者あいさつを行った。
下地厚さん(一坪反戦地主会)が電話で包囲行動を報告した。
「一回目の包囲行動を行うとしている。こちらは三五℃を超す猛暑。辺野古のバス停、新ゲート、工事用ゲート、第二、第三ゲートまで一六〇〇mあるが、びっしりと人が埋まっていて、途切れていない。三〇〇〇人近い人ががんばっている。一〇〇〇個の風船が放たれた。厳しい闘いの状況だが、七月二四日県の提訴、八月一二日県民大会と決してあきらめていない。集会を成功させることで、次の闘いの弾みにしていきたい。辺野古に基地は作らせない」。
埋立て用のケーソン作りに抗議行動
次に神奈川県央共闘の仲間が、厚木基地問題と辺野古埋立のケーソンを作っているJFE本社への抗議行動について報告した。
「米空母ドナルド・レーガンの艦載機の訓練場として厚木基地が使われてきた。今回、岩国基地に移駐し一三〇機体制になる。厚木では第四次爆音訴訟団が訓練飛行の停止を求めて訴訟を起こしたが、自衛隊の夜間飛行の停止をいったん認めたが最高裁はこれをもひっくり返した。今日、第五次六〇〇〇人の訴訟団の結団式があった。厚木基地は空になるのか? 返還するとしている普天間基地も恒久化が狙われているように、厚木にも再び来るかもしれない。油断はできない」。
「大浦湾埋め立てのケーソンを作っている三重県津市にあるJFEの下請けの会社に今日抗議デモが行われている。六月二八日、ケーソンを作っている横浜市鶴見にあるJFE本社に対して、七〇人で抗議・申し入れ行動を行った。会社は社前座り込みができないように構造物を置いたり、社員が一切対応しない不誠実な対応をしている。三〇〇〇人が働いているので、労働者へのビラまき行動を通して、社会的責任を問う。ケーソンを絶対に作らせない」。
オスプレイの運用による被害の拡大
再び、辺野古包囲行動に参加している仲間が高江について、電話で報告した。
「辺野古はすごい人だ。一・二kmが埋めつくされている。怒りが爆発している。七月一日高江で、オスプレイの本格的な運用が始まった。二つのヘリパッドだけが使われているが騒音がひどく、生活がめちゃくちゃにされている。仕方なく三〜四組の家族が逃げ出している。これで四基も運用されたら、いよいよ暮らせなくなる。七月二八日高江で抗議集会をもつ。米軍に対して怒りをもって抗議していく。今日の辺野古での闘いを映像で伝えられないのが残念だ。がんばっていこう」。
警視庁機動隊の沖縄への派遣は違法だ、住民訴訟の闘いの報告。
「二回の裁判が開かれたが傍聴席は満席。第三回九月二〇日午後一一時半〜、第四回一一月と公判が入っている。厳しい訴訟だが門前払いではなく、実質的な審理が行われている。裁判長へ励ましのはがき運動を行っている。八月二五日午後六時半から東京・文京区民センターで、山城博治さんを迎えて『住民訴訟大集会』を開催するので参加を。福岡、愛知でも訴訟を起こした」。
TEYOさんの闘う沖縄の歌、民謡を交えて全員で元気にアピールした。MX女子許さない行動の仲間が、MXテレビが抗議行動を無視するなかでも、月二回の申し入れ行動(第2、4の木曜日)を継続していること、決してうやむやにさせないと報告した。
最後に、七月二四日午後六時半から官邸前で、翁長知事の提訴を支持し、辺野古埋立工事の中止を求める行動、八月一二日午後二時から、沖縄県民大会に呼応する首都圏行動(東池袋中央公園、アピール後にデモ)への参加の呼びかけがあり、新宿駅を一周するデモを行った。 (M)
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