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    かけはし2017.年7月31日号

加害の法的責任を取らせよう


投稿

福島原発事故、東電経営者3人
に対する刑事事件裁判について

林 一郎

 二〇一七年六月三〇日、ついに福島原発事故の責任を問う東電経営者三人に対する業務上過失致死傷罪(刑法二一一条、五年以下の懲役若しくは禁錮又は一〇〇万円以下の罰金)、第一回公判が東京地裁において開始された。被疑者は事故当時の最高経営責任者である元東電会長勝俣恒久、元副社長武藤栄、元副社長武黒一郎の三人である。

裁判の意義は何か


三・一一福島原発事故は日本のアジア・太平洋戦争での敗戦以後、最大の被害者、被災地を出す「歴史的な事件」であった。この原発事故の影響は、ヨーロッパ、アメリカ、アジアでの原発政策に巨大な影響を及ぼし、「原子力発電時代の終焉」を告げることとなった。この事故の実態を解明することは、いかに原子力発電とはもろいものであり、放射能が危険であり、巨大な自然の営みとは相いれないものであり、人間や自然と共存することが出来ないのかを明らかにすることでもある。
そして、経営者三人への刑事事件裁判は、福島原発事故の加害責任の当事者が現に存在するということ、電力会社の経営責任者は巨大企業の陰に隠れ責任逃れをすることはできないということを徹底的に追及することである。
この裁判に勝利することは、地震学者、地質学者、原子力専門学者より繰り返し原発稼働の危険性が指摘されているにも関わらず、現在原発の再稼働をしている関電、四電、九電等の経営責任者に「原発事故の責任者は犯罪者である」ことを認識させることでもある。
また、原子力規制委員会の原発許認可には各委員に重大な責任があることを認識させることでもあり、原発所在地の自治体の責任者が安易に原発の再稼働を認めることは、原発事故の時には重大な責任の一端を担うということを知らしめることでもある。
原発事故から六年が経過した。福島の人々は、未だ一〇万人に近い人々が故郷を追われ、帰ることができないでいる。地域が破壊され、自然が破壊され、家族が破壊され、子どもたちや人々の健康が奪われている。政府、福島県はそんな人々の生活実態を無視し、二〇ミリシーベルトという人間が健康を維持しながら生活できない土地に「帰還しろ」という。帰還しない人々があたかも「わがままで勝手である」かのような宣伝をしている。すでに福島の人々は加害者のいない「自然災害の犠牲者」のようにされているのだ。
しかし彼らは東電や経産省、政府の誤った原発推進政策の被害者なのだ。加害者の責任が問われず、あいまいにしていることが誤った世論が作られる最大の原因であったのだ。
福島から避難した人々が各地でいわれのない差別をされている。特に移住先での子どもたちが「福島から来た子」として差別されている悲しい現実がある。
彼らは無責任で、利潤追求第一主義の東電経営者による原発事故の被害者であり、差別されるいわれは何もないのである。しかしこの国では原発事故の加害者の重大な責任が、目の前で問われなければ、被害者の姿が見えてこないらしい。加害者責任を問う意義はここでも重大な意味があるのだ。
また告訴団が津波第二次告訴として、当時原子力保安院の安全対策責任者であった森山善範、名倉繁樹、野口哲男、東電津波対策責任者であった酒井俊朗、高尾誠の五人を追加告訴している。福島原発事故は東電のみならず、原発政策を推進してきた自民党政府、経産省による犯罪でもあるのだ。東京第一検察審査会で審査しているこの追及も見逃してはならない。

 歴史上の責任を問う


原発事故とは規模も性格も違うのであるが、過去の四大公害裁判であるイタイイタイ病裁判、新潟水俣病裁判、四日市公害裁判、熊本水俣病裁判等では、損害賠償等を求める企業への民事裁判が中心であった。熊本水俣病裁判においては唯一刑事裁判において元経営責任者が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受け、最高裁において有罪が確定した。しかし本来であればすべて、これらの公害裁判においても経営責任者の刑事責任が同時に問われるべきだったのではないだろうか。企業総体の責任と同時に企業の無責任性を作り出してきた、経営者の責任が当然あるからだ。
われわれは福島原発事故刑事裁判をする中で、何よりも経済的な目先の利益だけを優先する東電経営責任者、そして企業としての東京電力に対して刑事、民事責任を徹底的に追及することにより、「巨大企業及び経営責任者は社会的責任を負う」ことを認識させなければならない。当然東電三人の刑事裁判に有罪判決を勝ち取った後、三人に巨額の賠償金民事訴訟を追加し、彼らの全財産没収の判決を勝ち取らなくてはならないのである。
福島原発事故を処理するには、巨額の資金が国民の税金や電気料金に上乗せしてしかその資金を工面することはできないのである。結果的に原発とは「安い・安全・クリーン」と大宣伝された詐欺的商法と言わざるを得ない。
またわれわれは、今回の裁判の歴史的位置を確認してみれば、アジア・太平洋戦争において数千万の犠牲者を出しながら、侵略戦争の責任を自ら取らない天皇、軍部、政府の戦争犯罪人の功罪を見逃してきたことを含めて、「加害者責任が問われない、加害者の責任を問わない無責任の歴史」に終止符を打つきっかけにする必要があるのだ。

有罪は明確である─この声を全国に!

 指定弁護士による冒頭陳述と膨大な証拠の数々は、事故前の東電会議の議事録、経営者御前会議議事録、津波担当者からのメール等により、東電が大津波を予見し、その対策を不可避としながらも、経営者が経済的な見地から対策を怠っていたことが明確にされた。
つまりこの裁判は法的解釈や法の論理ではなく、事実がどうであったのかという争点の裁判である。そして二〇〇六年には三年以内の津波対策を含めた耐震バックチエックが実施され、一〇メートルの防潮堤を超える、一五・七メートルの津波が発生することが東電設計ではシミュレーションしていたし、二〇〇二年七月には政府・地震調査研究推進本部が「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」において、津波による全電源喪失を東電に指摘していたのである。これらの指摘にも関わらず対策を取らない経営者の責任は逃れることが出来ないのだ。
これに対して東電の勝俣等は「津波の予見は不可能」「津波対策の義務はなかった」「責任はない」として無罪を主張した。しかし彼らの反対証拠四五点は旧保安院の証言、元東電の身内証言、後付け証言等であり、指定弁護士が提出した証拠にとても耐えられるものではないのだ。
今回、東電三人を強制起訴した東京第五検察審査会で審議し、公判に提出された、東電経営者を起訴するに充分な証拠は二〇一一年夏には検察庁と政府事故調の手にはあったはずだと告訴団弁護団は主張している。なぜ検察庁は東電の刑事責任の隠蔽をはかったのか、なぜ検察審査会の強制起訴を待たなければならなかったのか。検察審査会の一一人のうち八人以上の起訴議決への賛同は、政府、東電、検察の行政、司法等、官民一体の事故原因を隠蔽しようとする、原子力ムラへの正義の告発である。故にこの裁判は絶対に勝利しなければならないし、勝利することは日本の原発推進勢力への打撃となる、歴史的事件となるのだ。
われわれはこの裁判の意義を確認し、裁判の状況とその意義を福島はもちろん、東京、大阪、名古屋、札幌、福岡、そして東北、九州、四国等の大都市での報告会で全国に発信すべきであろう。
こうした裁判報告会の全国での展開が、裁判闘争を支えることになり、福島の現実をさらに全国化することになり、各原発現地で再稼働に反対している住民運動を拡大することにもなるであろう。告訴団、支援団を支えるためのもう一つの全国的なネットワーク作りが脱原発、反原発運動に問われているのではないだろうか。
二〇一七年七月二〇日

福島脱原発ネットワークなど

汚染水放出発言許さない

東京電力に抗議

 【いわき】東京電力川村会長は、七月一三日に行われた共同通信社等によるインタビューの席上、「判断はしている」と汚染水放出発言をした。この発言に対して同日、福島県漁連が全漁連と共に抗議した(七月一四日、福島民報)。そのような状況の中で、福島脱原発ネットワーク等一〇団体は東京電力平送電所において抗議の申し入れ行動を行い、「汚染水発言の陳謝と撤回、汚染水総量、管理基準放出方法等に関する市民説明会の開催、汚染水の安全な保管、タンク保管や固化保管等を検討し結果を説明すること」など、三点の要請を行った。

改められぬ
無責任体制
汚染水問題については政府小委員会が海洋放出を含む処分方法を検討中、田中委員長の放出を求める発言に対して、東電は「政府の小委員会や経済産業省との議論を進める必要がある」とした発言(七月一四日、福島民報)など、東京電力が放出を要求する田中委員長に押し切られたかのような印象を与える報道がなされている。
東電はサブドレン等からのトリチウム汚染水を基準値以下として既に放出を繰り返しており、汚染水の海洋放出方針は東電も規制委員長も同じであり、自己が矢面に立つことを回避しているに過ぎない。
汚染水は格納容器への放水と山側地下水の原子炉建屋への流入で発生し、第一原発では1から3号基で熔け落ちた核燃料の冷却を目的に原子力格納容器に注がれた冷却水が熔け落ちた核燃料に接触し汚染水へと変化している。
汚染水は浄化装置による浄化作業が実行されているが、トリチウムは三重水素のため分離困難で汚染水としてタンク保管するのが建前となっている。
東電は原子炉への地下水流入防止を目的に粘土製遮水壁の製作を二〇一一年六月に計画したが経費抑制のため中止したが、その後山側に設置した汚染水タンクから汚染水が漏れ地下に浸透した。そしてこの浸透した汚染水が山側地下水の汚染源となり汚染水問題は複雑化し、汚染水問題の困難性に拍車をかける結果となった。
東京電力は汚染水対策として凍土遮水壁の造成を企図したが、完全凍結の困難性と効果の不透明さから、成功を危ぶむ意見に対して、東電は当初完全に凍結させると豪語し、造成を押し切ったが完全凍結は達成されず減水効果も限定的なため、計画は破産しサブドレンからのくみ上げの継続となっているのが現状である。

収束作業に今
こそ全力上げよ
増加する一方の汚染水はタンク内保管となっており、その量は二〇一九年七月九日現在約七七万七〇〇
〇トン、タンク数約五八〇基となっている。他方タンクは、一部ボルトによる締め付け方式も存在し、後に溶接方式に切り替えたものの、パッキン継ぎ目等からの漏水や、製作過程での労働者被ばく等の新たな問題を派生させている。
汚染水問題はそもそも、東京電力福島原発が海岸沿いに建設されているという立地条件の下で、福島第一原発事故の完全収束の前に立ちはだかる、重大要因の一つとなっている。
トリチウムの人体への取り込みの危険性については、様々な指摘があり不安が払拭されていないのが現状である。汚染水処理の困難性を過酷労働と被ばく労働、労働者、県民への犠牲の転嫁で乗り切ろうとする、国・東京電力の汚染水放出策動を許してはならない。東京電力は廃炉計画を再検討し、汚染水対策等の収束作業に全力を傾けよ。
(浜西)



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