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    かけはし2017.年7月24日号

反革命貫徹で旧体制再建は困難


中東

追いつめられるISとカタール危機

ジルベール・アシュカルに聞く


 カタールやISの問題についてジルベール・アシュカルがフランスNPA機関紙のインタビューに答えている。革命的左翼向けの解説であり、一般読者向けの本紙前号掲載の論述より分かりやすい。前号に続き、現在中東で起きている複雑な動きを理解するするための一助として紹介する。(「かけはし」編集部)

 ジルベール・アシュカルは、ロンドンのSOAS大学(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院)の教授であり、アラブの決起に関する二つの本、『人民は希求する:アラブの反乱の急進的爆発』(二〇一三年)と『病的兆候 アラブの反乱における揺り戻し』(二〇一七年)の著者である(後者は、近く日本で出版予定)。このインタビューでは、とりわけカタールとサウジアラビアの対立をめぐる危機、そして地域における力関係について聞いてみた。

アラブの春へのとどめの一撃

――六月五日のサウジアラビアとその同盟諸国によるカタールとの外交関係の断絶はどうして起こったのでしょうか? サウジアラビアによってカタールは「テロリズムを支援している」として非難されています。これは、長年の間かけて進行していた危機の到達段階だったのでしょうか?

 これは、私が「アラブの反乱の揺り戻し」――これは二〇一三年から始まった――と呼んできたもののとどめの一撃だと私は解釈している。二〇一三年以降、地域規模で反革命的な退潮の局面への逆戻りが起こっている。この事態は、進歩派勢力が脇へ追いやられ、旧体制の支持派とそれに対抗するイスラム原理主義派との対立に政治舞台が支配されるという形を取っている。
二〇一一年の「アラブの春」の真の希求に反対するこの二つの反革命的極は、どちらも湾岸地域の王制諸国の中にその支持者をもっている。サウジ王国は、反革命の砦としての歴史的役割に忠実であり、この地域の旧体制を支持してきた。既存の体制の中でサウジが支持してこなかった例外は、リビアとシリアの二国だけである。サウジアラビアは、(アラブの春の時点で)リビアでは中立にとどまり、NATO軍によるカダフィ政権に対する爆撃には参加しなかったが、サウジとしばしばいざこざを引き起こすカダフィをいかなる点でも支持することはなかった。次にシリアについてだが、シリアのアサド政権は、イランとの間で緊密な同盟関係にある(だからサウジにとって支持できるものではなかった)。
カタールについて言うと、この国は一九九〇年代以降、ムスリム同胞団を支援してきた。この国の首長(エミル)は、アラブの反乱に思わぬ幸運を見出したのだった。この反乱によってワシントンに対して自分の役割を引き立たせるよう見せられるし、ムスリム同胞団を使って地域規模のこの反乱を懐柔できる、と考えたのだった。
したがって、この二つの選択肢は対立する。われわれは、チュニジアの反乱というまさに最初の局面からそのことを目にしたのだった。カタールは、「アルジャジーラ」放送局のネットワークを使って、反乱を、とりわけ、ムスリム同胞団の国際的ネットワークに属するチュニジアの組織、アンナハダを、支援した。それに対して、サウジアラビアは、チュニジアの独裁者に亡命する権利を提供した。今日進められているカタールへの攻撃は、ムスリム同胞団へのカタールの支援をやめさせ、一九九六年の創設以来、『アルジャジーラ』のネットワークが果たしてきた「煽動」の役割に終止符を打つことを目的としているのだ。この放送局はさまざまな国の反政府派を受け入れるのだが、それがサウジアラビアには気に食わない。こう言ったからと言ってもちろん、カタールが「革命的」だと言いたいわけではない。それは、反乱に「付き合う」という選択である。それ自身も攻撃されているムスリム同胞団を使って反乱を懐柔するためである。サウジ王国は、旧体制の防衛という自らの立場を有利にするためにとどめの一撃を加えたいと考えているのだ。

情勢転換は米国の政権交代に源


――以上の点と、少し前のドナルド・トランプ大統領のリヤド(サウジアラビア)訪問とは、どのような関係にあるのでしょう? トランプは、湾岸協力会議(GCC)の「団結」を勧める前に、まずはじめにカタールを非難したのですが。

 情勢をひっくり返したのは実は、ワシントンの政権交代なのだ。オバマは、提案された二つの計画を巧みに操り、ムスリム同胞団による反乱の懐柔を利用するという選択肢の可能性をも評価していたのだ。だから、このオバマ政権と二〇一三年にクーデターを行ったエジプトのシーシ元帥との間の関係は冷たかった。それに反して、トランプは、イスラム嫌いの顧問たちと同類の人間である。これらの顧問たちは今日、ムスリム同胞団を「テロリスト」グループと決めつけたがっていて、同じ路線を歩んでいるアラブ首長国連邦の路線と同じ立場に立っている。新国王の下のサウジアラビア政府は、当初、イランに反対するスンニ派勢力の統一を作り上げたいと望んでいた。そして、イエメンでは、この統一にはムスリム同胞団が含まれていて、そこでは、フーシー派と二〇一一年に失脚した大統領という両派に反対する、サウジアラビア、カタール、現地のムスリム同胞団を結集した広範な戦線が結成されてきた。
こうした動きは、ワシントンにおける政権交代によって打ち砕かれてしまった。オバマには限界はあったかもしれないが、民主主義の運動に対する共感があった。しかし、トランプはオバマが抱いたような民主主義運動の急激な盛り上がりに対して何の共感ももっていない。トランプは、攻撃的なイスラム憎悪を示す顧問たちと同タイプであり、ムスリム同胞団を「テロ組織」と決めつけることを支持するような人物である。これらの大統領顧問たちは、この数年来、ムスリム同胞団に激しい敵意を抱いているアラブ首長国連邦と提携している。顧問たちは、トランプの大統領就任以降、カタールの追放を推進した。われわれが現在見ているのはこの現実である。

地域の政治における役割が問題

――スンニ派産油王制諸国――サウジアラビア、バーレーン、アラブ首長国連邦――のこの転換は、イランに向けられたものなのでしょうか? イランそれ自身は、イスラム国が主張する攻撃対象になったばかりです。

 サウジにとって、ナンバーワンの敵はもちろん、イランだ。現在の対立において、カタールがイランとの対話を訴えた、というので非難されている。カタールをこのようなイメージとして映し出すために、「偽りの情報」操作がなされた。カタールはシリア反政府派への支援に深く加担してきたし、そのためにイランと直接に対立しているし、イエメンの内戦に今日まで関与してきた。しかし、カタールは、イエメンを爆撃した連合からは、今まさに追放されたのである。イラン問題が、カタールで起きている事態の本当の理由ではない。問題となっていることは、地域の政治においてカタールが果たしている役割なのであって、カタールが、イランとではなく、エルドアンのトルコと組んでムスリム同胞団を支援していること、これが問題なのである。この点で、カタールは湾岸地域の王制のもてあまし者なのだ。

IS許した地域支配めぐる対立


――シリアでは、ラッカの戦闘が展開されている一方、イラクではモスルでの戦闘も終わっていません。イスラム国とその地域勢力の面では事態はどう進んでいて、その力関係はどうなっているのでしょうか?

 いわゆるイスラム国がその支配地域を維持できないであろうことは最初から明白であった。イスラム国の構成員たちは、諸要因の組み合わせによって得られた例外的な機会を利用して広範な地域を占領した。しかし、それが長期間にわたってその地域を支配し続けることができるなどとはおよそ考えられないことであった。それはまさに、アメリカがイラクから撤退し、この国でスンニ派とシーア派の宗派間の緊張が頂点に達すると同時に、シリアでもスンニ派とアラウィ派との宗派対立がまさに高まった例外的な機会だった。
その後、イスラム国に反対する側が再び力を回復し、攻勢に転じることができた。イスラム国は、いわゆる国家としての存亡の最終局面にある。イスラム国への攻撃の現在の進行を遅らせているものは、ほかでもなく、今日までイスラム国が占領してきた地域を誰が支配するかというさまざまな諸党派間の争い、である。シリア側では、イランに支援されたシリア政府とアメリカに支援されたクルド部隊との間の短距離競争がなされている。同様に、イラク側でも、一方におけるクルド人勢力と他方におけるイランと密接に結びついたイラク政府軍との間の対立がある。イスラム国に反対して闘った勢力の間のこうした対立が現在の過程全体を遅らせているのだ。

――地域におけるこの不安定の高まりとアフガニスタンやイランやロンドンでのテロ襲撃の再燃との間にはどのようなつながりがあるのでしょう?

 今日のイスラム国、それは追い詰められた獣である。ロンドンでの最新の攻撃を見ると、ワゴン車とキッチン・ナイフで武装した襲撃者によってなされたのだが、このことはその手段の限界を際立たせることになっている。マンチェスターの襲撃と同様に、まだ爆弾を使うことはできるのだが、主として初歩的な手段に頼るようになっている。それが、悲惨な殺害となる可能性はあるが、同時に、これは彼らができることの限界をも示している。残念なことに、彼らは、社会的な排除と日常の人種差別主義の経験によって生み出されている恨み(うらみ)の感情を利用することによって、殺人行為に手を染める弱い精神を今なお見出すことができるのだ。
『ランティ・カピタリスト』紙(二〇一七年六月一五日、三八八号)

パキスタン

カシミール民衆の声を聞け

ジャム・カシミール・アワミ
労働者党(JKAWP)が発進

JKAWP

 ジャム・カシミール・アワミ労働者党(JKAWP)の名をもつ新党が、新しい路線に立った運動を建設するジャム・カシミールの進歩的で民主的な諸勢力を組織するために形成された。

現地民衆の関与
問題解決に必須


この新党形成の公表に際して、JKAWP暫定議長のニザル・シャーは、パキスタンはアザド・カシミールをジャム・カシミール州の独立した自治地域として受け入れるべきだ、と要求した。それは、カシミール問題に関しパキスタンが国際社会を説き伏せることができずに来たがゆえに、カシミールの運動をカシミール指導部によって独立して推し進めるためにだ。この問題は事実として、パキスタンの代理戦争ではなく、ジャムとカシミールの一五〇〇万人にぼる民衆の将来の問題なのだ。
カシミール問題に関する七〇年にわたるパキスタンの外交は、失敗に帰したことが証明されている。ジャム・カシミールの分割された国家の両側で、深刻な諸々の人権侵害が行われ続けている。しかし、この問題に関しては影響力のある国際社会の声はまったくない。
国連と他の国際諸会議は、この問題をインド・パキスタン紛争の枠組みの中でのみ主張した。これらの諸会議は次々と、この問題の深刻さに関し回避を続け問題を直視していない。ジャム・カシミールにおける人権侵害についてインドを批判する用意のある者はまったくいない。パキスタンはこの紛争の最初の日から、カシミールの指導部が国際社会の前に彼らの主張を提起することを許さなかった。
現実に、カシミール問題に関するインドに対抗するパキスタンの立場を支持することに同意する国は、世界に一国もない。この状況は、カシミールの指導部に国際社会の前に彼らの声を示すことを許すならば、改善可能だ。JKAWPの指導者たちは、ジャム・カシミールの紛争対象となっている諸部分が完全な自治地域として受け入れられ、これらの地域の指導部がこの対話プロセスの一部となる場合にのみ、対話をめざすみのり豊かな結果は可能になる、と語った。
カシミール問題は、亜大陸の分割に関する二つの宗教国家路線により取り扱われてはならない。それは、ジャム・カシミールの主権ある国家の定義の下に議論されなければならない。その国家は、亜大陸分割計画の下で藩王国の将来に対し確定された定式にしたがって、彼らの将来を決定する権利を保持していたのだ。

民衆の諸権利保
護を両国に迫る

 インド・パキスタン対話が新たな外交にしたがって始められなければならない。対話プロセスにおける行き詰まりのために、カシミール情勢が日毎に悪化し続けているからだ。JKAWP指導部はこう語った。カシミールの数え切れない無実の人々が、国境の両側からの越境砲撃のせいで殺害され続けている。しかしながらその影響を受け続けているのはカシミール民衆だけではなく、パキスタンやインド出身の人々もまた同じく貧困、失業、医療問題に今も直面している。
全住民の約四〇%は貧困ライン以下で暮らしている。両国の支配階級には、彼らの大衆にパン、平和、繁栄を提供する用意がない。彼らは核武装化を高めつつせわしなく兵器を生産し、戦闘と過激主義を煽り続けている。結果として、過激主義諸勢力は持ち上げられ続けている。大衆は、過激主義の目標達成に向け、宗教、宗派主義、レイシズムを基礎に分断され続けている。
JKAWPは、平和、繁栄、真の労働者と民衆の民主主義を求める進歩的な運動を推し進める固い信念をもっている。党は、インドとパキスタンの支配階級、また文民と軍の官僚を、分断されたジャム・カシミールから彼らの部隊を撤退させることに向け後退させるために、進歩的、民主的、また平和を望む諸勢力との関係を広げるだろう。両国が、彼らの民衆の諸権利を保護するためにこの問題と他の国内問題に真剣に取り組まなければ、この全地域が永久の平和と繁栄を得ることは不可能だろう。
JKAWPはまた二三人からなる委員会をつくり、三ヵ月以内に組織構造をつくりあげ、全国大会を組織するだろう。(二〇一七年五月二一日)
(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年六月号)


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