7.7
地域から沖縄とつながろう
辺野古基地建設強行許すな
東京東部地区反戦集会
【東京東部】七月七日午後六時半から、東京・錦糸公園で「辺野古新基地建設の強行を許さない!7・7東京東部反戦集会」が沖縄の闘いと連帯する東京東部集会実の主催で開かれ、労働組合、市民団体など一八〇人が参加した。
地公労事務局長の山崎さんが、「都議選の結果は安倍政治にノーをつきつけた。沖縄における米軍基地の押しつけは変わっていない。沖縄民衆と共に闘う」と主催者あいさつを行った。次に、沖縄現地支援行動(六月八日から一一日)の報告が行われた。六月八日、嘉手納基地、普天間基地視察、キャンプ・シュワブ前座り込み。九日、抗議船乗船、キャンプ・シュワブ前座り込み、一〇日、キャンプ・シュワブ前座り込み、一一日、カヌー体験(辺野古浜)。参加は一二人、そのうち五人が初参加。参加者の発言「初めて参加した。現地を見て闘うと全然違っていた。抗議船で大浦湾を見た。広い海で、こんな所を埋めるなんてとんでもないと思った。何しろ現地に行こう」。「機動隊も警備員もみんな沖縄出身者。沖縄同士が対立させられている。こんなひどいことはない。これをやめさせることがわれわれのやることだと思った」。
自分たちの課題
としての沖縄
続いて、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロックの仲間が報告した。太田元沖縄県知事と同じ父親が鉄血勤皇隊の学生だったと明らかにし、沖縄の現状への怒りと闘いの熱い思いを語った。
「四月から辺野古で違法な埋め立て工事が始められた。七月一日からは高江でヘリパッド建設の工事が再開された。一九九五年少女暴行事件があり、基地の縮小ということで普天間基地閉鎖が約束された。それにもかかわらず、代替で辺野古に新基地建設が決められた。二〇年経っているが基地の縮小なんてなされていない。沖縄の人々は人権を尊重してくれ、これからの世の中を考えて闘っている。そして、琉球の歴史を理解し、民族の意識に目覚めている。二〇〇人集まれば、辺野古の埋め立て工事が止められる。この夏が正念場だ。沖縄に行こう」。
集会の最後に、「わたしたちは、『支援』ではなく、自分たちの課題として沖縄につながろうと運動を続けてきた。今辺野古、高江は大変緊迫した状況にある。ぜひ沖縄へ座り込みにいこう! そして東部地域の仲間に持ち帰り、もっとこの現実を訴えていこう」と集会アピールを採択した。コールと団結がんばろうを行い、錦糸町から亀戸駅までデモ行進を行い、沖縄基地建設反対の声を届けた。(M)
7.3
辺野古実・月例の防衛省行動
破綻を露呈する高江の工事
現地と結んで基地を止めよう
ヘリパッドは
使わせない!
七月三日午後六時半から、辺野古への基地建設を許さない実行委員会が月初め定例の防衛省への申し入れ行動を行った。三〇度を超す蒸し暑い夕方であったが、一三〇人が参加した。
最初に、環境NGOの花輪伸一さんが高江での工事再開問題について発言した。
「六月二五日に東村で一〇年目の闘いに入っている高江の闘争について報告会を開き三五〇人が参加した。昨年一二月にヘリパッド建設工事は完了したと言っていたが、側面が崩れたり、ヘリパッドの一部が陥没したり、海に赤土が流れ出したりしている。さらに、六億円の建設予算が九〇億円に膨れあがっている。そのうち六〇億円が警備費。四月からノグチゲラなどの営巣を守るために工事を三カ月中止している。この間も警備をしていて、ムダな税金を使っている。N1に車両が入り、工事を再開しようとしている。報告会では@オスプレイを飛ばさせないAヘリパッドを使わせないBヤンバルの森を再生させ、全体の返還を求めると申し合わせた。決してあきらめないと闘いの決意を固めた」。
次に沖縄に連帯する東部集会実行委の仲間は「六月八日〜一一日に一二人を現地行動に派遣した。七月二五日のカヌー海上デモへも参加する。毎月北千住駅、錦糸町駅で情宣行動を行い、七月七日錦糸公園で集会・デモを行う」と報告した。
7〜8月の攻防
に全力をあげる
続いて、沖縄から安次富浩さんが電話でアピールした。
「七月に高江で工事が再開されるので、高江・辺野古と二カ所での闘いになる。七月六日、高江三周年の闘い、七月二二日、キャンプ・シュワブ人間の鎖、七月二五日、海上デモ、八月一二日、県民大会を予定している。県議会の決議を受けて、翁長知事は辺野古埋め立て工事差し止め訴訟を提起する。八月一六日、オール沖縄で訪米し、アジア系労働組合と交流し、国際社会に訴える」。
「都議選で自民党が大敗した。これは安倍への批判が強まっていることの表現だ。アベ政治の崩壊が始まっている。稲田防衛相は発言を撤回しても弁護士としての資格が問われている。沖縄から責任を追及する。来年一月の名護市長選の相手方の候補者が決まりそうだ。いよいよ重大な闘いに入る。絶対に勝利する」。
辺野古埋め立てのために、大きなコンクリートブロックの「ケイソン」を受注しているのが、JFEスチール株式会社であり、その本社が神奈川県鶴見にある。ここへの抗議行動を行っている仲間が報告した。
「六月二八日に神奈川アクションなどが呼びかけて、JFE本社へ抗議行動を七〇人で行った。ケイソンを作っているのは三重県津の工場だ。昨年夏三重から本社にケイソンを作るなとする一万数千筆の署名を持ってきたが、本社は受け取らず持ち帰った。こんなひどい対応を許せない」。
MXテレビへの抗議行動の報告、東京都警視庁の機動隊派遣に対する住民訴訟の運動をやっている仲間が報告をし、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロックが八月一二日の県民大会に合わせて、東京でも集会を予定(まだ場所未定)しているので参加してほしいと訴えた。最後に、辺野古実が七月二二日、沖縄でのキャンプ・シュワブ包囲と合わせて、新宿デモ(午後2時新宿駅東口アルタ前、3時デモ出発)への参加を訴えた。この日の防衛省への申し入れはジュゴン保護キャンペーンセンターと東京東部集会実が行った。 (M)
7.8
沖縄戦首都圏の会10周年の集い
基地と差別に抗する証言
ハンセン病患者だった両親の思い
七月八日、東京・御茶ノ水の明治大学リバティーホールで「沖縄戦首都圏の会10周年のつどい記念講演会」が行われ、教室を埋め尽くす一一九人が参加した。
「沖縄戦首都圏の会」は「沖縄戦の史実歪曲を許さず沖縄の真実を広める首都圏の会」という正式名称。大江健三郎の『沖縄ノート』、家永三郎の『太平洋戦争』、中野好夫・新崎盛暉の『沖縄問題二〇年』などの著作で日本軍の赤松大尉などが沖縄の県民に対し、米軍の侵攻に当たり軍命によって「集団自決」を強要したという記述は事実に反し、名誉棄損だとして赤松の遺族らが訴えたことが会結成の契機になっている。
当時「新しい歴史教科書をつくる会」に代表される歴史修正主義者たちは、日本軍の戦争責任を指摘する歴史記述を敵視するキャンペーンを展開していたが、同裁判はその一環だった。なお大江・岩波裁判は二〇一一年四月二一日の最高裁判決で、大江・岩波側の勝訴が確定している。
この日の集会の記念公演は土木技術者で、両親がハンセン病の元患者だった奥間正則さんが行った。奥間さんはまず土木技術者という専門家の立場から、高江のヘリパッド建設工事がずさんで、すでに崩落が始まっていることを明らかにしていった。
「私は土木工事の技術者で、三〇年近く現場の責任者として沖縄県や国道工事、防衛局の工事などの公共工事の現場管理に携わってきたが、高江のヘリパッドについては公共工事にあるまじき施工が行われている。返還後のヘリパッドではN─1(b)とHのヘリパッドの斜面が崩落している。防衛局は補修作業を行ったと言っているが、あくまで応急措置であり、降雨時には同じことが繰り返されるだろう」。
奥間さんは現場の写真を示しながら、ずさんきわまる工事の実態を暴き出した。奥間さんが基地反対闘争に参加したのは二〇一二年九月に宜野湾市の海浜公園で行われた基地反対集会以後のことだという。
非人道的政策
への怒り根源に
奥間さんは、さらに基地反対闘争の中で、ハンセン病患者だった両親の抱えていた苦悩についても深く考えるようになったという。奥間さんは幼稚園のころまで奄美大島の和光園というハンセン病患者の療養施設にいた。そこでの記憶はかすかなものだ。ただ両親の故郷である沖縄に越してきた後も、年に一回注射を打ち続けられていたが、それが何のためだったか分からなかった。父親は差別の中で酒におぼれ、母親に暴力をふるい、母親は子どもだった奥間さんを連れて実家に帰った。
二〇一三年ころから父が自らの体験した苦悩について手記を書くようになり、そのパソコン入力を依頼されて初めて、父親の受けた差別、苦悩を知るようになったという。奥間さんは高江の闘いの中で、ハンセン病での差別と重ね合わせて沖縄に課せられた基地の重圧について語っている。
「アメリカと戦争をしていた日本は、本土上陸を防ぐために沖縄を犠牲にして戦場と化した沖縄の地に、当時の敵国であったアメリカのために基地を新たに造るという国策」「『らい予防法』という名目でらい病患者を徹底的に根絶するために断種・堕胎という非人道的な政策のもとで弱者を排除してきた国策」と。
奥間さんの話は、差別の根源と闘うことの意味を、改めて私たちに考えさせるものだった。 (K)
フィリピン・ミンダナオからの訴え
マラウィ市の住民・避難民に緊急の人道支援を
宗教対立を超え、自治・民主主義・エコロジーを
フィリピン南部ミンダナオ島マラウィ市でイスラム武装勢力と国軍の戦闘が続き、戒厳令が施行されている。住民たちの人道支援団体から緊急の支援を求めるアピールが発せられた。この訴えに呼応して「国境なき欧州連帯」の仲間がカンパを呼びかけている。ともに連帯の意思を届けよう。(「かけはし」編集部)
報道されているようにフィリピン・ミンダナオのマラウィ市を中心にイスラム武装勢力とフィリピン軍の戦闘が激化し、住居を追われた人たちや市内に残った人たちが不安と、過酷な条件の下で日々を過ごしています。
私たちのフィリピンの仲間たちはミンダナオにおいて、宗教対立を超えて、キリスト教徒とイスラム教徒と先住民族が共存する自治と民主主義とエコロジーの社会を目指して、厳しい状況の下で活動を続けています。
私たちの仲間も参加している人道支援団体「ラナウ災害救援・再定住支援センター」(RDRRAC、https://rdrrac.wordpress.com/about/about-us/ )は五月二七日付で緊急人道支援のアピールを発し、それに応えて世界各地からカンパが寄せられています。
この支援活動をより大きく広げるため、「国境なき欧州連帯」(ESSF)はオンライン寄付の取り扱いを始めました。PayPalを利用して集められた寄付は速やかに「ミンダナオ人道的行動ネットワーク」(MiHANDS)を通じて現地に送金されます。
私たちは「ラナウ災害救援・再定住支援センター」と「国境なき欧州連帯」の呼びかけに応えて、日本からも多くの人々がオンライン寄付に協力していただくよう訴えます。
現地の状況は日々深刻化しています。マラウィ市の市民、避難民に緊急の支援を! そしてフィリピンの仲間に限りない連帯を!
(呼びかけ:喜多幡佳秀、国富建治、酒井与七、星川洋史、武藤一羊 あいうえお順)
オンライン寄付の方法
@「国境なき欧州連帯」(ESSF)の英語ページにアクセスする
http://www.europe-solidaire.org/spip.
php?page=
sommaire&lang=en
A右側の PayPal のロゴを見つけてクリックする。ESSFへの寄付のためのPayPal画面が表示されます。
フランス語で表示されますが、「支払地」(「pays : France」となっているところ)を「Japon」に変更すると日本語の表示に変わります。→指示に従って入力してください。
寄付額はユーロで入力する必要があります。七月六日現在、1ユーロは約一三〇円です。
注意:途中でセキュリティー確認のために、画面に表示されている画像の中の文字を入力するよう求められます。文字を正しく入力すれば次の画面に進みます。
Bすべて正常に完了すると確認画面が表示され、この画面から領収書を印刷できます。
(本紙国際面に関係記事)
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