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    かけはし2017.年7月17日号

「生前退位特例法」は違憲だ


インタビュー:天野恵一さん(反天皇制運動連絡会)に聞く

新たな「天皇代替わり」とどう闘うか

 六月九日、与野党の事実上の「全会一致」で、「天皇生前退位特例法」が成立し、六月一六日に「公布」された。天皇の強い意思を立法化するという明白に違憲の法律が、議会内でほとんど何の論議もないまま成立するという異常事態である。この現実にどう立ち向かうか。昨年八月に続き反天皇制運動連絡会の天野恵一さんにインタビューした。〈編集部〉


――去年の八月に天皇自身による生前退位のビデオ放送があった直後に天野さんにこの問題をどう考えるかについて伺いました(本紙二〇一六年八月二九日号掲載)。あの放送をきっかけに、有識者会議などが設定されてばたばたと法案成立にまでこぎつけ、事実上全会一致で「生前退位特例法」成立にまで進んでしまいました。新聞で特例法が今日(六月一六日)公布された、という記事が出ています。特例法が成立したのは六月九日ですが、公布は今日(六月一六日)です。
 私たちをふくめ、反天皇制運動をやっている仲間たちは、生前退位特例法に反対して先日、吉祥寺でデモを行いました。昨年一一月に、同じ吉祥寺で、立川の仲間たちが中心になって呼びかけたデモは、右翼のめちゃめちゃな暴力と、それを放置した警察によって甚大な被害をこうむったのですが、そのリベンジの意味も込めて集会・デモを行いました。その後で、全国の仲間と連携しながら、「代替わり」に向けてどういう行動を準備していくべきかについて論議しました。
 今回の特例法が作られた現実を、どう考えるか、天野さんの意見を聞きたいと思います。

「公的行為」明文化の違憲性

 先のインタビューの時もお話ししましたが、昭和天皇のXデーの時のような全社会的な病状報道の大騒ぎ、「自粛」強制といった緊迫感がない中で、むしろそういう事態を作らないという天皇の意図の下にしかけられた状況での闘いの作り方は困難でした。しかしその中で、小さな集まりをはじめとしていろいろな動きが作り出されました。代替わり状況にさらに入る中で、その渦が広がるようになっていると思います。
今度の「特例法案」について言えば、その法律作りのプロセス自身、憲法原則から言って許されないはずのことをどんどんやっているものですね。天皇の意思で働きかけが行われ、それを有識者会議で論議し、さらに国会に持ち込んで成立させてしまった。一番重大なのはこのプロセス自体の違憲性を、正面から批判する言論がほぼなくなってしまい、マスメディアが全体としてその枠組みに組織されてしまったことです。この過程に異論を投げかけるのは本当に少数でしかなかった。われわれは五月二五日に国会前で、法案成立に異議を唱える行動をしました(本紙六月五日号参照)。
例えば共謀罪法案についてはマスメディアでも「翼賛国会」という言い方がされましたが、この「退位法案」の作られ方の方が、はるかに「翼賛国会」です。国会での答弁そのものを全部省略してしまったわけですよ。「国民の総意」をイデオロギー化して、討論しないことを正当化した。議長が根まわしをして、各会派が意見調整して全会一致でまとまるような事前工作を行い、共産党は対案を出し、自由党は採決を欠席しましたが、結局のところ全会一致という形式に協力した。このプロセスそのものが異常です。そのことを全マスコミは問題視しない。
「安倍1強」の独裁政治が批判されていますが、厳密に言えば野党は反対討論をやっているわけで、かつての「翼賛政治」とは違う。近衛新体制運動の中で政党が解消され「翼賛政治」と言われましたが、「翼賛」の意味は親鳥の翼の中で子どもが庇護されるということで親鳥とは天皇です。「翼賛国会」は「翼賛マスコミ」を伴っています。「全会一致」で異論の余地が入らない。「皇位の安定的継承」が前提になっていて、「天皇制はいるのか、いらないのか」という批判の主張が入る余地はない。
存在しているのは「国体論」的右翼、神権主義型右翼の国体論に基づく反対だけで、「現人神」は祈っているだけでいいという主張になっている。それは安倍首相の暗黙の支持の下に、マスコミなどでも登場しましたが、異論はいずれにせよ天皇主義以外は存在しない、という状況になりました。
改憲との関係でいえば、天皇が自己規定した「公的行為」が明文化されたわけです。実際には公的行為を明文化することは安倍改憲案の先取りと言ってよい。実際にはこの点で、安倍改憲案と天皇政治の動きは同一の土俵に乗っている。この問題がまったく語られていないことは重大な問題でしょう。

この現実を「押し返す」ために


改憲に反対するというとき九条のみが問題にされている。権力の方はつねに九条と、一章改定による公的行為の拡大を同時に構想してきたのです。そうした天皇政治の部分的復権が改憲のねらいでした。
最初は戦前型の天皇政治も問題にされていたのですが、だんだん九条だけが問題にされるようになり、その九条も絶対的平和主義の観点ではなく、自衛隊の容認をふくめたものとなり一章についても天皇タブーに巻き込まれるようになっているのではないでしょうか。
天皇制問題は圧倒的な少数派の運動だから、圧倒的な多数派の運動にするには天皇問題に触れるのは不利だと考えるのはわかります。しかし歴史的に王政と対峙して立憲主義の原理はできたわけで、戦争法との闘いの中でも立憲主義の根源には天皇制との闘いがあったことを忘れるべきではない。なんとかこの問題を外さないで考えられないか、と思います。
あとは法文の違憲性ということです。あなたも会議の中で「退位特例法」の第一条の文章の異様な長さについて触れていましたが、あの敬語の入った句点のない長い文章は法律家の文章ではありませんね。あそこでは天皇の意思を明記して、公的行為を積極的に位置づける、どう考えても憲法に反する条文になっています。
でもね、憲法学者の高橋和之さん(東大名誉教授)は、「昭和代替わり」の時に『昭和の終焉』(岩波書店)の中できちっと批判の論陣を張っていましたが、彼が「世界」に掲載した文章は、「生前退位」の事前の正当化論になっており、「御用学者」化しています。樋口陽一さんも「被災地への巡幸」を無条件に擁護するという形で、立憲主義の当たり前のロジックが放棄されています。代表的な立憲主義憲法学者がこれですか? 一九三〇〜四〇年代の総転向に近い風景であり、憲法学者にとっては深刻な事態と言えます。
安倍の改憲政策を批判する人びとの中でも天皇の行動に「翼賛的」に対応する人も多く、リベラルな人が明仁天皇を評価するという事態が見られます。復古的・強権的政治への「明仁の反乱」と事態を捉えて、そこに依拠して「天皇制万歳」の街宣右翼イデオロギーを批判する人も出てくる。この法案への態度に、それが象徴的に出ている、といっていいでしょう。
法案作りのプロセスも法案そのものも、象徴天皇制の「国事行為」、さらに「公的行為」が「国家の尊厳」をイデオロギー的に維持するためのものだという考え方に貫かれています。私たちにとって重要なのは「平和主義・人権・民主主義」の積極的な意味をマイナスの側から規定しようとする天皇制に対して、民主主義・人権・平和主義で押し戻すことであるはずです。

超憲法的「皇室自立主義」


戦後の運動に内在した象徴天皇制批判は、人権を国家を超えて考える、ということであり、天皇制はそれと矛盾するはず、ということでした。今こそ平和・人権・民主主義を反天皇制の側から規定しなおすことが問われるでしょう。
あなたが集会で紹介した茶谷誠一『象徴天皇制の成立 昭和天皇と宮中の「葛藤」』(NHK出版)は、戦後の象徴天皇制を「立憲君主制」ではないもの(「象徴君主保持国会制的間接民主国」)として規定しており、具体的に明示された形式的国事行為以外やってはならないものとしています。戦後、象徴天皇制を「君主制」という人はむしろ少なかったのですが、それがうまく使われたと思います。
戦後、象徴天皇制が残されたとき、それを「君主制」だと考える人はむしろ少なかった。象徴天皇制が残されたときに「国民主権原理」との関係で、未来は天皇をなくすことができると考えた。戦前の皇室典範は憲法と並ぶ最高法規であり、そうしたシステムは立憲主義とは言えない。それは超憲法的な規定であって皇室の自立性は自明の前提だった。
しかし戦後の憲法の下では皇室財産も国会で管理されるものとなったわけですが、今回の事態は逆に「皇室自立主義」の復活とも見なされる。裕仁は皇室典範改正の発議権に最後までこだわったとされています。しかし今回は、事実上、明仁天皇が発議する形で皇室典範を変えてしまったわけです。これを「評価」する人、護憲憲法学者たちは一体、何を考えているんだろうと思います。〈国体〉の「新しい装い」が民衆の総意というイデオロギーで復活してしまっている。この「とんでもなさ」を、ちゃんと整理すべきです。

討論・行動の場を広げよう


「生前退位問題に関する有識者会議」(正式名称は「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」)の座長を務めた御厨貴は、天皇の「生前退位メッセージ」に関して「土俵から足が出た」と言いましたが、実際には全面的に土俵を踏み越えたものでした。これは天皇による全面的な違憲行為だったにもかかわらず、それにベールをかぶせる役割を果たしたのが「有識者会議」でした。
安倍政権は、有識者会議に自分を支持する右翼天皇主義者を巻き込んで、少し説得させたわけです。憲法は天皇が生きたまま退位することを前提にしていません。これはかなりの大改革です。それは安倍が右翼政治家だからできたことと言えるでしょう。ここで天皇と安倍の意向がハモってしまったわけです。
そこで今の「眞子」の結婚騒ぎとの関係について。この間、法案作りのプロセスに天皇の意思をかませるというという動きが明らかになっていますが、それは女性宮家創設問題とも関わっています。安倍首相は「宮家」を立てざるを得ないし、しかし「女性天皇」を作らせないためにも「天皇家直系」の男性を見つけ出して、女性宮家と結婚させざるをえない。その状況で、「眞子」が結婚を発表せざるを得なかったのは、とんでもない男との結婚を強制されないため、という話も女性週刊誌などに飛び交っています。
「眞子」の結婚に当たって、彼女に支出される皇室予算からのカネは一億三千万円だと言われています。子どもの貧困率で日本が先進国中最悪だと言われている状況で、新たに女性宮家を増やし、特権階級としての皇族を拡大する政策への批判を前面に押し出すことも反天皇制運動の側では重要だと思います。
ここで運動との関連について。偶然読みなおしたフランスの一九六八年「五月反乱」のヒーローだったコーンバンディーは『左翼急進主義』という著書の中であの時代も「どれくらいの人が討論に参加するかに応じて、行動が急進化していったこと、討論の渦の中で人々の意識が変わっていったこと」を明らかにしています。
べ平連(ベトナムに平和を市民連合)の経験では、デモが終わった後の「飲み屋」での討論の渦の中で人間が変わっていった、と吉川勇一さんがよく言われてました。
しかし今、「ネット空間」では討論を避けようという気分が広がっているようです。この討論の場が衰弱していることが、大きな問題です。無数の討論の場を作り出すこと、デモに来れば天皇制が実感を持って理解されるような行動と討論の渦を作ることが大切です。
昭和天皇の「代替わり」の時のフォーラムは、「天皇制」という土俵でいろいろなテーマでの討論が繰り広げられ、自立的な形でさまざまな切り口による分科会が行われ、それらが合流する形でその中で天皇制の戦争責任や、「公務」とは何かという問題、などについて深められた論議が行われました。
かつての闘争が何だったのかを検証し、運動の作り方についての討論の場も作っていきました。
来年は明治一五〇年の式典が準備され、天皇の「代替わり」とともにナショナリズムの機運が広がる中で、東京オリンピックへ向けて改憲の舞台装置が作り出されていく年となります。全国的連携を強めながら小さなキチンとした討論のある行動をたくさん各地で積み上げていきたい。      (六月一六日)
(聞き手:「かけはし」編集部:国富)


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