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    かけはし2017.年7月3日号

今こそコービン支え共に決起を


英国

総選挙結果と急進派の新たな任務

新たな世代と結んで反緊縮の大逆襲を

アラン・デービス

労働党にとって
の明らかな勝利

 総選挙結果は労働党にとって一つの勝利だ。党は政府を形成できる十分な議席には僅か足りないところに置かれたとはいえ、ジェレミー・コービンは、一九四九年以後の選挙キャンペーンの全体を通じての、一つの多数派政党からもう一つへの、最大の転換をみごとに引き出した。世論調査は労働党に対して二六%か二七%の得票率を予測したが、それはこの夜四〇%の結果として終わった。それは一二八〇万票を意味している。これは、二〇〇一年あるいは二〇〇五年にブレアが得た票を上回る。
公表された全六五二議席に対して、保守党は一三議席減の三一八、労働党は三二議席増の二六二、SNP(スコットランド国民党)は二一議席減の三五、自民党は三議席増の一二、ウェールズ民族党は一議席増の四、緑の党は一議席維持、そしてUKIP(英国独立党)は一掃された。
投票率は二%上昇し、一九九七年以後の最高に達した。若者たちの投票率は近年では前例のないもの――七二%と見積もられている――だった。UKIP支持票は崩壊し、辞任することになった党指導者のポール・ナッタルは、ボストンとスケグネスではるかに引き離された三位となった。
労働党はスコットランドとウェールズ双方でも、かなり前進した。スコットランドではSNPは依然最大政党だが、保守党は彼らから一二議席を奪い、労働党も六議席、自民党も四議席を得た。労働党はウェールズでは、ゴワー、カーディフ・ノース、ヴァレ・オブ・クリュードを保守党から奪い返した。

年末待たずの
選挙も視野に


ジェレミー・コービンとジョン・マクドネルが少数派政府をつくる用意がある、と語っているのは適切だが、メイもまたそうしようとすることははっきりしている。それ故結果は、単なる宙吊り議会(多数派政党が存在しない議会:訳者)ではなく、危機のつまった保守党と北アイルランドのウルトラ保守である民主統一党(DUP)――欧州で社会的にもっとも保守的な政党の一つ――間の事実上の連合に基づく、宙吊り議会の中ではもっとも華奢かつ不安定なそれだ(注)。
DUPメンバーは、気候変動を否認し、妊娠中絶と同性婚に反対し、ほとんどは聖書の創世神話信者だ。その候補者たちは、ウルスター防衛協会から承認されたのだが、この協会は、現在は不正な金儲けや麻薬取引に関わっているセクト主義的殺人者集団だ。この即席的取引は保守党に二議席差の多数を与える。このことがたとえ土台になるとしても、それは極度に不安定なものになりそうであり、それ故われわれは、年末以前のもう一つの選挙に向け準備しなければならないだろう。

英国政治の中に
地質学的移行が


労働党選挙キャンペーンは壮観だった。そして巨大な影響を及ぼした。結果はジェレミー・コービンにとっても個人的な勝利だ。彼は、キャンペーンの始まりから最後まで、もっとも残忍なやり方でけなされたのだ。保守党は、二件の恐るべきテロ攻撃を彼らを利する形で利用することもできなかった。
党の政策集は、それが街頭に達するや否や選挙キャンペーンの政治を変えた。それは、有権者登録を行い、キャンペーンに加わり、彼らが参加した初めての選挙で多数のために票を投じるよう、数十万人の若者たちを決起させた。引き続く政府によって裏切られ、利用されてきた若者たちは、徹底的に逆襲をかけた。
われわれは今、英国の政治の中にいくつかのレベルで起きている地質学的な移行を見ようとしている。労働党の反緊縮選挙政綱は、ブレグジット投票に引き寄せられた同じく周辺化された人びとの多数に影響を与えた。この投票は、緊縮に対する大規模な拒絶――英国政治に原理的な変革をもたらす――だ。労働党が今推し進めている類の急進的なオルタナティブに完全に心を開いた、新たな世代が初めて光景に登場している。たとえば、一七〇年間保守党であったカンタベリーを労働党に渡したのは学生の票だった。
コービンは今党内で強力な立場にいる。彼の信用を傷付け、彼を取り除くために二年間キャンペーンしてきた労働党右派は、政治的に打ち破られ、いくつかの決定を行わなければならない。彼らがコービン主義に関し行った予測のすべては間違いだったことが分かった。今こそコービンを支え共に立ち上がるときだ。
この情勢の中で急進的左翼の仕事ははっきりしている。あなたがまだそうしていなかったのであれば、コービン運動に合流し、労働党を民主化し変革するために、彼を助けよ。彼が始めた政治的軌道を深め、次の選挙が到来する際またその間、それを闘う用意を整えて立ち上がれ。

▼筆者は、英国から選出された第四インターナショナル国際委員会メンバー。
(注)DUPは北アイルランドで議席数を八から一〇に伸ばした。シンフェイン(元々はIRA――アイルランド共和国軍――の政治部門を起源とする、アイルランド民族主義運動の政党)も議席数を四から七に伸ばし、一議席は無所属が確保した。シンフェインは自らの議席をウェストミンスターの議会で行使することはない。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年六月号) 

チュニジア

政治揺さぶる社会的要求

南部では沸騰点に

ファティ・カムキ/ドミニク・レルージュ

 二〇一一年以後、事実上チュニジアのあらゆるところで、社会的な諸要求が不満にエネルギーを注ぎ込み続け、政権の安定化を妨げてきた。この現在の例が、原油と天然ガス生産のかなりの部分が行われているタタオイーヌ地域だ。

3月からの決起
進展の経過概略


三月一六日―UGTT(チュニジア労働総同盟)はこの地域で特に強まっているこの圧力を前に、近年数々の紛争が起きていた石油部門でゼネストを呼びかけた。このストライキは、カナダ企業のウィンスターが二四人の従業員を解雇したことを受けて起きた。ちなみにこの企業は、この地域の社会的、経済的開発に関与することを拒否している。

四月八日―大量の雇用創出方策を求めている解雇された若者たちは、タンクローリーを使って道路を占拠した。彼らは全住民が参加するゼネストを四月一一日に行うよう呼びかけた。

四月一一日―タタオイーヌでは、いくつかのパン屋、薬局、地域病院を除いて、全活動が停止した。決起した人々はさらに、タンクローリーを除く通行も許可した。

四月二三日―数千人の若者たちが、軍隊によって守られた原油生産地区近くでの無期限座り込みを組織した。

四月二七日―タタオイーヌへの訪問の中で首相は、臨時的で低賃金の二五〇〇人分の職をつくり出す、そのうち五〇〇人分は即刻、と提案した。彼は「仕事、自由、尊厳」との声を突き付けられ、その声が絶えず殺到することを避けることができなかった。

五月七日―人々は大挙して座りこみ支持のデモに立ち上がった。

五月一六日―政府は新たな提案を行い、そこには石油企業による一五〇〇人の雇用、他の部門における二〇〇〇人分の臨時職の創出が含まれていた。決起した若者たちのいくらかはこの妥協を受け入れ可能だと思った。しかし他の者たちは、それを拒否し、石油生産操業の封鎖を続けた。

五月二〇日―デモ参加者たちは、軍からの威嚇発砲にもかかわらず、チュニジア南部における主な天然ガスポンプ所の操業を止めることができた! これは、この国における原油・天然ガス採掘が始まって以後では、半世紀以上経験したことがなかったことだ。

五月二一日―治安部隊は、原油・天然ガス採掘サイトの封鎖をあらゆる手段で阻止せよ、との命令を受けた。

五月二二日―治安部隊が生産サイトを封鎖しようとしていた若者たちに介入した。そして若者一人が殺害され、他に五〇人が負傷した。タタオイーヌに隣接する町では、この日ゼネストが呼びかけられ、暴力的な衝突が起きた。国中では他の多くの町でも決起が起きた。

石油企業利益の
社会還元を要求


デモに決起した人々は、職の即刻の創出に加えて、この地域の経済開発向け基金に、利益の二〇%を拠出するよう石油企業とガス企業に強制することを望んでいる。この要求は、基本的にイスラム勢力のアンナハダと旧体制出身の名士たちの一定部分からなる、新自由主義の連立政権から断固として拒否されてきた。
政府は何年もの間、尊重されることのない約束を行い、あるいはそうした協定に署名してきた。職のない若者たちは今回、そうしたことがとがめなくやり通されることを放置しない、と決意している。
彼らの一人は「二〇一三年、この町の中心広場の占拠が何カ月も続いた後、雇用主団体代表の職場における数十の職のあてがいでわれわれは追い払われた。社会保障の適用がまったくないこの契約は、六ヵ月で終わった」、そして今回「市民社会も、諸政党も、またUGTTも、われわれに代わって交渉することはないだろう」と語った。
この理由から各々の決定は、最初は座り込みの場での、次いでそれらの調整会合の場での投票を経て行われている。メンバーの一人は「われわれは透明性を保ち、座り込み参加者すべての願いを尊重しようと挑んでいる。これは、われわれ内部の投票と相談を通して可能になる。われわれは、われわれの要求とわれわれが政府に提案する解決策の詳細すべてを討論して、われわれの全時間を費やしている」と語った。

天然資源の国
有化が話題に


この国有化の問題は要求政綱の重要な部分を形づくっているわけではないが、多くのデモ参加者からもち出されている。「原油・天然ガス採掘のための何千というポストのうち、タタオイーヌの若者に当てられているのはわずか二〇〇〜三〇〇にすぎなかった」、「外国企業はチュニジアがまだ植民地であるかのように振る舞っている」。その急進主義にもかかわらず、この運動は、この国全体で相当に幅広い民衆的支持を得ている。

▼ファティ・カムキは、人民戦線から選出された国会議員。人民戦線は、チュニジアの左翼政治組織のほとんどを含んでいる。
▼ドミニク・レルージュは、フランス反資本主義新党と第四インターナショナルのメンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年六月号)  

パレスチナ

声明

ハンスト決起参加者を讃える

第四インターナショナルビューロー
2017年5月31日

 四月一七日から五月二七日まで、イスラエルの牢獄に拘留されているパレスチナ人政治犯一〇〇〇人以上が食事をとることを止めた。このヒロイックなハンガーストライキ運動は、二つのスローガン、すなわち自由と尊厳、を軸に組織された。囚人たちは、彼らの拘留条件の改善(医療ケアの利用、面会権の拡大、電話利用、その他)、そして管理者都合の拘留や孤立化といった、イスラエル当局による一定の行為の停止を求めていた。
 イスラエルはこの前例のない運動に直面して、「テロリスト」と交渉すべきことは一つもないと説明することで、いわば対決を選ぶと決定した。何人かのイスラエル公人は、アイルランド政治犯が行った一九八一年のハンガーストライキにおけるサッチャーの姿勢に言及することまで行った。そこでは、ストライキ決起参加者の内一〇人が死んだのだ。パレスチナ人ストライキ決起参加者は、制裁、圧力、虐待にさらされ、イスラエルは、彼らがこの行為を続けるならば無理にでも食わせると脅した。
 四〇日間のハンストを経て、囚人たちは彼らの要求のほとんどについて実現させた。全政治党派を含むメンバーによって遂行されたこのストライキは、囚人たちの決意を表す一つの示威だった。しかしそれだけではなく、それらが制度化された権力の直接的利害関係から離れて統一的やり方で遂行される時の、パレスチナ人の決起がもつ力の示威ともなった。この決起は、解放の戦略を住民全体に提起する上で、乏しい物質的利益と象徴的な利益を守るために汲々とし、互いの競合関係に陥っている、ガザとラマラの指導部の無能力とは鮮明な対照性を示した。
 帝国主義諸大国の後押しを受けた極右政権を前に、そしてそれがパレスチナにおけるイスラエルの入植地確保を強化し、広げている中で、パレスチナ民衆は、解放に向けた綱領、戦略、そして指導部の欠落に苦しめられている。新しい世代は、兵士や入植者に対する個人的な攻撃の上昇をもって、この二年間闘争に入り込んできたがその中で、一方におけるハマス並びにPLOと他方における住民間の溝は、これまでにないほどまで広がることになった。
 このことを背景に置けば、何日かのゼネストや定例的デモをもって、占領軍から暴力的に追い散らされつつ、政治犯たちの運動がパレスチナ領域で幅広く支持されたことはほとんど驚くことではない。このハンストがはらむ中・長期的波及力を過大評価はしないとしても、以下の点は心に留められている。つまり、この運動がパレスチナ人社会の重要な部分の再動員に、また反入植の展望を政治の光景に設定することに貢献した、ということだ。
 われわれは、政治犯たちの勝利に敬意をもってあいさつを送る。彼らに対するわれわれの連帯は全面的だ。そしてそれこそが、われわれが彼らの闘争を支援する国際的動員に加わってきた、またこれからも加わり続ける理由だ。われわれはそれを超えて、パレスチナ民衆の諸要求、つまりアパルト体制を終わりにすること、自決権、難民の帰還権、に対するわれわれの支持をあらためて断言する。
 われわれは、地域的にまた国際的に孤立させられたわれわれのパレスチナ人同志たちとの結びつきを維持し発展させ続けるだろう。そして、ボイコット―投資引き上げ―制裁(BDS)キャンペーンを提唱し続けるだろう。それは植民地権力を弱めるだろう。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年六月号) 

 


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