「愛も名誉も 名も残さずに…」。
5月18日午前、光州北区雲亭洞の国立5・18民主墓地で〈イムのための行進曲〉が響き渡った。ムン・ジェイン大統領をはじめとする参席者1万余人がみんな席から立ちあがって手を取り合い斉唱した。ムン大統領をはじめとする参席者たちは感情がこみ上げたように涙をぬぐった。ムン大統領が業務指示第2号として下した「〈イムのための行進曲〉斉唱」が実現した瞬間だった。9年ぶりのことだった。ムン大統領は「きょうの斉唱によって不必要な論難が終わることを希望する」と宣言した。彼が「ヘリ機からの射撃まで含めて発砲の真相や責任を必ず明らかにしぬき、5・18精神を憲法の前文に盛り込み改憲を完了する」と語った瞬間、そこかしこから歓呼と拍手がわきおこった。
ムン・ジェイン大統領が就任後、迅速に積弊清算作業のエンジンをかけている。彼は5月10日の就任以降1週間の間に下した5つの業務指示のうち3つを、以前の政府が行った「非正常」を「正常」に戻すことに割いた。?国定歴史教科書の廃棄?5・18記念式での〈イムのための行進曲〉斉唱?セウォル号惨事の際に犠牲となった期間制教師2人の殉職認定?検察「カネ封筒」晩さん事件についての検察への指示などが、それだ。ムン大統領はパク・クネ政府の時に行われたチェ・スンシル国政壟断事件の再捜査にも言及した。
積幣の清算はムン大統領の(選挙での)1号公約だ。ムン大統領は公約集「国を国らしく」で「イ・ミョンバク、パク・クネ9年の執権積弊の清算」を何にもまして筆頭に掲げた。パク・クネ政府の弾劾を導き出したキャンドルの民心を反映したものだ。ムン大統領は当時、「積弊の清算と統合は別々に進むものではない。破邪顕正の姿勢で誤ったものをあらため、統合された国を作らなければならない」と語った。積弊清算の後にはじめて統合、という順序を明らかにしたのだ。
イ、パク政府の我執から清算
ムン大統領は社会的合意や世論が後押しし、自らの権限でやることのできることからいち早く進めた。就任3日目の5月12日、第2号業務指示で「国定歴史教科書を廃棄し、37年目を迎える5・18記念式で〈イムのための行進曲〉を斉唱せよ」とした。ユン・ヨンチャン国民疎通首席は「国定歴史教科書は旧時代的な画一的教育や、国民を分裂させるビョンガルギ(組み分け)教育の象徴だ。これを廃止することは、これ以上歴史教育が政治的論理に利用されてはならないという大統領の確固たる意志が反映されたもの」だと説明した。指示はすべてムン大統領が候補の時節から約束していた内容だ。彼は「国際歴史教科書は前政権の清算しなければならない積弊」だとして、国定化禁止を積弊清算公約の4番目の項目としてあげていた。〈イムのための行進曲〉の斉唱もまた3月20日に光州5・18民主墓地を訪れた場で、「今度の5・18記念式にはぜひともこの歌を祈念の曲にしよう」と公約した経過がある。
国定歴史教科書はパク・クネ政府時節の、民心に逆らう代表的な政策として挙げられる。教育部(省)が2015年11月に国定化の行政告示を発表して以来、たえず論難につつまれてきた。内容的な面ではイ・スンマン、パク・チョンヒ元大統領らの美化や、大韓民国臨時政府の正統性を否認したとの批判が激しく起きた。形式的な面においても執筆者や基準などが公開されないまま「こっそりと」進められた。世論調査で「国定化反対」が70%をかるく超えたにもかかわらず強行することをやめなかった。税金44億ウォンをかけて編み出された国定歴史教科書の最終本では誤りが600カ所も大量に発見された。さまざまな支援策を使って募集した国定教科書使用の研究学校は、たった1カ所だけの申請にとどまった。教育部はムン大統領の指示以降、歴史教科書の国定化を主導していた歴史教育正常化推進団を5月末に解体する予定だと明らかにした。
〈イムのための行進曲〉斉唱もまたイ・ミョンバク、パク・クネ政権が作りだしたビョンガルギ式我執の結果物だった。この曲は5・18民主化運動記念日が政府の記念日に指定された1997年から2008年まで、参席者たちが斉唱した。だが2009年、イ・ミョンバク政府は記念式に参席した保守系の人々の反発を口実にして突然、斉唱のかわりに望む人々だけが歌う合唱方式に変えた。後を継いだパク・クネ政府は2013年6月、この歌を5・18の公式記念曲として指定せよ、と求める決議案が国会を通過したにもかかわらず無視した。行事への参加も就任の1年目が最初であり、かつ最後であった。ムン大統領は就任の翌日、〈イムのための行進曲〉の斉唱に先頭に立って反対してきたパク・スンチュン国家報勲処長の辞表をまっ先に受理した。青瓦台は「新政府の国政の方向や哲学と合わない」として辞表受理の理由を明らかにした。
青瓦台の政権引き継ぎチームのある関係者は〈ハンギョレ21〉との通話で「国定歴史教科書の廃止や〈イムのための行進曲〉斉唱の指示は、すべて『正常な』国家システムが作動していたならば行われはしなかったこと」であり「パク・クネ前大統領の弾劾や罷免へと連なった国政の空白期間があまりにも長かったために非正常なことを正常化する作業をいそいで行っているもの」だと語った。
檀園校期間制教師の殉職認定
ムン大統領はパク・クネ政府の4年の間に公企業の分野だけで22%も増加した非正規職の差別是正や正規職化にも着手した。彼は就任2日後の5月12日、電撃的に仁川国際空港公社を訪れ、非正規職労働者たちの正規職化を約束した。この席でムン大統領は「任期中に非正規職問題を必ず解決する。まず公共部門の非正規職ゼロ時代を開く、と約束する」と語った。仁川国際空港公社は12年連続で世界の空港評価1位に上ったが全職員のうち非正規職(6831人)が84%に達する。ムン大統領の発言後、チョン・イリョン仁川国際空港公社社長は「空港職員1万人がすべて非正規職から正規職に転換するようにする」と約束した。ムン大統領は公約集「国を国らしく」で「常時・持続的業務や生命、安全関連の業務は正規職として直接雇用し、出産・休職・結婚などの例外的な場合にのみ非正規職を使用するようにする『使用事由制限制度』を導入し、非正規職の規模をOECD(経済協力開発機構)の水準(平均18%)に減らす」として、まず政府や地方自治体の公共部門の常時的仕事場の非正規職を正規職に転換すると語った経過がある。
併せて「先生の日」である5月15日、ムン大統領は「セウォル号事故で亡くなった檀園高期間制教師を殉職として認定せよ」という第4号業務指示を下した。ユン・ヨンチャン国民疎通首席は「お2人の殉職を認めることによって先生に対する国家的な礼遇を尽くそうとする。今こそセウォル号の期間制教師の塾職認定をめぐる論難を終わりにし、遺家族を慰労するのが当然だ」と説明した。セウォル号の惨事当時、亡くなったキム・チョウォン、イ・ジエ教師は学生らを救おうとして船室に下りて行って犠牲になったものの、正教師ではないとの理由で3年余りも殉職を認められない状態だった。国家人権委員会も2人の教師を殉職として認定せよと勧告したが、人事革新処は「この人々は非正規職の教師であるがゆえに教育公務員ではないのであって、彼らの仕事も常時的な公務と考えることはできない」と主張してきた。
ユン・ソギョルなど改革的人物前面に
代表的な積弊ではあるものの至難の課題である検察改革にもシグナル弾はうちあげられた。ムン大統領は5月19日、ヒラ検事であるユン・ソギョル大田高検検事を検察内の「ビック4」と呼ばれるソウル中央地検長に抜てきした。ユン地検長は2012年、国家情報院のテックル(コメント)捜査チーム長として大統領選挙への介入容疑を捜査したあと、政権に憎まれて左遷された。以降、パク・ヨンス特別検事チームで捜査チーム長として活躍した。これに先立ちムン大統領は第5号業務指示を通じてパク・クネ、チェ・スンシル国政壟断事件を捜査した検察特別捜査本部の責任者であるイ・ヨンニョル・ソウル中央地検長とアン・テグン法務省検察局長間でなされた「トン(カネ)封筒」晩さん事件に監察を命令した。検察周辺では今回、検察内の人的刷新と共に高位高職者不正捜査処の新設、検察の捜査権調整など、核心的改革と相まって繰り広げられる可能性が高いとの予測が出て来る。
依然として全貌が明らかになりきっていないパク・クネ、チェ・スンシルの国政壟断やチョン・ユンフェ文献事件、セウォル号の真相調査妨害疑惑もまた再調査の堰が切って落とされた。ムン大統領は5月11日、青瓦台の参謀陣との昼食会でチョ・グク民情首席に言及しつつ「国政壟断事件の特検捜査期間が延長されないまま検察の捜査に委ねられ、国民が心配している。セウォル号の特調委もキチンと活動できずに終わった」と語った。再調査は法網を逃れたウ・ビョンウ前民情首席に焦点があてられるものと見られる。チョ・グク民情首席は前青瓦台民情首席室への調査方針に言及した。2014年末のチョン・ユンフェ文献の暴露当時、パク・クネ政府の裏ルートの実力者の疑惑が初めて提起されたが、青瓦台はパク・クネ前大統領が出てきて「ヨタ情報にでも出てきそうなそんな話で国中が揺れているというのは実に大韓民国として恥ずかしいことだと思う」と語り事実上、検察に捜査のガイドラインを引いた。以降、ウ・ビョンウ民情秘書官はチョン・ユンフェ文献事件をもみ消した功によって民情首席の座に昇進したものとして知られている。セウォル号特別調査委員会の真相調査に関しても民情首席室の介入や妨害があったのかを調査するものと見られる。
ムン大統領は人事においても改革的な人物を前面に押し出し、これからの改革の立場を鮮明にした。彼は公正取引委員長にキム・サンジョ・ハンソン大教授を指名した。キム教授は参与連帯財閥改革監視団長や経済改革センター所長を歴任した財閥改革論者として大統領選挙の際に陣営に合流して財閥改革関連の公約を組み立てた。またこれに先立ち青瓦台民情首席室傘下の反腐敗秘書官には国家情報院のテックル事件捜査を指揮した後、パク・クネ政府の報復人事の末に検察を離れたパク・ヒョンチョル前部長検事を任命した。
「恐ろしいほどに、よくやっている」
ムン大統領の積弊清算の最初のボタンは期待以上だ、との評だ。野党である「正しい政党」のイ・ヘフン議員さえ、発足後の一週について「率直に言って、恐ろしいほどによくやっているようだ」と言っているほどだ。ユ・チャンソン政治評論家は「これまで推進してきた積弊清算を見ると、国民らの変化の熱望を反映して比較的迅速にメッセージを出したようだ。まるで、かつてキム・ヨンサム元大統領が執権するやいなや推進した改革のドライブを連想させる」と語った。だが彼は、「これまでのところは、ややもすれば国会を経ずに大統領の指示によって行うことのできるたやすいことをしたと言える。カギは今後、高位公職者不正捜査処の新設をはじめとする検察改革や北核への対応、経済問題などを、広くリーダーシップを発揮して持続可能な改革をするのかだ」と語った。(「ハンギョレ21」第1163号、17年5月29日付、ソン・ヨンチョル記者)
朝鮮半島通信
▲韓国軍の合同参謀本部は、6月9日午前11時ごろ、韓国北部の江原道インジェの山の中で小型の無人機が墜落しているのが見つかり、軍が回収したと発表した。
▲6月8日の朝鮮中央通信によると、朝鮮民主主義人民共和国(以下、「朝鮮」)の「朝鮮平和擁護全国民族委員会」は7日、報道官声明を発表し、日本政府が朝鮮の弾道ミサイル発射を批判していることについて、「有事に米国より先に日本列島が丸ごと焦土になり得る」と警告した。
▲6月5日の朝鮮中央通信によると、4日、朝鮮人民軍の空軍による戦闘飛行術競技大会が開かれ、金正恩朝鮮労働党委員長が視察した。
▲韓国検察は6月9日、朴槿恵前大統領の妹、朴クンリョン元育英財団理事長を詐欺罪などで在宅起訴したと発表した。
▲6・15共同宣言締結から17年にあたり、朝鮮の祖国平和統一委員会は6月14日、声明を発表した。声明は、韓国の文在寅政権について「ホワイトハウスの主人を訪ねる見苦しい行脚の準備に慌てふためいている」と批判。「アメリカと結託して制裁と圧迫を露骨に追求している」とし、「アメリカの侵略的妄動を遮断するための措置をまず講じるべきだ」と主張。
▲韓国前大統領の朴槿恵氏は6月15日午前、ソウル中央地裁で開かれる第17回公判に出席した。
▲去年1月に平壌のホテルから政治のスローガンが書かれた掲示物を盗もうとしたとして朝鮮に拘束され、労働教化刑15年が言い渡されていたアメリカのバージニア大学の学生、オットー・ワームビア氏が6月13日、帰国した。
▲アメリカの元プロバスケットボール選手、デニス・ロッドマン氏が、6月13日から17日まで朝鮮を訪問した。
コラム
梅雨の日の映画鑑賞
ギターが一本あれば、無限のメロディを想像できる。カメラが一台あれば、世の中の理不尽を告発することができる。万年筆が一本あれば、人々を感動させることができる。そして世の中を変えることができる。そんな夢を、若い頃は誰もが抱いたのではないか。
こちらはパレスチナの物語である。「歌声にのった少年」(ハニ・アブ・アサド監督作品・二〇一六年九月公開)。自治区ガザで暮らす少年ムハンマドが、歌手をめざすサクセスストーリー。瓦礫の中を友達と走りまわり、悪徳業者に騙されながらもようやく中古の楽器を手に入れ、バンドを組んだ。未熟だが純粋な少年時代が前半である。
ムハンマドは最愛の姉を腎臓病で失う。手術代はもちろん、移植する臓器を手に入れるのも困難だ。病院の粗末な機器で透析の順番を待つ子どもたちの姿にも、占領地の厳しい現実が強く打ち出されている。
「アラブ・アイドル」というオーディション番組があるそうだ。本作は実話に基づいている。日本の「スター誕生」、スーザン・ボイルで広く知られたイギリスの「ブリテンズ・ゴッド・タレント」のようなものか。放送局のあるエジプトへ入国するため、あらゆる手段を講じる中盤は手に汗握る。
美しい歌声に感動した国境審査官は、偽造パスポートを黙認する。それでもまだ安心はできない。選抜会場には長蛇の列。入場券が必要だが、ムハンマドは持っていなかった。局の警備員に追われ、逃げ隠れたトイレで歌う。すると偶然それを聞いていた同郷出身者がチケットを譲ってくれる。こうしてスターへと駆け上がる階段が、いよいよ目前に迫る。
六月二五日。東京・お茶の水の中央大学駿河台記念館で、上映会が開かれた。NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」が企画した。完全予約制で一〇〇人限定。普通の会議室に横長の布切れでスクリーンを張り、プロジェクターで背後から投影した。カメラがパーンするシーンでは画面が波打った。手作りの映画館では現地産品の販売も。そしてムハンマドが優勝する感動のラストシーン。テレビを見ていたパレスチナの人々は歓喜に包まれ、この日の参加者からはすすり泣きが漏れる。
音楽を題材にした社会派映画には、「ブラス!」(一九九六年・英)がある。炭鉱労働者による「おやじバンド」と労働運動がテーマだ。何度観ただろうか。大好きな一本である。
特定秘密保護法、安保関連法、共謀罪。次は天皇退位と東京五輪、最後は改憲である。「この緊急事態に映画なんか見ている場合か」と叱られそうだが、パレスチナ問題も忘れまい。太陽が一度も顔を見せない梅雨の一日。子どもたちの笑顔と澄んだ瞳が、とてもまぶしかった。 (隆)
|