投稿
辺野古での活動に参加して
民間警備会社の違法な行動
林一郎
|
今回、六月二日に沖縄入りし、三日から八日まで、辺野古での新基地建設阻止行動に参加した。
前回(三月二二日から)の状況と比べると、辺野古キャンプ・シュワブのゲート前での警察権力の警備状況は、まさに強圧的であった。毎日、一〇〇〜一五〇台の大小砕石運搬車、生コン車、生コンプラント設備建設用の部材などが搬入されている。島ぐるみ会議ではゲート前の集中行動日を水曜、木曜、土曜日に設定している。何としてもこの三日間は資材を搬入させない日としていたのである。
しかし集中行動日でも午前中は、一五〇人、二〇〇人の座り込み体制が出来てはいるが、毎日の三〇度近い暑さの中では午後三時以降まで、その体制が維持できない。
沖縄防衛局は敏感である。ゲート前の座り込み人数が一〇〇人以下になると、沖縄県警の座り込み市民への強制排除が暴力的に行われ、「資材の毎日搬入」を強行し、座り込みを行う市民の闘う意志をくじこうとしているのである。今こそ「諦めないことが勝つこと」の強い意志が求められている。
最近では五月一九日から六月六日までの間に、四人が逮捕され、けが人も続出しているのだ。二日には機動隊の強行警備の中で、女性が頭蓋骨骨折、脳挫傷を起こし、緊急治療室に長期に入院させられている。明らかに沖縄県警の警備方針は暴力的に強化され、座り込みをする市民の誰もが「怖い」と思うほどの排除のやり方なのである。
そしてこの間、警察警備を補助、あるいは警察権力の前面に立ち座り込みをする市民に敵対するのが、民間警備会社の「アルソック(綜合警備保障株式会社)」である。
そもそも民間の警備会社は、「警備業法」により業務内容が限定されているのである。特に「警備業法」第一五条(警備業務実施の基本原則)では以下のように定義している。 「警備業務及び警備員は、警備業務を行うに当たっては、この法律により特別に権限を与えられているものでないことに留意するとともに、他人の権利及び自由を侵害し、又は個人もしくは団体の正当な活動に干渉してはならない」とあるのだ。
明らかに辺野古ではアルソックの行動は、この「警備業法」に違反しているのである。座り込む市民の前に立ちふさがり、「個人の自由を侵害し」「正当な活動に干渉している」のである。
この企業は、日中戦争時に中国で特高警察に勤務し、その後初代の内閣情報調査室(いわゆる、内調〜アメリカのCIA、イギリス秘密情報部とのパートナー組織)室長であった村井順氏により、一九六五年に設立された民間警備会社である。
この企業の経営陣、各支店責任者は、ほぼ警察関係からの天下り人事で占められ、下からの入社では出世はほぼないと言われている。
最近の米軍の戦争、イラク、アフガニスタンでの戦争などにおいては、民間の軍事請負企業が米軍の戦争物資の輸送、兵站業務を下請けし、「戦争の民営化」が進行している。つまり「戦争の商品化」が進行しているのである。
辺野古での「アルソック」の行動は、「車両搬入時の安全確保、交通整理」からはかけ離れた行動であり、警察組織の下請けでしかない。この企業は多分数年後には、自衛隊と共に「海外勤務」をしているであろう。
「かけはし」に毎号、沖縄現地の生々しい報告を寄せられている、「沖縄KS」さんから、大浦湾での抗議船行動参加のお誘いがあったのであるが、当日、あいにくの強風のために海上での抗議行動は中止となってしまった。九月に予定している、次回の辺野古行動時にはぜひとも海からの行動に参加する決意である。
「途切れることなく辺野古結集を!」と訴える、「沖縄KS」さんの呼びかけに応え、辺野古への動員体制を作り上げよう!
六月一五日
6.16
韓国サンケン労組勝利報告集会
日韓の連帯で解雇撤回!
労働者の国境を越えた団結だ
すがすがしい
思いみなぎる
六月一六日夜、全水道会館(水道橋)において、韓国サンケン労働組合の解雇撤回闘争勝利の報告集会が開催された。共謀罪法の強行採決後であったため、胸の片隅に憂鬱さを抱えての参加であった。しかしこの集会は、後退した気分を吹き飛ばすほど笑顔の絶えない、清々しい連帯感に満ちた集会となった。
この争議を振り返ってみる。日本企業のサンケン電気は、韓国に設立した会社の工場を昨年三月に廃止し、九月三〇日付け解雇を通告した。全国金属労働組合慶尚南道支部の韓国サンケン支会(韓国サンケン労組)は、五月を皮切りに一次、二次の日本遠征闘争を行い、一〇月の三次遠征には解決まで無期限滞在という不退転の闘いへと突入する。日本でも十一月に「韓国サンケン労働組合を支援する会」が、百三十名の結集で結成された。
遠征部隊は、連日のように埼玉の本社や池袋の東京事務所前での抗議活動を行った。同時に埼玉共同行動、コミュニティユニオン首都圏ネットの一日行動や東京総行動などでも、日本の労働者と一緒に闘い、日韓労働者の連帯を強めていった。
一方の韓国では、九月に工場前にテントを張り、固い決意のもと籠城を開始した。そして一二月二八日、慶尚南道地方労働委員会で、「解雇は不当」の判定が下される。
年が明けて三月、韓国では民衆の反政府闘争がうねりとなって激化する。ついに朴槿恵元大統領が弾劾訴追され、政治的緊張が走るころ、ノフェチャン韓国国会議員(民主労総、正義党)が来日。サンケン本社を訪問するが、社長は議員との面会を拒否した。当議員は社民党吉田党首らと懇談し、この争議が多方面に知られることとなり、外交的問題へも波及する様相を帯びてくる。
そして三月二六日、本社へ向けた抗議デモに雨の中二百人が参加し、怒りのシュプレヒコールを街中に響かせた。
四月二八日、中央労働委員会でも「解雇は不当」の判定が下り、復職命令がでる。しかし出社すると工場には機械も机もなく、椅子しか置いていないという有様だった。再び五月、東京事務所へ緊急集中行動を行い、ついに六月二日、整理解雇撤回、生産部門廃止撤回、原職復帰を勝ち取った。
最後まで闘い
成果を上げる
あいさつにあがった金澤壽さん(支援する会共同代表・全労協議長)は、「この勝利は、勝つまで帰らないという決意の賜物」であり、実際に「最後まで闘った成果」であると称えた。ヤン・ソンモさん(支会長)は、解雇される九月三〇日前夜に「明日は解雇者になってしまう。みんなで話し合おう! 復帰するまで組合にとどまろうと約束した。夢が実現して感激しているが、途中去っていった仲間を思うと胸が痛い」と、勝利の喜びだけではなく会社側の脱退工作への怒りをにじませた。続けて「これから労働関係を正常化させる厳しい闘いがある。しかし連帯というプレゼントをもらって、労働者として堂々と活動していく」と、今後の抱負を語った。
キム・ウニョンさん(韓国サンケン支会・解職者復職闘争委員会共同議長)は、「野菜、食料の差し入れ」や「寝泊りや洗濯、毛布、スプーンにいたるまで支えてくれた方々へ感謝したい」と述べた。そして支援者を「兄弟姉妹、家族のようだ。労働者はひとつだ」と温かい言葉でつなぎ、「相手に望まず見返りも求めない仲間。みんなの勝利です」と、この争議の核心を語った。
社民党の福島みずほ議員も、お祝いに駆けつけた。舞台裏で厚労省と外務省への交渉を行ったことや、文在寅新大統領の登場が政治的な効果を醸したかもしれないが、勝利の最大の要因は当該と支援の粘り強い闘いにあり、国際的労働運動としても大きな勝利となったと評価した。
懇親会では、当該を中心に笑いが絶えなかった。最後のあいさつは、支援する会事務局の尾沢孝司さん。「初めはたいへんなことを引き受けた」と思ったという。しかし「彼らの話から学ぶことが多かった。闘争をやってよかったと思う。ひとつの風穴をあけるような闘いがつくれた。これからも民衆の闘いを発展させよう」と締めくくった。(大望) |