闘争につながった馬昌労連(注1)の88年
チョン・ギョンウォン(労働者の歴史「ハンネ」)
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87年の労働者大闘争は、大宇造船のイ・ソクギュ烈士葬儀(注2)をきっかけにして起こった闘争である。無慈悲な弾圧、そして保守言論の世論により闘争は勢いを失った。良心と誠意を胸に闘争に進んだ闘争の幹部は、労働者の拠点の労組における解雇や拘束に直面した。3カ月間に、なんと525人の労働者が拘束された。民主化運動の勢力は大統領選挙における候補一本化に失敗した。独自候補は批判的支持にとどまり、闘争よりも大統領選挙を控えた議論に没頭していた。その中で、労働者大闘争を受け継ぐ強力な闘争によって社会の雰囲気を変えようという決意を胸に再び立ち上がった労働者たちがいた。株式会社統一の労働者と釜山地域の労働者らは、上京闘争を計画した。この闘争は、労働運動史における一つの事件に過ぎなかったが、労働者大闘争の収束の方向性を提示した重要な先導闘争でもあった。
馬昌労連建設への先導闘争
1987年10月12日株式会社統一の組合員50人が上京闘争に立ち上がった。しかし、当初の目的地であった民主正義党会館の前において参加者の半分程度が連行され、10月15日には20人がクリスチャン会館の前で連行された。その後、当初計画になかった国民運動本部での座り込みが開始された。座り込みは同年12月初めまで継続した。10月23日、昌原、釜山、ソウル、安養などの労働者11人が民主正義党会館を奇襲占拠して座り込みに突入した。10月27日にソウルで開かれた「労働運動弾圧粉砕決意大会」には、全国から4千人の労働者が参加して街頭闘争を繰り広げた。各地域の労働者が国民運動本部座り込みに参加し、拘束された労働者の家族、各社会団体、学生による支持訪問活動や募金が継続した。この闘争は、選挙政治に埋没した民主化運動勢力に警戒心を喚起した。労働者大闘争の成果に応えて、連帯組織結成への結集が呼びかけられた。(<統一重工業労組30年史>と<馬昌労連史>の記録)
連帯闘争を通じて結束力を高め、リーダーシップをとった馬昌労連
12月14日馬昌労連が結成された。大統領選挙における野党の敗北が予想される中で、大統領選挙後の弾圧に立ち向かう組織の必要性から、急きょ馬昌労連の組織が結成された。絶え間ない闘争の過程において連帯の必要性を痛感する主体が形成され、労働運動の活動家組織間の連携によって組織が形成された。労働者が地域組織を選んだのは、この地域には87年の闘争を展開した製造業の事業所が集中していたからである。労働者らは、最も早い時期に自然に労働者の連帯が形成されたこの地域に地域組織を結成した。
馬昌労連はその後、全労協の最も確かな基盤となる地域組織となったが、出発当時は、寄せ集めの労働組合に過ぎなかった。韓国労総との関係に特に問題意識を持たないほど、御用労組と民主的な労組との区別があいまいであった。綱領には「労働解放の日まで闘争する」との運動方針を明らかにしながらも、結成趣旨文では、韓国労総傘下連盟との関係を「全面的に否定しない」とし、緩やかな形の組織であることが表明された。労働者大闘争によって形成された大衆的な労働組合運動と政治的労働運動勢力の結合が大統領選挙を控えて馬昌労連の旗の下に「急いで組織」されたのである。馬昌労連の課題は、結束力とリーダーシップを高め、名実共に地域と連携する組織に生まれ変わることであった。
労働者大闘争の経験をした労働者は、馬昌労連のリーダーシップと結束力に大きな期待を寄せた。馬昌労連の課題は、その期待に応えるリーダーシップを形成することであった。そして88年賃金闘争を通じて馬昌労連は、その労働者の期待に応えた。教育、宣伝にすべての力量と努力を注入し、共同賃金闘争の準備を行った。労働者は、様々な争議の方法を独自に生み出した。作業服を裏返しに着ての作業、ピカピカの靴を履いた私服での作業、1人1枚のポスター張り、1台の公衆電話を利用した家族への私用電話、わざと一つのトイレに並んで列を作る行為、団体での消化剤の集団服用、全員早退しての野遊会参加、社員証や名札の拒否など、様々な順法闘争にほとんどの組合員が参加し、生産に支障をもたらした。賃金闘争初期から、労働者らは力のうえで優位に立った。非常対策委員会は、家族協議会、小委員会、政党防衛隊など、さまざまな闘争組織を作った。特に政党防衛隊は、資本の弾圧が強まれば強まるほど闘争死守と連帯のために、なくてはならない組織となった。
87年の労働者大闘争によって、最初に労組が大工場において結成された。88年は、中小零細事業場に労働組合が次々と結成された年であった。88年に入って、馬山と昌原にも27の新たな労組が誕生した。これらの労組における組織選挙では「当選した委員長は、馬昌労連に登録する」という公約を掲げた。「われわれの労働組合はストライキを行わないのか?」という要求が自然に提起されるほど、88年は馬昌労連にとって闘争の年であった。闘争の中で馬昌労連はリーダーシップを認められ、最も強固な地域組織に生まれ変わった。(変革政治45号より)
(注1)馬山昌原地域労働組合総連合
(注2)イ・ソクギュ葬儀闘争は、1987年8月に韓国巨済島で発生した労働争議。
民主労総最初の総ストの試み(6月30日)
非正規職の要求などを掲げ
韓国=民主労総社会的総スト方針を最終的に確定し、雇用委員会への参加は「少し検討」最も切迫した労働者が集まる。(労働と世界より)
民主労総が5月31日8回中央執行委員会(中執)を続開して社会的総スト方針を最終確定して、文在寅(ムン・ジェイン)政府が提示した雇用委員会に出席するかどうかは、民主労総の憂慮に対する立場など政府の労働尊重の意志を改めて確認して検討した後、6月8日、臨時中執で決定することにした。
中執が最終確定した社会的総スト方針は以下の通りである。 @6・28から7・8まで5代社会大改革要求(△朴槿恵(パク・クネ)弊害の清算△最低賃金1万ウォンの獲得・非正規職撤廃・低賃金の打破△財閥体制の解体△国家機構の改革・社会公共性強化△労働組合を組織する権利の勝ち取り・労働法全面改正を勝ち取るための社会的なゼネストを展開するAすべての加盟の下部組職は、社会的総スト期間中、1日以上5大要求を掲げた波状ストと総力闘争に突入するB社会的総スト期間中6月30日、非正規職の事業所は最低賃金1万ウォンの獲得、非正規職撤廃、労組権利争奪など非正規職-低賃金労働者の要求を中心に社会的なゼネスト闘争に突入し、その他事業長はスト、総会、休暇闘争、拡大幹部以上ストなど、すべての方法を動員して社会的なゼネストに結合する。6・30総ストの大会は、ソウル上京闘争とするC7月8日、民衆総決起闘争本部中心に、地域別に民衆大会を開催する
社会的なゼネストの意味と非正規職スト
今回の社会的なゼネストは3つの意味で、民主労総のゼネストと姿を異にする。 第1に、ストの5大要求は組織された労働組合の理解を越え、未組織非正規職など、より広い、労働者階級の要求を中心に掲げた社会性にあり、第2は、労働組合のストという行為に加えて未組織労働者、農民、貧民、青年、女性など社会各層の共同闘争の結合を志向するという点でまた社会的だ。 最後に、今度の社会的なゼネストは、朴槿恵退陣など、従来のゼネストが持つ対政府闘争の意味とは違って、ろうそくの革命を通じて台頭した社会大改革を促進して、これに反対する勢力に対抗して国民的な力を結集させるという点で闘争対象が違う。
社会的なゼネストの期間の頂点とする6月30日は歴史上初めて非正規職総ストが試みられる見通しだ。これは、韓国社会の両極化と不平等の核心である非正規職問題が深刻で、その当事者である非正規職労働者たちの社会大改革要求が誰よりも切迫して高いという点を傍証する。これによって、民主労総は非正規職労働者たちを中心にすべての組職がストと多様な総力闘争方式を通じて6月30日社会大改革に向けた大規模な広場を開いて出すという計画だ。 この他にも民主労総は現在、光化門(クァンファムン)付近で労働及び社会大改革を求める座り込みを進めており、6月14日まで行った後、14日には現場単位事業所労組の代表が参加する単位事業所代表者大会を開く。
さらに、17日にはすべての階層が共にする社会的なゼネストの趣旨に合わせて市民と共にする「最低賃金1万ウォン実現漫歩ウォーキング大会」が漢江(ハンガン)公園で開催される。 ウォーキング大会は、各界が参加した連帯機構である「1万ウォン行動」が主催する。
雇用委員会の展望、政府の立場はさらに確認する必要ある
一方、民主労総中執の中心案件の一つがまさに政府雇用委員会に参加するかどうかだ。関連して中執は大きな基調で、政府と労政交渉を積極的に推進するという計画を再確認して、これに対する政府の反応や雇用委員会が露呈した憂慮される点、長所と短所に対する政府の立場などを総合的に考慮して6月8日中執で参加するかどうかを決定することにした。このため、民主労総は多角的な接触を通じて政府の立場を持続的に聞く予定であり、良質の雇用創出のための政策実現の可能性を高めていくという計画だ。
この他にも中執は最低賃金委員会の動向について報告を受けて、委員会運営が改善される余地がない限り、現在は欠席するしかないという二大労総の立場を再確認しており、国際労働組合総連合シャラン・バーロウ総長や文在寅大統領の単独会談結果も報告を受けた。これに加えて中執は「連動型比例代表制」を中心とする政治制度改革運動に参加することを決議し、公共運輸労組釜山慶南競馬場の労組とバク・ギョングン、組合員の自決問題解決に向けて共同の努力を傾けることを議決した。
朝鮮半島通信
▲朝鮮民主主義人民共和国(以下、「朝鮮」)は5月14日早朝、西部の平安北道亀城付近から弾道ミサイル1発を発射した。朝鮮中央通信は、発射した新型ミサイル「火星12」を視察する金正恩朝鮮労働党委員長を写した写真を報道した。また朝鮮は21日夕方にも、同国西岸から弾道ミサイル1発を発射した。
▲朝鮮中央通信は5月28日、金正恩朝鮮労働党委員長が国防科学院による新型の対空迎撃ミサイルシステムの試験発射を視察したと報道。視察の日時は不明。
▲韓国の朴槿恵前大統領の収賄罪などの事件に絡み、ソウル中央地裁は5月18日、前大統領に不法な美容整形を行ったとして医師のキム・ヨンジェ被告に懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役2年6月)の判決を言い渡した。また5月23日、朴槿恵前大統領の初公判がソウル中央地裁で開かれた。
▲6月3日の朝鮮中央通信によると、金正恩朝鮮労働党委員長は、平壌近郊の南浦にあるミネラルウオーター工場を視察した。視察の日時は不明。
▲朝鮮中央通信は5月30日、金正恩朝鮮労働党委員長の立ち合いのもと、精密制御誘導システムを導入した新たな弾道ミサイルの発射実験に成功したと報道した。「朝鮮」は5月29日、東岸の元山から弾道ミサイル1発を発射したが、同通信の報道はこれを指すとみられる。
▲韓国検察は5月31日、国政介入事件で公判中の崔順実被告の娘で、名門女子大への不正入学やサムスングループから不正に支援を受けた疑いが持たれ、国際手配中だった鄭ユラ氏をデンマークで拘束した。鄭ユラ氏は同日、帰国した。
【訂正】6月5号「韓国は、いま」の「5月27日ろうそく行動開催」記事の大見出しと本文上から5段目右から2行目の「満員バス」を「万ウォンバス」に訂正します。同音であり、両方の意味をかけたものです。
コラム
あなたの国! だいじょうぶ?
地下鉄終点からバスに揺られて一五分。震災遺構「旧荒浜小学校」に行く。自然溢れるこの地域に八〇〇世帯、二〇〇〇人の人々が暮らしていた。
バス待ち時間を利用し駅舎内の「メモリアル交流館」を覗いてみた。キャンドル状のオブジェが並んだ小部屋。強く息を吹きかけると小さな灯りがともり、耳を澄ますと声が聞こえてくる。係の人が「ワークショップの録音を切り取ったものです」と教えてくれた。「大きな揺れ……」「…津波…」。切れ切れの短いメッセージが想像をかき立てる。
三・一一を体現した子どもたちが描いた「過去・現在・未来」の絵。中央(現在)をクレヨンの「濃紺色」が占め沢山の「顔」が浮かぶ一枚の絵。心を占める「色」と「情景」と、いまだ見えぬ「未来」に階段状の?が幾本も描かれている。しばし眺め続けた辛い「過去・現在・未来」。見学路の一角には、交流館を訪れた人達が書き記した「短冊」が貼られていた。震災への様々な想いとボランティア等の経験等が綴られている。
その中の「あなたの国!だいじょうぶ?」と言う「衝撃的」な言葉が目に飛び込んできた。
巨大津波が襲いかかる日本、次々と爆発する福島原発事故の様子が世界中に発信された。当時、遠い日本の出来事に心を痛める人が当地の日本人に訴えた言葉だ。
荒れた地にポツンと「旧荒浜小学校」が建っている。「一〇mの巨大な白い壁」……二〇一一年三月一一日午後三時五五分巨大津波がこの小学校を襲った。津波で破壊された一階部分から各階を巡りながらこの地域の変遷を見る。巨大津波と破壊、緊迫した救出の様子が映し出され地域住民の証言が続く。地域での伝承を大切に避難訓練を積み重ね「校庭・体育館避難」を止め「屋上避難」に変えてきたと言う。避難地域では「校庭・体育館避難」で多くの犠牲者がでている。あらためて語り継ぐことの大切さを思いながら「震災遺構」を後にした。夏草に埋もれた被災家屋の土台跡を見ると多くの人が住んでいたことが偲ばれる。突然、一匹の野鳥が舞いあがった。
「安全神話」が崩壊して六年。二〇一三年「特定機密保護法」成立。一四年「集団的自衛権行使」閣議決定。一五年安保関連法強行採決。一六年広範囲な盗聴を認める「通信傍受法」の改正。そして一七年治安維持法たる「共謀罪」法案国会審議に。
安倍政権は「三分の二」を「錦の御旗」とし、不安をかき立て「安全・安心」を人質に「主権」「人権」「平和主義」に刃を向けている。耳当たりの良い「マイナンバー」と冠した無機質な数字「一一桁」で人の一生を国家が管理する道。安倍政治に「忖度」で応える政治屋と官僚ども。時にイライラが募るが「自然」に分け入りホットする日もある。雲雀が中空から甲高く「あなたの国!だいじょうぶ?」と警戒信号を発している。「だいじょうぶ!」。今日も力強く人々が怒りの声をあげている。「悪」が栄えたためしはないのだ。
(朝田)
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