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    かけはし2017.年5月22日号

米軍統治との闘い継承を


沖縄報告:5月13日

今こそ歴史的成果を確認しよう

沖縄 K・S

本土復帰45年・県民世論調査

「復帰良かった」75・5%、「辺野古反対」74・1%

沖縄県民の総意に応え、
辺野古阻止に立ち上がろう!

 一九七二年五月一五日の沖縄の本土復帰から満四五年を迎えた。この間に沖縄は社会・経済、文化・スポーツなどの面で目覚ましい発展をとげたが、四五年前も今も県民の意識は根幹において変わらない。それは復帰賛成、基地反対だ。『琉球新報』が実施した復帰四五年県民世論調査によると、「本土復帰をどう思うか」との問いに、「とても良かった」「どちらかといえば良かった」合わせて七五・五%、「とても悪かった」「どちらかといえば悪かった」合わせて四・一%だった。本土復帰は長年の苦しい闘いの蓄積の上に沖縄の分離支配・米軍政支配を掘り崩し自民党の「いもはだし」論を打ち破って勝ち取った闘いの成果だ。県民は本土復帰の肯定の上で基地に反対しているのだ。
「普天間飛行場の代替施設として辺野古の新基地建設をどう思うか」との問いに対して、「普天間撤去」「県外移設」「国外移設」合わせて七四・一%、「辺野古に新基地建設すべき」が一八%だった。また、就任後二年半を経てあくまで辺野古NO!を貫く翁長知事に対しては、「支持」が六六・七%、「支持しない」が一九・三一%だった。日本国民は沖縄県民の不変の民意を理解し、翁長知事を先頭に辺野古新基地に反対し続ける沖縄県民の総意に応えるべきだ。ともに辺野古阻止に立ち上がろう!

5・11結団式、5・12〜14平和行進

炎天下と豪雨の中、
のべ4300人が行進


五月一一日、沖縄県武道館で開かれた「五・一五平和行進全国結団式」に韓国からの四〇人の訪問団、全国各地の労組、平和フォーラムなどの参加者を含め約七〇〇人が集まった。山城博治実行委員長は「全国のみなさん、連帯を強めて行こう。韓国から四〇人参加している。東アジアの平和の道を共に切り拓こう」と檄を飛ばした。「コリア国際平和フォーラム」のソン・ミヒさんは「新しい大統領を誕生させて沖縄に来ることができ、喜びもひとしおだ。美しい沖縄に軍事基地が多くて悲しく胸が痛い。東アジアの平和のためにともに闘い、勝利しよう」と訴えた。
翌日からの平和行進は読谷村役場で出発式を持った中部・基地コースと県庁前広場で出発式を開いた南部・戦跡コースの二つのコースで行われた。一二日は最高気温三〇度を越える炎天下、一三日はバケツをひっくり返したような豪雨の中、一四日はうす曇りの中延べ四三〇〇人が「辺野古新基地反対」「基地のない平和な沖縄」を訴えて力強く行進した。例によって右翼の街宣車が妨害に現れ大音響のヘイトスピーチを繰り返したが、行進団はまったく相手にせず整然と行進を貫徹した。基地のない沖縄を実現するまで県民は闘い続ける。

5.10

ゲート前座り込み

250人結集し
終日資材搬入を阻止

 五月一〇日の水曜行動は早朝から二五〇人が米海兵隊キャンプ・シュワブゲート前に集まり、終日資材搬入を阻止した。水曜担当の平和運動センター、大城悟事務局長の司会の下、座り込み集会の行われた工事用ゲート前は人波で埋まった。また第1、第2ゲート前でも工事用車両の監視と米軍車両に対する抗議行動が展開された。
ゲート前の座り込み集会は名護市、宜野座村、八重瀬町、糸満市、南風原町、豊見城市、南城市など県内各地の島ぐるみの活動報告と決意表明に続いて、一一人参加の「島ぐるみ会議と神奈川を結ぶ会」は「派遣基金を設立しこれまで高江・辺野古に五〇人以上送ってきた。今回一一人で参加した。来週五人、二人と派遣する。沖縄の島ぐるみの闘いを受け止めて神奈川での闘いをもっと強化していく」と述べた。
日本山妙法寺の鴨下さんと共にスピーチに立ったアメリカの五人は、米国での平和行進とパイプライン反対運動で出会い、今回二カ月の予定で沖縄を訪れたという。五人はそれぞれ「みなさんと共に平和の祈りを捧げるために来た。皆さんの目に美しい魂を見た。沖縄から基地をなくす日を夢見ていきたい」「ノースダコダのパイプラインの闘いは石油とエネルギーをめぐるもので、沖縄の闘いは軍隊と戦争をめぐるものだが、同じような闘いだ」「ニューヨークで学校の先生をしている。私たち先住民は水を守るために闘っている」などと語った。同行している群馬の一七歳の青年は「真実を学びに来た。皆さんの勇気ある行動に感動を受けた」と話した。
他方、第1ゲート前では、わがもの顔で出入りする米兵車両に対し「海兵隊撤退」「米軍は出ていけ」という抗議のピケット行動が倦むことなく展開された。軍警が前面に出てこない代わりに、防衛局と思しき格好の三人がマイクで「通行の妨害をしないでください」「車の前に立たないでください」と叫び続け、県警がビデオカメラを回し続ける。先月まではイェローラインの前で停車しけたたましくサイレンを鳴らしたMPのパトカーは少し離れたところからマイクで警告しながら様子をうかがっているだけだ。機動隊が動員されるまで約三〇分にわたり、米兵たちの車両は二〇台近く数珠つなぎになり立ち往生した。連日展開されるゲート前ピケットラインに、米兵たちも県民の怒りの深さを真剣に受け止めるべきだ。

5.8

第4回公判に200人

山城さん、添田さんが出廷
検察は起訴を取り下げ謝罪せよ

 山城さんを中心とした一連の裁判で、高江N1裏での「公務執行妨害・傷害」の件が初めて公判の日程に上った。起訴されているのは山城博治さんと添田充啓さんの二人。午後の公判に先立ち、昼休み時間に裁判所前の城岳公園で事前集会が開催された。
山城さんは「私たちを有罪とする警察、検察の証拠は全くずさんだ。絶対に無罪を勝ち取る。この間全国を駆け回っている。当たり前の平和な社会、戦争のない社会を求める私たちの運動はどのような圧力があっても決してくじけることはない」と訴えた。
金高望弁護士は「裁判の進行の遅れは検察の責任だ。辺野古のブロックの件でも検察はまだ証拠の整理ができていないという。そのため、高江の件を先にすることになり、本日高江の一回目の公判になった」と説明した。
オール沖縄会議共同代表の高里鈴代さんは「朝辺野古に行ってきた。一〇〇人近くの座り込みがあったが、警察機動隊の排除でダンプ、生コン車が大挙進入した。辺野古と裁判、両方頑張って、勝ち抜こう」とアピールした。添田さんは「みなさんのおかげで保釈された。頑張る。諦めない」と簡潔に決意を語った。
伊波洋一参議院議員は「開催中の国会からやってきた。外交防衛委員会に所属し、稲田や岸田を相手に頑張っている。米軍は絶滅危惧種や希少生物を守る義務がある。日本の法律は個体を守ることを義務付けているが、生息地を保護することを義務付けていないというおかしなものだ。高江ヘリパッド建設は違法だ」と述べた。集会は最後に「裁判に勝利するぞ」と力強くシュプレヒコールを行なった。
法廷では抽選に当たった三〇数名が傍聴した。裁判はまったく茶番としか言いようがない。まともに取り組む気のない検察は担当検察官が一人いるだけ。山城さんたちが写っている現場の映像を流しただけでこの日の公判が終了した。なんの証拠にもならない代物だ。しかし、有罪とする証拠がなくても、権力が逮捕・起訴・長期勾留・裁判を行なえば弾圧の効果は大きい。権力がつくり上げた冤罪裁判の数々と同じことが、辺野古・高江裁判で行われている。負けてはならない。絶対に勝ち抜き無罪を勝ち取らなければならない。次回公判は五月二九日、防衛局職員の検察側尋問がある。
六月三日(土)には、午後六時から自治会館で裁判闘争報告集会が開催される。

5.9

平和市民連絡会が沖縄県に対し要請

直ちに埋め立て承認の撤回を!


五月九日午後、平和市民連絡会のメンバー約二〇人が四月二九日の総会決議を持って、沖縄県に埋立承認の即時撤回を求める要請行動を行なった。県側は、辺野古新基地問題対策課の多良間課長をはじめ六人がテーブルに着いた。
まず、高里鈴代さんが代表して、「タイミングを逸してはならない。一日も早い知事の承認撤回宣言が待たれる。知事を全力で支持し、安倍政権と対決し辺野古新基地を阻止していく」との要請文を読み上げて、多良間課長に手交した。平和市民連絡会側は、「防衛局の護岸工事が捨石の大量投入という段階に入る中、埋め立て承認撤回に踏み切るのは今を置いてない」と強調した。県側は、「撤回の法的根拠の検討中」との答えに終始した。最後に、今後も話し合いの場を継続して持つことを確認して、一時間以上に及んだ要請行動を終えた。
日米両政府の国家権力に対抗するためには、沖縄県の行政権力と大衆運動との強い結束が不可欠だ。埋立承認撤回による県の不退転の抵抗と毎日のゲート封鎖の座り込みが結合すれば、辺野古新基地阻止の闘いは必ず勝利を手にすることができる。

5・3憲法記念日の講演会盛況

 五月三日憲法記念日に、沖縄では憲法講演会が相次いで開催された。沖縄県憲法普及協議会主催の講演会は、宮古島の自衛隊配備に反対する岸本邦弘医師の「戦争の危険をもたらし、地下水の汚染が起これば人が住めなくなる」との訴え、琉大生一一人による「すべての国が戦争を放棄する日〜おきなわから」との朗読劇のあと、水俣病の弁護団の一員として五〇年近く闘い続けてきた馬奈木昭雄弁護士が講演した。会場となっている一階講堂に入りきれない人々は二階講義室と一階ロビーで講演を聞いた。七〇〇人参加した。
また、はえばる9条の会主催の講演会は南風原中央公民館に二二〇人が集まった。簡潔で要点をついたアニメーション「戦争のつくり方」の上映、南風原中学校一年生の女生徒二人による「くにとくにのけんかをせんそうといいます」で始まる『わたしのやめて』の朗読に続いて、沖縄国際大教授の前泊博盛さんの「憲法と沖縄」と題する講演が行われた。

馬奈木昭雄弁護士「力を持った正義が勝つ」

 私は一九六九年に弁護士となり水俣病弁護団に加わった。以来、被害者の最後のひとりまで救済することを目的として活動してきた。政府、企業の考える解決とは被害者が黙ること。権力者のものの考えだ。はじめは国が認定する患者は一三〇人に過ぎなかったが、現在補償金を受け取ったのは約七万人。私は、患者は二〇万人いるとみている。闘いは続く。力を持った正義が勝つ。本質を明らかにし、事実を明らかにする。事実は誰も否定することはできない。安倍・菅のいう法治国家は国家が法ということ。我々のいう法治国家とは正反対だ。憲法の原理原則をありとあらゆるところに適用させよう。憲法に定めている権利も国民の不断の努力によってのみ守られる。

前泊博盛教授「憲法による被害者はいない。なぜ改憲するのか」

 一九七二年の沖縄返還の時私は小学五年生だった。かつての無法な米軍政支配に終止符を打ち、沖縄に憲法が適用されるとともに日米安保が適用された。憲法を勝ち取ったのは沖縄のみだ。今回憲勢力が多数を占めている。日本国憲法による被害者はだれもいない。どうして改憲しようとするのか。マスコミは権力の声を伝えるのみで、権力に対しものを言わない。言論の不自由だ。アメリカの一部の州での「海兵隊か刑務所か」という経済的徴兵制が日本でも進行している。戦争指導者たちは戦場へは行かない。沖縄は戦争への道にどこまでも抵抗する。


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