ロシア
3月26日 全国各地で抗議の嵐
イリア・ブドライツキス/キリル・メドベージェフ
|
三月二六日、民衆は多くのロシアの都市で、アレクセイ・ナバルニイの反腐敗財団による先頃の反腐敗調査報道と結合した集会に参加した。これについては、ここ二、三年ではもっとも数の多い街頭抗議行動があった、 と言うことができる。公正かつ開かれた選挙に焦点を絞った二〇一二年のボロツナヤ抗議行動とは対照的に、先の集会が取り組んだ主な課題は、財の不公正な配分とロシアの寡頭支配的なシステムだった。
集会の多くは、協調の下で行われたものではなかった。そしてそれは警察の強い関心に火をつけることになっている。他方、公認のマスメディアは、できごとを無視しようと務めてきた。モスクワでの集会には、GUVD(モスクワ州警察)のデータによればおよそ七〇〇〇人から八〇〇〇人がいた。一方、目撃者のいくつかの評価によればおよそ一万人がいた。そして報道は一〇四二人の拘留を伝えた。ペテルスブルグでも、およそ一万人がマルソボ・ポリエに現れた。その後二、三〇〇〇人の人々は、王宮広場や市民登記事務所に向け出発した。約一三〇人が拘留された。
エカテリンブルグでは二〇〇〇人以上が集会を行い、ノボシビルスクでは四〇〇〇人以上が現れた。さらに人々は、トムスク、チェリャビンスク、サラトフ、ボロネッツ、イルクーツク、ペルム、また他の諸都市でも街頭に繰り出した。当地のマスメディア、諸々の写真、エコ・モスクワのビデオ映像からのデータに基づけば、ロシア全土の集会には、約六万人が参加した。
イリア・ブドライツキスとキリル・メドベージェフが、すべてはどのように進んだのか、現在の抗議行動は五年前のボロツナヤの諸々の集会とどう違うのか、そこからわれわれは何を期待できるのか、そして左翼にとってこの抗議が何を意味するのか、をわれわれに語る。
イリア・ブドライツキス
社会的矛盾への怒りの表
出迫られる左翼の対応
モスクワと他の諸都市でのできごとから一日経った今日、自由主義的メディアは、「学校生徒の小僧っ子」についての、ナバルニイが動員できた根本的に新しい世代の聴衆についての憶測で一杯になっている。昨日の「ウォーク」に対する若者の大量参加はもちろん事実だ。しかしながら私は、社会学者のアレクサンデル・ビクボフに同意する方にもっと傾いている。ちなみに彼は、抗議に立ち上がった人びとの多数は結局、三〇歳前後の世代に属している、と述べた。
とはいえ、これらの抗議行動は、五年前のボロツナヤ抗議行動に現れた集団を超えて十分に広がった。街頭に登場した――モスクワにおいてだけではなく、他の数十の都市でも――民衆の多くにとって、決定的な問題は、政治的自由の欠如ではなく、住民の絶対的多数と超富裕な腐敗エリートの間にある隔たりの広がりだった。
現在の運動は、経済的危機とプーチンの社会モデルの退歩から産み落とされている。ナバルニイはこのムードを巧みに捕まえ、過去一年を通じ、彼の調査と公開された諸言明の社会的・ポピュリズム的構成要素を増大させた。彼は、腐敗は一つの不祥事ではなく、むしろ大規模な財の上方再配分を基礎としたシステムの一部ということを、はっきり示した。
彼の暴露に込められた情念に関して言えば、それは時として、快楽主義的エリートに向けられたあからさまな憎悪の限界まで近づくことになった。ナバルニイは、五年前のボロツナヤの抗議期間中、行動の方向として左翼が公衆に呼びかけたことを、まさに今やろうとしている、と人は言うかもしれない。
彼は、政治的要求と社会的要求の間にある結びつきを描き出しつつ、視聴者を広げ続けている。しかしながら基本的な違いは、彼にとってこれは、反政権派の疑問の余地ない指導者としての彼自身の地位に重点を置くことに従属した、ある種の道具的で技巧的な動き、ということだ。
この情勢は左翼に対し、新たな可能性と新たな脅威双方を提示している。すなわち、昨日抗議の集会に登場した人々は、われわれの考えに以前より開かれている。しかしそれでも同時に、ナバルニイの運動を軸に集中した全体の輪郭は、他のあらゆるオルタナティブ、諸々の組織されたセンターの発展を複雑にする。二〇一一年とは対照的に、この抗議行動はまだ、さまざまな考え方の衝突に向けた一つの場とはなっていない。
左翼は、モスクワ、ペテルスブルグ、ウラジオストックそして他の諸都市における昨日の抗議行動に、完全に精力的に参加した。しかし、引力をもつ注目に値する単一の極として自身を示すことができなかった(そして本気で挑むことすらしなかった)。明確なことは、今年を通じてものごとはある種加速的速度で発展するだろうということ、そしてわれわれは三月二六日の経験から切迫感をもって結論を引き出さなければならない、ということだ。
キリル・メドベージェフ
左翼としての創造力ある
発進が不可欠
モスクワで登場した民衆はある程度、ボロツナヤの群集だった。しかし他の人々は最近になって政治化を遂げた人々であり、すでに何度も言及されたように、圧倒的に彼らは若い民衆だった。
重要なことだが、ナバルニイは彼の映像を通して、クリミアとドンバスの物語の効果、過去三年抗議の政治を麻痺させてきた強力な影響力を感情的にしのぐことができてきた。それこそが、暴露され続けている特定の諸事実よりも重要だ。
ナバルニイは信じられないような巧みさで、また実践上はただ一人で、システムを不安定化し続けている。
彼が生み出し続けている裂け目は、彼が公認左翼に突き付け続け、反応するよう迫っている挑戦は、少なくとも幾分かは搾取された者たちをより急進化することになった。
あり得る最良な結果は、一九九一年と一九九三年に解き放たれた諸勢力の、一定の条件付き統一だと思われる。その勢力とは、民主主義を求める闘いが一政党による権力の横領に反対する闘いであるとする人びと、そしてこれが、多数を支配する特権をもつ者と富裕層という小集団の可能性に反対する闘い(それが、もっとも合法的で腐敗から遠く、また「一時的」という形で起きている時であっても)であるとする人々、のことだ。
振り返ってみると、これら二年の社会的諸勢力は例によって互いに対立するようになった。今われわれの下には、それらの経験ある者たちが結集するある種の好機がある。そしてもちろん昨日の学校生徒の小僧っ子たちは、彼らが政治に幻滅するようにならなければ、結局は先のような二つの考え方の一つを取り入れるだろう。
この統一は、体制にはもっとも恐ろしい悪夢になると思われる。同じく、他の何よりもソビエトの遺産とその経歴の上に立って手打ちを期待している民族主義者と自由主義者にも、まったく不愉快なニュースの一片になると思われる。
ナバルニイの場合は、この矛盾した事情を彼自身の人物という力で解決しようともくろんでいる。こうして運動の統一は直接、彼の人物に向けた直接的忠誠に依存している。
これは一つの問題だ。しかし、ナバルニイが始めた反腐敗の抗議から区別された他の真剣な反対運動はまったく存在せず、それは近い未来にも存在しないだろう。それゆえ当然にわれわれは、そこに参加している人々と共にいなければならない。
しかし、一九九〇年代にかけがえのない民族指導者の一組(最初はエリツィン、次にプーチン)がどのようにしてわれわれに押しつけられたか(部分的には民衆の同じ世界の仲間によって)を思い返すならば、もっとも民主的でもっとも反権威主義の綱領を携えてこれらの抗議行動に参加することが必要だ。
われわれにはナバルニイのカルトは必要ない。つまりわれわれには、ナバルニイ大統領あるいは何らかの他の大統領は必要ない。あるいは民族主義も必要ない。しかし彼は、彼自身の支持に向けそれを動員しようと試みている。それゆえこれは、運動全体、社会を破壊しつつ内側から爆発する可能性をもつ、最低でも主導性の力を体制に再び譲り渡すことになる、トロイの木馬だ。
われわれはシステムを追い出す必要がある。われわれには、政治的また思想的諸対立に向けた一つの新たな戦場が、その中で最終的に左翼が独立し大衆的で民主的な勢力であることができる戦場が必要だ。必要なものは、過去の年月を通じてわれわれが獲得してきた熟達し創造的な潜在能力を実体的な政治に移す戦場だ。それは、その中では腐敗が主要かつ唯一の悪としてではなく、まさにわれわれの破壊されるべき半周辺的資本主義の構造的要素の一つと見られる、そうした現実的綱領を左翼エコノミストに創出させることを可能にする戦場だ。
われわれは、左翼の政治、この綱領を分かりやすい言葉で表現することを学ぶ発言者、そしてナバルニイの映像あるいはクリミアやドンバスの物語と同じほど強力な物語(ロシア人は自身を決して見捨てない!=jへと言葉を創造するアーチストを必要としている。
言葉を換えれば、左翼にとって真の政治と大衆的宣伝のための時は近づこうとしている。目標は、複雑な真実を単純で感情のこもった言葉で話し、示すことだ。そうしなければわれわれは、政治的大望そのものまでも捨てることになるかもしれない。(ウエブニュース「レフトイースト」二〇一七年四月一日より)
▼イリア・ブドライツキスは第四インターナショナルロシア支部の「フペリョード」(「前進」)の一指導者。同支部は、ロシア社会主義運動(RSD)創立に参加した。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年四月号)
アフガニスタン
MOAB爆弾使用に抗議する
米政府反対 原理主義反対 人民に権力を
アフガニスタン連帯党(SPA)の党員グループは、アフガニスタン・ナンハルガル州アチン地区で米国政府が行った「すべての爆弾の母」使用に抗議するために結集した。かれらは米国ならびに、ガニ・アブドゥラーかいらい政権への憎しみを表明した。抗議行動の参加者たちは、米国政府の占領政策に反対し、わが国民がおとしめられている現実を示す絵を掲げた。
かれらはスローガンを叫んだ。「米政府反対、原理主義反対、人民に権力を!」「殺人兵器の使用は犯罪だ」「米国の反テロ戦争はインチキだ」「アフガニスタンでの戦争の元凶は米国だ」「タリバンとISISは米国が登場させた」「米国とその手先によるわが国への干渉はゴメンだ」「立ち上がれ!沈黙は犯罪だ」。
爆弾の犠牲者は
ISだけではない
SPAスポークスパースンのセレイ・ガファールは語る。
「東西対立の中でアフガニスタンは泥沼を漂っている」「米国のアフガニスタン占領から一六年がたった。占領者は『対テロ戦争』という偽装で、無防備なわが国を墓場に変えてしまった」。
「二五万人以上のアフガニスタン人が米軍とNATO軍に殺された。破壊力の大きな爆弾、化学兵器、そして今度はアチン地区への最大の爆弾の投下だ。惨事は占領者のB52のせいだ。アフガニスタンのかいらい政権と、奴隷化された物書きたちは恥知らずにも米軍への感謝を、わが国民に促している。かれらは攻撃に感謝し、一般民の犠牲者はおらず、殺されたのはISISの兵士だけだと述べている。国民に恐怖政治を行っている政権は、この爆弾投下を奴隷的に承認し、わが国民に対する最も凶悪な犯罪を行った。しかし自由を愛するアフガニスタン国民は、わが祖国を東西抗争の場にさせてはならない」。
カブール市民のマフムドは、多くのことに直面しながら、詩を読み上げた。わが党の演劇部門に参加している若者たちは、トランプ、ガニ、アブドゥラーに扮して、MOAB(すべての爆弾の母)の模型を運んだ。
この集会では、最後に党の声明を読み上げた。
4月16日 カブールより
|