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    かけはし2017.年5月1日号

階級闘争のマグマうずまく
『資本論』という火山のガイドブック



読書案内

森田成也著、柘植書房新社、2300円+税

『ラディカルに学ぶ「資本論」』

険峻だがワクワクする頂きへの道

 待ち望んだ「登山ガイドブック」が発売された。森田成也さんの『ラディカルに学ぶ「資本論」』のことだ。
 森田さんは本書に収録されている「ベンサイドの『マルクス[取扱説明書]』によせて」のなかで、マルクスについてこう述べている。やや長いが本書を性格づける核心部分の一つなので引用する。
 「マルクスは、旧ソ連やその他のスターリニスト国家で建造されていた巨大な銅像のような存在ではない。つまり、その首に縄をくくりつけて引きずり倒せるような物体ではない。(つい最近もウクライナでレーニン像が引き倒されている)。それは言ってみれば山脈のような存在である。その中にはとりわけ高い山岳(『資本論』というモンブラン)を含みつつも、盟友エンゲルスやその他のマルクスが学んだり影響を与えた多くの山々と連なって存在する山脈である」。
 「したがって、この複雑で巨大な山脈を一冊で十分に紹介することなどできないし、そもそも一個人がそれを十分に理解しつくすくことも不可能である。われわれは、自らが設定した一つないし複数のルートにもとづいてこの山脈を散策し踏破することができるだけである。そこから見える風景や山の様子や経路は、この山脈の一端を示すものではあるが、その全貌を余すところなく伝えるものではけっしてない。とはいえ、われわれは、優れたガイドブックを持って山脈に挑むならば、自分の力だけでは見えないさまざまな風景を見いだすことができたり、あるいは気づかない細部に気づくこともできるのである」。
 「過去、そのような優れたマルクス論としては、エルネスト・マンデルの『カー
ル・マルクス』、ミシェル・レヴィの『若きマルクスの革命理論』などがある。ダニエル・ベンサイドの『マルクス[取扱説明書]』は、それらと並んで、そして21世紀初頭の現実を踏まえて、マルクスという山脈を探索するための非常に優れたガイドブックとなっている」。(142―143p)
 「優れたマルクス論」というこの「ガイドブックリスト」のなかに、本書『ラディカルに学ぶ「資本論」』も当然入るべきだろう。本書では『資本論』というモ
ンブラン峰はもとより、マルクスという山脈に連なる様々な山岳を、「ラディカルに学ぶ」というスタンスで案内している。

「ラディカルに学ぶ」という意味
森田さんは「はじめに」のなかで、二〇〇八年リーマンショックと二〇一一年の中東や欧州での民衆反乱や「われわれは99%だ」というオキュパイストリート占拠、ピケティ、ポデモス、コービン、サンダースなどの登場のなかで資本論が改めて脚光を浴びたことに触れつつこう述べている。
「マルクスの『資本論』は歴史上何度目かの復活を遂げつつある。何よりも、資本主義的生産様式においては、一方の極における富と浪費の蓄積と他方における貧困、抑圧、暴力の蓄積とが不可避に進行することを予言したのは、『資本論』
ではなかったか? 今こそ、時代の息吹とともに、新鮮な目で改めて『資本論』
をラディカルに学ぶことが求められている」。(9p)
そしてが「ラディカルに学ぶ」の二つの意味をこう述べている。
「一つは、現代日本社会あるいは現代世界を根底から理解し、それを変革する視点から『資本論』を学ぶという意味である。そもそも、マルクスが、その最初の草稿である『経済学批判要綱』から数えて十年もの年月をかけて『資本論』を執筆したのは、何よりも当時における資本主義世界を根底から理解し、それを変革し、自由な生産者の共同社会を建設するための『批判という武器』を提供するためであった。つまり世界をさまざまに解釈するためだけでなく、世界を変革するためであった」。(10p)
そしてマルクスの時代の資本主義から大きくその姿を変貌させた現代帝国主義が、二度の大戦、東西冷戦のなかで一定程度の福祉国家体制を確立したが、一九八〇年代以降の新自由主義の登場とソ連邦崩壊の一九九〇年代以降にはほとんどすべての国で新自由主義が席巻するようになったことを紹介して次のように述べている。
「こうして今日では、各国によって多少の違いがあるとはいえ、マルクスの時代にも似た貧富の格差の持続的拡大と弱肉強食の時代が再び訪れるようになっている。とくに日本ではその傾向が顕著である。……この今日も継続されている『階級戦争』において、『資本論』は再び世界を根底から理解しそれを変革するための『武器』としてラディカルな意義を帯びはじめている。これが『資本論をラディカルの学ぶ』と言った場合の第一の意味である」。
つづけて「ラディカルに学ぶ」の第二の意味についてこう述べる。
「だがこの『武器』は、そうは言っても一五〇年以上も前の武器である。そこかしこで錆びており、うまく働かない部分もあるし、何よりも敵ははるかに複雑で巨大になっている。それを批判的に解明する手段の方もまた、現代の強大な敵の力に見合った『武器』へと、その威力と射程距離と制度を高めていかなければならない。われわれの生きている世界を根底から理解し変革するという意味での『ラディカル』さは、『資本論』そのものに対しても発揮されなければならない」。
「われわれは『資本論』に対しても、それを所与の完成されたものとみなさず、変化と発展に開かれたものとして、ラディカルな姿勢を堅持しなければならない。これが『資本論をラディカルに学ぶ』ということの第二の意味である」。(12―13p)

 

資本論という火山

 『資本論』というモンブラン峰にチャレンジしようとする読者にむけて、このラディカルな山岳案内人は、ガイドブック「はじめに」をこう締めくくっている。
「この学びの道はまだ足が踏み出されたばかりである。『資本論』という山脈は巨大であり、そこからなお先に続く山並みはいっそう峻険で入り組んでいる。それを読み直すたびに新しい論点に気づいたり、古い論点が新しい姿をもって浮かび上がったりする。筆者は今後ともこの歩みを続けていくつもりである。本書は、その最初の一端を読者に報告するものでしかなく、それを通じて読者の皆さんとともにこの山道を少しずつ登っていきたいと思う」。(13p)
本書では金融危機や失業問題について『資本論』を取り上げた講演記録を全面的に書き直した論考や『資本論』というモンブラン峰や、そのガイドブックであるデーヴィッド・ハーヴェイの『資本論入門』やダニエル・ベンサイドの『マルクス[取扱説明書]』の書評、そして盟友エンゲルスのラディカルな分析が『資本論』
に与えた大きな影響などを考察した論考が含まれている。
ここではその一つ一つに踏み込んで紹介することはしないが、ぜひ手に取って読んでもらいたい。そして私たちの周辺や自分自身の職場や労働環境における絶望的境遇や体験を、資本家政府と労働官僚らが声高に叫ぶ「働き方改革」という名のグローバル資本の全般的危機における新しい賃労働=搾取の体系の確立に向けた策動に重ね合わせてほしい。この賃労働という名の賃奴隷の身体的記憶こそがこのガイドブックの随所で強調されている「階級闘争」の熱源であり、その熱源をより効果的に爆発させる理論的な火山こそが『資本論』である。休火山から活火山への地響きはそこかしこから聞こえている。
森田さんは本書で収録された一連の論考をより系統的に大学用テキストとしてまとめた『マルクス経済学・再入門』(同成社)を二〇一四年に執筆しており、二〇一六年の秋からこのテキストを使って、モンブラン峰の頂を踏破し「われわれの生きている世界を根底から理解し変革する」ための連続講座をはじめたところである。
頂へ向かう途上では、岐路の右へ向かうか左へ向かうか、あるいは道を下るか上るかで論争し対立し、ときには袂を分かつこともあるだろう。しかし世界を根底から理解し変革するいずれの山道も、かならず頂へと続いており、その途上で再びあるいは新しい仲間と合流するはずである。日本、沖縄、アジア、そして世界
の友人たちとともに、まだ見たこともない世界は必ず実現することを信じて、こ
の険峻だが、ワクワクする頂への道をこれからも登っていきたい。

 (早野 一)

投書

辺野古新基地建設に関する政府見解について

林 一郎

 

 日本政府は辺野古基地建設について、大浦湾での前県知事が認可した「岩礁破砕許可」の期限(2017年3月31日)が切れたにもかかわらず、更新申請は「不要」としている。その根拠は、地元の漁協が漁業権を放棄したためとしている。
 しかし漁協が「漁業権を放棄」したとしても、漁協の漁業権の免許期間は一〇年でしかなく、その申請、届出、許可、認可は「漁業法」に基づき、沖縄県知事に認可権があるのだ。日本政府が地元漁協の「漁業権放棄」を根拠として、二〇〇年の期間維持するという基地を、沖縄県知事の認可なく建設できるという権利はどこにもない。
 沖縄の海、大浦湾は、沖縄県民のものであり、沖縄県の行政権の管轄地なのである。まして海を埋め立て、既存敷地と接続、拡大する行為は、「漁業権」を超えた行為であり、一部漁協の「漁業権放棄」等を法的な根拠とすることなど、とてもできることではない。
 それでも百歩譲って、漁業権が、「土地の借地権」に対して「海の借地権」だと例えてみよう。土地の借地権があっても、その土地で何をしてもよい、何を建てても良いということではない。先ず、土地の所有権者に、建築計画を出し、承諾が必要である。
 次に、その土地の管轄行政庁に建築基準法に基づき建築物の建築確認申請、その他の諸申請をしなければならない。その中では、隣地への日陰規制、大規模地震時に道路に建築物が倒れないように、道路からの高さ規制、その地域に適した用途規制等、あらゆる場所的制限の中で、建築物は作られるのである。もし無認可のまま工事が行われるならば、すぐに「工事差し止め」の行政執行が出てくる。例え行政府でも日本国内の土地に建築物を建てるときは、当然その土地の監督行政庁の許認可を得ているではないか。
 沖縄の大海に繋がる海に、日本政府や米軍が県民の同意なく、ましてや沖縄県知事の許認可もなく、大浦湾の自然を破壊して、どんな工事をしてもよい、という権利は絶対に存在しない。魚漁法に基づく「漁業権」は単に、海洋での漁業が占有できるという、排他的権利に過ぎないのである。日本政府のいうように、「何をしてもよい」ということではない。
 日本政府が沖縄の海でしていることは、政府がたびたび使う「法治国家」を否定する、無法者の行為であり、その海を米軍に売り渡す、「売国」行為に他ならない。
 正義と正当性は、基地建設に反対する沖縄県民にあり、沖縄の海と自然を守る権利と義務が沖縄県知事にはあるのだ。
 辺野古の海を、沖縄の人々と共に守ろう!   
 二〇一七年四月              

コラム

教 訓

 「命はひとつ 人生は一回 だから命をすてないようにネ あわてるとついフラフラと 御国のためなのと言われるとネ
 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい」。
 この歌詞は、今年四月五日、急性骨髄性白血病のため六九歳で急逝したフォーク歌手加川良のデビュー曲「教訓1」の歌い始めである。デビューしたのは一九七○年の第二回中津川フォークジャンボリー。彼がたぶん二二歳のころだ。何を歌詞のモチーフにしたかは分からないが、その一節一節が、今改めて聴いても決して古びていないことがよく分かる。
 その証左にボクにはこの唄が、土地売却問題や安倍首相の昭恵夫人による百万円献金問題などで揺れる森友学園つかもと幼稚園で、つい最近まで斉唱されていた「教育勅語」の一節「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ(現代語訳)」に対する強烈なアンチテーゼに聞こえてきてしかたないのだ。
 彼の唄との出会いは、ボクが中学生のころ。確かにこの「教訓1」が最初だったと思う。時は吉田拓郎やかぐや姫、泉谷しげるなどエレック系の歌い手が幅を利かせていた七○年代。甘ったれた私小説的な四畳半フォークとは、まったく違った新鮮な出会いだった。そしてそんなボクもギターを片手に大学へ入学し、そこで出会った仲間に加川良や高田渡の神髄を教えてもらい、彼らを追っかけでコピーし歌うようになった。
 彼は「週刊金曜日」(二○○四年六月)のインタビューで「ライブも毎回、その時に新鮮に歌える曲を選んでいます。『教訓1』もどんな時期に歌ってもいいと思っているだけです」と語っているが、それはまさしく福島第一原子力発電所事故や集団自衛権の強行採決と重なり合う教訓に他ならない。かつて反戦歌の旗手ともてはやされた岡林信康とは、まったく違った思考回路だといってもいいだろう。だからこそ六九歳で亡くなるまでストイックに自分の唄を歌い続けてこられたのだと思う。
 遠い記憶をたどれば、ボクが初めて彼の唄を生で聴いたのは、大学三年生の五月連休。あの三里塚管制塔占拠三・二六闘争の直後、大阪天王寺野外音楽堂で毎年開かれていた「春一番コンサート」だったと思う。信州から日本海まわりで、トラックやら暴走族やらにヒッチハイクして友人と二人で大阪に向かったのだ。コンサートは三日間にわたり開催され、ボクたちは主催者の好意で、野音に寝泊まりさせてもらいながら、さまざまな唄をお腹いっぱいに聴いた。彼の歌ったホーホーズソング「オレンジキャラバン」を鮮明に憶えている。
 彼は、ファーストアルバム「教訓」以降は、ホップなカントリー調の名盤「アウト・オブ・マインド」や「南行きハイウェイ」、その他たくさんのアルバムを残した。そして検査入院した昨年の十二月まで、全国のライブハウスを精力的に回り歌い続けた。その中に「教訓1」もあったのに違いない。
 「死んで神様と 言われるよりも 生きてバカだと言われましょうよネ
 きれいごとならべられた時も この命をすてないようにネ 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい」。(雨)

 



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